その他のお知らせ(2023年後期)


2023年12月20日水曜日

 

 この2か月半くらいの間、私はとても精神的に辛かったわけですが、その辛い間も波があって、良くなったり悪くなったりの繰り返しでした。

 

 振り返ってみると、特に困ったことがあったわけではないのですが、自分の奥底にある”優越感に浸りたい”という欲望が渦巻いていたのを感じていました。

 

 もっとも私の場合は、他人に認められたいというよりも、今の自分に満足できないという渇望感のように感じました。

 

 結局、だんだんわかってきたことは、私が優越感を欲してしまうのは、自分の中の劣等感を癒したいからではないかと感じています。

 

 これでも私なりに、けっこう日々努力しているのですが、一つ課題をのりこえていくと、新たな課題があらわれて、自分でも呆れるほど、自分の中にドロドロしたものが詰まっているのが最近わかってきました。

 

 今まで霊的成長のことを軽く考えていたわけではないのですが、魂の純化はとても大変だということを実感しています。

 

 それでもこの精神的な苦難を経て、私の中で変わったことがあります。

 

 二人の子供を、私は今までよりも愛せるようになったのです。

 

 正確には、自分の中のより深い所で、自分が子供を愛していることを、実感として持てるようになったのです。

 

 けれども、私が内部で繋がっている所は、まだまだ浅い領域でしかないこともわかってきました。

 

 さらにその奥に繋がるためには、自分の中に障壁なようなものが感じられ、それが取り除かれないままでは繋がることが出来なさそうです。

 

 繋がるためのその道のりはとても険しいのですが、この障壁を取り除くことが出来れば、今までよりもっと、人を愛することが出来るでしょう。

 

 それは、とても素晴らしくて素敵なことだと思います。

 

 私も地球に生まれて人間をさせてもらっているので、外の季節だけではなく、私の中でも春夏秋冬を経験しながら成長しているんだな~と、今は実感しています。

 

 これを読まれているみなさんも、どうかそれぞれの苦しみや課題をのりこえて、内部の愛がさらに育つことを願っております。


2023年12月17日日曜日

 

 今まで、シルバーバーチの霊訓を学んできて、たとえば、善と悪との関係についても、一枚のコインの表と裏の例えによって理解することが出来ました。

 

 そのように、今までずっと楽しみながら学んできたのですが、少し前から、”私はそれ以上、何を学んで行けば良いのだろうか?”という思いが強くなっていました。

 

 二か月間、そういう内面の葛藤を繰り返していましたが、つい数日前に、”リズム”という言葉を感識しました。

 

 ”リズム”という言葉に合わさるように、”生命”という言葉が控えていました。

 

 どうやら、私に足りない学びは、”リズム”と”生命”についてなのでしょう。

 

 ということで終えたいと思います。


2023年12月12日火曜日

 

 昨夜のことですが、実は「ベールの彼方の生活」を勉強して、その報告をのせることをスピリットにたちに約束していたのですが、結局、ゲームに時間を費やして寝てしまいました。

 

 今の私は、スランプ状態なのかもしれません。

 

 最近、私がそうなっている理由について、少しずつですがわかってきました。

 

 これから話す内容は、たんなる私の妄想にしか思えないでしょうけど、私にとっては、自分という存在が数千年にわたって気付くことが出来なかった課題にようやく気付いたという思いです。

 

 私は、霊的知識を学ぶのが何よりも好きで、過去世からずっとずっと学んできました。そして、それをみんなに話したり教えたりすることも好きでした。それがみんなの幸せにつながると信じて生きてきました。

 

 でも少し前に、一通りの霊的知識を私が学び終えたところで、まるで燃え尽きてしまったかのような状態になってしまったのです。

 

 何故なら私は、(今は言葉で上手く言い表せないのですけど)自分しか見えていなかったからです。

 

 たぶん過去世からずっと霊的知識を学んで、私はそれを教え広めてきたけれども、それは主に自分のためであって、本当の意味では、大切な誰かのためにしてこれなかったのかもしれません。

 

 それと、私は人に与えることは得意だとしても、受け入れることは不得意であることにも気づきました。つまり、寛容性も足りていないのだと思います。

 

 守護霊や霊団のスピリットたちは、自分でもどうしようもないと思える私であっても、けっして見捨てずに、そして辛抱強く私を受け入れ続けてくれました。

 

 そんな状態の私ですが、本日、治る見込みのない病気のヒーリングを私は受け持つことになりました。

 

