読書会の記録(2022年)


202219

送信者: waka

コメント:

 本日開催した読書会の報告です。

 

 今回は、「シルバーバーチの霊訓(二)十三章 質問に答える」を輪読し学びました。残りの「十四章 シルバーバーチの祈り」は、その後に続く「”霊”Spirit”Soul――あとがきに代えて」と一緒に、来月の読書会で学んで行きたいと思っています。

 

 輪読に入る前に、この十三章に出てくる H.G.ウェルズ氏、チャールズ・ブラッドロー氏、トマス・ペイン氏の人物像を知るために、資料を用意してみなさんに配りました。たぶん、少しは役に立ったと思います。

 

 内容の方は、みなさんそれぞれ話が出たのですが、休憩中に「章の最後の所で意味がわからない所がある」と質問されました。

 

 ─── 各自に守護霊がついているということですが、もしそうならば戦争のさなかにおいて守られる人と守られない人とがいるのはなぜでしょうか。

 

 「その時点でのもろもろの事情によって支配されているからです。各自に守護霊がいることは事実ですが、ではその事実を本当に自覚している人が何人いるでしょうか。自覚がなければ、無意識の心霊能力を持ち合わせていない限り守護霊は働きかけることはできません。霊の地上への働きかけはそれに必要な条件を人間の方が用意するかしないかに掛かっています。

 霊の世界と連絡の取れる条件を用意してくれれば、身近な関係にある霊が働きかけることができます。よく聞かされる不思議な体験、奇跡的救出の話はみなそれなりの条件が整った時のことです。条件を提供するのは人間の方です。人間の方から手を差しのべてくれなければ、私たちは人間界に働きかけることができないのです」

 

 ここの「自覚がなければ、無意識の心霊能力を持ち合わせていない限り守護霊は働きかけることはできません。」の中の「無意識の心霊能力」とは何か?ということでした。

 

 読書会の中では、その質問に私が答えることが難しかったので、「私にはわからないです」と答えました。「こういうことだと思う……」とは伝えたのですが、この時は、休憩中で周りがガヤガヤした中では、ピントがズレた答えしか出ませんでした。

 

 話を整理すると、守護霊がいる事実を自覚している人には、守護霊はその人に働きかけることが出来る。自覚していない人には、守護霊は働きかけることが出来ない。

 守護霊がいる事実を自覚していなくても、無意識の心霊能力を持ち合わせている人に対しては、守護霊は働きかけることが出来る。

 ということは、もしも自覚が無くても、霊の世界との架け橋を無意識の内にも掛けることが出来るのか?出来ないのか?ということが、守護霊の働きに関係しているのだと感じています。

 でも一番は、自分から守護霊に心を開いていくことだと思いました。

 

 ところで、その質問の手前(208ページ終わり)に次のように語られています。

 「いわゆるハルマゲドン───地球全土が破壊され、そこへイエスが生身をもって出現して地上の王となるというのは真実ではありません。全ての生命は進化の途上にあります。物質界に終末はありません。これ以後もずっと改善と成長と進化を続けます。それとともに人類も改善され成長し進化していきます。生命の世界に始まりも終りもありません」と。

 

 このシルバーバーチの言葉とは反対に、至る所で地球人類が不安に陥るような情報が流されているように見受けられます。もしかしたら、不安や恐怖というものが意外と好きな人が多いのでしょうか?

 話は違ってくるのですが、私も過去には、邪霊や悪霊に関わる話が好きな時期があって、そういう暗く陰鬱な事を楽しいと思ったことがあります。今は、何で好きだったの?と思っています。

 

 それから、(206ページ終わり)「人を導こうとする者が安逸の生活をむさぼり、試練もなくストレスもなく嵐も困難も体験しないでいては、その後に待ち受ける大事業に耐えうる性格も霊力も身につかないでしょう」と語られています。

 私は、これが嫌で嫌で、今も嫌です。わかっているけど、嫌なのです。けれども毎年のことですが、新年早々、嫌なこと、辛いこと、情けないことを経験しました。

 

 そのようなことを経験してしまう自分を否定したいけれども、それも含めて自分なのだと受け入れようと思っています。でも、嬉しいことや楽しいこともあるので、何とか頑張れるのだとも思っています。

 

 ということで、今年も頑張っていきたいと思います。来週のオンラインの方もよろしくお願いいたします。


2022116

送信者: waka

コメント:

本日開催したオンライン読書会の報告です。

 

 使用図書「シルバーバーチの霊訓(十)三章 生きがいある人生を送るには」後半39ページ13行目~

 

 シルバーバーチは最初の方で、「人間は肉体を携えた霊であって霊を携えた肉体ではないということです。」と質問に答えています。

 そして、「物質が存在出来るのは霊による賦活作用があるからであり、その霊は神性の火花として存在のすべて、生命を表現しているあらゆる形態の根源的要素となっているのです。」と語っております。

 

 さらに、「改めて申し上げるまでもなく、地上へ誕生してくる目的は各自の魂の成長と開発と発達を促進するような体験を積み、肉体の死後に待ち受ける次の段階の生活に相応しい進化を遂げることです。」と続きます。

 

 ここでシルバーバーチは、「地上は幼稚園であり、霊界は大人の学校です」と位置付けています。が、そもそも霊という言葉に疑問を持っているなら、受け入れることは出来ない話だと思います。

 

 少し前に戻りますが、私たちが霊であると自覚していれば、霊が全ての存在の根源的要素であることを理解しているのですから、当然、霊としての幸せを求めるようになると思います。

 

 シルバーバーチの霊訓(三)一章の中の言葉を借りると、「欲が深いということは、まだ自覚が芽生えていないということを意味し、自覚するまでは、その欲望が満たされると満足するわけです」とあります。

 私自身のことで言えば、「まだまだ自覚が足りないのかな~」と感じます。みなさんは、どうでしょうかね?

 

 参加者のみなさんが注目したのは、41ページ終わりの

「あなた方にとってイヤな体験こそ本当はいちばん為になるのですよと繰り返し申し上げるのは、そういう理由からです。魂が目覚めるのは呑気な生活の中ではなく嵐のような生活の中においてこそです。雷鳴が轟き、稲妻が走っている時です。

 

 酷(ヒド)い目に遭わなくてはいけません。しごかれないといけません。磨かれないといけません。人生の絶頂と同時にドン底も体験しなくてはいけません。地上だからこそ味わえる体験を積まないといけません。かくして霊は一段と威力を増し強化されて、死後に待ち受けている生活への備えが出来るのです。」という所です。

 

 今日、みなさんと学んでわかったことは、この言葉が語られた時代背景を考慮すると、より深く理解することが出来るということでした。

 シルバーバーチは、戦争という絶望と苦しみと悲しみの最中において、愛を持ってみなさんに語られたのだと思います。より深く、言葉の奥にある意味を理解していくにつれ、シルバーバーチの言葉ほど愛にあふれたものはないと、私は感じています。

 

 今のスピリチュアルでは、引き寄せの法則など、「思考が現実をつくる」という考えが広まってきていると思います。

 簡単に言えば、「ポジティブな思考が人生にポジティブな経験をもたらし、ネガティブな思考が人生にネガティブな経験をもたらす」ということですから、ポジティブな思考をすれば、幸せに生きられるということになります。

 

 今までシルバーバーチが語ったこととの共通点を探せば、「恐怖心を抱いてはいけません」ということになりそうです。が、「イヤな体験こそ本当はいちばん為になるのですよ」と、繰り返し述べられていることから、自分にとって何が正解であるのかは、それぞれの方が導き出していくしかないと思っています。

 

 私自身は、動機が大切であると語っているシルバーバーチの言葉が心に残っています。動機とは、人が意志を決めたり、行動を起こしたりする直接の原因となるものです。思考が現実となるからと言っても、動機を無視しても良いとは思っていません。

 

 イエスの教えに、「良い実を得たいのであれば、良い種を蒔きなさい。」、「豊かな収穫を得たいのであれば、良い種をまきなさい」というのがあります。これは、「自分で蒔いた種は、自分で刈り取ることになる」ということで、シルバーバーチは、これを「原因と結果の法則」として語っています。

 

 思考が現実となると思って、自分の幸せを考えるにしても、お互いに助け合うことが幸せの道であると、心の底から思っている人と、まず自分が幸せになって懐が温かくならなければ、お互いに助け合うことなど出来ないと思っている人とでは、まったく方向性が違ってくると感じます。

 

 一方は、神の方に近づくことになって、より霊的な幸せを求めるようになり、一方は、神の方から遠ざかることになって、より物質的な幸せを求めるようになっていくのではないでしょうか?

 これを他の言葉で表現すると、利他的なのか?利己的なのか?ということになると思います。やはり、そこで重要なのが動機だと思います。

 

 その動機も、それぞれの人が「人間は肉体を携えた霊である」と思っているのか?、「人間は霊を携えた肉体である(心や精神を持っている肉体である)」と思っているのか?で違ってくると思います。

 

 さらに、「霊である自分が主体であって、肉体を携えた世界は、霊的成長のための仮の住処である」と思っているのか?それとも、「肉体を携えた世界が、自分にとって主体であって、霊の世界は仮の住処である」と思っているのか?とでは、やっぱり違いますよね。

 

 シルバーバーチの霊訓を学んで、やっぱり人の役に立つことは大切だと思えても、どうしても先に、(無意識の内にも)自分の幸せを考えてしまう方がいるかもしれません。

 

 そのような時の私は、誰もがお互いの幸せを願い合い、助け合っている世界を思い描きます。そのような世界に自分もいたいと思うと、不思議とシルバーバーチが語る自己犠牲という言葉も嫌にならないのです。もっとも、私は自分が霊であると、思っているからだと思います。

 (前回のお知らせで、私は試練やストレスや嵐や困難に対して、嫌、嫌って、言っています……。すみません、それも私の一部です。)

 

 私は、シルバーバーチ読書会に参加するたびに思うことですが、みなさんが、シルバーバーチの霊訓を学び、それを日常に活かしていこうとする姿勢が、とても素晴らしく尊いものだと感じております。

 

 ここに限らず、私が参加させていただいている読書会は、みなさん謙虚で愛のある方たちばかりです。確かに、個々それぞれにみれば、多少の行き違いがあったり、問題があったりするとは思いますが、それは当然のことですし、違っていない方が何だかおかしいと思います。

 

 それをみなさんで受け入れるからこそ、調和のために努力をし、楽しく面白い読書会をつくっていくことで、それぞれみなさんが成長されていくのだと思っております。

 

 私にとって、霊的成長とは、楽しくて面白いことだと思っていますし、そう感じています。シルバーバーチの霊訓を学べば学ぶほど、私にはそう感じてしまうのです。何故でしょうかね?

 そういう学び方で、シルバーバーチの霊訓を学んでいますので、みなさんの視点とは違うかもしれませんね。

 

 今回は、以上となります。


2022122

送信者: waka

コメント:

 昨日、北神戸プチサークルのシルバーバーチ読書会に参加しましたので、その報告をしたいと思います。

 

 新しい年を迎え、ちりりんさん主催のオンライン読書会に参加させていただきました。

 今回は、思っていたよりも人数が多かったです。それと、今まで他のシルバーバーチ読書会で学ばれた方が参加されたので、今まで以上に交流が広がって嬉しかったです。

 

 今回のテキストは、シルバーバーチの霊訓(一)九章 霊とは何か 160ページ11行目までとなります。

 

 簡単に、読書会の進め方の説明をさせていただきます。オンラインの参加者で輪読し終えた後、それぞれの方が印象に残った所を順番に語ります。それを、ちりりんさんが補足していく形式で進められていきます。

 今回は、初参加の方がいらしたので、みなさんで自己紹介もしました。時間に余裕がある時は、みなさんから霊的体験を聞くことも出来るのですが、今回は時間が足りませんでした。次回に期待しています。

 

 内容の方は、冒頭の「霊とは何かを言語によって完璧に描写することは絶対に不可能です。」

 

 という所に、注目された方がいました。私がそうなのですが、霊についてわかったつもりでも、本当は、ほとんどわかっていないのかもしれません。

 

 154ページ5行目、「宇宙の大霊すなわち神が腹を立てたり残酷な仕打ちをしたりわがままを言ったりするような人間的存在でないことは、すでにご承知でしょう。」

 

 私もこのことは存じておりますが、私だけに限らず、神を人間的存在として見てしまう方も多いと思います。「悪いことをしたらバチが当たる」という発想も、多かれ少なかれ、神を人間的存在として見ているからかもしれませんね。

 

 156ページ13行目「人間は霊的存在である以上、宇宙の大霊すなわち神の属性を潜在的に所有しております。あなた方一人ひとりが神であり、神はあなた方一人ひとりなのです。一人ひとりが神の無限の霊力の一翼を担っているのです。地上への誕生はその大霊の一部が物質と結合する現象です。その一部に大霊の神性の全てが潜在的に含まれております。いわば無限の花を開かせる可能性を秘めた種子と言えましょう。」

 

 人間って、凄い存在だということがわかります。潜在的だとしても、大霊の神性の全てが含まれているということですから、今までのような神やキリストなどに依存するような生き方をしなくても、自分の力で幸せに生きることが出来そうですね。

 

 157ページ6行目「人間が同胞に向けて愛の手を差し伸べんとする時、その意念は自動的に霊界の援助の力を呼び寄せます。」

 

 やっぱり、動機が大切なのでしょうね。何をするにしても能力の方に目が行ってしまいがちですけど……。

 

 158ページ4行目「霊格が向上するほど生命活動が協調によって営まれていることを悟るものです。自分一個で生きているものは何一つありません。お互いが力を出し合って生きております。一人ひとりが無限の連鎖関係の中の一つの単位なのです。」

 

 このような言葉を受け入れられるようになってからは、私自身、人よりも上でありたいとか、霊格が高いとか低いとか、そういう発想が消えてしまったようです。不思議ですね。

 

 159ページ9行目「人類の手本と仰がれている人々は、病に苦しむ人には霊的治癒を、悲しみの人には慰めの言葉を、人生に疲れた人には生きる勇気を与えて、多くの魂を鼓舞してきました。要するに己を犠牲にして人のために尽くしたのです。それが神の御心なのです。」

 

 ここで、ちりりんさんは、「自己犠牲」についての認識が、それぞれの人たちで大きな違いがあることを考慮して、シルバーバーチが実際に語ったことを参考にしてみることを提案されました。

 シルバーバーチは続いて、「悲しみの涙を拭ってあげる。病を治してあげる。挫折した人を勇気づけてあげる。苦境にある人に援助の手を差しのべてあげる。」と語っています。

 他の所でも同じようなことを語っているので、シルバーバーチが語る自己犠牲とは、こういうものなのだと思います。実際のシルバーバーチの言葉からは、みなさんに自己犠牲を無理強いさせているようには感じません。

 むしろ私の方が、その言葉から勝手な解釈をして、シルバーバーチが自己犠牲を無理強いさせているのではないのか?と思っていただけなのだと思います。

 

 160ページ6行目「善行はそれ自体の中に報酬が宿されております。」

 

 シルバーバーチのこの言葉は、私にとっては、とても実感がわく言葉です。必要な時に、私はヒーリングを無報酬で行っていますが、ある時、プロのヒーラーに、「そては、とても危険です」と言われました。

 理由としては、「エネルギーは循環する必要があるので、ヒーリングで使ったエネルギーをお金というエネルギーを使って循環させていく必要がある。ボランティアでヒーリングをすると、エネルギーが循環していかないので、そのうち体調を崩すなど良くないことが起きる。」ということでした。

 

 私は、ヒーリングでお金を得ることについては、必ずしも反対しているわけではないですし、人それぞれで良いと思っています。

 もう40年近く前の話ですが、私が子供の頃、お金がなくてヒーリングを受けることが出来なかった経験があります。ヒーリングを受けたくても、10万円払わないとヒーリングをしてくれないということでした。そのヒーラーは、信じている人たちからは神様と言われていたのに、とても悔しくて悲しかったことを覚えています。

 そのことを不憫に思った母が、なけなしのお金を貯めてくれて、一度だけ私がヒーリングを受けられるようにしてくれた過去があります。今振り返ると、ヒーリングではなく、母の気持ちがとてもありがたく感じます。

 

 158ページ13行目「登るのも下るのもみんな一緒です。人類だけではありません。動物も一緒です。なぜなら生命は一つであり、無限の宇宙機構のすみずみに至るまで、持ちつ持たれつの関係が行きわたっております。」

 

 人生のどん底に落ちるまでの私は、「独善的考えから他の全ての方法を蔑視して独自の悟りの境地を開くこと~。」や「他人の援助を頼まずに独力で事を成就しようとする気構え~。」というようなものを大切に思っていました。

 ですから、過去の私の正義とは、人に迷惑をかけないで生きることであり、それが出来ないのは、自分が至らないということであり、善とは、他人の援助を受けずに生きられるように成長していくことであり、悪とは、いつまでも、そのような成長が出来ないというものでした。

 そのような思いが自分の根底にあったので、怖くて冷たい部分が多々あったのだろうと感じています。自分では気づけないものですが、他人から見ればすぐわかるみたいですね。

 

 最後に、159ページ6行目「役立てること── これが霊的存在の真の価値だと私は信じます。私はその心掛けで生きて参りました。それが宇宙の大霊の意志だと信じるからです。そうではないと思われる方は、どうぞご自分の信じる道を歩まれるがよろしい。」

 

 

  私もそう信じて、今、生きています。 以上となります。


2022129

送信者: waka

コメント:

 昨日、128日に開催された

 ちりりんさん主催「ホワイトイーグル読書会」の報告です。

 

 テキストは、ホワイトイーグル『自己を癒す道』の「静寂の心」となります。

 「神と手をたずさえて」150ページ4行目~ 「思想の力」158ページ終わりまで 

 

 「最大の奉仕」の中で、「誰にだって出来る最大の奉仕とは、正しくものを常に考えることです。」と語られています。

 

 ホワイトイーグルとシルバーバーチとの違いが感じられる一文だと思われます。シルバーバーチはより行為に重点を置いていて、実際に人に役立つことをすることが大切だと語っています。それと同時に、その行為のための動機がどのようなものであるのか?が重要だとも語っております。

 

 表面的には人のための行為であっても、自分では気づけなくて、何かしらの見返りを求めている場合だってあると思います。

 そういう私自身が見返りを求めていたことが何度もありますし、若い時ほどその傾向が強かったと思います。それで結局上手くいかなかったり、痛い目にあって反省することを繰り返してきました。

 

 ここで語られている「正しくものを常に考えること」というのは、その後に続く「途絶えることなく愛を発現することです、人を許すためにです。」とあります。

 

 「真理の泉」では、「人の霊とは神の分身です。従って、知識の一切は貴方の内部にあります。」と語られています。さらに、「もし貴方が瞑想をして、自分の内部に深く入っていけば、そこに貴方の待っている真理と無限の力の中心を発見しましょう。」と続きます。

 

 このことは、一部の特別な人に向けて語られているわけではなく、みなさん神の分身であるというわけですから、霊的には誰もが兄弟姉妹であり、上とか下とか特別だとかの概念は、地上特有の概念なのかもしれません。

 

 「直観」では、「皆さんは救いを求めて外の方へ目を向けています。人の求める救いとは常に内部にあるものです。」と語られています。

 

 今回の読書会の始めの方で、参加者の男性の方が「光を求めて自分の外を探していたけど、実は自分の内に光があることを発見しました。」というようなことを発言されていました。

 

 その発言がきっかけとなって、理解出来たことがあります。それは、宗教にありがちな考えとして、「神は人間とは別の存在であって、神(々)が人間を造ったのだから、人間が幸せになるためには創造主である神に従わなければならない。また、神を信じる人間は救われるが、神を信じない人間は救われない。」などがあると思います。

 

 これだと、人間の外部に絶対的な支配と力を持った存在があって、人間の救いは人間の中にはないことになってしまうと思います。

 

 このような考え方に何ら疑問を持てないでいると、あっちの宗教が正しい、こっちの宗教が正しい、いや、このスピリチュアルが正しい、あのスピリチュアルが正しい、ってなってしまうわけです。

 

 何故なら、救いを自分の外部に置いている限り、神に対する依存は何ら変わっていないのでしょうから……。

 

 自分の外部に救いを求めている人は、いかに自分が凄い存在と関わることが出来て、その存在に気に入られているのだと思えれば、それだけ安心感が得られるのかもしれません。だから人によっては、無理にでも良い子になろうとしてしまう。現に過去の私がそうでしたから……。

 

 このようにホワイトイーグルの教えを学んできて、今までの人類は、宗教などによって「人間とは無力な存在だ」と思わされてきたのではないか?と感じるようになりました。もちろん、今までシルバーバーチの教えを学んできた上での話となります。

 

 例えば、「人間は死んだら終わりで無になってしまう」という考えや、「神は人間を創造したのだから、神に従い、さらに神と人間とを取り次ぐ者にも従わなければならない。天国に行くか地獄に行くかも神によって決められる。」なども両極端に見えますが、人間とは無力な存在だという点では同じように感じます。