 こんな利己的な私であっても、少しでも他人に手を差し伸べることが出来るのは、幸いであると感じています。

 

 これからの私は、今まで学んできた霊的知識を、大切な人たちのために生かしていきたいと思っています。

 

 そして、足立の霊団のみなさんのように、他人の幸せを心の底から願える、あたたかい人になりたいと思っています。

 

 最後に、ベールの彼方の生活の勉強は、私の中の問題をのりこえたら、また再開できそうな気がします。

 

 今回は以上となります。


2023年12月6日水曜日

 

 10月の半ばころから続いていた内面の不調は、今日の夕方にやっと解消されました。

 

 とても長い間、私はどこかの次元に閉じ込められてしまったかのような感覚がありました。

 

 そしてこの間、自分でも驚くほどの未練や執着、欲望などが自分の中で渦巻いているのを実感しました。

 

 それでも日常生活は表面的には普通に過ごしてきたし、仕事もそれなりにこなしてきたので、私の中の異変に気付く人はあまりいなかったと思います。

 

 どのような感じかと言えば、私が過去に味わった色のない世界である”灰色の世界”とは違った辛さを経験しました。

 

 今回は、自分の魂を未練や執着などでがんじがらめにしている”束縛の世界”といえるような世界にどっぷりと浸かっていたように感じています。


    感覚的には、とても狭く限定された世界に閉じ込められているように感じました。

 

 それが今日の昼間にある決意をし、仕事を終え家に帰ってからは、嘘みたいに自分の中の嵐が過ぎ去ってしまいました。

 

 私にとって、その決意は簡単なようで簡単に出来なかったことです。

 

 どんなに努力しても手に入らないものや手に届かないことは、”きっぱりと諦めよう”ということです。

 

 霊の世界では何の役にも立たないばかりか、地上世界でも役に立ちそうにもないことなのですけど、10月頃から”諦めきれなかったこと”がいろいろと出て来たんですよ。

 

 あ~、とても辛かった。

 

 今回はこんなのですみません。私の愚痴は以上となります。


2023年11月12日日曜日

 

 一か月前から、私がとても精神的に辛かったのは、”他人の幸せを願えていない”ということでした。

 

 昨夜、上の子の方から、私の母(子供にとっては祖母)の介護のためにいろいろ協力することを話してくれました。

 

 理由は、私の妹、つまり叔母がいささか頼りないからでした。

 

 その話を聞いて一晩寝て起きたら、ここ最近の私は、”自分まみれ”になっていたことを感じました。

 

 正確には、そのように感じられるまで感覚が戻ってきたように思います。

 

 私一人では、それに気付くことさえ出来なかったと思います。

 

 今回の自分の中での葛藤を考えると、成長するっていうのは、改めて大変なことだと思い知らされています。


2023年10月20日金曜日

 

 最近、”ベールの彼方の生活”を読んでいくうちに、あることに気づいてしまいました。

 

 それは、一つの項目だけでも私にとっては物凄い情報量なので、学習したことを一つ一つ言葉に出して記録していくのがとても大変だということです。

 

 ですが、たとえ数年かかったとしてもやっていこうと思っています。

 

 と言うことで、今回は別のお話をします。

 

 一週間前にコメダ珈琲店で、知人のお二方と久しぶりにお話をしたので、その時に話した内容の一部を紹介したいと思います。

 

 知人のお二方は、シルバーバーチの霊訓もスピリチュアリズムのことも、名前を知っているくらいでほとんど知りません。

 

 数年前に職場の人を介してヒーリングを行ったのがきっかけで、年に2~3回直接会ってお話をするようになりました。

 

 それと、お二方も私と会って話をするくらいなので、霊の世界の存在を素直に受け入れているようです。

 

 それで、その時に話した内容は、”この地上世界で生きている私たちは、じつは、みんな同じ一つの世界で生きているように思えるかもしれないけど、ひとりひとり違う世界で生きているのかもしれませんよ”というものでした。

 

 具体的には、

 

 私たち人間にはさまざまな違いがあるのですけど、大まかですが、私としては次のように分けられると思っています。

 

 ”人間とは肉体であり、肉体の死によって、私という存在も無となる”という考えを持つ人。

 

 ”人間は肉体の死によって、私という存在が霊(魂)となる”という考えを持つ人。

 

 ”死後の世界はあるのかもしれないけど、死んでみなければわからないので、どちらとも言えない”という考えを持つ人。

 

 ”人間はもともと霊であり、霊である私にとって、地上世界とは一時的な世界である”という考えを持つ人。

 

 どんどん分けていくとキリがないのですが、要は、この地上世界にどのような焦点を持って生きているのか?によって、一人一人の世界も違ってくることを説明したかったのです。

 

 たぶん、多くの人が抱いているイメージは、”肉体が死ぬことによって、はじめて人は霊となり、さらに、生前の行いによって、それぞれ行く霊の世界が違ってくる”というものだと思われます。

 

 けれど、もしも人が最初から霊であり、今、この地上にいる間も霊であるとしたら、どのように考えれば良いのでしょうか?

 

 ところで、肉体の死によって、私という存在も無くなってしまうと思っている人は、”幸せは物質と共にある”とし、お金や物を追い求める生き方をするかもしれません。このような人たちは、”三次元世界の住人”と言えそうです。

 

 一方、霊の世界の存在を信じ、そこではお金や地上の財産が通用しないと知りつつも、ラベルにこだわり、名声や地位などを追い求める人たちは、未だ物質的な影響から抜け出せきれていない”四次元世界の住人”と言えると思います。

 

 つまり、三次元世界の住人から四次元世界の住人となると、物質そのものよりも、情報なども含めた”地上的なエネルギーとしての富”を求めていくのではないかと思っています。

 

 今で言うと、SNS(ソーシャルネットワーキングサービス)などで称賛を望むような人も入ると思います。

 

 今回、書き疲れてしまったのでこれで終わりにします。

 

 この続きは、興味がある方に別の機会に話したいと思います。


2023年10月16日月曜日

 

 自分に対してのメモとなります。

 

 10月8日の「その他のお知らせ」の中で、

 

 ”世界とは、私を知るためにあります”

 

 ”そんな世界を私は愛します”

 

 と述べています。

 

 今、この言葉が本当なのかどうか?私は試されているのかもしれません。

 

 本当に久しぶりに、先ほど数名の方のヒーリングをしました。その後続けて瞑想も行いました。

 

 自分にとって都合の良い部分の世界を愛そうとしているだけで、自分にとって都合の悪い部分は愛するどころか、逆に世界のせいにして、何の魅力もない世界だと責めているのがわかりました。

 

 愛するということは、どういうことなのか?

 

 私は、たぶん表面しか見ていないで、”愛する”という言葉を用いたのだと感じました。

 

 果たして、自分にとって嫌だと思うことも含めて、今の私は”この世界を愛します”と言えるのでしょうか?

 

 出来ていないと言うことだけは理解出来ました。

 

 それと合わせて、自分の良い所もきちんと見ていく必要があるのだと感じています。


2023年10月15日日曜日

 

 この頃、何だかやる気が起きない。

 

 大好きなはずの本をいろいろと読んでみても、面白く感じない。

 

 もしかしたらと思って、うつ病診断テストをしてみました。

 

 結果は、”特に問題はなし”。 

 

 他のうつ病の自己診断もやってみました。

 

 結果は、”正常”。

 

 ふいに昨日の朝のことを思い出しました。

 

 ”サイキック攻撃を受けているのかな~”と、ふと思ったことを。

 

 サイキック攻撃の意味はよくわからないのですけど、最近、ネガティブなエネルギーの影響を受けているような気がしました。

 

 それでとうとう夜中の二時頃、夢の中の私が、私に話してくれました。

      

 ”現実から逃げようとしているんだよ”と。

 

 今、私がいろいろと勉強をしている動機が、”この現実世界から、いかに逃げていくのか”になっているみたいです。

 

 つまり、ここ最近、”私は私から逃げようとしてきた”ということに気づきました。

 

 過去の私は、そのような”ネガティブな私を否定し、いかに排除していくのか”というような発想しか出ませんでしたが、この”ネガティブな私も、大切な私の一部”として受け入れて、ブレンドしてみようと思っています。

 

 ”のりこえられない試練を神は与えない”と言う言葉を信じて。


   それと、数年ぶりに”ベールの彼方の生活”を読もうと思っています。


    以前、読んだ時にはわからなかったことが、今ならわかるような気がします。


2023年10月10日火曜日

 

 今回は、スピリチュアルで言われている”アセンション”と、私が思っていた”アセンション”とでは違っていたというお話です。

 

 前にも話したように、スピリチュアルで言われている”アセンション”とは、地球や人類が次元上昇することのようです。具体的には、三次元から五次元へ移行することだと言われています。

 