 

 実際には、自分が蒔いた種を自分が刈り取ることになるわけですし、制限があるとしても、その範囲内の自由意志が認められているわけですから、人間はけっして無力な存在ではなく、生き方だって自分で決めて良いわけです。

 

 最後に、参加者の女性が語られていた霊的体験について紹介したいと思います。

 

 例えば、自分が人のために一生懸命やろうとしても、それがとても辛いことだったら、やはり外に向かって「助けて~」となると思います。そういう時は(表現はそれぞれとして)、援助の光やスピリット、霊の力などがサッと引いてしまうそうです。

 

 一方で、とても辛くても、何とか自分を奮い起こして決断すると、たちまち援助の光やスピリット、霊の力などが集まってくるそうです。それを「内部の光が外部の光と融合していく」というように語られていました。

 

 そのことは、霊的感覚があるからわかることだとしても、この援助は霊的感覚があるかどうかには関係が無く、みなさんに当てはまることだと教えてくれました。ありがたいことです。

 

 ついでに私の霊的経験も紹介すると、仕事でミスをして落ち込んでいる時、家に帰ってから静かに自分の内部に意識を持っていくと、何と内部の奥の方では喜んでるのです。言葉にすると「良い経験をした~」って感じになります。自分の中がこうだったのがわかって、思わず笑っちゃいましたよ。「あなた誰?」って。

 

 ちりりんさんのホワイトイーグル読書会は、諸事情により、しばらく新規の方が参加出来ないので残念ですが、とてもエネルギーが良くて、そのエネルギーに包まれているのが心地よかったです。 お疲れ様でした。

 

 

 以上となります。


02226

送信者: waka

コメント:

 2月読書会の報告となります。

 

 テキストは、「シルバーバーチの霊訓(二)十四章 シルバーバーチの祈り」です。

 

 今回、みんなが思い浮かべる「祈り」とは、「願い事」ではないだろうか?という意見が出ました。確かに私自身、祈るということが、神に何かしらの願い事をすることになっているかもしれないと思いました。

 

 それから、今までの神に対する概念として、「あなたの性格を人間の全てに共通する弱点と欠点と感情を具えた一個の人間として想像しました。気に入った者には恩寵を与え、気に入らぬ者には憤怒を浴びせる人間味むき出しの神を想像いたしました。」と語られているのですが、本当にそうですね~。と、改めて思いました。

 ただ、人によっては、「いや、そんなことはない」と思うかもしれません。昔の私のように、もしも神の判断によって、自分の死後の行き先が分かれると思っているのでしたら、その人は多かれ少なかれ、神を人間的な存在だと思っているのだと感じます。

 

 けれども、私の感性がおかしいのかもしれませんが、シルバーバーチの祈りは、まるで人間に語っているように感じます。もっとも、今までの神の概念を変えるために、私たちにも語りかけているのではないのか?と、思っています……。私たちが神に個性を与えたら、それは大霊というよりも人格神のように思えます。

 

 他にも、気になる部分があって、いろいろと話をさせてもらいましたが、プライベートに関わることなどもあったので、これ以上の話はしないで終えたいと思います。

 

 後半は、「ベールの彼方の生活(三)7”後なる者、先になること多し„(靴職人の話)」を学びました。

 時々、読書会の中でこの話が出たりするのですが、一度も読んだことがない人もいらしたので、今回、みなさんと輪読しました。

 

 その文章の一部を紹介したいと思います。

 

 『「私はただの靴職人です。人を指導する人間ではありません。私はこの明るい土地で平凡な人間であることで満足です。私ごとき者にはここが天国です」

 

 そこで天使がこう語って聞かせた。

 「そう言う言葉が述べられるということだけで、あなたには十分向上の資格があります。真の謙虚さは上に立つ者の絶対的な盾であり防衛手段の一つなのです。それにあなたは、それ以外にも強力な武器をお持ちです。謙虚の盾は消極的な手段です。あなたはあの地上生活の中で攻撃のための武器も強化し鋭利にしておられた。例えば靴を作る時あなたはそれをなるべく長持ちさせて貧しい人の財布の負担を軽くしてあげようと考えた。儲ける金のことよりもそのことの方を先に考えた。……。』

 

 

 紹介したのは、ごく一部の文章ですが、この靴職人だった方の謙虚さが、私にも伝わってきます。きっと自分の中で、「謙虚でありたい」と意識している間は、真の謙虚さが身についていないのだと感じました。

 さらに、自分が貧しい生活をしていたとしても、困っている人や貧しい人のために、手をさしのべることが出来るのが、凄いなって思いました。

 理想としては、自分がひどく苦しんでいる時でも、自分のふところから分け与えられるようになりたいと思っています。ですが、いざそうなった時は、きっと自分が救われたいと思ってしまうのだろうな~と、感じています。

 それに過去の私は、霊的知識を持っているだけで、何だか特別な気がしていたのですが、今は、ただの思い込みが激しいだけだったと感じています。今思い出しても恥ずかしいことなので、それを人に言わなくて良かったとさえ思っています。

 

 今回、時間の都合で学ぶことが出来なかった シルバーバーチの霊訓(二)「""Spirit""Soul──あとがきに代えて」は、次回、3月の読書会で学ぶことになりました。資料は、こちらで用意しますので、用意するのは、シルバーバーチの霊訓(三)のみで大丈夫ですので、よろしくお願いいたします。

 

 今回は、以上となります。


2022212

送信者: waka

コメント:

 昨日、211日に

 ちりりんさん主催「シルバーバーチ読書会」に参加させていただきました。その報告をしたいと思っています。

 

 今回は、「シルバーバーチの霊訓(一)九章 霊とは何か 160ページ 12行目~ 最後まで」となります。

 

 162ページ冒頭では、「その試練に耐え切れないようでは自分以外の魂を導く資格は有りません。自ら学ぶまでは教える立場に立つことは出来ません。それは苦難の最中、苦悩の最中、他に頼る者とてない絶体絶命の窮地において身につけなければなりません。最高のものを得る為には最低まで降りてみなければなりません。」と、シルバーバーチは語られています。

 

 さらに、「教える立場に立つ者は自らが学ぶ者として然るべき体験を積まなくてはなりません。霊的教訓は他人から頂戴するものではありません。艱難辛苦── 辛く、厳しく、難しく、苦しい体験の中で自らが学ばなければなりません。それが真に人のために役立つ者となるための鉄則です。」というように語られています。

 

 ここでの「最高のものを得る為には最低まで降りてみなければなりません」のような言葉の数々は、読書会に参加している人にとっても、とても厳しく感じてしまうようでした。

 

 ここで私は、いつもと違った視点で見てみることを提案します。たぶん、「どれを信じていけば良いのか?」を探すことには得意であっても、もう一歩先の「自分で考え答えを出していく」ということには、不慣れな人が多いように感じています。

 シルバーバーチが語った言葉を、ただ信じるのか?信じないのか?という視点から一歩先に出て、何故、シルバーバーチはこのように語ったのだろうか?どのような状況で、どのような人に向けて語ったのだろうか?あるいは、自分はどう感じ、どうしたいと思っているのだろうか?などのように、自分自身で考えていくことが大切だと思っています。

 

 私には、今、幸せだと感じている人に対して、「最低まで降りなければ、最高なものを得ることは出来ません。絶体絶命の窮地を経験しないと、本物にはなれませんよ。(今のあなたでは無理です……。)」と、シルバーバーチが脅しのような意味で語っているとは思えません。

 もしも言葉の中に脅しが込められているのだと感じるのでしたら、それらの言葉を鵜呑みにする必要はないと思いますし、嫌だと感じたら、無理にため込まず、素直にその場で感情を出し切った方が良いと思っています。

 

 164ページ5行目、「地上には、自分を変えようとせずに世の中を変えようとする人が多すぎます。他人を変えようと欲するのですが、全ての発展、全ての改革は先ず自分から始めなくてはなりません。自分が霊的資質を開発し、発揮し、それを何かに役立てることが出来なければ、他の人を改める資格はありません。」

 ここで語られているように、私がその中の一人でしたので、素直に改めようと思いました。他人が自分の思うとおりに変われば、幸せになれると思っていたし、世界が自分の思うとおりに変われば、みんなも幸せになれると思っていました。(「それって、霊の世界だから」というツッコミがはいりました。「それでは不都合だから、今、地上にいて学んでいるのでしょう」って……。)

 

 今回の読書会は、参加者が多かったこともあり意見が分かれた所もあります。それでも、ちりりんさんは、良くまとめ進められていたと思っています。

 参加者が多くなると、それだけいろいろな意見が出され、私も、それは違うでしょうと感じる時もありましたが、それと同時に、そのように感じる人もいるんだな~と、いろいろと参考になりました。

 

 長くなりそうなので、いったんここで区切って前半を終えたいと思います。みなさん、お疲れ様でした。

 

---


2022226

送信者: waka

コメント:

 昨日、225日(金)に、ちりりんさん主催の「ホワイトイーグル読書会」に参加しました。

 

 テキストは、ホワイトイーグル『自己を癒す道』の「静寂の心」となります。

 159ページ「遠近法」~163ページ「神には解決ができます」まででした。

 

 「神を考えなさい」では、

 『個人的にも国家的にも、悲観的・否定的なものの考え方はせぬことです。良いことのみを考えることです。「神を考えよ」これです。』

 

 世界をみれば、この読書会の最中にも、ロシアのウクライナ軍事侵攻という事態が起こっています。このような心を痛める出来事に対して、今の私は平和を祈ることしかできそうもありません。けれどもホワイトイーグルは、まるで、ちょうどこの事態を見通していたかのように、この続きを語っております。

 

 『貴方の悩みが何であっても、その問題の個所に神を置きなさい。神の考えを置くことです。神のようにもの事を考えなさい。相手がそうは見えなくても、その相手は神に向かって歩く努力をしているのだと見なさい。世界は霊的に進化成長しつつあるのだと見なさい。』と。

 

 他にも心に留まった個所を、それぞれ抜き出したいと思います。

 

 「ベストを尽くしなさい」では、

 『人間に出来ることは、自分のベストを尽くして人類と天使のお役に立とう、その思いに生きることです。』

 

 「平静でありなさい」では、

 『恐れることは何一つありません。~、何かでうまくいくようにとせっかちになるから、沢山の困った事がおこるのです。』

 

 「導きを待ちなさい」では、

 『すべてのことは神がよしとされる時に、正しい瞬間に起こります。』

 

 「神には解決ができます」では、

 『人間の力ではどうにもならなくても、神の力がたじろぐ事は何一つないのです。』

 

 今までの自分を振り返ると、とても聖人君子からは、ほど遠い存在だと実感しております。

 もともと聖人君子になれるわけもない(なる必要もない)のですが、何かしらの非常事態が起こったり、これから起ころうとしている時に、「自分だけは助かりたい」とか、「自分には被害がなくて良かった」とか、自分の利害を真っ先に考えてしまう自分に嫌気がさしてしまいます。

 昔より少しは改善されてはきたものの、そのような自分を直していかないと、霊の世界では、きっと通用しないだろうな~と感じております。

 ちょっとでも思い通りにならない時、自分はどのような反応をしているのか?を、改めてよく観察してみると、自分という人間がもっと理解出来るような気がします。

 

 話は変わって、ホワイトイーグルを一通り学び終えた後半は、女性参加者HIさんの霊的体験のお話を聞きました。

 私は、HIさんの話をとても楽しみにしております。とにかく面白いのです。

 ちなみに、ちりりんさんは読書会の進め方が上手だと思います。参加者それぞれの話に耳を傾けて、それに一つずつ答えていくのは、簡単なことではないはずです。

 私は話すのが思っていたより得意ではないので、こうして文章にしてみなさんに伝えようと思っています。

 

 話が外れてしまいました。それでは、HIさんのお話を紹介したいと思います。

 

 前回のちりりんさん主催の「シルバーバーチ読書会」から二週間が経過しました。その間、HIさんに、新たな存在が姿を現しました。(こういう表現で良いのでしょうか?もしかしたら、失礼にあたるのかもしれません……。また、私では、細かい部分を表現しきれないので、そこはご了承願いたいと思っています。)

 

 その存在とは、『 Final essence of Great Spirit (ファイナル エッセンス オブ グレート・スピリット)』だそうです。HIさんは、その存在から英語でそう伝えられたそうなので、日本語で伝えて下さいとお願いしたそうです。

 その存在からは、「言葉にして伝えるためには、莫大なエネルギーを使わなければならないので、出来るなら、こちらから受け取ったままの状態で理解してもらいたい。」というようなことを伝えられたそうです。

 けれども、きちんと日本語でわかるように伝えてくれました。言葉にすると「究極の慈悲と哲理のエネルギー(&)生命と魂の法則」となるそうです。そして、エネルギーと法則は、別々なものではなく、両方合わさって一つとなっているそうです。

 

 いつも思うのですが、霊の世界では、全体と一つが同じであったり、善と悪が同じ源の異なる側面だったり、有ることと無いこととが同時に存在していたりとか、私の頭の中は、もうパニックですよ。

 

 それはそうと、HIさんは、この存在に名前をつけることにしたそうです。

 

 そして思い浮かんだのが……。「じいちゃん」だったそうです。聞いているみんなが聞きなおしました。

 「おじいちゃん、の、じいちゃん?」って。「その、じいちゃんです。」とHIさんは言っていました。

 

 この「 Final essence of Great Spirit」という存在は、人間的な存在ではないそうです。その上で、HIさんにとって望ましい姿で顕現してくれるみたいです。

 「じいちゃん」は、それぞれ凄い綺麗で男前だそうです。統合体としての存在で、グループでもあり、一つの存在でもあり、ということみたいです。人種はさまざまに見えるそうですが、実際には、年齢も性別も判断できないようです。みな凄く綺麗で男前だそうですが、境地は同じでも、成熟度はそれぞれ違うとのことでした。

 

 本当は、その存在からとても大切なメッセージが伝えられていて、それを教えてもらったのですが、私ではとてもメモしきれなかったので申し訳ありません。

 

 ともかく、これでやっと、私が常々疑問に思っていたことが解消されました。ホワイトイーグルは、「神は形をとって人の前に現れる」と語っているけれども、私には素直に信じることが出来ませんでした。

 

 ホワイトイーグル霊言集の「神の息」で、次のように語られています。

 「神とは、智も愛も形もない、宇宙の力のようなものと考えてはなりません。神はやはり形をとり、人の前に出現されます。望むなら、皆さんは人生の至るところに、神の姿を見るに違いありません。求めよ、さらば見ん。これです。」と。

 

 HIさんの話を聞いて、それが本当のことだったと、私にもやっと理解出来ました。本当に良かったです。何故か肩の荷が下りた感じがします。

 

 今回、その存在は、HIさんにとって望ましい姿で現れたのですが、きっと他の人の前では、その人にとって望ましい姿で現れると感じられたそうです。

 さらに、今回、「じいちゃん(複数形で、じいちゃんず)」と名付けてしまったそうですが、それでも良いということでした。私が思ったのは、MYUさんの霊団を、ペンネームをそのまま使って「MYU霊団」と名付けてしまったのですが、やはりそれで良いと伝えられたそうですので、みなさん(?)ふところが深いな~と、思いました。

 

 で、一応ですね。HIさんの「じいちゃんず」は、「Guardian Angel」や「Guardian Spirit」の「G」をとって、「Gちゃんず」ということにすることで、何とか辻褄を合わせることになったみたいです。

 

 もう、それを聞いた読書会のみなさんは、大笑いをしました。本当に久々に笑いましたよ。この存在が神さまと呼べるのだとしたら、神さまって、とっても面白いですね。「イケメンの~」とかつけるよりは、Gちゃんずの方が、まだ良いみたいなことを伝えていたらしいですし、霊の世界のみなさんも大いに笑ったりするみたいですね。

 

 それから、地上に下した一つの霊的真理が、たった一人の人に受け入られただけでも、霊の世界では、まるでお祭り騒ぎのように喜ぶのだそうです。

 だから、たった一人の人であっても、霊的に目覚めたとしたら、それが宇宙の果てまで知られることとなり、みんなが喜ぶことになるっていうのも、あながち大げさではないのかもしれません。

 

 最後に、他の方を通して、スピリットから伝えられたことですが、霊の世界は、そのほとんどが楽しい所だそうです。

 ですから、地獄のような辛く苦しく悲しく寂しい世界は、本当にごくごく小さい狭い領域にしか存在していないのかもしれません。

 今回の話で、私は神のことが、とっても好きになれました。みなさんと読書会に参加出来てとっても良かったです。

 

  それでは、今回も、ちりりんさん、お疲れ様でした。それでは、次回も楽しみにしております。

 

2022227

送信者: waka

コメント:

もしかしたら、「Gちゃんず」は、

 『 Final essence of Great Spirit (ファイナル エッセンス オブ グレート・スピリット)』と書きましたが、

 『 Final essence of Great Spirits (ファイナル エッセンス オブ グレート・スピリッツ)』という複数形で伝えられていたのかもしれません。

 

 そして、今日、仕事帰りに夕暮れの太陽の下で、荒川土手のベンチに座っていたら、Gちゃんずの名称は、Guardianの「G」としてよりも、 Great Spiritsの「G」という意味で「Gちゃんず」なんですよ。って、伝わってきました。

 たぶん、私と交流しているスピリットが、これまでのいきさつを見て、伝えてくれたのかもしれませんね。

 

 そして、その後いろいろとわかってきたことがあります。

 地上に近い領域にいる霊は、比較的、人間の言葉で話すのに、それほどエネルギーを必要としないみたいです。たとえば、人間と霊との両方が存在できる睡眠中の世界であっても、地上にいる人間に言葉として伝えるためには、物凄いエネルギーを使うみたいです。

 霊には、肉体があるわけではないのでどう表現すれば良いのかわかりませんが、すごく疲れてヘトヘトになってしまうみたいです。地上を去って、それほど経っていないスピリットの方がそのように伝えられたそうです。

 ですから、人間と交流するように、いつでも交信が可能であるわけではないように思われます。それでも、スピリットにとって大変困難なことであっても、人間のために交信を続けてくれるのは、愛の絆の方がやはり強いのだと思います。

 私に対して、スピリットから人間の言葉で話されることがほぼない理由もわかってきたので良かったです。みなさんと集まって勉強すると、とても有意義で楽しいです。

 

 私の最近の一番の発見は、妖精や精霊などの存在に意識が向けられるようになったことです。それがとても有難く感じております。


2022312

送信者: waka

コメント:

 昨日、ちりりんさん主催の「シルバーバーチ読書会」に参加しましたので、その報告をしたいと思います。

 

 テキストは、「シルバーバーチの霊訓(一)十章 質問に答える」175ページ9行目まで、です。

 

 最初の問いの、「もう一度やり直すチャンスは全ての人に与えられるのでしょうか。」では、「もちろんです。やり直しのチャンスが与えられないとしたら、宇宙が愛と公正とによって支配されていないことになります。」と、シルバーバーチが答えているのを知って、参加者の方が、何だかホッとすると発言されたのですが、私も同じような思いを持ちました。

 

 私の場合ですが、努力して頑張れば頑張るほど、今まで気づかなかった自分の至らなさや愚かさを感じるようになりました。

 これまで失敗だらけですので、やり直しの機会が与えられているとわかっただけでも、良かったと思います。

 

 問 「祈りに効果があるでしょうか。」では、

 

 「つまり自己の不完全さと欠点を自覚するが故に、必死に父なる神の加護を求めます。その時の魂の状態そのものがすでに神の救いの手を受け入れる態勢となっているのです。ただ、これまでも何度か述べたことがありますが、そうした祈りをあえて無視して、その状態のまま放っておくことが実はその祈りに対する最高の回答である場合がよくあります。」と答えているところがあります。

 

 「放っておくこと」が、最高の回答である場合がよくあることを知りました。

 

 私の子供の頃の経験では、神さまに何度も祈ったのに、救ってくれないという絶望も経験しましたが、さらに辛かったのは、そのように祈りが通じないのは、信心が足りない私が悪いからだと、指摘されたことがありました。

 遠回しに、あなたは、信心が足りないから、霊的に程度が低く、奇跡が起こらない、と言われたのだと思います。

 けっきょく私には、その信心というものがよくわかりませんでした。たぶんその方は、組織に入れとか、お金を出せとか、忠誠をつくせとかというようなことを、本心では言いたっかったのかもしれませんね。シルバーバーチの言葉は、私にとって、救いの言葉です。

 

 次の問の答えに、「祭壇の前にひれ伏し、神への忠誠を誓い、”選ばれし者„の一人になったと信じている人よりも、唯物論者とか、無神論者、合理主義者、不可知論者といった、宗教とは無縁の人の方がはるかに霊格が高いといったケースがいくらもあります。問題は何を信じるかではなく、これまで何をなしてきたかです。そうでないと神の公正が根本から崩れます。」とあるので、私もその通りだと思いました。