 私の率直な感想としては、そうなったら面白そうだし、素敵だと思います。

 

 でも、アセンションって、上昇と言う意味以外に、天国に行くことやキリストの昇天と言う意味もあるようですね。

 

 その一方で、今まで私は、霊的に目覚めることが”アセンション”だと思っていたので、スピリチュアルで言われている”アセンション”が、私の想像をはるかに超える宇宙規模の壮大なものだとは知りませんでした。

 

 まぁ、そういう宇宙規模の壮大な視点を持って、シルバーバーチの霊訓を読んでいくのも楽しいかもしれませんね。

 

 ただ、私のスケールが小さいこともあり、アセンションについてはアクセスできないし、またインスピレーションもないので、以下のことを書いて終わりにします。

 

 物語のように話します。

 

 ある時、地上世界の主人公である私は、苦難を通して霊的に目覚め、肉体としての私はこの世界のキャラクターに過ぎず、本当の私とは霊、あるいは魂であることに気づきます。

 

 つまり、霊的に目覚めることによって、今まで本当の私だと思っていたこの肉体は、実はそうではなく、本当の私はこの肉体とは別にあることを理解したのです。

 

 主人公の私は、”肉体としての私は三次元にいるけど、本当の私はこの三次元を超えたところに存在している”ことを自覚しました。

 

 そして、”今まで人が死んだら霊になるとは聞いたことがあったけど、そうではなかったんだ。生きている私こそが霊なのだ”と主人公が発言して、この物語は終わります。

 

 私には、このようなことしか言えませんが、そういうことに気づく人が増えてくれればいいなと思っています。

 

 以上となります。


2023年10月8日日曜日

 

 先に書こうと思っていたのと違って、気付いたら何故か密度と領域のことになっていました。

 

 先に書こうと思っていたのは、

 

 ”霊と物質の関係は、主体と客体の関係と言えます。”

 

 と言うことです。

 

 作用を担うものが主体で、それは”霊”と呼ばれています。(※ここでの霊とは、シルバーバーチの霊訓の中で語られている”霊”となります)

 

 作用を及ぼされるものが客体で、それは”物質”と呼ばれています。

 

 ”働きかけるもの(主体)”と”働きを受けるもの(客体)”は、コインの表と裏の関係であり、それは同じ一つのコインであると言われています。

 

 そのコインが、テーブルの上でクルクルと高速で回転しているのを想像してみて下さい。

 

 そんな感じで”霊と物質の関係”を理解してもらえると良いと思います。

 

 何かで例えてみようと思います。

 

 ここで”霊”を”意識”に、さらに”物質”を”意識を取り巻く世界”に置き換えて考えてみたいと思います。

 

 (意識は霊の属性であると教わっていますが、これを理解するのは私にとって難しいことです)

 

 主体としての意識そのものには、時間が存在しません。ですから歳をとりません。

 

 (もっとも、生まれたことがないのが”霊”だと言われているのですから、歳をとることもありません。)

 

 私たちが歳をとったように感じるのは、意識を取り巻く世界が変化していくからです。

 

 そのように意識と意識を取り巻く世界の間には、時間が存在しています。

 

 さらに、意識とそれを取り巻く世界の間には、法則が存在します。

 

 もしもそのような主体と客体を一つのコインとして統合し、それを超越することが出来るならば、そこには時間と法則を超えた”何か”があるはずです。

 

 その”何か”を、”ソース”あるいは、”根本原理”と呼んだり、私のようにシルバーバーチの霊訓を学んでいる人は、”大霊”と呼んだりします。

 

 むしろ、その”何か”が存在することで、私たちの意識とそれを取り巻く世界が存在しているのだと言えます。

 

 そして、その”何か”の働きを、霊の力の働きと呼び、その霊力の働きを”法則”と呼んだり、人によっては、それを”神”と呼んだりします。

 

 ただ、多くの人にとっての神とは、人間の理想像を重ね合わせた”人格を持った神”であるように感じています。

 

 そのように”神”という言葉には、人によってさまざまな意味があると感じています。

 

 シルバーバーチの霊訓によると、私たちは、その”何か”の一部であると言われているのですけど、そもそも本当の私がどこに存在しているのかが未だに分からないままなのです。

 

 確かに私はこの世界を見ているし存在しているのだけれども、私はこの世界に存在しているわけではない。

 

 どういうことなのでしょうか?

 

 こんな感覚を抱えたまま、私はこの地上世界でずっと生きてきたのです。


2023年10月8日日曜日

 

 前回は、不十分でしたが”次元”についての話をしました。

 

 今回は、霊的な世界にある程度慣れていないと、意味が全くわからないかもしれませんので先に謝ります。ごめんなさい。

 

 前回の話に出た”次元”とは、ここが”どのような世界であるのか?”に焦点を当てたものであると認識しています。

 

 そのようなことから次元の話は、「私たちは、今、何次元の世界にいるのだろうか?」「これから先、どのような次元の世界に行くのだろうか?」という問いに対して、一つの目安となるのではないかと思っています。

 

 ところで、今の私たちは肉体を纏っている存在です。

 

 今いる地上世界と肉体を脱ぎ捨てた後の世界とでは、同じ私であるにも関わらず、今までと同じ世界にいるわけではないことを、みなさんも何となく感じていることと思います。

 

 人が肉体から幽体、そして霊体へと纏う媒体を変えていくことは、物質性を減らし、より霊性の高い存在へと進化していくことでもあります。

 

 このような、纏っている媒体に焦点を当ててみると、「私たちは、今、どのような密度の媒体を纏っているのだろうか?」ということになると思います。

 

 たとえば仮に、今の私たちが纏う肉体は、第三密度であるとします。

 

 そして、肉体の死後に纏う幽体は、下層領域では第四密度、上層領域では第五密度となり、霊体は、第六密度や第七密度、あるいはそれ以上の密度ということになります。

 

 これはあくまで例え話ですので、実際にスピリットたちが「ここは第〇密度の世界です」とは、紹介しないと思われます。(が、絶対に無いとも言えませんけど。)

 

 ここでちょっと立ち止まって考えてみると、私たちが纏う媒体は”肉体のまま”で、次元の上昇を目指していくのが、スピリチュアルで言われている”アセンション”になるのかと思われます。

 

 さらに私にとっては、もう一つ、異なる焦点による分け方があります。

 

 それは、”領域”と呼んでいる方法です。

 

 簡単に言うと、”魂がどのような領域に属しているか?”と言うことになります。

 

 人によっては、魂の進化レベルと言った方が分かりやすいと思われますが、これはレベルが高いとか低いとか、上とか下とかで優劣をつけるものではありません。

 

 ただ、この領域については次元や密度のように、言葉によって明確に分けられるものではないと感じています。

 

 それでは今まで説明してきた方法で、試しに私自身を分けてみたいと思います。

 

 ”私という存在は、三次元世界を認識している四次元以上の存在であり、その媒体は第三密度(肉体)で、その魂は第?領域に属している”となります。

 

 しかし、”言葉”には限界がありますし、これは私による”一つの考え方”でしかありません。

 

 それに本当は、言葉に出して分けることは、分離と制限を強いることでもあるので、正確には伝えることが出来ないものだと感じています。

 

 それでもゲームに例えて考えてみると、案外わかりやすいかもしれません。

 

 昔のことですが、私にはどうしてもクリアできないアクションRPGがありました。

 

 アクションRPGといってもさまざまで、その時のゲームは”オープンワールド”と言われるものでした。

 

 ゲームの舞台によって、その世界も異なれば、登場するキャラクターの姿形まで変わってきます。

 

 そのクリアできない箇所だけを、子供にお願いしてやってもらって、何とか最後までゲームを終わらせた経験があります。

 

 このように同じキャラクターであっても、プレイヤーが変わることによって、たとえレベルとステータスがそのままであっても、迎える結末が変わってくるものです。

 

 反対に、同じプレイヤーであっても、もしもゲームの中のキャラクターが変われば、辿っていく道筋も変わっていくものと思われます。

 

 ここで視点を変えます。

 

 ゲーム中のキャラクターの立場から見れば、キャラクターのレベルやステータスなどが重要視されると思いますが、そのキャラクターを実際に操作しているのはプレイヤーです。

 そのプレイヤーは別のキャラクターとしてゲームに参加することも出来ますし、そのゲームを終了し、それとは他のゲームをプレイすることだって出来るのです。

 

 まるで、キャラクターを操作するプレイヤーは、私たち人間にとっての魂であるかのように思えてきます。

 

 私たちが”霊の道具”であると言われるのは、きっと、このようなことが理由としてあるのでしょう。

 

 まぁ、このような知識は無くても生きていけます。が、

 

 私たちが、今、ここにそれぞれの肉体を纏って生きているのは、それなりの理由があると思えるのです。

 