 

 私には、神と呼ばれている存在が、形はどうあれ、自分を称賛する者、ゴマをする者、イエスマンなどを優遇するとは、到底、考えることができません。

 グレート・スピリットが、人を「えこひいき」するという考えは、人間が勝手に作った妄想のような気がします。

 

 問 「霊界の医師にはガンの治療法が分かっているのでしょうか。」で、とても興味を引いたのが、「この度の地上への誕生の目的にかかわる問題もありますし、誕生以前に 地上人類以外の何らかの身体での生活の体験があるかどうかもかかわってきます。」という所でした。

 「地上人類以外の何らかの身体での生活の体験」とは、何だろう?と私は思いました。他の星の人?人間以外の他の生き物?考えだしたらきりがなさそうですね。

 

 問 「生まれ変わりは本当にあるのでしょうか。」では、「知らない者はあくまでも〝ない〟と主張し、知っている者は自分の体験から自信をもって〝ある〟と断言します。私は後者の一人です。」

 そして、「再生するのは同じ霊であっても、物質界に顕現するのは同じ面ではないからです。」と語っています。

 これは、地上側からみるか、霊界側から見るかによっても、表現が変わってくると思います。私はシルバーバーチが語ることが、本当のことだと感じています。

 

「霊的法則は霊界でも地上でも同じ作用をするのでしょうか。」では、「違います。」と、シルバーバーチは答えています。

 ここでは、「各自がその霊格に合った階層で生活しており、程度の低い者と高い者とが一緒に暮らすということがありません。」と、語られていますが、実際にどのような世界になっているのかのイメージができないと発言された方がいました。私もイメージするのがとても難しく感じています。

 

 そして、「その階層に至るまではやはり光と闇の錯覚の世界である幽界に留まります。進化していくとそういう比較対照を必要としない段階に至ります。」とあります。

 幽界とは、光と闇の錯覚の世界と語っているのが凄いと思いますし、それを超える霊の世界は、光の世界となるのでしょうか?想像するだけでも、眩しそうです。

 

 続いて、「たとえば一輪の花にしても、もし霊眼によってその〝全体像〟を見ることができれば、地上では見られない美しさが鑑賞できます。霊眼には全ての物の内側と外側とが見えるのです。」と語られています。

 「全ての物の内側と外側とが見えるのです。」というのは、地上世界と違う所ですね。

 霊的なものの見方とは、内も外も、表も裏も、というように、その両方を見ていくことなのかな?と感じます。

 

 「こちらは創造進化の世界です。そこに生活する者自らが創造していく世界です。」とありますが、シルバーバーチが語る言葉は、夢があります。本当のことなんでしょうけど、想像するだけでも楽しいです。

 

 私が振り返るとこんな感じになってしまいましたが、それぞれの参加者のみなさんは、もっと、いろいろな感想や意見を出されていて、今までよりも深く理解していくことができました。

 

 それと、貴重な霊的体験の話も聞けて、とても為になりました。これらについては、いつか物語の中で、紹介したいと思います。

 

 今回も、良い雰囲気の中で読書会が開催され、そこで学ぶことができたのが嬉しかったです。みなさんお疲れ様でした。

 

 

 それでは、次回の参加も楽しみにして、報告を終えたいと思います。


2022320

送信者: waka

コメント:

 本日開催した、オンライン読書会の報告です。

 

 使用図書「シルバーバーチの霊訓(十)四章 死ぬということはどういうことか」前半57ページ3行目までです。

 

 54ページの最初の質問に、

 ──その当初において人類の霊魂は何らかの動物の種から発生したのでしょうか。

 

  いいえ。

 

 ──ということは、動物界はわれわれ人類と別個の存在ということでしょうか。

 

  いいえ。

 

 ──では人類の霊魂はどこから発生したのでしょうか。

 

  何処からも発生しておりません。霊魂に起源はありません。

 

 ──これまでずっと私は、人類の霊魂は徐々に進化してきたものと思っておりました。

 

 そうではありません。進化してきたのは身体の方です。

 

 と、シルバーバーチは答えています。

 

 じつは、私も質問者と同じように、シルバーバーチの教えを学ぶまでは、霊魂が成長したり進化するのが、霊的成長だと思っていたのです。

 

 ただ、注意しなければならないのは、P119参照(7章 再生問題を語る)とあるように、霊(スピリット)と魂(ソウル)の用語の使い方の問題があります。

 さらに、P119を参照しても、「ここでは単純に」とあるので、違う個所では、使い方が異なっているということも考慮した方が良いと感じました。

 

 120ページの7行目では、「あなた方は霊をたずさえた魂であり、それが肉体を通して自我を表現しているのです」と、書かれています。

 けれども、霊と魂を、置き換えて使われている場合もあるようです。

 

 どちらにしても、霊という言葉は、根源的な本質としての霊の意味と、それを表現するための媒質としての霊(あるいは、それを認識するための橋渡し)としての意味で使われているように思います。

 

 この両者を切り離して考えることは出来ないようです。もしも、これを切り離して考えると、表現手段を失った霊となり、そういう場合の意識はどうなっているのか?は、私にはわかりません。

 もう一方は、表現手段だけは存在するが生命のない存在となるので、これもまた、私には考えられません。

 

 それから、霊という言葉は、パーソナリティを持つ、人としての霊としての意味で使われていることも多いと思います。

 

 今回は、参加者された方が、読書会の場で、霊についてさらに詳しく説明をしてくれましたので、私も、より深く理解することができました。

 そうしたら、「シルバーバーチが言ったことを、私は話したんですよ」って、話されたのですが、それでも凄いと思いました。難を言えば、話が止まらなかったことくらいですが、それを含めて考えても、私は聞けて良かったです。

 

 ここからは、独り言のようになってしまいますので、ご了承ください。

 

 それで、けっきょく、私は何が言いたいのか?ということになってしまいました。

 

 本当は、霊のことは、物語で書く予定だったのですが、今の私の学びの段階では、

 

 霊というのは、生命そのものの根源的な意味と、生命を表現する媒質的な意味の両方があって、それが融合されて一つとして見るものではないかと感じています。

 

 それで、根源的な意味での霊は、「過去も未来もなく常に存在しております(56ページで、二回も繰り返しています)」と、シルバーバーチも語られていることから、進化や成長することはないのでしょう。

 

 つまり、霊には、過去も未来もないのですから、時間も空間も存在しないことになります。しかし、実際に地上に生きている私たちには、時間も空間も存在しています。

 

 それはきっと、根源的な本質を表現するための、媒質的な霊と言う意味では、霊的な進化とか、霊的な成長ということが当てはまるのではないかと感じていますので、そのために必要なものが、時間や空間なのではないかと感じております。

 

 そして、肉体、幽体、霊体と言う面から考えると、霊は、肉体を用済みになるまで使用し、次に幽体を使用する。それも用済みになるまで使って、さらに霊体を使用していく。それからさらに…。ということをみても、使用する媒体を成長させつつ、より進化した媒体を使用し、それを成長させていくという見方も出来るようです。

 

 それから、成長させるのは、意識の方であるという見方も出来ます。より神性を求めるのか?より物質性を求めるのか?その場合の意識と言うのは、自己認識ができる意識、つまり個性と呼ばれるものであって、個性を持たない意識の場合は、また違っているのだと感じます。

 

 そういうことも含めて、霊について改めて考えてみると、この霊は本物なのか?偽物なのか?という話が出ると、霊的進化とか霊的成長に関わる意味での霊としての本物か?偽物か?ということになるのでしょうね。

 

 ということで、今回の読書会の報告を終えたいと思います。

 

 

 もしも、ここまで読んでくださっている方がいましたら、私のズレた感覚にお付き合いしていただいて、誠にありがとうございます。


2022326

送信者: waka

コメント:

 昨日開催のちりりんさん主催、「ホワイトイーグル読書会」の報告です。

 

 テキストは、ホワイトイーグル『自己を癒す道』の「静寂の心」です。

 

 七、大師は力と光の塔 (167ページ~)

 

 『勝利者』では、「人間は霊です」という言葉から始まります。そして、「霊とは物質の支配者であります」という言葉で終わります。

 この『勝利者』の文章は、二行ですので、でとても短いです。その短い言葉には、とても深い意味があると感じました。

 

 参加者の方が発言されていたことは、いかに、自分が大霊の片割れであることを自覚できるどうか?が、大切であることを述べられていました。

 それから、学びが進んでいる人は、霊は物質の支配者であることを理解出来ると思います。けれども反対に、世の中には、物質に支配されてしまっているように見受けられる人も多いと感じます。

 そういう私も、人生の内の大部分は、自分の欲望に振り回されてきたと感じています。

 

 次の『貴方の鎖を投げ捨てなさい』で、「貴方が自分を鎖につなぎとめているのですよ!無明であるその鎖を投げ捨てなさい。」と、あります。

 

 今回、私は、霊的な視力で見た話を聞くことができました。肉体を脱ぎ去って、霊として旅立った方の多くの方に、その人自身が抱いてきた欲望などが、鎖のように絡まっているのが見えるそうです。

 これは、霊視をする人によっては、波動として見えたり、感じたりするそうですが、私たちが五感によって感じるように、霊視によってわかるそうです。

 ただ、霊視をする人によって、その見え方が変わってくるということもわかりました。

 

 今、書いている最中に、過去に私が自分の欲望に振り回されていた時のことを思い出しました。

 その時の私は、濁った黄色の欲望の帯で、首から胸の辺りを締め付けらた日々を過ごしたことがあります。それが霊視になるのかどうかわかりませんが、何故かそれが自分でわかりました。その体験も、その鎖になるのかなぁ~、と感じました。

 

 次の『太陽の中に立て』でも、いろいろと私が興味をひかれた話が出たのですが、ここでは紹介しきれないので、いずれ機会があれば紹介したいと思います。

 

 171ページの『暗い雲の上で』は、「まわりのものが何事も幸せに進んでいる時は、機嫌よくしていることは易しい。しかし、まわりが暗く……」で始まります。

 同じようなことを、シルバーバーチも語っていることを、参加者の方やちりりんさんが話されていました。私もそう思いました。

 

 今回は、ホワイトイーグルの「貴方が自分を鎖につなぎとめているのですよ」という言葉が、特に印象に残りました。

 今の私は、人それぞれが、実際に生活をしていく場面に応じて、霊的知識を活かすことが大切だと思っています。ただ、人によっては、その霊的知識をドグマにしてしまって、逆に魂を鎖で縛りつけている結果になっているかもしれません。

 私は、それぞれの個性を尊重して、霊的な成長をしていくのが大切だと感じています。自分がいくら正しいとしても、他の人に、自分の正しさに従わさせようとするのは良くないと感じています。私はそれを経験上から学んできました。

 地上の世界と霊の世界との違いを知っていくことで、個性を尊重することと、正しさを押し付けないことが、とても大切であると理解するようになってきました。

 それと同じように、霊的知識とは、魂を鎖から解き放つものであると理解するようになりました。やはり、結局は、バランス(調和)が、大切なのでしょうね。

 

 私は、今回の読書会の後半で、ちりりんさんの了承を得て、いろいろと質問させてもらいました。理由として、私自身が相談や質問をされたことであっても、答えられないことが多々あったので、今回、相談者に質問されたことを、みなさんに聞いてみました。

 そして、みなさんから聞いたあと、次の言葉を思いだしました。「百聞は一見に如かず」ということわざです。

 「何度聞くよりも実際に目で見ることの方が大事で、目で見ることで初めてわかることはたくさんあります。でも、見るだけでは何も得るものはありません。しっかりと見て、考えて理解することが大切なのです。」という意味です。

 

 私は、このように学ぶ機会を与えて下さって、みなさんに感謝するとともに、本当に神っているんだな~って感じて、とても感謝しております。

 

 今まで神はいると思っていましたが、神がいると感じられるようになってきたことは、私にとっては違うことで、とても重要な意味を持っています。今まで思ってきたことが、感じられるようになってきたということです。

 

 それでは、今回、私のわがままに応えて下さった、ちりりんさんを始め、参加者のみなさん、ありがとうございました。

 

 以上で、今回の報告を終えたいと思います。

 

---


202244

送信者: waka

コメント:

 昨日、4月の読書会の報告です。

 

 テキストは、「シルバーバーチの霊訓(三)一章 戦時下の交霊会から」18ページ2行目~終わりまで

 

 今回、みなさんの感想や意見を聞いて、なるほどな~と思ったことがありました。

 

 それは、以下のような内容です。

 

 いつもは、質問者に対する、シルバーバーチの答えの方に目が行くと思います。

 

 けれども、『そもそも何故、このような質問をしたのであろうか?』と、そちらの方が気になりました。

 

 この質問者は、キリスト教の立場(きっと、その教えを擁護したい気持ちがあるのだと思われます)から、シルバーバーチに聞いたのだと思います。

 

 20ページの

 

 ───もしも子供に地上的な悪の要素が潜在している場合、それはそちらへ行ってから芽を出すのでしょうか。

 

 21ページ終わりの

 

 ───善を知るために地上で悪の体験をしに来るのではないのでしょうか。

 

 「違います。善を知る目的で悪いことをしに来るのではありません」

 

 23ページの

 

 ───地上で欲の深かった子供は霊界でもしばらくは欲深で、その意味で地上的体験をしたことにならないでしょうか。

 

など、

 

 私は、以上のような話を聞いて、改めて質問と答えを読み返したら、より深く理解することが出来ました。

 

 シルバーバーチは、キリスト教の原罪説を、「罪悪の大半は───それを罪悪と呼ぶならばの話ですが───無知、間違った育ち方、誤った教育、迷信等から生まれているものです」と答えて、否定しているのだと感じました。

 

 その一方で、私が思ったことは、「もしかしたら、今まで、自分が固く信じていることを変えるのは、とても難しいのではないか?」ということでした。

 以下の言葉は、貪欲性についてですが、他のことについても当てはまることだと思います。

 

 「地上でほとんど発現しなかった貪欲性と、五十年も七十年も生きて完全にその人の本性の一部となってしまった貪欲性とでは大へんな差があります」(28ページ8行目)

 

 たぶん、原罪を信じる人は、「たしかに中にはある種の悪だくみを抱いて地上へやってくる者もいないではありません。しかし、その数はきわめて限られています。真の悪人といえる人間は、幸いにしてきわめて少数です。」という、シルバーバーチの一部分の言葉によって、自分の中で都合よく解釈をしてしまうだろうな~。と思いました。

 

 たとえば、次のようにです。

 

 「ごく少数でも、悪人として地上にやってくるものがいるのだから、シルバーバーチは、完全に『原罪』を否定することは出来ていないのである」などのようにです。

 

 シルバーバーチの言葉を、どのように感じ、どのように思い、どのように考えるのかは、私はその人の自由であると感じています。

 

 ただ、20ページの最後にある質問の答えにあるように、

 「自覚が芽生えるまでは地上で満たされなかった欲望の幻影の中で暮らしています。」と言う言葉を、私はしっかりと考えるようにしました。

 

 と言うことで、シルバーバーチの霊訓の学びはここまでにして、後半の話を紹介したいと思っています。

 

 みなさん、これを読まれている方は、霊能力に興味がある方もいると思いますので、私が体験したり聞いたりしたことの一部を紹介したいと思います。

 

 ここで私が述べることは、本などに書かれている情報ではなく、私を含めて、シルバーバーチ読書会にも参加されている数名の方たちや、私の知人などから聞いた体験でしかないことをお断りさせていただきます。

 

 まず、先に他界された自分の身内や親しい人が自分に現れた場合は、それが自分でわかります。

 

 私の場合は、たぶん寝ている時に、守護霊や指導霊と会っているのかもしれませんが、今まで気配を何度か感じることはあっても、姿を見ることが出来ませんでした。覚えていないだけだと思うのですけど、わかりません。

 

 それから、この読書会やヒーリングに関わっているスピリットの方たちは、霊能者の方に姿を現したことは、ほとんどありません。

 ただ、今から6年以上前、母が参加した読書会に姿を現した父、5年前の2017年の春ごろ、読書会を始めるために準備をするスピリット、3年以上前、私が自分の反省を述べていた時に現れた男性、だけは、他の方によって確認されました。

 

 読書会の始めの頃に、私が姿を現さないのは何故なのか?聞いてみたら、「無名であることを誇りに思っている」という答えがきました。

 

 読書会を続けていくうちに、参加者の方が、「足立の霊団」と呼ぶようになったら、それで良いみたいです。

 

 「みゅうちゃんと龍のまるちゃんの物語」のMYUさんの霊団は、私がそのまま「MYU霊団」と呼んだら、MYUさんも気に入ってくれたようなので、それで良いとのことでした。

 

 それは、物語のゆきさんのモデルになった I さんも、「Gちゃんず」で、良いということでした。

 

 それで他の人が言うことも含めて考えると、どうやら他界して間もないスピリットは、地上の時の姿や名前を名のって現れるみたいですが、進化されたスピリットの方たちへの呼び方は、自分の気に入ったもので良いみたいです。

 ミディアムは、そのスピリットのエネルギーそのものから判断し、それを語ることによって、ミディアム以外の他の人もわかるわけですが、名前や姿などから判断しないで、その語られた内容によって、みなさんが判断すれば良いし、それが受け入れられなかったら、それも自由だそうで強制はしないようです。

 

 私が聞いたのは、身内や守護霊が、その人にお願いをすることはあっても、強制はしないということです。

 その具体的なお願いとは、例えば、息子さんが先に亡くなられた場合は、「ママ、○○(人と争うことなど)をすると、ぼくはママが心配で、こちらで仕事が出来なくなってしまう。○○をすると、ママがとても辛くなるのがわかるから、ママの幸せのために、できればやって欲しくないよ。」というようにです。

 

 私が知る限りのスピリットの方々は、一部の未熟なスピリットは別としても、常に相手の幸せと成長を望んでいることと、個性を大切にされるので、懐の大きい方たちばかりで、とてもありがたいです。(だからと言って、苦しみや辛いことがなくなるわけではないですけど)

 

 その懐の大きさと、常に相手の成長と幸せを願う姿勢は、私も見習うようにしています。ですが私も過去に、いろいろと、この人は本物か偽物か?って、聞いたことがあるのです。

 

 で、いつも答えてくれませんでしたが、とうとう数か月経って答えてくれたのは、「〇〇を信じたからといって、罪が帳消しになるわけではない。(ピシャリと、これ以上その質問は受け付けない。シャットダウン。)」というものでした。

 どうやら、その質問をする自分の側に問題(自分の利己心を満たそうとする)があるのを、見抜かれていたそうです。その自分の問題点を増長させるために、スピリットが加担するわけがないようです。

 

 それと誤解されやすいのが、霊能力があるからと言って、特別な人間ではないことです。

 仕事にも非常に多くの種類がありますが、仕事に限らず、生きていくためには様々なことをしなければならないですよね。

 要は、どれが得意なのかは、人それぞれですし、素晴らしい人は、霊能力があるかないかに限らず、素晴らしいのだと感じています。

 

 また、他にも誤解されやすいことは、霊性についてです。

 霊性が向上するにつれて、ある時点で、自分が特別だと思える場合があると思います。それは、一種の試練のようなもので、ひとつの大きな関門だと感じております。

 その関門をのりこえると、自分という存在は、地上の人だけに限らず、霊の世界の住人も含めて、他の動物、植物、鉱物なども同じように、大切な仲間だと心から思えるようになっていくようです。

 ですので、むしろ、特別な存在をつくる方がおかしいのではないのか?あるいは、みんなが特別な存在なのだと感じ理解されるようです。

 

 私は、知識ではそれがわかっていますが、自分もいつかそのように、心の底から感じられるようになりたいです。

 今の私は、自分が高慢であったことを反省し、今後もそれを忘れずに努力している段階です。と言うことで、私から見た霊の世界のお話ですので、私よりもっと、霊的に成長されている方は、また違った視点で話してくれると思います。私もその話を聞いてみたいです。

 

 それでは、読書会の報告を終えたいと思います。

 

---


202251

送信者: waka

コメント:

 先月、429日開催の「北神戸プチサークル シルバーバーチ読書会」の報告です。

 

(本日は、足立シルバーバーチの会の読書会「シルバーバーチの霊訓(三) 二章 悲しい時、苦しい時こそ」もありましたので、それも合わせて報告したいと思います。)

 

 今回、主催者のちりりんさんが、引っ越しや仕事などで忙しかったそうで、久しぶりの開催となりました。

 

 テキストは、「シルバーバーチの霊訓(一)十章 質問に答える」175ページ10行目~180ページ13行目です。

 

 今回は、印象に残った所を述べたいと思います。

 

 176ページ2行目で、シルバーバーチは、「スピリチュアリズムというのは単なる名称にすぎません。私にとってそれは大自然の法則、言いかえれば神の摂理を意味します。」と語られています。

 

 また、シルバーバーチの霊訓(三)29ページ5行目では、「皆さんがスピリチュアリズムと呼んでいるものは自然法則の働きの一部ですが、これが人間にも霊が宿っていることを証明しました。」と語られています。

 

 シルバーバーチは、スピリチュアリズムをこのように位置づけていますが、もし、みなさんが「スピリチュアリズムとは何か?」と聞かれたら、どのように答えるのでしょうか?