 そして、さまざまな次元や密度や領域を経験することが、私にとっての”霊性進化の道”です。

 

 だんだんとですが、最近の私は、失敗や間違いなど自分の未熟さを感じることが起きると、”あぁ、私は大霊の一部なんだ。だから、私は失敗も出来るし、間違いも起こせるんだ。大霊って凄いな”と思うようになりました。

 

 ”世界とは、私を知るためにあります”

 

 ”そんな世界を私は愛します”

 

 今はそのように感じています。

 

 また、いつものようにまとまらない話になりましたが、今回はこれで終わりにしたいと思います。


2023年10月4日水曜日

 

 9月29日と30日の”その他のおしらせ”を自分で読み返してみました。

 

 けっこう文章的におかしい部分があったので、昨日、仕事から帰る途中、改めて自分の内側にコンタクトしながら気になる箇所は修正しました。

 

 これを読まれている方へ、いつも私の妄想話に付き合って頂いてありがとうございます。


2023年9月30日土曜日

 

 今回は、スピリチュアルの世界で言われている”アセンション”とは何なのだろうか?

 

 と言うことに関わる問題を話したいと思います。

 

 アセンションとは、どうやら地球や人類の”次元上昇”という意味のようです。

 

 次元上昇の方法は、自分自身が持つ波動、あるいは、周波数(バイブレーション)を高めることで、三次元から五次元の世界に移行することが出来るらしいです。

 

 ところで、四次元はどこに行ってしまったのでしょうか?といろいろと尋ねたら、空間の三次元に時間軸を加えたものが四次元であるということらしいです。

 

 でも、この考え方は”物理学的な考え方”のようで、”数学的な考え方”では、四次元とは三次元にもう一つの空間を加えた四次元空間のことをいうのだそうです。

 

 さらに五次元となると、人によっては、”無数の時間軸が存在する世界”であり、それは”パラレルワールド”として説明されています。

 

 けっきょく私は知識では知っていても、肝心な理解が追い付いていないのが現状です。

 

 と言うことで、今回も他の方の話とインスピレーションによって教えてもらった話をしたいと思います。

 

 まず、”私たちが存在している世界は、何次元でしょうか?”という質問からはじまりました。 

 

 当然、”私たちの住む世界は、三次元ですよね?”と答えました。

 

 ”ブッブー、残念!”

 

 ”肉体はそうでも、三次元を認識し理解し体感できるのは、私たちが四次元以上の存在だからです。”とのこと。

 

 次元について簡単に説明すると次のようになるそうです。

 

 0次元 点

 一次元 点が集まって線になる

 二次元 線が集まって面になる

 三次元 面が集まって立体になる

 四次元 立体が集まって成り立っている空間(世界)となる

 

 つまり、私たちが住む世界は、立体が集まって成り立っている”連続した空間”なので、四次元であると言えるのだそうです。

 

 ここで二次元の世界に焦点を当てて考えてみると、二次元を認識し理解し体感するためには、三次元以上の存在であることが条件となります。


      例えば、スクリーンの中にいる映画の人物はその世界しか知ることが出来ません。しかし、その映画をスクリーンの外から見ている人物であれば、いくらでも他の映画の世界を知ることが出来ます。

 

 そして、五次元とは、四次元が集まった次元ということになるそうです。

 

 その場合は、”立体が集まって成り立っている連続した空間(世界)が無数に集まっている”ということになるようです。


    もしかしたら、今、私たちのいる世界を、まるで映画でも見るかのように自由に選べる世界が五次元なのかもしれませんね。

 

 そのように考えれば、六次元とは、五次元が集まった次元となりますが、もうここまでくると私の頭がパンクしそうです。


    一応、この考え方で行くと、六次元とは、五次元の世界が集まっていることから、過去・現在・未来も含めて、いろいろな時間軸の五次元の世界を選ぶことが出来るのだと感じています。


   ちなみに、七次元は、六次元が集まった世界となるので、今度は、”私とは他の私”を含めた世界を選ぶことが出来るのだ。と感じています。


    もしかしたら、六次元と七次元の順番が逆の場合や2つ同時である可能性もあります


    どちらにせよ、それ以上の次元となると、それまでの次元が集まるわけですから、新たなオクターブの世界、あるいは、さらに広大な宇宙となっていくのかもしれませんね。

 

 けっきょく”アセンション”については、”次元”の所でつまずいてしまったので詳しいことはわからないままとなりました。

 