 きっと、人によって答えは違ってくると思われますが、私は興味がわきました。

 

 シルバーバーチを

シルバーバーチの霊訓(一)の177ページ7行目で、問 「死後の世界でも罪を犯すことがありますか。」という質問があります。

 それに対し、答 「ありますとも! 死後の世界でも特に幽界と言う処は地上と非常によく似ています。」と、シルバーバーチは答えています。

 地上世界と関わりの深い幽界の人たちは、「判断の誤りや知恵不足で失敗もすれば、拭いきれない恨みや憎しみ、欲望などに囚われて罪悪を重ねることもあります。要するに未熟であることから過ちを犯すのです。」とあるので、私たち地上の人間と非常によく似ていることがわかりました。

 

 たとえば、ちりりんさんの読書会に参加して、私は、地上でいろいろ学ばさせてもらっていますが、霊の世界の人たちも同じように、霊の世界で霊的な勉強を学んでいると聞いているので、そういう所も地上と似ているな~と感じました。

 もっとも、ちりりんさんの読書会での話は、参加者である奥様のために、他界された旦那様がガイドスピリットの一員として働くために学んでいるということでした。

 つまり、奥様は地上世界で学んでいるのですが、同時に、旦那様は霊の世界で学んでいるということでしたので、住む世界は違っても、お互いに努力されているのは、とても素晴らしいことだと思いました。

 

 余談として、その奥様は、旦那様が先に他界されたことでしんみりしていたら、「地上世界にいる時よりも、今はもっとそばに寄り添っているし、あなたの霊視能力が未熟なだけで見えないのだから、自己憐憫に浸るのはいかがなものか?」というようなことを、旦那様に言われたそうです。

 それは、旦那様なりの奥様への励ましだったと思われますが、私は、「いやいや、普通、見えないから」と、思わずツッコミを入れそうになりました。(が、黙って聞いていました。)

 

 178ページ 問 「弱肉強食の自然界をこしらえた創造主がどうして全てを愛する神であり得るのでしょうか。」では、「確かに自然界には弱肉強食の一面があり、腹が空けば互いに食い合うこともしますが、それは自然界全体としては極めて些細な話であって」と答えています。

 

 この、「極めて些細な話」とは、どのような意味で些細であるのか?を、改めて聞いてみたいと思いました。

 これは、地上世界の生と死に関わる問題でもあるので、地上世界から見た場合と、それぞれの段階における霊の世界から見た場合によっても、答えは違ってくるのかもしれません。

 

 179ページでは、 問 「人間一人ひとりに守護霊がついているのですか。」という質問が出されています。

 

 参加者のみなさんも、守護霊についてはみなさん興味があるようで、質問や意見が多く出されました。

 私は、本日の足立シルバーバーチの会の方で、過去に、守護霊にとても失礼な態度を取ってきたことを紹介しました。ここではその内容を話せませんが、守護霊様、申し訳ありませんでした。ごめんなさい。

 

 180ページ、6行目では、「因果律の根本の目的が永遠の生命である霊性の進化にあることだけは確かです」と語られています。

 その一文を読んで、改めて私は、「霊性の進化」という目的を忘れずに生きていこうと思いました。

 

 「シルバーバーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ」29ページ、12行目では、「いったん人間が霊であることを悟ると、……」と語られています。

 この後に続く文を読むと、私たちが「霊であることを悟ること」の大切さが理解出来ると思います。

 

 さらに、私や参加者の方が気になった文章をあげたいと思います。

 

 「宇宙の大霊すなわち神の力はあなた方人間を通して流れるのです。」

 

 「あなた方一人ひとりが神なのです。神はあなた方から切り離された何か別の存在ではないのです。」

 

 「人間の内奥に宿された霊的な資質を発揮すればするほど、それだけ宇宙の大霊をこの世に顕現させていることになります。」

 

 「霊が進化するということはそのことを言うのです。そうやって個性が築かれていくのです。成長するということはそういうことなのです。」

 

「まだまだ地上の人類は、悲しみ、苦しみ、艱難、辛苦が存在することの理由を理解しておりません。その一つひとつが霊的進化の上で大切な機能を果たしているのです。」

 

「知識を広める必要があるのは無知という名の暗闇が生み出す無意味な残虐行為、無駄な苦労を一掃するためです。」

 

 「絶対に許してならないことは不安の念を心に居座わらせることです。」

 

 他にも、まだまだありますが、やはり私の報告を読むよりは、みなさんに、シルバーバーチの霊訓を読んでもらった方がはるかに良いと思います。

 

 最後に、ちりりんさんが懸念されていたことを述べたいと思います。

 

 ちりりんさんは、自分が主催する「シルバーバーチ読書会」を、ここで続けるか?止めるか?を考えたそうです。

 このまま自分がシルバーバーチを学び続けていくと、どのように変わっていくのか?を考えるようになったからだそうです。

 ここでは詳しい話は出来ないのですが、ちりりんさんは、自分に対する責任感ゆえに、そう思われていることが伝わりました。

 私は、このまま続けて欲しいと思っています。が、もしも止めるにしても、ホワイトイーグルは頑張って続けて欲しいです。

 

 それと、「みゅうちゃんと龍のまるちゃんの物語」は、今後、「みゅうさんとゆうくんの物語」として、実際の話を紹介しながら書いていく予定です。準備までに時間がかかると思われますが、今後もよろしくお願いします。

 

 

 それでは、読書会の報告を終えたいと思います。


2022515

送信者: waka

コメント:

 513日に開催された、ちりりんさん主催の「ホワイトイーグル読書会」の報告をしたいと思います。

 

 テキストは、ホワイトイーグル『自己を癒す道』の「静寂の心」です。

 七、大師は力と光の塔 人々は貴方に目を向けている(171ページ~)

 

 今回は、いろいろとある中で、172ページの『光を外に放ちなさい』を、最初に紹介したいと思います。

 

 「光を外に放つとはどういう意味があるのでしょうか。貴方の心から愛を他に与えてごらんなさい。すると、愛は光となって前進します。」と、冒頭で語られています。

 

 私は、この一文を読んで、ホワイトイーグルは凄いなと思いました。 

 それは、ここを読んだ時、シルバーバーチのShining Ones(光り輝く存在たち)のことを思い出したのですが、そのような霊の世界の光り輝く存在たちは、同時に愛の存在であることを学べたからです。

 さらに私たち人間も、自分のハートに愛を抱いている時は、それが光となって外に放たれていることが理解出来ました。

 

 よくよく考えると、愛が感じられない光の存在とは、イミテーションであって、Shining Onesのマネをして、そう見せようとしている存在なのかもしれません。

 きっと、姿や形はマネできても、下心や偽り、あるいは、相手に対しての何らかの見返りや要求の全てを隠すことは出来ないと思われます。

 

 また、『神の鎧』では、「貴方が真剣に愛や光の想念を放出している時は、自分を光で包んでいるのです。――貴方が愛と光を出せば出すほど、それを自分に受けているのです。」と、語られています。

 

 この文章を読むと、他人に向けた愛や光の想念は、自分が受けることでもあることが理解出来ます。

 そうすることで、さらに自分の周りに保護膜を創っていくということですから、良いことづくめですね。

 

 実際に、みゅうさんが「(霊の世界で)息子がヒーリングされてる話なのですが、光の空間です。あたたかい、涙が溢れてくるような愛でしかない空間でした。お別れに来たときのあの光の空間です。」と、語られているように、霊の世界での光の空間は、同時に愛の空間でもあることがわかります。

 

 それで私は、「愛が溢れる人は、光に溢れる人なんだな~。きっとこれは、人や霊を見分ける場合にも役に立つな~。」と思いました。

 

 最後に、自分の中で、相手に何かを求めたり、あるいは、相手を変えたい、コントロールしたいという下心を隠して、愛を与えたり、霊的知識を広めようとしても、それは純粋な光とはならないだろうと思いました。

 過去の私は、自分が霊的知識を得たことで、「相手が自分の思っている通りに変わることが、その人の幸せになるのだ」と勘違いしていた時期があったので、今思うと、本当に性格が悪くて、迷惑な人間だったと反省しています。

 まず肝心なことは、「そこに愛がなければ、光もないのだ」ということを学びました。

 

 

 簡単ですが、以上で、ホワイトイーグル読書会の報告を終えたいと思います。


2022528

送信者: waka

コメント:

 昨日、ちりりんさん主催のシルバーバーチ読書会に参加しました。

 

 テキストは、シルバーバーチの霊訓(一)十章 質問に答える 180ページ最後の行から終わりまでとなります。

 

 質問者の問いに、

  「いたいけない幼児が不治の病で苦しむのは何か原因があるのでしょうか。これで神が公正と言えるだろうかと思うことがありますが……。」とあります。

 

 シルバーバーチは、「本来霊的な問題を物的尺度で解決することはできません。地上生活という極めて短い期間の体験でもって永遠を判断することはできません。神の公正は無限の摂理によって支配されており、その全てを小さいひとかけらだけで持って理解することはできません。」と答えています。

 

 かつての私は、この質問者と同じ気持ちを何度も抱いたことがあります。

 

 2歳から続くぜんそくの発作と何かあるたびに繰り返される高熱が、私にとっては本当に辛かったので、子供の頃は「神は不公平で無慈悲な存在だ」と、ずっと思っていました。

 

 もっとも、私が子供の頃に霊的知識を教えてくれた霊能者の方が、生まれ変わり(再生)を否定されていたので、その影響が大きかったのだと思います。

 それでもその方から、神を信じ、苦難をのりこえて霊的成長をすることが大切だと教わったことと、暗黒界で苦しんでいる霊も救うことが出来ることを知ったことは、子供ながらも深く感じるものがありました。

 

 後日談ですが、私がシルバーバーチを読むようになった頃には、その霊能者の方の欺瞞性に気づいてしまいました。  

 その方によると、霊の世界で苦しんでいる人たちが救われるためには、その霊能者に通じている神(高級霊)にお願いしなければならないと教えていました。お金も絡んでいますが……、もっとも、そこまでは良くある話です。

 

 けれども、霊の世界で苦しんでいる人たちを救うために、一生懸命に努力をされている霊の人たちが、他にもたくさん存在していることを、その方は知っていました。

 知っていたのにも関わらず、そのことを私や他の人たちには教えずに、自分がお金を得るために隠していたのです。最初はその人をとても信じていただけに、今でも残念に感じております。

 

 私が子供の頃に、生まれ変わりがないという考えを受け入れていた理由として、輪廻転生の考えが受け入れられなかったからです。

 

(仏教の輪廻転生の考えでは、天界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、地獄界の6つの世界をぐるぐると生まれ変わりながら生きていくとされ、この6つの世界は、苦しみに満ちた世界であるとも考えられているようです。)

 

 私には、この輪廻転生の考えが、霊界への道を閉ざし、幽界に留まさせるためのイカサマのような世界に思えたのです。

 

 さらに私は、地上で信仰されている神仏に対して、以下のような疑問も持つようになったので、相当ひねくれていたのだと思います。

 

 もしも、ある霊(神や仏)が、自分に対して地上世界の人の信仰を求めたとしたら、その霊(神や仏)は何を目的として、地上世界の信者たちを欲するのだろうか?

 その力は、神界どころか霊界にも及ばず、幽界で使用するエネルギーなのではないだろうか?など……。

 

 さらには、神仏の間で、どちらが偉いのか競争でもしているのだろうか?それとも、信仰する側の人間たちが競争しているのであろうか?どちらにしても、地上に住む人間と変わらないみたいだ。とも思ってしまいました。

 

 まぁ、自分で言うのも何ですが、とにかく変わった子供だと思われていたようです。が、今もそうかもしれません。

 

 シルバーバーチの話をしていたはずなのに、すみません大分ズレてしまいました。

 

 大人になって、シルバーバーチの霊訓を読んで、読書会でも学ぶようになってからは、生まれ変わり(再生)のこともわかるようになって、神は公正であることを受け入れられるようになりました。

 それからは、少しずつですが、ひねくれ具合も多少はマシになったと思っています。

 

 今回特に、問いに対する答えの中の「子供は誕生という行為によって宇宙の大霊の一部となるのです。」という、シルバーバーチの言葉が今も心に残っています。

 

 「それでは、誕生する前の私たちとは、どういう存在なのでしょうか?」ね。

 

 シルバーバーチの霊訓を学んで行くと、このように知りたいことが増えていくので、私はやっぱり学ぶのが楽しいです。たぶん、疑問が出たり、矛盾を感じたり、理解出来なかったりするところが私にあっても、シルバーバーチと会話をしながら学んでいるのだと思えるからです。

 

 最後に、開催者のちりりんさんは、仕事のことも含めて色々大変な時期だと思われますが、まずは自分を信じて、これからも参加されているみなさんと共に、一歩ずつゆっくりと学びを深めていかれることを願っております。

 それに、ちりりんさんは、人の話もよく聞かれていますし、みなさんの意見も尊重されていますので、とても良い読書会だと感じております。

 

 ちりりんさん、今回もお疲れ様でした。次回もまた、よろしくお願いいたします。以上となります。

 

---


202262

送信者: waka

コメント:

 本日開催した、読書会の報告をしたいと思います。

 

 テキストは、シルバーバーチの霊訓(三)二章 悲しい時、苦しい時こそ 38ページ4行目~終わりまでとなります。

 

 シルバーバーチは、41ページの後半で「この交霊会での知識は(途中省略)皆さんの日々の生活の中で使用していただかないと困ります。その霊的な価値は工場において、仕事場において、事務所において、商いにおいて、専門職において、天職において、奉仕的仕事において、家庭内において、その絶対的基盤としなければなりません。あなた方の生活のすべての行為における光り輝く指標とならなければなりません。それが知識というものの存在価値なのです。」と語っています。

 

 

 参加者の男性から、シルバーバーチの霊訓を奥様に読んでもらえた話を聞いて、私は「良い夫婦ですね~。」と感想を述べさせていただきました。

 たとえ身近な人に、シルバーバーチの霊訓を読んでもらえなかったとしても、会議室やオンラインの読書会に参加するためには、少なからず家族の方の協力や理解が必要なことを改めて感じました。

 そう考えると、日頃から本を読んだりして、シルバーバーチの霊訓を学ぼうとされている方は、それだけで人生を頑張っているのだと感じるのですが、それは私の甘い考えなのでしょうかね。

 

 話は変わりますが、今日の読書会を終えてから、私の中で何かが変わったように感じました。

 

 足立の読書会は、全国の中のわずか十数名の参加者で学んでいる小さな読書会に過ぎません。全国を見渡せば、他にも多くのシルバーバーチ読書会が存在していることがわかります。さらに、とても高度な内容を学ばれている読書会も多いように見受けられます。

 それだけ、シルバーバーチの教えを真剣に学ばれている方が、増えてきているのだろうと思われます。

 そのように増えたのは、霊性のこともあると思いますし、スピリットたちのおかげもあると思いますが、シルバーバーチの霊訓を広めてくれた諸先輩たちの力があってのことだと思いました。

 

 今までずっと、そのことに感謝出来ない私が存在していたためだと思うのですが、58日に、次のようなアドバイスを受けていました。(申し訳ございません。今は感謝しています。)

 

 「あなたは、最初に他人の正しい所を見るのではなく、まず、他人の悪い所を見ている。自分では正しいことであると思っていても、最終的には、確執や分裂を生み出してしまうだろう。

 そのような批判は、一見、知恵のような形に見えるが、その根底には、プライドがある。つまり、あなたが誰かを批判するとき、実際には、自分はその人よりも優れていると宣言しているのだ。」

 

 「あなた方の中で、罪を犯したことのない者が最初の石を投げなさい」ヨハネによる福音書:第8章 

 

 そして、この言葉が私の中で浮かび上がってきた時には、「霊の世界から見ると、私はとても未熟なんだな~」と感じました。

 

 いろいろ自分でも考えた結果、「自分が批判をしようとしている相手とは、自分の未熟な部分に気づかせて、成長させてくれる存在なのかもしれない?」と、思えるようになりました。

 

 結局、批判をするのが良いか悪いかの問題ではなく、私の動機が不純だった。ということだったのでしょうね。そもそも、私が気になっていることは、「今となってはどうでも良い」と思えるのですから、不思議なものです。

 

 シルバーバーチも、「恨みを抱くことは悪いことですが、霊的知識を知った人がもし誰かに恨みを抱くようなことがあったら、それは千倍も悪質な罪となります。知識はすべてのことに厳しさを要求するようになります。」と語っているように、私自身の至らなさを知ったからには、素直に反省した方が良いと思いました。

 

 最後に、

 シルバーバーチは、「あなた方は今そのままの状態ですでに立派に霊的な存在です。死んでから霊的になるのではありません。違うのは、より霊的になるという程度の差だけであって、本質的に少しも変わりません。」と語っているのですが、この言葉を聞いてから、私は霊と言う存在が怖くなくなりました。

 逆に言えば、シルバーバーチの霊訓を学ぶまでは、霊がとても怖かったのです。たぶん、子供の頃、善が負けて悪が勝つのがこの地上世界だと思っていたので、なおさら怖かったのだと思います。

 

 今回の読書会では、参加者の方の寸劇もあって、それがとても面白かったです。私は、シルバーバーチの演劇とかあったらおもしろそうだな~と思ってしまいました。

 

 ということで、今回の報告を終えたいと思います。


2022611

送信者: waka

コメント:

 昨日開催された、ちりりんさん主催のシルバーバーチ読書会の報告をします。

 

 テキストは、「シルバーバーチの霊訓(一)十一章 おしまいに」となります。

 

 この章は、6ページほどの短い文章の中に、叡智がギュッと詰まっている……。そのように私は感じました。

 

 最初に、「地上の人間は〝身体〟を中心に物事を考えます。」と、シルバーバーチは語られています。

 私も霊界の人たちのように、〝霊〟のことを第一に考えられれば良いのですが、よほど意識していないと、すぐに〝身体〟の私としての考えで生きてしまいます。

 日々、私は霊のことを第一にして生きて行こうとするのですが、こだわり、執着、未練、後悔、わだかまり、等々が、私の中で渦巻いているので、とても難しいです。

 

 その後、「地上生活は内部の完全性が不完全な環境の中で表現を求めようとする一種の闘争の場です。」と語られています。

 このシルバーバーチの言葉を、私が今のように受け入れて、理解が出来るようになるまでに、一体、どれくらいの年月がかかったことでしょうか?

 とても長い年月がかかったことだけは、言えると思います。

 

 189ページで、「〝ゲッセマネの園〟を通らずして〝変容の丘〟へ辿り着くことはできません。」と語られています。

 (二章43ページにある訳者の解説を引用すると、ゲッセマネの園とは、キリストが最大の苦難と裏切りにあった場所──苦難の象徴。変容の丘とは、キリストがこの世のものとも思えぬ輝ける姿に変容した丘──苦難克服の象徴。とあります。)

 

 続いて、「ナザレ人イエスの生涯は地上の人間の全てが体験するものと本質的において同じものです。」と、シルバーバーチは語っています。

 

 シルバーバーチが語ることは、イエスだけを特別な神の子として見るのではなく、イエスと同じように私たちも神の子であると思えるものなので、そこは素直に嬉しく思えました。

 もしもイエスが、始めから特別な存在として創造されていたのだとしたら、何故、神は私のような未熟でちっぽけで、欠陥だらけの存在を創造されたのだろうか?と、疑問に思っていたからです。

 そうは言っても、やはり私にとってイエスは特別な存在ですし、会うのはちょっと怖いけど(私の未熟さは半端ではなく、隠せるわけではないので、指摘されそうで辛い)、出来ることなら会って見たいです。

 

 191ページでは、「イエスは「神の御国はあなた方の中にある」(ルカ1722)と言いました。実に偉大なる真実です。神はどこか遠く離れた近づき難いところにおられるのではありません。実にあなた方一人ひとりの中にあり、同時にあなた方は神の中に居るのです。」と、語られています。

 

 このことを私が理解し始めた時、私の中の世界が変わったように感じました。さらに私は、この地上世界に生まれてきた意味を感じられて、何だかホッとしました。

 ただ、言葉ではみんなも私も神であることを理解しても、神のことを知れば知るほど、神のことを理解出来ていない自分を自覚させられます。ですから私は、神のことをもっと知りたいと、常に思ってしまいます。

 

 私がシルバーバーチを好きな理由は、シルバーバーチがイエスに近い存在だったり、凄い高級霊であるからではなく、私が今ここに存在している理由と生きる意味を与えてくれたからです。

 シルバーバーチや多くの方々によって、「私は、私という個性を通して、神である自分自身を知るために、今、旅をしているのだ」と、自分にとっての生きる目的を持つことが出来たので、とても感謝しております。

 

 話は変わって、参加者の女性と、すでに霊界入りして学ばれている旦那さんとのやり取りが面白いので、いつも読書会の最中に笑ってしまいます。

 「愛と太陽で、愛太陽(会いたいよう)」とか、霊の世界に行っても普通に言われているので、関西の人って、みんなそうなのかな~と思いました。ちりりんさんや他の参加者の方は、読書会の場だから遠慮しているのかな~とか、思っています。

 

 それはさておき、一足先に、人は神であることを自覚されている男性の参加者もおられ、ちりりんさんが主催している読書会は、様々な意見や感想が聞けて、私にとっては面白いです。

 

 読書会の報告は以上となります。ちりりんさん、そして、Zoomのホスト係のKさん、お疲れ様でした。

 

---


2022625

送信者: waka

コメント:

 昨日開催された、北神戸ぷちサークル『ホワイトイーグル読書会』の報告をとなります。

 

 テキストは、ホワイトイーグル『自己を癒す道』の「静寂の心」です。

 八、大師は怒ることがない 

 柔和な者は幸いである (179ページから) 長い目でものを見なさい(184ページ1行目まで)

 

 「カルマの錬金術」では、自分が身に招いた負い目の支払いは自分で引き受けねばなりません。途中を省略して、カルマは神の愛の手に委ねれば軽くなります。と書かれています。が、

 ここでは、「錬金術」と言う言葉が使われているので、シルバーバーチを中心に学ばれている方には、あまり馴染めない言葉かもしれません。

 たぶん、「ありふれたもの、値打ちのないものを貴重なものに作り変えるという術(すべ、方法)」と言う意味で使われているのでしょう。と、私は思いました。

 

 「受け入れなさい、愛をもって」では、愛するのは、他者だけではなく、自分の生活環境をも愛しなさいと、怒りの思いなどミジンも持たずに。と語られています。

 私は、みなさんとホワイトイーグルの教えを一緒に学ぶまでは、人間や人間の霊ばかりに目が行っていたように感じます。

 もともとは、自然に触れることが好きな方だと思うのですが、いつの間にか、子供の頃に抱いていたような気持ちのまま、植物や動物たちを見ることが出来なくなっていました。

 そのためなのか、最近、人を介してですが、精霊たちを認識するように伝えられています。今後、精霊たちとの関係がどうなるのかわかりませんが、確かにそういう存在がいて、共にみんなで生きていると思うと、この地上世界がちょっぴり楽しく思えます。

 

 月2回開催される『北神戸ぷちサークルの読書会』を、私はいつも楽しみにしているのですが、それは、みなさんからいろいろなお話を聞くことが出来るからです。

 とくに、スピリットから伝えられた霊の世界のお話が聞けることは、私にとって、とても勉強になります。そして、とても面白いです。もう、感謝しかありません。

 

 昨日の話だけでも、スピリットから羽が生えているように見える理由と、サイキック能力を使うのが疲れる理由、それから、霊は、地上の人間のどこを見ているのか?地上の人間と触れ合うことが出来るのか?など、教えてもらいました。

 また、これは昨日の読書会ではないのですが、別の日には、本の読み方の指導なども教えてもらいました。私の方も、未熟霊と呼ぶときの意味や霊的真理は霊性に応じて相関的に理解していくことなどを教えてもらいました。

 

 先ずは、北神戸ぷちサークルで、みなさんやスピリットから学んだ知識を、足立の会の参加者の方に伝えていこうと思います。ここで詳しく書こうと思ったのですが、ちょっと待った方が良いみたいです。(ないとは思うのですが、知識の悪用がないとは断言できないので……。)

 

 と言うことで、今回の報告を終えたいと思います。

 主催者のちりりんさん、そして、Kさん、今回もお疲れ様でした。


202279

送信者: waka

コメント:

 昨日開催された、北神戸プチサークル・シルバーバーチ読書会の報告をしたいと思います。

 

 まず初めに、私はごく限られた時間しかない中で、余計なことを話し過ぎてしまいました。

 読書会の終わりの方で、Iさんが語られた霊の世界のことをもっと知りたいと思い、さらに話してしまったので時間がオーバーしてしまいました。ちりりんさんの近況報告の話もあったのに、申し訳ないと思っています。すみませんでした。

 

 使用図書は、シルバーバーチの霊訓(二)一章 人のために役立つことを(23ページ13行目まで)

 

 今回、私を含めて数名の方が印象に残った文章は、17ページで語られています。

 

 「永遠に変わらぬものは〝愛〟です。人のために尽くしたいという願望から発する真実の愛です。私どもは肩書も党派も教義も宗派も興味ありません。その人がその日常生活において何を為しているかにしか興味はないのです。」

 

 シルバーバーチによると、真実の愛とは、人のために尽くしたいという願望から発するものなのですね。ずいぶんと前の私は、そういう発想すらありませんでした。

 

 それから最近、他の人から「宗教や宗派、教義や信念、肌の色に関係なく、神はすべての人に応えて下さいます。」という話を聞いたのですが、私も「そうですね~」と思いました。

 やはり、シルバーバーチが語っているように、日常生活において何を為しているかが大切なのだと思いました。

 

 シルバーバーチは、さらに続けて次のように語っています。

 

 「私どもにとっては〝人のために尽くすこと〟が宗教の全てなのです。人のために生きる者こそ、最も神に近い存在なのです。そこに魂の存在価値があるのであり、人のためという願望を抱く者は自動的にこちらの世界で同じ願望を抱いている霊を引き寄せます。

 その人間を介して自分を役立てたいと思う霊が寄って来るのです。こちらの世界には地上で人類解放のために生涯を捧げた霊が無数におります。」

 

 たとえば、みゅうさんの石灰化してしまった左肩を、ナナさんと共に交互に直接ヒーリングをした時は、みゅうさんのブログに書かれているような感じで、体感として実際に感じられるのだと思います。

 

 そして、最初の遠隔ヒーリングの時は、みゅうさんの霊視によると、次々とスピリットの手が現れ、その手が優しく左肩に触れてヒーリングをしてくれたそうです。

 その後の遠隔ヒーリングの時は、7名のスピリットのメンバーだったようで、そのうちの一人のシスターが、癒しの手によって、みゅうさんの左肩を癒してくれたそうです。

 

 最初の遠隔ヒーリングの時は、みゅうさんに伝えてあった時間を、私の都合により30分早く行ったのですが、それもわかったそうです。

 その後は、ヒーリングの時間を合わせることなくやっていたのですが、私がスピリットに祈りをささげた時間に、そのシスターがみゅうさんの傍に現れたそうなので、急いで用事を済ませ、ヒーリングを受ける準備をしたそうです。

 

 「私どもにとっては〝人のために尽くすこと〟が宗教の全てなのです。」

 

 今の私には、シルバーバーチのこの言葉がとても重く感じられます。

 

 スピリットたちは、こんな私の願いや祈りを瞬時に聞いて下さって、行動して下さる。何か、本当に申し訳なくなってしまいます。私の祈りが届いていることがわかって、感動して涙が出そうになりました。感謝しかありません。

 

 北神戸ぷちサークル・シルバーバーチ読書会の報告は、これで終わりたいと思いますが、まだ、霊の世界の話を紹介していませんので、機会をつくって書いていきたいと思います。

 

 

 それでは、ちりりんさん、そして、読書会のメンバーのみなさん、お疲れ様でした。


2022717

送信者: waka

コメント:

 本日開催した「オンライン読書会」の報告となります。

 

 使用図書は、「シルバーバーチの霊訓(十)五章 死んだあと、どうなるのか」(75ページ9行目まで)です。

 

 68ページ11行目に、「霊界には無限の種類の楽しみがあります。」と語られています。この言葉を見るだけでも、地上世界とは比較にならないほどのスケールの大きさが感じられます。

 

 男性の参加者の方は、アラン・カルデックの「霊との対話」に書かれているような霊の世界は、かなり厳しく辛い世界も多く紹介されていて、死後の世界に魅力を感じられない部分もある。と話されていました。

 その一方で、シルバーバーチが語る霊の世界は、素晴らしいと感じている。ということでしたので、「死んだあと、どうなるのか」は、それを語る霊によっても、大分印象が異なることを改めて感じました。

 

 さらに、74ページ2行目で「霊の住む世界は無数に存在します。」と語られているので、一口に「霊界」と言っても、やはり語る人やスピリットによって、けっこうな相違があると思われます。

 それでも、シルバーバーチが語っているような霊界にいけるのでしたら、私もすぐに行ってみたいと思います。

 

 71ページでの「───物的財産というものが無くなれば、貪欲とか権力欲とかも無くなりますか。」との問いに、

 シルバーバーチは、「いわゆる幽界でも低級な境涯にはまだ貪欲とか権力欲とかが存在します。忘れてならないのは、死んだ人間は霊的には死ぬ前と全く同じであることです。」と答えています。

 

 私は、シルバーバーチの霊訓を学ぶ前は、信じる宗教や教えによって、死後の世界が変わってくると思っていました。特にスピリチュアリズムを学んだ人は、それを知らない人や他の宗教を信仰する人よりも、死後は霊性が高くなって幸せになるだろう。と漠然と思っていました。たぶん、そのように思ったことのある人は、私だけではないと感じています。

 

 そして、シルバーバーチは、「こちらの世界では思念が全てのものをこしらえる素材です。ですから心に思うことがみな存在するわけです。貪欲と権力欲を持ったままこちらへやって来れば、それがこちらでは無用のものであることに気づくまで、それを持ち続けます。」と語っています。

 

 もしかしたら私も、自分としては霊的知識を学んで、今まで人に尽くしてきたと思っていても、実際には人として冷たかったり、高慢だったり、寛容性が足りなかったりするならば、シルバーバーチが語っているように、死後は、「身体的に死んでいますが、同時に霊的にも死んだも同然の状態です。波長が私たちより人間の方に近い状態です。」という結果になるかもしれません。

 ですから、私は人に批判されたり(人でない場合も多いですが……)した時は、自分の未熟な部分を反省するように心がけています。

 そうでなくても私は不器用でドジな部分も多いですし、二十代の時に「他人は自分を映す鏡である」と教わってから、今でもその言葉が心に残っているからです。

 私は人からでもスピリットからでも、批判されると、とても辛い気持ちになりますが、私は40歳くらいまでは、もう嫌なくらい批判される経験をしてきたので、振り返ってみれば、自分でもかなり嫌な人間だったことを感じています。

 もう何年も前のことですが、人を介したスピリットからの批判は、私が気にしていて隠したい所をついてきたので、その場で穴を掘って隠れようと思ったほど恥ずかしかったです。が、今となっては良い思い出です。

 

 74ページ5行目、「死後の世界とは、要するに今生活している世界の目に見えない側面、耳に聞こえない側面のことです。」

 

 シルバーバーチでなければ、このような言葉で表現することが出来なかったと思います。また、読み進めて行くと、霊的感覚を養成することも良いように感じられました。

 ただ、その霊的感覚も、出来ることなら、人の役に立つために身に着けた方が良いと思いました。

 

 75ページ5行目、「するとあなたはどこか別の場所からやってくることになりますが・・・・・・」と言う問いに、 シルバーバーチは、「自我の表現形態が変わるのです。」と答えているので、地上のような時間と空間が存在しない霊の世界のことを、的確に表現されていると感じました。

 

 今回、輪読を一通り終えて、みなさんと意見交換した後に、今朝、私が起きた時に受けたインスピレーションについて話しました。

 

 それは、「シルバーバーチの名前」についてです。と言っても、「白樺の木」のことを調べるようにと言うものでした。

 さらに、「言葉の奥にあるフィルターを超えた領域に、エネルギーや意味が隠されていることを、参加者のみなさんにも知ってもらえるように」という意味も兼ねていました。

 

 白樺の木について、調べてもらうとわかるのですが、「白樺は「先駆樹種」といって、樹木が伐採されたり、山火事のあとの裸地は日陰もなく強い日差しに照りつけられ、乾燥、寒さ、強風など、条件が過酷な場所にも芽を出し、なおかつ栄養分が少なくても早く育つたくましさを持っている」と言うことです。

 さらに、「ところが後から入ってきた他の樹木が生長して日差しを遮ると、白樺は次第に樹勢を失って枯れてしまいます。その寿命は数十年程度で、自然の営みの中では森林を形成する踏み台の役目を負っている」と説明されています。

 

 つまり、白樺(シルバーバーチ)とは、不毛な大地に、いち早く芽を出していくパイオニア的な存在であり、やがて大地に多くの他の(種類の)芽が育っていくと、その役目を終えて、次の世代に引き継いでいく。

 シルバーバーチの名前には、そのような意味や願いが込められているのではないだろうか?と、私は感じました。

 

 私は、他の人から見ると変だと思われそうですが、スピリットたちが大好きなんですよね。目には見えないのですが……。

 

 

 以上で、オンライン読書会の報告を終えたいと思います。


2022724

 送信者: waka

コメント:

 722日に開催された、北神戸ぷちサークル「ホワイトイーグル読書会」の報告です。

 

 前書きとして、連日の暑さの中で仕事をされている方は、本当に大変だと思います。とうとう私も、仕事中に熱中症になりかけて、ダウン寸前となりました。

 自分が辛い目に合うまでは、同じような辛い目に合っている人の苦しみがわからないのかもしれませんね。幸いにも、今は大分良くなってきました。

 みなさんも、くれぐれも無理をしない程度にして、頑張ってください。

 

 テキストは、ホワイトイーグル『自己を癒す道』の「静寂の心」です。

 八、大師は怒ることがない 184ページ「神の指示」から終わりまでとなります。

 

 今回は、みなさんの心に留まった個所を紹介したいと思います。

 

 「神の指示」では、落胆しないことです。と語られています。

 

 私たちが失望するのは、つまり、がっかりするのは、自分の思い通りにならないからですが、神の意志に委ねることを学ぶためにも必要なことなのかもしれません。

 

 「幼き友よ、うまくおやり」では、苦しんだり損したりすることがありますが、それは貴方が手控えしなければならない事に執着するからです。と語られています。

 

 ここ以外の文章でも、より良いものを得るためには、執着を捨てて、神に任せることの必要性が語られています。

 

 霊の世界と違って、地上世界での思い通りにならない経験が、成長するために必要なのだと感じました。地上世界では、思い通りにならないことが多いですね。

 何もしなかったら、自分の肉体を維持することも出来ないのですから、子供の頃、「神はどうしてこのような世界を、わざわざつくったのだろうか?」と、疑問に思っていました。だって、辛くて苦しいのは嫌ですから。

 

 そういえば、「親の有難みは、親がいなくなってからわかるようになるんだよ」と、子供の頃に周りの大人たちが話していたのを思い出しました。

 

 神の有難みを知るには、甘やかされているだけではダメなのでしょうね。

 

 今回、ホワイトイーグルの勉強を一通り終えた後、Iさんから、スピリットによる勉強の話を聞きました。

 Iさんには、スピリットの先生たちがいるそうですが、真剣に向き合わないと、本当に大変なようです。

 たくさん、教えていただいているそうですが、それを言語化してみなさんに伝える作業がとても大変だということです。

 それを読書会のメンバーに伝えて下さっているので、とてもありがたく思っています。

 

 今回は、人間には、チャクラが莫大にあって、エネルギーが下から螺旋的に上昇していることなどを話されました。そして、そのエネルギーは、考え方の揺らぎなどがあると、横から槍のようなエネルギーが発生して突き刺さり、トーンダウン(勢いや調子が落ちる)してしまうそうです。

 

 なるほど~。

 霊の世界からみると、自分の思考によって、エネルギーの流れに変化が生じるわけですから、日頃、自分が何を思っているのか?は、とても重要なことだと思います。

 建前と本音ということがありますが、やっぱり霊の世界では、本音しか通じていないのかもしれませんね。

 

 それから、梵天の時間についても、話されました。

 ヒンズー教的な側面で、話をされるスピリットの方もいるそうです。

 梵天という言葉は、根本原理を人格化した最高神という意味で使われたそうで、日本人ならこっちの方が分かりやすいという理由で、仏教用語を使用して説明されたようです。

 

 地上の時間にたとえると、梵天の昼は、12000年となり、梵天の夜も12000年だと話されたそうです。

 きっとこれは、たとえ話なのだと思われますが、魂の側から見てですが、今までは梵天の夜だったそうで、人類は下降気流の流れにいたそうです。今は、梵天の昼に移行していったので、上昇気流の流れにあるそうです。

 夜明けが来たと言っても、いろいろな変化と共に、とても厳しい経験をするかもしれないけれども、スピリットたちとも協力して、のりこえていきたいと思っています。

 

 せっかくのIさんからの話だったのですが、私の理解が追い付かず、大まかな紹介となりました。

 

 今回の報告は以上となります。

 

 ちりりんさん、そして、読書会のみなさん、お疲れ様でした。次回もよろしくお願いします。


2022820

送信者: waka

コメント:

 昨日、ちりりんさん主催の北神戸ぷちサークルに参加しました。

 

 ホワイトイーグルの教えをみなさんと学びました。

 

 昨日は、ホワイトイーグルの言葉の中にあった「素直さと自己放棄の問題」について、いろいろとみなさんと話し合われました。

 

 そこで学んだことは、いつかブログや物語に役立てていこうと思っています。

 

 

 参加者のみなさん、お疲れ様でした。


202294

送信者: waka

コメント:

 北神戸ぷちサークル読書会と、足立シルバーバーチ読書会の報告です。

 

 今月2日、北神戸ぷちサークル、ちりりんさん主催の「シルバーバーチ読書会」に参加しました。

 

 使用図書は、「シルバーバーチの霊訓(二)一章 人のために役立つことを」の続きから、「二章 宿命と自由意志」の始めまでです。

 

 とても夫婦仲の良い参加者の方を見ると、とても羨ましくと思います。

 

 それは、地上の世界だけではなく、死を超えても仲の良い参加者の方もおられます。

 

 一方、私には、その相手となる人がいません。

 

 それでも、みなさんの前で「奥さんを愛している」と言える男性の参加者の方に対して、私は羨ましいを通り越して「偉いな~」と感じました。

 

 愛を語っている時は、本当に良い笑顔をしていました。ごちそうさまでした。

 

 最近の私は、仕事や生活のこともありますが、読書会の方向性についていろいろと思案して、一か月半くらい心身共に消耗してしまいました。

 

 私は、とても不器用な面があって、気持ちの切り替えが上手くできない場合が多いです。

 

 そのような私の状況について、オーラが最近ずっと暗いと感じられた、ちりりんさんが心配をしてくれました。

 

 と言うよりは、叱咤激励に近いようにも感じましたが、メールでもアドバイスをしてくれたので感謝しています。ありがとうございました。

 

 と言うことで、ちりりんさんの読書会の報告はこれくらいにします。

 

 続いて、本日開催した読書会の報告をします。

 

 使用図書「シルバーバーチの霊訓(三) 四章 誰にでもわかる真理を」です。

 

 読書会が始まる前に、「仲良くやりなさい」という思いが伝えられたので、それをみなさんに伝えました。

 

 また、開始前の瞑想の時、今朝、瞑想中に伝えられた「エリスの詩」を読み上げました。(物語にあります)

 

 実際に、エリスの歌声が聞こえると楽しそうなのですが、残念ながら私にはそのような能力はありません。

 

 みなさんとの輪読を終えて、後半に聖書に書かれていることについて話し合いました。

 

 スピリチュアリズムを学んでいる方の中で、キリスト教は間違っているということを耳にします。シルバーバーチの霊訓でもそのように語られていますし、きっとそうなのでしょう。

 でも、キリスト教についてはともかくとしても、私は聖書に詳しいわけではないですし、聖書を読んでみて、どう自分が感じるのかもわからないまま、一方的に批判をするのは良いことだとは感じられませんでした。

 

 そういう理由もあって、少しだけですが、みなさんと学んでみました。

 

 マタイの福音書 2237-39

 イエスはお答えになりました。「『心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが第一で、最も重要な戒めです。 第二も同じように重要で、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という戒めです。

 

 何故、イエスは「神を愛しなさい」と最初に語って、「隣人を愛しなさい」が二番目なのか?が、わかりませんでした。

 

 たぶん、シルバーバーチなら、「サービス」、つまり「人の役立つことを」最初に持ってくるのではないか?と思ったからです。

 

 「ねぇ、シスターたち、どうして神を愛しなさいって言うの?」と聞いてみたりもしました。

 

 結局、読書会の場でわかったことは、「親は子を愛し、子は親を愛するものでしょう。そしてその親子の愛を、今度は兄弟姉妹たちに向けていきなさい。って言っているのよ」ということでした。

 

 そして、「『愛しなさい』と言っているのは、愛するためには努力が必要だからなのよ。それは、成長することでもあるのよ。」というように伝えられました。

 