 それでもいろいろと調べていく内に、知識として知ることは出来ましたが、アセンションについてスピリットからのインスピレーションがないままなので、私の管轄外の問題なのかもしれませんね。

 

 今回も、いろいろと教えてもらえたので嬉しかったです。ありがとうございました。


2023年9月29日金曜日

 

 今回は、私の長年の疑問に答えてくれた男性の方の話となります。

 

 実際にこの方にお会いしたことはありませんが、いろいろな話を聞かせてもらって学んでいます。

 

 世の中には、世界をより深く知っている凄い人がいるものなのですね。

 

 ということで今回は、”過去と未来は、今この瞬間に含まれている”ということについてです。

 

 今現在という瞬間に焦点を当てると、”今この瞬間に、過去と未来が含まれている”ということになります。

 

 このことは知識では知っていますが、私の理解が追い付いていないのが現状です。

 

 ところで肝心な私の疑問とは、”私は何度も、未来の自分から助けてもらっている”という感覚があるのはどうしてだろうか?ということについてです。

 

 何故なら、ある時ふと思いついたように、その時の私が過去の私に呼びかけることがあって、そういえば過去のあの時、確かに私はその声を聞いていた。という記憶が蘇ったことが何度かあったからです。

 

 それは守護霊からの導きや良心の声とも違って、”これは自分が自分を導いている”というのが感じられたのです。

 

 それで、”これは一体どういうことであろうか?”と、長年疑問に感じていたわけです。

 

 それでは、これから教わったことを話していきたいと思います。

 

 多くの人は、”過去が現在に影響を与えている”ということについて、否定されることはないと思います。

 

 けれども、”時間は直線的なものだから、過去は変えられない”という思いから、

 

 ”今この瞬間が、過去に影響を与えることが出来る”ということについては、否定される方が多いと思われます。

 

 そこで次のように考えてみて欲しいと思います。

 

 影響を与えたり、影響を受けたり出来るのは、お互いに繋がっているからです。

 

 過去が現在に影響を与えているように、現在も過去に影響を与えることが出来るのです。

 

 その一つに、”癒し”と呼ばれるものがあります。

 

 さらに、”導き”と呼ばれるものもあります。

 

 同じように、現在は未来に影響を与えているように、未来は現在に影響を与えることが出来るのです。

 

 過去と未来が交差するのは、今、この瞬間なのです。

 

 ですから今の私を抜きにして、過去の私が過去を変えたり、未来の私が未来を変えたりすることは出来ないようです。

 

 これは神様に祈っても、どうにか出来るものではないでしょうね。

 

 そもそも過去と呼ばれるものは、過去のある出来事に、”自分の経験から得た記憶の一部に、自分なりのラベルを貼っているものである”と考えられます。

 

 たとえば、どんなに辛くて思い出したくもない嫌な過去であっても、もしも、その時の自分を癒すことが出来るとすれば、その過去の経験は、”自分の成長のために必要な経験であった”と思えるようになるかもしれません。

 

 つまり過去とは、”全てが過ぎ去って、全てが確定されているものである”というわけではないようなのです。

 

 ただし、いくら過去が確定されていないといっても、”自分が自分以外のものになれる”とか、”自分の過ちをなかったことにする”とか、そういうことではないようです。

 

 何故なら、誰もが今を永遠に生きているのであって、今、ここにいる私は、それ以外の存在になることが出来ないからです。

 

 過去の自分の過ちをなかったことにしたいのは、もしかしたら、今の自分が幸せを感じていないからかもしれません。

 

 その場合、私たちに出来ることは、過去に影響を与えること、すなわち、その過去を癒していくことです。

 

 そのような過去を癒していく私とは、過去の私から見れば、当然、未来の私でもあるわけです。

 

 つまり過去の私にとっては、未来の私が今の私を癒しているということになるわけです。

 

 そのようにして、”今の私が過去の私に影響を与え、未来の私が今の私に影響を与えている”ということが、その男性の方の話を聞くことによって、多少なりとも理解することが出来たのです。

 

 そういうことで、未来の私が今の私を、さらに今の私が過去の私を、導いたり癒したりすることが出来るということを信じるようになりました。

 

  もしかしたら、今、幸せを感じている人は、未来の私が今の私を導いたり癒している結果なのかもしれません。


 そのようなことが可能であるとしたら、やはり私たちが大霊の一部だからなのでしょうね。

 

 誰もが神に近づくために必要な力と方法は、一人一人にちゃんと与えられているというのが、とてもありがたいことで凄いことだと思いました。

 