 「その教えを、本当に大切に思って、生活に役立ててきた人は、実際にどれくらいいるのかしらね?」

 

 「知識を得ることで、悟ったり、偉くなったと思っている人の方が多いように感じるのよね。」

 

 まぁ、シスターの話の紹介はこれくらいにして、みなさんと和やかに楽しく学んで行けたので、私は嬉しかったし、ありがたかったです。

 

 読書会を終えて、みなさんとのランチも楽しかったので、心身共に辛かった日々も無駄ではなかったと感じております。

 

 次回の読書会では、シルバーバーチを学び終えた後に、「0(ゼロ)、零、空(クウ)、霊」についての話をしようと思っています。

 

 

 それではみなさん、お疲れ様でした。来月もよろしくお願いいたします。


waka (日曜日, 18 9月 2022 10:00)

 9月16日、北神戸ぷちサークル「ホワイトイーグル読書会」に参加しました。

 今日開催する「足立シルバーバーチ読書会(オンライン)」の内容と共に、報告をしたいと思います。

 今回の北神戸ぷちサークル読書会で、ホワイトイーグル「自己を癒す道」を、みなさんと学び終えることが出来ました。

 203ページの「先行き」では、「人類の全生活が、その働き完全な神法により支配されていることを、承知しているからです。この神法の目的は、男も女もすなわち全人類家族を導いて、神の自覚にまで至らしめることです。」とあります。

 神法とは、シルバーバーチの言葉で表現すれば、自然の法則になると思います。そうなると、ホワイトイーグルによれば、自然の法則の目的は、全人類を導いて、神の自覚が持てるように働きかけることなのだと感じました。

 一方、シルバーバーチの霊訓の中では、自然の法則、あるいは、その一部のこと、(神の摂理とも言いかえることができる)を、スピリチュアリズムと呼んでいます。
 そのような視点を持てば、スピリチュアリズムとは、自然の法則のことであり、その目的は、全人類が神(シルバーバーチの霊訓では、神の一部、ミニチュアの神、大霊の子などの表現があります)の自覚を持てるように働きかけることとなります。

 本日開催する、足立シルバーバーチ読書会では、「シルバーバーチの霊訓(十)五章 死んだあと、どうなるのか」を学びますが、その中で、

 76ページ10行目、「大霊の意志の表現である自然法則の働きは絶対です。」と、語られています。

 自然法則とは、大霊の意志であると読み取ることが出来ます。また、大霊の意志の表現が、自然法則の働きであ
ることがわかります。
 そして、それが絶対であるとのことですから、やはり、絶対なのでしょう……ね。

 スピリチュアリズムと言うと、「1848年にアメリカ合衆国で起こったハイズヴィル事件」のことを思い出す人も多いかもしれませんが、私のような見方もあれば、私とは違った見方をしている人もいるので、スピリチュアリズムと言っても、人それぞれなんだな~と、感じております。
 
 続いて、ホワイトイーグルの「先行き」の続きとなります。

 203ページ、「後をみなさるな。後を見るなら、『わが過ぎ来し道の何たる美しさよ』と、こうお言いなさい。過ぎたことを悔やみなさるな。皆さんは前進をつづけているのです。」とあります。

 また、このようなことは、シルバーバーチの霊訓でも言われています。

 ちりりんさんの見解によると、「反省は必要ない」と高級霊たちは述べているそうです。霊的成長のための必要な経験に対して、反省する必要はないとのことでした。

 私が前に述べたかったことは、シルバーバーチの霊訓(十)五章の83ページ9行目にあるように、

 「霊的意識が深まるにつれて、自分に無限の可能性があること、完全への道は果てしない道程であることを認識するようになります。と同時に、それまでに犯した自分の過ち、為すべきでありながら怠った義務、他人に及ぼした害悪等が強烈に意識されるようになり、その償いをするための行ないに励むことになります。」

 そのように、「今までの自分のあり方を振り返って、それでよいかを考えること」は必要だと感じております。

 けれども、ちりりんさんが述べたように、「今までの自分のあり方を振り返って、クヨクヨ思い悩むこと」は、しないほうが良いと思います。

 自分では反省しているつもりでも、その思いが、後悔、未練、執着となってしまったら、やはり好ましい状態とは言えないでしょう。

 と言うことで、読書会の報告を終えたいと思いますが、ホワイトイーグルもシルバーバーチも、人の中にある神性を大切にされていて、私はとても嬉しいです。

 次回の、北神戸ぷちサークル「ホワイトイーグル読書会」のテキストは、「カルマの法則」松原教夫[訳]となる予定だそうです。

 最後に、今までのお知らせや読書会の報告などは、スマートフォンのメールに、2017年の分から保存されています。
 ただ、このホームページでの作業で、文章の移動などが上手く行かなくて、消えてしまったこともあり、過去のお知らせや報告を長い間残しておくのは止めることにしました。

 それと、私に伝わったこととして、あと十数年は、この読書会を細々と続けなくてはならないようですし、(時には、私の未熟な意見であっても役にたつこともあるかもしれませんが、)そもそもこの読書会は、目的として存在しているわけではなく、一つの手段でしかないので、読書会そのものに未練や執着を持つなということでした。

 「私達は直接的に意志を通じ合うのです。」

 そう伝えられても、手段と目的を間違うことだってあるし、手放したくないことだってあると思うのです。が、もしも、「わたし」という存在が、内部の神にとっての手段だとしたらって、考えたことはありませんか?

 「なぜなら大霊はあなた方の内部に存在するからです。大霊の火花が一人ひとりに宿って生命を与えているからこそ生きていられるのです。」

 それはともかく、シルバーバーチの霊訓の言葉の奥の、さらに奥に流れているエネルギーを感じるために、みなさんもチャレンジして欲しいと思っています。
 
 それでは、これから読書会の準備をします。参加者のみなさん、よろしくお願いいたします。


waka (日曜日, 02 10月 2022 21:38)

 本日開催した、足立シルバーバーチ読書会の報告となります。

 使用図書「シルバーバーチの霊訓(三) 五章 もしもシルバーバーチがテレビに出たら」です。

 今回、東京芸術センターで開催された読書会は、ちょうど6年目を迎えました。

 その前から開催された読書会を含めると、今回で7年間を終えて、8年目となります。

 今までの読書会を振り返ると、新しい節目を迎える時には、何かしらのアクションがあって、メンバーの入れ替えや方向転換が求められてきたように感じています。

 ここで開催されている読書会の特徴としては、シルバーバーチの霊訓を学ばれたばかりの人であっても、受け入れていることだと思います。

 さらに、読書会と言う場を考えると、参加者の方がどのような宗教を信仰されているかどうかよりも、それぞれみなさんの意見を尊重していくことと、自分の意見を押しつけて、周りを変えようとしないことのほうが重要となります。

 また、読書会の中で、疑問に思ったり、わからないことがあれば、みなさんに質問して、それぞれの意見を聞く時間も設けてあります。
 そのように、みなさんとの間で、寛容性や協調性も大切にしています。そして、霊的な真理の勉強は、私たちだけではなく、未熟な霊たちにも必要だと思っているので、お互いの霊性の違いを活かして、霊たちと共に学んで行きたいと思っております。

 やはり、私を含めて、お互いに足りない部分が必ずと言っていいほどあるはずですし、せっかくの読書会ですので、みなさんでお互いをカバーするのが良いと感じています。

 今回のシルバーバーチの霊訓の内容の方は、「もしもシルバーバーチがテレビに出たら」という題名に、良い意味で期待を裏切られて、とても奥の深い真面目な内容だと感じています。

 シルバーバーチは、82ページ11行目で、「宗教とは名僧知識が説くことを体系的にまとめることであるかのように考える、その誤った概念を捨て去ることです。」と語られています。この部分は、参加者の方も目が留まった所でした。

 これは、シルバーバーチ読書会に限られたことではないと思われますが、シルバーバーチの霊訓をわかりやすく、要点をまとめて伝えることは良いとしても、もしも、無限の存在である大霊を人間の言葉で閉じ込めるような真似をしたり、宇宙の全てを知ることさえ出来ない人間が、真理の全てをわかったつもりで語っているのだとすれば、シルバーバーチが語るように、それは誤った概念だと言えると思います。

 私の例を言わせてもらうと、霊的知識が増えることで、高慢になり、人を見下すようになった時期がありました。
 今となっては恥ずかしい限りですが、十代後半から二十代後半までの約十年間は、特にそうだったと自分でも感じています。
 そのせいで、人間関係などの争いが絶えず、大切な人が離れてしまったり、いつの間にか、お酒を通した付き合いしかしていない自分がいました。

 そういう失敗の経験をしたことで、やっと、イエスが語っていたであろう言葉がしみじみと身に染みたのも事実です。
 霊の世界で高く扱われたいと思うのならば、この地上生活では、誰よりも低くならなければならないのだと。
つまり、高慢ではダメなのは当たり前で、誰よりも謙虚になる必要があると思いました。

 私はかつて(かなり昔です)、二人の同級生の女性に殴られたことがあったのですが、今思うと、女性を軽視していたからだと気が付きました。
 ただ、差別的に見ていたというよりは、「女性は男性が守るべき存在」という概念が強かったせいで、気が付いた時には、「女性は男性に付き従う存在」というようになっていたのだと思います。
 そのせいで、知らず知らずのうちに、相手の意見や思いを軽く扱ってしまったのかもしれません。
 よく考えたら、なんで今回、こんなことを書いているのだろう……。

 今回、参加者の方に教えてもらったことです。
 最近他界された京セラ名誉会長・稲盛和夫氏が、記念講演「人生について思うこと」で、シルバーバーチの紹介をされていました。それ以外の所でも、稲盛和夫氏は、シルバーバーチのことを話されていて、とにかく凄いな~、偉い人ですね~と感心しました。
 それと、このようなことを教えてくれる参加者の方にも、その方の霊感を通して伝えられているのを感じて、ありがたいな~と、感謝しております。

 まぁ、私は、このような内容の報告しかできない開催者ですし、読書会の後には、みなさんとランチに行って盛り上がったり、参加者の方たちで仲良くされたりなど、かつて学生の頃に体験したグループでの勉強や食事や遊びに似たようなことをしている感じです。

 もう何だか自分を飾ったりするのは、いい加減に飽きたので、今後は、私のままでシルバーバーチ読書会を開催していこうと思っています。

 それでも良いと感じた方は、シルバーバーチの霊訓を、これからも私と一緒に学んで行きましょうね。


waka (土曜日, 15 10月 2022 09:56)

 

 昨日、10月14日に開催された、北神戸ぷちサークル「シルバーバーチ読書会」に参加しました。

 今回は、その報告をします。

 テキストは、『シルバーバーチの霊訓(二)二章 宿命と自由意志』37ページ11行目から45ページ13行目までとなります。

 最初、ちょっとした勘違いから、先月に輪読した個所を重複して読んでしまいました。参加者の方が途中で気がつかれたので、その分、ちりりんさんは頑張ってたくさん輪読されました。大変だったと思います。お疲れ様でした。

 39ページ5行目に、「別の交霊会で、夫を事故で失くした婦人が招待された。夫婦ともスピリチュアリストでシルバーバーチの古い同志でもあった。」と書かれています。

 40ページ12行目をみると、「私は決してご主人がいま何の悔いも感じておられない──幸せいっぱいで満足しておられるなどというセリフは申しません。そんなことを言えばウソになります。幸せいっぱいではありません。埋め合わせをしなければならないことが山ほどあり、収支相償うところまで行っておりません。まだ今しばらく辛抱がいります。新しい生活に適応する努力をしなければなりません。」

 そして、41ページ9行目では、「地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。ですから今になって自分でやるべきだったことが沢山あることを知って後悔しておられます。ご主人みずからこうおっしゃっています──自分は〝祈禱書〟の中にある〝為すべきことを為さずに終わった〟人間である、と。」と、シルバーバーチは語っています。
 
 私は、読書会の場でも述べさせていただきましたが、「スピリチュアリストで、しかも、シルバーバーチの古い同志であっても、肉体の死後は、光り輝く霊の世界に行けるとは限らない。」ということに、まず、驚きを覚えました。

 何故なら、シルバーバーチの古い同志であれば、当然、シルバーバーチと志を同じくする仲間であるはずなのに、どうして霊の世界で、不幸せな境遇に置かれてしまったのだろうか?と、疑問を持ちました。

 ちりりんさんは、「スピリチュアリストほど、何もやっていないのではないでしょうか?」と、話されていました。

 ちりりんさんの話を聞いた後、改めてシルバーバーチの霊訓を読んでみると、「地上でのご主人はあなたに頼りきりでした。」という一文に目が留まりました。

 私の経験から、「誰よりも霊的真理を追い求める人は、その一方で、誰よりも依存心が強いのではないのか?」と、感じております。

 私自身、とても依存心が強い人間だったと思います。けれども、今となっては、それが原動力となって、シルバーバーチの霊訓と巡り合えたのだと感じています。
 その結果、生活の中で霊的真理を生かすことで、徐々に依存心を克服していくような経験をさせてもらっています。そしてそれは、今も継続されています。

 ここで一度、参加者のIさんが話していたことを紹介したいと思います。
 「霊的な成長とともに、自分のための幸せについて考えなくなりました。今は、他人の喜ぶ顔や姿を見ると幸せを感じるので、他人の幸せのために役立ちたいと思えるようになりました。だから、毎日、他人との関わり合いの中で幸せを感じています。」と、このような内容でした。

 話を戻すと、スピリチュアリストと名乗る方の中で、自分の知識や能力を高めることに目が奪われているのではないのか?と、思われる方も見受けられます。

 確かに、知識や能力が高まることは良いことだと思っていますが、私自身は、生活の中でその知識や能力を生かすことの方が大切だと感じております。

 それから今回、この二章の中で、もう一つ感じたことがあります。

 シルバーバーチは、きっと、ご主人の自由意志を、何よりも尊重されてきたのではないだろうか?

 たとえ、ご主人の他界後が、どのような生活になるのかを知っていたとしても、シルバーバーチは、愛を持って諭すことはしても、けっして強制はしなかったと感じております。

 さらに、失敗や間違いを犯してしまっても、本人を責めることはしないようです。しかも、シルバーバーチは、その大きな寛容さと思いやりを持って、関わる人も含めて慰め、元気づけようと努力されています。

 最後に、私が感じるのは、地上近くの領域に存在する霊の中には、シルバーバーチとは真逆に、自分を高く大きく見せ、地上の人たちを従わせようとさせたりします。
 霊的真理を悪用し、相手の良心を逆手にとって、理屈をこねて、自分が望んだ通りに、相手がなるようにコントロールしようとします。
 これは、霊の世界だけではなく、地上の世界の人の中にも見受けられるようです。困った事に、その人や霊にとっては、それが良い事だと思っている場合も多いようです。

 一方で、私は、シルバーバーチのことをあまり知らなかった時は、シルバーバーチは怖い霊なのかな?厳しい霊なのかな?自分の嫌で隠したい所でも、突いてくるのかな?などと、考えていました。
 今は、シルバーバーチが自由意志を尊重し、とても優しくて思いやりのある霊であることを理解しています。

 私は、シルバーバーチの霊訓を学ぶようになってから、生まれて初めて、この地上に生まれてきて良かったと思えるようになりました。
 さらに、シルバーバーチを学んでから、私は神に感謝も出来るようになって幸せを感じるようにもなりました。

 ありがたいことです。

 以上となります。


waka (日曜日, 23 10月 2022 18:30)

 本日開催した読書会の報告です。

 今回は、予備日として会場を借りていたので(もったいないので)開催しました。

 この日の参加は自由でしたので、もしかしたら、参加者が一人しか集まらないかも?と思っていました。

 けれども、10月2日の読書会に参加出来なかった方たちも集まってくれたので、私は嬉しかったです。

 使用図書は、予定していた「シルバーバーチの霊訓(一)二章 なぜ生まれてきたのか」を変更しました。
 二年半ぶりに地方から東京へ戻られ、今回、久しぶりに参加された方の希望を聞いて、「三章 なぜ苦しみがあるのか」を学ぶことにしました。

 そして、参加者のみなさんと三章の途中まで輪読し、その後、みなさんの意見や感想を出し合って、それについて話し合いました。
 
 苦しみについての話は、プライベートな問題も多々あると思いますが、そのような話でも、読書会の場では、飾らずに自分のことを語ることが出来るのが良い所です。
 私に限らず、語りすぎてしまう場合もあると思いますが、それを聞いている方も、聞く努力をすることも含めて学びなのだと感じております。

 内容については、57ページの4行目の文章を読んで、私が思ったことを率直に話したいと思います。

 シルバーバーチが語っている「神の全計画の一部であるところの地上という名の戦場において、魂の兵器庫の扉を開き、神の武器を持ち出すこと、それが悟りを開くということです。」という部分です。

 ここでは、「地上という名の戦場」「魂の兵器庫」「神の武器」という言葉が使われています。
 私は、何となくですが、軍隊や戦争を連想させるようなイメージと繋がっているような気がして違和感を感じます。
 さらに、ここ以外にも、度々それに関連した言葉が使われています。おそらく時代背景もあるのだと思われますが、まるで物質的な戦いを通じて、霊的な勝利が得られるかのような誤解を生んでしまうのではないかと感じました。

 私は、その言葉の意味を各自が間違って受け取る可能性があるのではないのか?と疑問に思っています。まるで、自分たちに従わない人を力でねじ伏せるような発想を持たないだろうか?と。

 もちろん、そういうことではないことも、承知しておりますし、もしかしたら、私がただの凡人であることから、シルバーバーチが語る言葉の意味を、きちんと理解出来ていないだけかもしれません。

 (ただ、こういうことを書いてはいけないのかな~と思いました。書こうと思った瞬間、めまいに似た違和感を感じました。でも、すぐ戻りましたけど。)
 
 ところで、先日、読書会のメンバーといろいろ話して改めて思ったことは、霊的な真理を広めて、それを生活の中で役立てて欲しいという思いから、シルバーバーチの霊訓を学ぶための読書会を開催しているということです。

 そして、「私と言う存在は、神と一つであり、神の一部なのです。同じように、誰もが、神と一つであり、神の一部なのです。さらに、どんなことがあっても、神と私たちは、決して切り離されることはないのです。」ということを、まずは理解してもらいたいです。

 54ページ5行目、「地上生活という巡礼の旅において、内在する神性を開発するためのチャンスはあらかじめ用意されております。そのチャンスを前にして積極姿勢を取るか消極姿勢をとるか、滅私の態度に出るか自己中心の態度に出るかは、あなた自身の判断によって決まるということです。」の文章を見てみると、

 積極姿勢はポジティブと言う言葉で、消極姿勢はネガティブという言葉で表すことが出来ます。
 また、ポジティブは利他的で、ネガティブは利己的であると言い換えることも出来ます。

 ネガティブなことについて、あまり地上では意識されていないことがあるので、紹介したいと思います。
 
 たとえば、シルバーバーチの霊訓を広めるために、「自分が人より上の立場に立つことで、下の者を導いていく」という方法があるとします。
 それは、ポジティブな方法でしょうか?それとも、ネガティブな方法でしょうか?みなさんも考えてみて下さい。
 それは、視点を変えると、トップに立つものや一部のエリートの下に、それ以外の人たちを隷属(付き従わせる)させることで、目的を達成させる方法だと言えると思います。

 また、この仕組みの中で、トップや一部のエリートになることが、ポジティブであるとされたり、さらには、自分が神(と同等)となって、人々を導くことが正しい道であると思われている人もいるかもしれません。

 シルバーバーチの霊訓の中で、みんな神の一部であり、神である。と語られていることから、そのような神を上や下に分離させてしまう思考や発想を持つことは、シルバーバーチが伝えたい事を十分に理解されていない可能性があります。

 「滅私の態度」という言葉が使われているように、「自分が人々の上に、ドン!と立つことではない」ということは理解出来ると思います。
 ネガティブな態度の一つには、さまざまな手法で人々を(意識的、あるいは、無意識的に)コントロールする方法があげられます。それは、他人が自分の思い通りになることが、本人にとっては、正しいと思っているからなのかもしれませんが、自由意志の侵害をしても良いと思っていることに等しいと感じております。

 このようにネガティブな態度とは、人と人とを分断し、争いの種を蒔くことであり、もしかしたら破壊や破滅をもたらすことになるかもしれません。
 
 そして、ポジティブな態度である、人と人とが愛を分かち合い、お互いに協力して目的を達成する道を歩むのと、どちらが良いのかは、それぞれの人の判断に委ねられています。
 
 けっきょくの所、私は好き勝手なことを述べているだけですが、私の経験では、誰もが両方の態度を含んでいるのが当たり前で、それはバランスの問題だとも感じております。

 最後に、過去の読書会での「学びの記録」を、時間のある時に書いていきたいと思っています。時間がかかると思われますが、私のような学び方も、一つの参考になるかもしれませんので、少しずつ始めたいと思います。

 以上となります。


waka (土曜日, 29 10月 2022 19:01)

 昨日、10月28日に開催された、北神戸ぷちサークル「ホワイトイーグル読書会」に参加しましたので、その報告をしたいと思います。

 今回、新たに、『カルマの法則 ホワイト・イーグルからのメッセージ』 松原教夫[訳]をみなさんと学ぶことになりました。

 主催者のちりりんさんが、序文である「はじめに」を最初に読まれてから、

 「第1章 神の計画とスピリチュアルの法則」 1.あらゆる宗教において 

 を、みなさんで輪読し、それぞれ意見や感想を述べた後、ちりりんさんがそれをまとめる形で説明をされました。

 今日は、ちょっと忙しいので、内容については、改めて報告したいと思います。

waka (日曜日, 30 10月 2022 07:24)

 引き続き、ホワイトイーグル読書会の報告をしたいと思います。

 まず先に、「カルマの法則」の内容に入る前に、Iさんの霊的体験の話を紹介したいと思います。

 一つ目は、Iさんが通っているお店の亡くなった猫が、Iさんにいろいろと話しかけてきたそうです。その内容を店主に伝えてみると、まさにその猫が言った通りのようで、その話を聞いた店主がボロ泣きしたそうです。

 私は、夢の中で猫と話したことが一度だけあります。まるで人間のような姿に見えるのですが、やはり、猫にも見えるし、猫であることが感覚に伝わってくるのです。こういうのは、上手く表現出来そうにありませんね。

 昨晩は、オンラインで数名の方と雑談をしました。その中で、Iさんと猫との会話を紹介しつつ、植物とも話せるのだろうか?という話になりました。
 みゅうさんの話によると、それほど回数は多くはないものの、樹木や植物と話したことがあるそうです。さらに、樹木から話しかけられたような感覚は多々あるようです。

 私も、植物や動物と話が出来るといいな~。と思っています。それから私の場合、時々なのですが、まだ小さい子供の頃から、荒川土手で空に向かって語りかけています。
 何故か、そうする必要があると思って今も時々行っています。(普段の瞑想とは、違う意味があるようです。)
 するとしばらくの間、目を開けたまま思考が止まり、一種の瞑想状態になります。私はこれを、『交信』と呼んでいて、目に見えない何かしらの存在と、そのようにして交流しているように感じております。

 話がだいぶズレてしまってすみません。私はみなさんの霊的体験を聞くのも好きです。

 ここから、ホワイトイーグルの話になります。

 『カルマの法則』 1あらゆる宗教において 13ページ12行目に、「太陽の人々」と言う言葉が出てきます。
 みなさんには聞きなれない言葉だと思われますが、Iさんによると、ここに書かれたホワイトイーグルの内容を見て、「こんなこともあったな~。」と、思い出したような感覚があるそうです。
 私には、「太陽の人々」が、具体的にどのような存在なのかを説明することが出来ませんが、地球人類を導くための偉大な教師たちであるのは、私でも感じられます。
 まぁそれが、その当時の地球人類より進化した他の星の人や、または、本当に太陽の人類であったとしても、不思議ではないと思っています。
 天の川銀河に含まれる恒星の数は、2000億以上だと言われています。それを考えると、「私たち地球人類は、とてもちっぽけな砂粒のような中で、『私は正しい、あなたは間違っている。』というように分離し、いつもお互いに争っているんだな~。」と、感じております。

 15ページ「宇宙の法則にはまとまりがあり、すべてのものはこれにあてはまりますが、ある意味で人間の心がこれを理解することは不可能です。神の心だけが、すべてのものを神の作法に適合させることができます。
 スピリチュアルの真理を厳密に理解しようとしてはいけません。スピリチュアルの真理を画一的に考えてはいけません。」(※画一的とは、何もかも一様で、個性や特徴のないさま。)

 ところで、「法則」と聞くと、みなさんは、どのように感じ受け止められるのでしょうか?

 私は漠然と、「法則=守らなければならない決まり。規則。おきて。」の意味で受け止めていたように感じています。
 そのため私は、「法則によって、支配されている」という感覚から、「神によって、支配されている」という感覚を持ち合わせて生きてきたように思います。
  
 もう一つの意味は、「法則=いつ、どこでも、一定の条件のもとでは成立する関係。」となります。

 12ページ6行目、「神は完全な法則だからです。愛は神の法則です。神の法則は愛です。」と語られています。

 つまり、ホワイトイーグルは、道徳的にこうするべきだという地球人類の「道徳法則」を、神であると語っているわけではなく、原因と結果の間には一定の関係が存在するという原理にあるように、「自然法則」のことを、神であると語っているのだと思っています。

 そして、神は法則で、愛は法則であると語られていることから、神は愛であると受け取れます。
 ですから、「~してはいけない。~すべきである。」というのが神ではなく、神は愛であり、私たちの自由意志を尊重されることも、今では理解出来るようになりました。

 16ページ8行目、「あなたがたの心の中の光に従ってください。それこそが確実なガイドだからです。」と語られております。

 ちりりんさんの説明では、「心の中の光」とは、シルバーバーチが語る「良心の声」、あるいは「良心というセンサー」という言葉で表現されたものと同じでしょう。とのことでした。私もそうだと思います。

 それからホワイトイーグルは、他の本で、光は愛から発せられるとの意味で語られているので、光は愛であり、愛は光でもあるのでしょう。
 ホワイトイーグルが光について語る時には、きっと、そこには愛が含まれているのだと思います。

 最後に、シルバーバーチに比べ、ホワイトイーグルが語ることは、霊媒の問題も含めて見劣りするような意見も聞いたことがありますが、どちらにもそれぞれの良さがあると思いますし、自分が好きだったらそれで良いと思っています。

 今と違って、最初に読んだ頃は、ホワイトイーグルの語る内容が入ってこなくて、理解出来ませんでした。

 それでも、私にとってのホワイトイーグルは、私の狭い視野を拡大してくれた存在ですので、今はとても感謝しております。
 ホワイトイーグル読書会を開催されている、ちりりんさんにも感謝しております。

 みなさん、お疲れ様でした。以上となります。


waka (日曜日, 06 11月 2022 17:31)

 本日、11月6日(日)開催のシルバーバーチ読書会の報告です。

 テキストは、シルバーバーチの霊訓(三)六章 イエス・キリストとキリスト教 91ページ1行目までです。

 今回は、長い章ということもあって、いつもよりゆっくりと進めることにしました。
 86ページ冒頭に、「英国国教会スピリチュアリズム調査委員会の”多数意見報告書„が話題にのぼったことがある。」と書かれています。
 今回は、参考までに”多数意見報告書„の最後の部分のみを紹介したいと思います。

 『英国国教会は、かつての論争の所為で、死者への言及に余りに慎重すぎる。国教会の死者への祈りでは人は満足しない。言い回しがあまりに慎重すぎて、生者に対する祈りに比して、本当に死者のことを祈っているのかどうかが、必ずしも明瞭でないからである。
 一般的に言って、われわれは国教会全体のしっかりとした意見の統一 ───この世の問題だけでなく、死後の問題の認識の仕方にも、もっともっと自由であってしかるべきである。もっともその具体的な点のついては、議論によって決めるべきでことであり、それをここで提案するのは、このレポートの本来の目的から逸脱する。
 スピリチュアリズムが全ての認識上の誤りを排除し、謙虚にそして正確にその真相を明らかにした暁に、やはり確固たる真実を有することが判明したとしても、それは新しい宗教としてではなく、われわれの知識の足らざる部分を補うものであることを認識し、従ってこれまで信仰によって歩んで来たのを、これからはある程度この目で確かめながら歩めることになったと観ることが大切である。
 われわれの考えでは、これからは国教会の代表がスピリチュアリズムを信じる優れた知識人と常に接触を保つことが大切である。その点に関する具体的な指導については国教会当局にゆだねなければならない。』

 シルバーバーチの霊訓に戻ると、86ページ5行目に、「時の大主教ウィリアム・ラングによって〝多数意見報告書〟が発禁処分にされていることが判明。」と書かれています。
 
 最後の一文に、「われわれの考えでは、これからは国教会の代表がスピリチュアリズムを信じる優れた知識人と常に接触を保つことが大切である。その点に関する具体的な指導については国教会当局にゆだねなければならない。」という文章を見ても、調査結果を約束通りに公表されない形となってしまったのは残念なことだと感じました。

 87ページ12行目、「いつの時代にも既成宗教や国家権力から〝反逆者〟と睨まれた者がたどる道は同じです。イエスも同じ名目のもとに苦しい死を遂げさせられました。しかしイエスの説いた真理は死にませんでした。真理に死はあり得ないのです。無限であり、神から与えられるものであり、それ故に不滅なのです。」
 
 私にも利己的な部分がたくさんありますが、それでも、人類のために自己を捧げたイエスに対する仕打ちを見ると、それらは本当に良くないことだと思いました。
 たぶん、それでもイエスは、私たち地球人類を愛され、私たちの幸せのために奉仕されているのだと思っています。

 きっと、イエスのそういう所も私は見習う必要があると思うのですが、89ページ2行目に、「その真理には教会も大主教も牧師も聖典もいりません。愛に満ちた心と善意と素朴な心さえあれば良いのです。」と語られています。

 人は、愛に満ちた心と善意と素朴な心を持って、他人のために役立てることが出来れば、たとえシルバーバーチの霊訓を知らなかったとしても、その人は、イエスの教えを実践されているのと同じことだ。と感じました。

 私は知識を得れば得るほど、高慢さを自分の内に生み出してしまうので、常に意識して、そのような自分と向き合いながら、愛に満ちた心と善意と素朴な心が持てるように努力していきたいです。

 私にとっては、それは憧れに似た気持ちです。以上で、今回の報告を終えたいと思います。


waka (月曜日, 07 11月 2022 16:09)

 読書会の報告の補足をしたいと思います。

 ちりりんさんのブログ『シルバーバーチを拠り所にして』を読ませていただきました。
 11月3日の「シルバーバーチとホワイトイーグルの違い」に、次のようなことが書かれていました。

お友達のヒトミサンから

「シルバーバーチは招待したゲストの霊性に合わせて租借できる範囲の真理を説いているが、
ホワイトイーグルはもっと高い位置から、より純粋で普遍的な霊的真理を説いている。
だから、シルバーバーチを画一的に読むと矛盾を感じることがあるかもしれないね。個々の霊性の状況に照らし合わせて読むんだよ。」

 私も北神戸ぷちサークルの読書会に参加した時に、この話を聞いていたのですが、ヒトミさんは、ちりりんさんだけではなく、私に対しても教えてくれていたのだと、後になって理解することが出来ました。

 きっと、ちりりんさんは、いち早くヒトミさんを通して語るスピリットの愛を素直に感じることが出来たのだと思われますが、私のほうは、その言葉の意味を飲み込むまでに何日もかかってしまいます。

 ちりりんさんに限ったことではなく、私もシルバーバーチの霊訓の文章の中で、言葉使いも含めて、アレ?っと思う時があります。
 もっともこれらのことは、訳者の影響も考慮しなければならないと思われますが、ヒトミさんの言うように、シルバーバーチがその時のメンバーやゲストの霊性に合わせて、租借できる範囲の真理を語っているのだと理解しました。
 きっと、シルバーバーチは、目の前にいる人たちのことをとても大切にされていたのでしょうね。
 私も読書会の時には、参加メンバーとの調和を考えて開催していますので、一方的に、自分の知りえた霊的真理を語るようなことはしないように気を付けています。
 これは、ちりりんさんも同じだと思いますが、それ以上に、ちりりんさんの良い所を発見しました。
 自分の考えや意見をしっかり持たれていると同時に、一人一人の話を聞いて学ぼうとされている所です。だからスピリットたちも、ちりりんさんを応援されるし、参加者の方も良い方たちが集まっているのだと感じております。

 もちろん、足立のメンバーも良い人たちが集まっていますよ。ということで、補足を終えたいと思います。


waka (Saturday, 12 November 2022 06:45)

 昨日、11月11日に開催された北神戸ぷちサークル「シルバーバーチ読書会」の報告です。

 テキストは、シルバーバーチの霊訓(二)二章 宿命と自由意志 45ページ最後の行からとなります。

 まず最初に、「宿命」と「自由意志」という言葉には、どのような意味があるのかをみなさんと共有したいと思います。

 宿命という言葉には、さまざまな意味があるようです。今回は、「生まれながらに定められた変えることのできない運命」として考えていきます。

 そして、自由意志という言葉の意味にも、さまざまな意味があるようですが、「他から強制・拘束・妨害などを受けないで、行動や選択を自発的に決定しうる意志」として考えていきます。

 それでは、内容を見ていきたいと思います。

 46ページ2行目で、質問者がシルバーバーチに対して、問 「もし摂理に反したことをして病気になった場合、それ相当の代価を払うことなく治ったとしたら、おかしいと思うのですが」と質問し、

 46ページ5行目では、「でも心霊治療の手で苦しみを味わうことなく治ったら、それは卑怯だと思います」と発言されています。

 ちりりんさんが話されていましたが、この質問者と同じような思いを心霊治療、つまりヒーリングに対して抱いていたそうです。

 私の場合を振り返ると、とにかく病気の苦しみから逃れたい一心で、必死に神頼みをした経験が何度もあります。
 そのような、なりふり構っていられないほどの辛く苦しい経験をのりこえてから、ようやくこの質問者やちりりんさんのような疑問を持てるようになった気がします。

 それまでの私でしたら、46ページ7行目の「摂理を犯したために病気になり、その病気が心霊治療家の手で治ったとしたら、それは当然報いを逃れたことになりませんか」という問いに対して、

 それでも私は苦しみから逃れたくて、「摂理のことはどうでもいいから、とにかく神さまに助けてもらいたいのだ」と答えていたと思います。

 話を戻して内容の方に目を向けると、この質問者は、人間という存在を、肉体中心の視点で見ているように感じました。
 一方のシルバーバーチは、47ページ10行目で、「期間の問題ではありません。霊そのものの問題です。」と語っているように、人間を霊としての視点で見ていることがわかります。

 シルバーバーチの霊訓(一)第一章の冒頭には、「いったいあなたとは何なのでしょう。ご存知ですか。自分だと思っておられるのは、その身体を通して表現されている一面だけです。それは奥に控えるより大きな自分に比べればピンの先ほどのものでしかありません。」と、語られております。

 「わたし」という存在がピンの先ほどでしかないとしたら、この後で語られていることも含めて、理解するのが難しのは当然のことだと思えます。
 
 49ページ7行目、「法則の内側にも別の次元の法則が働いているということです。宇宙には何人(ナンピト)にも動かしがたい基本的な法則がまず存在します。そして、それとは別に、自由意志を行使できる法則もあります。ただし自由意志による行為が原因となってそれ相当の結果が生じます。それは絶対に避けることは出来ないということです。お判りですか」と、シルバーバーチは語られています。

 50ページ4行目、「自由意志の行使範囲は広いけど無条件の自由ではないということですか」

 「その通りです。範囲は広いのです。さらにもう一つ別の次元の範囲もあります。霊格の程度による範囲です。その時点において到達した進化の程度によっても違ってきます。」

 これは何となくわかる気がします。もしも自己中心的な人に宇宙の創造を任せていたら、とんでもないことになりそうですから……。私も含めて。

 51ページ2行目、「たとえば、自分なりに最高のものを求めて生きてきた人はかならず良い結果を生む原因をこしらえつつあることになるのでしょうか」の質問に、

 シルバーバーチは、「必ずしもそうとは言えません。もう一つ大切な要素として〝知識〟の問題があるからです。霊的知識の問題です。」と答えています。

 これは、「自分なりの最高のもの」という言葉の意味を考慮されて語られていることがわかります。「自分なり」というように、人によって抱いている信仰、願望、倫理、道徳にも違いがあると思われるので、これも何となく理解出来そうです。

 53ページ5行目、「人間がその基本的霊的真理に則(ノット)って生活すれば、」と語られています。

 ちりりんさんは、この一文を取り上げて、基本的霊的真理に則ることが大切であることを強調されていました。

 霊的真理を規準とした生活を心がけることは、「地上で享受できるかぎりの生き甲斐ある豊かさを手にすること」であると、シルバーバーチは語っています。

 ここで、ちりりんさんが話したことで印象的だったのは、「シルバーバーチの教えを学んでいる方に、ストイックな生き方をされている人が多いように見受けられる」という言葉でした。

 ストイックとは、「自身を厳しく律し、禁欲的に己を持する。」ことを意味しています。
 きっと、本来の目的である「幸福を追求すること」が抜け落ちてしまって、ストイックであることが目的となり、とても幸せそうに見えない人が見受けられるからだと思われます。

 私の場合、逆にもう少し、ストイックな生き方を取り入れた方が良いかもしれませんが……。
 
 ただ、それよりも大切なのは、そこに愛があるかどうかだと思っています。
 改めて私に必要なことは、人と霊の一人一人に、きちんと向き合うことから始めなければならないことでしょう。
 それが出来ない時に、つまり自分の中に愛が足りない時に、人や霊の数によって自分を補おうとする傾向が見られるようです。
 
 と言うことで、シルバーバーチ読書会の報告を終えたいと思います。

 ちりりんさん、そして、参加者のみなさん、お疲れ様でした。次回もよろしくお願いします。


waka (日曜日, 20 11月 2022 21:13)

本日、11月20日開催の「Zoomによるオンライン読書会」の報告です。

 使用図書は、「シルバーバーチの霊訓(十)五章 死んだあと、どうなるのか」(82ページ1行目~90ページ7行目まで)となります。

 今回は、みなさんの用事などと重なり、いつもより参加人数が少ないこともあって、一人当たりの輪読の範囲が長くなってしまいました。
 それでも、みなさん一生懸命音読されていたので、私はうれしかったです。また、喉の調子が悪かったにもかかわらず、参加された方もいらしたので、ありがたかったです。

 内容の方を見ていきますと、シルバーバーチの霊訓を学ばれている方には当然のことだと思われますが、82ページの終わりに、
 「本来の自我の開発を望む人達の憧憬、夢、願望が叶えられる世界です。発揮されることなく終わった才能が存分に発揮されるのです。
 経済問題がありません。社会問題がありません。人種問題がありません。身体ではなく魂が関心のすべてだからです。魂には白も赤も黄も黒もないのです。」と語られているように、シルバーバーチが語る死後の世界は、とても素晴らしい世界として伝えられております。

 ところが、宗教などで語られている死後の世界は、人々を恐怖で縛り付けるかのように、地獄のような世界を伝えている場合も少なくないようです。
 どうしてそのようにして、まず、人々を暗くネガティブな方向へと導こうとするのか?を、ここでは扱いません。
 けれども、もしもみなさんが、死後の世界をイメージする時には、シルバーバーチと同じような死後の世界を思い浮かべることが出来るのだろうか?という質問を、機会をみてしていきたいと思っております。

 84ページ10行目、「霊は、今の私のように人間の口を借りてしゃべらなくても、いつまでも援助の手を差し伸べることができます。時間と空間という厄介なものがないからです。あなたがいつどこにいても援助できます。その時の条件下で可能なかぎり援助し続けましょう。」と、シルバーバーチは語られています。

 時間と空間、援助のことなど、ここでシルバーバーチが語ったことは、実際の体験を通して、本当のことであることが確認できました。
 ただ、人によっては、霊と人との関係を、取引のような利害関係に当てはめて考えてしまう方もいるでしょう。

 しかし、88ページ7行目にあるように、
 「サークルのメンバーの方にも、あるいはご招待した方にも、私は決して〝こうしなさい〟とか〝これを信じなさい〟とかは申しません。独裁的指導者ではないからです。私たちは協力者なのです。」と語られています。
 
 じつは、〝こうしなさい、ああしなさい、これを信じなさい〟というスピリットたちも存在すると思っています。
 これは、私の経験でしかないのですが、私の自由意思を尊重しながらも、私の霊的成長を阻む原因が自分自身にあることを指摘されたことが多々ありました。
 特に、シルバーバーチ読書会に参加する数年前から、そのような内なる声なき声が伝わってきたように感じました。
 けれども今は、そういう〝こうしなさい、ああしなさい、これを信じなさい〟という導き方は、終わっているように感じています。
 
 85ページ1行目、「もしも埋め合わせと懲罰がなかったら、神の公正はどうやって発揮されるのでしょう。罪深い人間が聖者と同じ霊格を具えることがあって良いでしょうか。もちろん、よいはずはありません。いかなることにせよ、良いことをすればそれだけ霊性が向上し、自己中心的なことをすれば、それだけ霊性を損なうのが道理です。」とあります。

 これは、質問者の「埋め合わせと懲罰があるということは、たとえば立派な行いには褒賞があるということになりますが、そういうことを裁定する神様はどこにいるのでしょうか。」という問いに答える形で語られています。

 「埋め合わせ」という言葉には、損失を他のもので補うという意味があり、「懲罰」という言葉には、不正や不当な行為に対して、こらしめの制裁を加えるという意味があります。
 そのため、人によっては閻魔王のような存在を思い浮かべるかもしれません。が、シルバーバーチは、そのような神がいるとは、この章で語ってはおりません。

 結局、「良きにつけ悪しきにつけ、あなたの霊的命運を定めていくのは、あなた自身です。あなた自身のことに関して最後に責任を負うのはあなた自身です。」と語られているように、シルバーバーチは、「原因と結果の法則」を、この(初めてサークルに招待された人が質問した)人に理解してもらうために、その人の言葉を使って話されたのだと感じました。

 私は、(相変わらずですが)自分の中にある思いに、常に気を付けていないと、シルバーバーチに対しても、思いやりを持てなくなってしまいます。
 シルバーバーチ読書会を開催しながら、何と恩知らずな人間なのだろうか?と、思う時があります。

 これからも、そういう自分に気を付けていこうと思っております。

 これで読書会の報告を終えたいと思います。


 以降は、読書会の最後に、「サービスの対象が、自分の利害を拡大した自己にすぎない場合」について話したことの紹介となります。

 それは、より多くの愛する存在が拡大することによって、一見すると、形としては利他的に見えます。けれども霊的には、利己性を和らげた利己主義とも言えます。

 かつての私がそうでした。今も、そういう傾向がないとは言い切れません。

 このことをすぐに理解できる方は、私の説明は不要となりますが、たとえば、一つのグループを例に挙げても、トップの立場にある人が、自分のお気に入りやイエスマンだけを大切にし、そうではない人を遠ざけたり軽く扱ったりするとどうなるのか?は、みなさんも予想が出来ると思われます。

 さらに、人々の欲望だけではなく、それぞれの正義や善のぶつかり合いによって、分裂や争いの不調和が起きることも少なくはないと思っています。

 そして、自分の中の正義や善を拡大していくことで、他の人々の幸せも得られると、本気で信じている人もいることでしょう。
 しかもそれが、「人類全体への愛である」と思われている人だっていることでしょう。

 けれども、今まで述べたことは、とてもネガティブなことだと感じております。

 本来は、それを見抜くのは簡単なことだと感じますが、実際にはそうでもないようです。

 世界が変われば……。という時、
 もしも他人を変えることで、みんなの幸せを得ようとするならば、他人を否定しながら、その責任を押し付けているようなものです。

 そのようなエゴを丸出しにしながらの、利他の行為はあり得ないことだからです。

 私はそのような気付きを得ました。まだ、気付きを得た段階ですので、やっと、これからです。

 以上となります。


waka (Friday, 25 November 2022 23:45)

 先ほど終えました、北神戸ぷちサークル「ホワイト・イーグル読書会」の報告です。

 今回のテキストは、カルマの法則 ホワイト・イーグルからのメッセージ(たま出版) 

  「第1章 神の計画とスピリチュアルの法則 2 人は導かれている」となります。

 今回、私が知りたかったことについての報告となります。

 そのため、ここでホワイト・イーグルが語っている大切なことには、あまりふれていないかもしれません。

 17ページ5行目に、「太陽の円は宇宙の生命の円です。転生の十字は、霊魂が肉体を持つことです。」と書かれています。

 ホワイト・イーグルの他の本にも、この太陽十字と呼ばれる、円の中に十字を書いた太陽のシンボルが出てきます。
 私は、この太陽十字の意味についてはよくわからないので、このシンボルの意味について、参加者の方たちに聞いてみました。

 それと、太陽のシンボルと一緒に出てくる薔薇の意味についても、知っている方がいれば教えてもらおうと思って、みなさんに聞いてみました。

 「・・・・・。」

 これを普通に答えることが出来る人は、果たしているのでしょうか?

 それで私は、Iさんに、「スピリットから教えてもらっていませんか?」と、聞きました。
 
 Iさんによると、これから話すことは、Iさんの視点での話であって、私への答えになっているかどうかは、わからないということでした。

 Iさんの霊的視力によると、生命エネルギーの一つである十字のシンボルがくるくる回転し、その十字の周りが円を描いているように見えることで、太陽十字のシンボルに見えるそうです。

 このシンボルだけが、唯一なのではなく、霊の世界では、このようなシンボルがいくつも存在しているとのことで、そのようなシンボルの形を物質的に表して、それに頼ろうとするのは良くないことだと伝えられたそうです。

 話を聞いた限りでは、そのようなシンボルは、自分の内面で感じるもののようですね。

 また、薔薇については、生命に関係しているようですが、実際に霊的体験を通さないと、話を聞くだけでは表現が出来そうにありません。

 ただ、Iさんの前にスピリットである夫が現れるとき、最初から人の姿をして、そのままIさんの前に現れようとすると、莫大なエネルギーが必要とされるようです。
 そのため、最初は、薔薇の花びら?姿?ここらへんはよくわかりません……でやってきて、Iさんの前に来た時に、人の姿へと変わるそうです。
 
 もっと、それについて大切なことを話されていたのですが……、「薔薇の花びらが、心臓に行きつく?突き刺さる?」機会があれば、また教えてもらいたいと思っています。

 これが私の限界ですので、すみません……。とにかく、ホワイト・イーグルが語っていることは、私には意味がわからないこともありますが、適当な譬え話ではないことだけは伝わってきました。

 20ページ9行目に、次のような文章があります。

 多くの人々は、次のように言います。
「私が天国に行ったら、もう地上に戻りたいとは思わないでしょう。そうする必要性は見当たりません。」

 私もそのように思いますが、どうやら人によるのかもしれませんが、この地上に生まれる前は、自らの人生を計画して、しかもかなり意気込んで、やる気満々だったりするそうです。

 それでも大多数の人は、生まれる前の記憶が無くなっているので、生きていく中で一度は、もうこんな人生は嫌だとか、この人生は失敗だとか、もう一度やり直したいとか、自分の悲運を嘆いてしまい、願わくば、死んだあとは天国に行きたいと思うのではないでしょうか?

 なんかそう考えると、私たち人間って、無邪気な子供みたいに思えて、私はかわいく思えてきます。
 
 「もしかして、あの人も、この人も、この地上に来る前は、どんなことを言っていたのかな~。」と、想像すると面白いですよね。

 ただ、自分のは想像したくないです。どんな恥ずかしいことを言っているかわかりませんからね。

 今回は、このような報告となりましたが、これで終えたいと思います。

 ちりりんさん、そして、参加者のみなさん、お疲れ様でした。次回もよろしくお願いします。


waka (土曜日, 26 11月 2022 06:24)

 昨日の「ホワイト・イーグル読書会」の報告の続きを話したいと思います。

 伝え忘れていたことがあったからです。

 じつは読書会の報告を終えて、先ほど寝ているあいだに、中学生の時の同級生たちが夢に出てきました。

 けれども、その同級生たちの男女ともに、とくに私と仲が良かったわけではなく、どちらかというと気持ちの中では、少し距離があった人たちです。

 夢の中で、みょうに馴れ馴れしく接してくる同級生たちに、私は気分を悪くすることなく、いろいろ聞きたかったことなどを夢の中で聞いたりして、それなりに楽しく過ごせたようです。

 しかし問題は、朝、目が覚めてから始まりました。

 自分では思い出したくない、とても恥ずかしいことまで思い出して、再び恥ずかしい思いをしてしまいました。

 また、忘れていた同級生の顔をはっきりと思い出したこともあって、私は同級生たちの幸せを願いました。

 そのように思いをめぐらせている間に、昨日の読書会でみなさんに紹介した話を、昨日の報告で書いていないことに気がつきました。

 それは、私が日頃から実践していることについてです。

 私は、ヒーリングの依頼を受けていることもあって、ヒーラーと呼ばれることもあります。

 私自身は肩書によって、自分の自由に制限をかけることを望まないので、自分から肩書をつけるようなことはしません。
 
 本題に入ります。

 仕事中に、ちょっとした仕事上のトラブルがあって、久しぶりに自分の中の怒りに振り回されそうになりました。

 結果的には、特に大きな問題になることもなく、何事もなかったように時が過ぎていったのですが、私の中に、”これほど強い怒り”が存在していることに、自分でも驚きました。

 そして、相手に向けていたはずの怒りは、自分に怒りを向けているのに等しいことを感じました。

 すでに私の中では、他人とは、他の私であり、他人という自分であると感じるようになってきています。

 それは、以下にのべるような実践を、日頃から何年も、私が積み重ねてきたからだと感じています。

 そのため、トラブルを起こした相手であっても、怒りというものが、私の中に存在することを教えてくれた、他人という自分であると感じるようになっています。

 実際に、そのとても強い怒りを覚えた後に、すかさず私は、相手の幸せと霊的な成長を願いつつ、私が自分という存在を知るための協力者として、その相手に感謝しました。

 今朝がた見た夢の後の恥ずかしい思いも、その同級生たちを通して、私自身を知ることが出来たのですから、感謝をしています。

 何故なら、もしも霊の世界にいたままでは、私は、私を深く理解することが出来ないので、私の成長を阻害している原因も理解することが出来なかったと思います。

 自分という存在を、より深く知ることは、私自身の成長と幸せのために必要なことです。

 そのことが理解できれば、私と関わる相手の存在とは、魂の世界で見れば、私の成長と幸せにかかわる愛の存在でしかないと言えます。
 それが、ポジティブか、ネガティブかの違いはあるとしても、宇宙の広さを知って、そこに思いを寄せることが出来れば、たまたま出会った人であったとしても、そこには何らかの愛が存在していると思えてくるのです。

 だから今では、ちりりんさんの言う、反省はいらないという言葉もわかるんです。

 だからといって、ちりりんさんは、自分勝手に生きて良いと言っているのではなく、自分自身を知った後に、後ろを向いたまま、あるいは、過去に縛られたまま生きるのではなく、前に向かってどう生きるのかが大切であることを伝えられているのだと思っています。

 それでは、報告を終えたいと思います。


waka (Saturday, 10 December 2022 07:48)

 昨日開催された、北神戸ぷちサークル「シルバーバーチ読書会」の報告です。

 テキストは、「シルバーバーチの霊訓(二)三章 一教師の悩みに答える」となります。

 冒頭に、「ある日の交霊会に学校の教師が招かれた。スピリチュアリズムを信じ、それを若い学生に教えたいと思いながら、思うに任せない悩みを抱えている。」と書かれています。

 このような悩みは、スピリチュアリズムに限ったことではないのかもしれませんが、霊的に目覚めた方なら、どうにかして、他の人にも自分と同じように知ってもらいたいと思うのかもしれません。

 シルバーバーチは、「私がぜひとも指摘しておきたいことは、霊的知識の恩恵を受けた者はあくまでも理性の光に従わねばならないということです。」と語られています。

 理性という言葉には、辞典などを参考にすると、物事を正しく判断する力。あるいは、真と偽、善と悪を識別する能力のことを言うようですが、良識や自然の光のことを言ったり、場合によっては、精神や知性と等しく,意識的思考能力の全体をいい,信仰,感覚,経験,無意識とそれぞれ対立し、広い意味では意志をも含んでいる。など、さまざまな意味があるようです。

 みなさんだったら、「理性の光」という言葉をどう受け止めるのでしょうね。

 57ページ12行目
 「しかし、私たちに協力して下さる人々も自分なりの理性、自分なりの判断、自分なりの自由意志を放棄してはなりません。私たちはあくまでも協調による仕事に携わっております。専制君主のような態度はとりたくありません。あなた方をロボットのようには扱いたくありません。」

 私の今までの経験ですが、自分たちの正義や善を実践しようとする人、または、グループが、他者に対して自分たちの正義や善を強要している場面を何度も見てきました。
 
 それはきっと、私にもそういう一面があるので、そのような場面を見たり、実際に経験する必要があったのだと思います。
 何故か知りませんが、そのような正義や善を強要する人は、自分より弱そうな人ばかりに理想を押し付けているような気がしましたし、今となっては、かつての自分がそうだったのだと思います。

 58ページ3行目
 「いかに立派な霊であっても、いかに高級な霊であっても、いかに博学な霊であっても、その説くところがあなたの性分に合わない時、不合理あるいは不条理と思える時は、遠慮なく拒否するがよろしい。あなたには自由意志があり、自分で自分の生活を律していく責務があるのです。」

 私がシルバーバーチのこれらの言葉を紹介した理由は、昨日のちりりんさんやアイさんの話を聞いたからです。
 さらに他の参加者の方も述べていましたが、自分が悟ったと思って、そこで止まってしまう人が多いように見受けられるそうです。

 もしかしたら、それは私にも当てはまるのかもしれません。霊の世界からは、どうやらそのような人の状態がはっきりわかるみたいなので、私は、出来る限りの謙虚さと思いやりを持てるようにしていきたいです。

 そうは言っても、人によっては、シルバーバーチの霊訓を学んでいき、深く理解するにつれて、全てを悟ったような気持ちを持つこともあると思います。
 
 今の私の課題は、自分の中に存在する、悪い意味で人を差別する部分を改善することです。

 さらに大きな課題としては、私は愛について、もっともっと学ばなければならないようです。
 愛について真剣に学んでいけば、いずれ自分の内奥から、それに見合ったエネルギーが出てくるということが、不思議とわかるのですが、今は枯渇しております。
 
 60ページ1行目
 「あなた方人類を救わんと志す霊団の導きに身を委ねてくだされば、あなたにできる仕事はいくらでもあります」

 このシルバーバーチの言葉は、スピリチュアル・ヒーリングの時にも当てはまると思います。私の唯一の能力は、霊団に素直に委ねていることだと感じています。

 このページの最後の方で、
 「顕幽にまたがるこの種の仕事の難しさは、お互いの持ち場がきちんと定まらない微妙な状態で協力し合っているために、地上の人間の勝手な行動によって計画全体が台無しになることがあることです。お分かりですか」

 私は、時々、自分の欲に振り回されて、いろいろと台無しにしてしまうことがあったので、これからは、このシルバーバーチの言葉を忘れないようにしていきたいです。

 最後に、今回の読書会を終えて思ったことは、アイさんのように霊視などの霊的能力に優れた人もいれば、ちりりんさんのように、読書会以外にもスピリチュアル的な横のつながりを通して教え学ぶ人もいます。
 また、日常の仕事を通して、霊的真理の実践をされる人もいれば、家族の介護や子供の養育を通して学ぶ人、あるいは、シルバーバーチ以外のさまざまな勉強を通して学ぶ人もいます。
 そこには、「少しでも自分以外の人のために、何かをしてあげたい」という気持ちがあることを感じられます。
 
 私は、足立の読書会を開催する前に、他のシルバーバーチ読書会で二つのことを学びました。

 一つ目は、日ごろから、他人の幸せを願う努力をしていくことが大切であること。
 二つ目は、お互いが協力し補い合うために、自分が持っていないものを他の人は持っていたり、他の人が持っていないものを自分が持っていたりするのだから、そのことで人に優劣をつけないようにすること。

 今回は、これで終えたいと思います。

 ちりりんさん、そして、みなさんお疲れさまでした。来年もよろしくお願いいたします。


waka (土曜日, 24 12月 2022 22:04)

    昨日、12月23日に開催されました、北神戸ぷちサークル「ホワイトイーグル読書会」の報告です。

 テキストは、カルマの法則 ホワイト・イーグルからのメッセージ(たま出版) 

 『第1章 神の計画とスピリチュアルの法則』「3 数多くの災難」及び、「4 偶然に起こるのではなく目的がある」となります。

 詳しい内容は、時間に余裕が出来た時に書かせてもらいたいと思います。

 今回は、どうしても伝えたかったことだけを述べたいと思います。

 それは、私たちが読書会で学ぶ内容を、参加者のアイさんが、霊の世界で事前に学んできているということです。

 例えば、30ページの「色彩と美の栄光の虹」と、ホワイトイーグルは表現されていますが、このような色彩の世界は、アイさん、あるいは、みゅうさんの霊視によって確認されています。

 そして、ホワイトイーグルは、「最終的に、色彩と美は完全な光、偉大な白光となります。」と語られています。
 これも、アイさんは、確認することが出来たようです。今までは、金の輝きだったものが、新たに白く輝く光が加わったそうです。

    その輝きを、ホワイトゴールドの光と表現される方もいるようです。
 さらに、みゅうさんも、白銀、白いキラキラの光、と表現されたことがあったので、ホワイトイーグルが語っていることは、やはり本当のことなのだと、私も思えるようになりました。

 さらに、「人類に浸透する七つの光線を頭に戴く偉大な霊」と、ホワイトイーグルは表現されていますが、この偉大な霊の存在も、スピリットの協力によって、アイさんは確認されています。
 アイさんの霊視では、七つの光線は、虹のようにくっきりと色の別れたグラデーションではない色彩だそうです。
 その存在は、光……、そう、光の存在で表現されたり、七つの光線で表現されたり、変化するそうです。大切なことは、私たち人類も進化していくことで、そのような存在になれるということでした。

 また、アイさんのように、霊的な感覚が優れていないとわからないことのようですが、霊の世界では、音は映像として見て、映像は音として聞くことが出来るらしいです。
 やはり、この地上世界では分離しているように見えても、実際には、音も映像も一つのものの、それぞれの側面であると言えるのかもしれません。

 あと、これは前にも話したことですが、足立でシルバーバーチ読書会を開催する時に、霊団の名前は、なんでしょうか?と、聞いてみたことが何度かあります。

 その度に、(無名であることに誇りを持っている)無名の霊団であると伝えられてきました。
 唯一、スピリットのシスターの一人でヒーラーでもある、メリッサだけは、自ら名前を明かしてくれました。
 本当は、霊団の名前はあるのかもしれませんが、私には明かされていないのでわかりません。

 そうしたら今日の夜、仕事帰りの荒川土手で、「無名であるということは、名前のない存在、言葉を必要としない存在である(ということに、思いが至らないだろうか……)」と、伝わってきました。

 別に、足立の霊団がそうであるというわけではなく、今まで姿を現した方たちは、名前がある方たちであると伝わってきます。

 私の推測ですが、言葉を必要とせず、名前も必要としない存在にとっては、地上の人間のように、名前によって、上とか下とか区別したりすることがないような気がします。
 みなさんも、生命そのものに対して、区別や差別をすることはないと思います。ところが、その生命に、それぞれ言葉や名前をつけてしまうと、区別や差別をしてしまう場合もあると思います。

 あっ、こうも伝わってきました。
 霊の世界を、地上の言葉で縛りつけるような真似をして欲しくないし、そのようなことは出来ないことを知って欲しいみたいです。
 
 まだ、霊の世界のことは、あまりよくわからないけど、これからも、ずっとずっと、学びながら教え、教えながら学んで行くということを、今後も繰り返していくのだと思います。
 
 今回は、以上となります。


waka (月曜日, 26 12月 2022 22:46)

 今回は、北神戸ぷちサークル「ホワイトイーグル読書会」の報告の続きとなります。

 「3 数多くの災難」では、ホワイトイーグルによって、人類誕生のいきさつが語られています。

 たぶん、これらの内容を理解するのは難しいと思われます。さらに、人によっては、ホワイトイーグルの語る言葉を信じることが出来ずに、何らかの妄想であるとか、霊媒の質が悪いとか、さらには、ホワイトイーグル自身の霊性に問題があるのではないのか?と思われるかもしれません。

 じつは過去の私がそうでしたので、ちりりんさんが、なんで読書会を開いてまでホワイトイーグルを学んでいるのだろうか?と、疑問に思っていました。
 けれども、シルバーバーチも述べている「私たちは神の一部である」という意味を、私が霊的に理解するための手助けをしてくれたのは、ホワイトイーグルの本を読んでいる最中だったのです。
 そういうわけで、その時からホワイトイーグルが語る言葉の一つ一つが、今まで私が気づくことが出来なかっただけで、何か重大な意味が含まれていると思えるようになりました。

 前置きはそのくらいにしまして、25ページ冒頭に、「すべての人々には二つの側面があります。」と書かれています。

 その二つの側面とは、いつも神を思い焦がれる純粋な霊としての善の側面と、自己表現と自由と呼ばれるものを求めるために奮闘する肉体的な個性に包まれた側面だそうです。

 ホワイトイーグルは、そのどちらか一方を選べとは言わずに、何が必要で大切なのかをいろいろな言い方で説明されています。
 それを一言で表すとすれば、調和が大切であるということになります。しかも、私たちに向かって「調和しなさい」というのではなく、調和とは学ぶものらしいのです。

 さらに、善と悪の関係も、二つのホイールのように働くことが語られ、悪や暗闇と呼ばれるものの真の目的は、善を生み出すことと語られています。
 これらのとても短い文章の言葉の奥に、とても深い意味が隠されているのを感じます。

 まだまだ、ホワイトイーグルから学んだことをここで報告したいのですが、時間の制約や私の能力的な問題もあるので、来年も少しずつ進めていきたいと思っています。

 今回は以上となります。