 今回、私の説明だけでは中途半端だったかもしれませんが、世界のことをよくわかっている凄い人もいるもんですね~。ということで、感謝をして終わりたいと思います。


2023年9月23日土曜日

 

 最近、足立、及び、北神戸ぷちサークルのそれぞれのメンバーの方々が、日々、霊性進化のための努力をされていることを実感できて、私はとてもうれしく思っています。

 

 特に北神戸ぷちサークルのナッキーさんとアイさんは、読書会の中で日頃実践していることを紹介してくれているので、私もそれを参考にして実践に役立てています。

 

 一方、足立の方は、会の調和とバランスを保つために、それぞれのメンバーたちで改善のための努力をされていることを知りました。

 

 このような読書会があることは、私にとっても本当にありがたいことです。

 

 そうそう、今回はその話と違うことを言おうと思っていたところでした。

 

 私がインスピレーションやスピリットによるアドバイス、あるいは寝ている時の霊的体験などで、私が”霊的な体感”を伴わないということの意味について誤解していたという話です。

 

 (もっとも、これから話そうとしている話も誤解かもしれませんけど)

 

 それは、私に”霊的な体感による依存をさせないため”であるということらしいです。

 

 私が高校生の時のある日、いつものように就寝し始めたときに、私の前にオレンジ色のとても大きな太陽のようなものが現れて、”私の取り巻く世界がその暖かく優しい太陽に包まれていく”という経験をしたことがあります。

 

 そしてその時、”故郷”という思いが沸き起こり、ずっとそこにいたいと思いました。

 

 また、数年前には、私の胸の辺りの奥底から(音はないけれども)ゴーっとエネルギーが出ていき、それが広がることによって現実世界が作られていくという体感も経験しました。


    他にもあることはあるのですが、霊的な体感を伴う経験はそれほど多くはないですし、あまり思い出したくないものもあります。


  私がそのような体感を伴う経験ばかりをしていくと、やがてそれらの体感に依存してしまい、たとえ私の理性ではおかしいと感じても、それらの感覚で良し悪しを決めてしまう危険に陥ってしまうようです。

 

 さらに、自分の内部よりも、自分の外部の現象にばかり目を向けて、そこに何かしらの問題の解決や幸せ、愛などを求めてしまうと、従来の宗教が歩んできたような道(神と人との分離や争い)を私たちも歩んでしまうのではないかと思われます。

 

 中には、”他人を変えることで、世界を良くしていく”という考えもあるのでしょうけど、変えられるのは他人ではなく自分であることから、他人を変えることで世界を変えて行くよりも、自分を変えることによって世界を変えて行く方のが良いと感じています。


    神頼みの多くは、”自分を変えたくないから、この現実を変えて欲しい”という願いが込められているような気がします。

 

 それから、これは良い波動とか、悪い波動だとかという感覚は私にもあるのですが、それは、私にとっての感覚ですので、それがそのまま他の人に当てはまるかと言えば、各自の霊性によって変わってくるものだと思っています。

 

 話がまったくまとまらないのですが、私の今の課題は、”世界を愛する”というものです。

 

 言葉的には、”宇宙”ではなく、”この世界を愛する”という課題です。

 

 これは私の中での話ですが、私が日頃努力をしていても、”他人の自由意志を必ずしも尊重できているわけではない”のは、一人一人の魂の違いを受け入れきれないという理由もありますが、そもそも”この世界をあまり信用していないし、それほど愛してはいない”ということのほうが大きな理由であることに気が付きました。

 

 何故ならこの地上世界を、霊的成長のための仮の住処であると位置づけているので、”本来の故郷と比べて劣っている世界である”との認識を強く持ってしまったからだと思います。

 

 たぶんスピリットからすれば、霊的に目覚めていない人に対しては、この地上世界は”私たちの成長のための仮の住処である”ことを知ってもらいたいと思うのでしょけど、霊的に目覚めた人に対しては、この地上世界は”私たちの成長のためにとても重要で大切な世界である”ことを、今一度自覚してもらいたいのではないかと感じています。

 

 今回も、グダグダ述べてしまいましたが、私はこの世界をまずは信頼して愛していこうと決めたところです。


    最後に、最近、自分は大霊と共にあると思えてきたのですが、なんだか自分までが”ちっちゃな大霊”だと感じてくるようになりました。とても不思議なことです。

 

 以上となります。


2023年9月7日木曜日

 

 今回は、自分との対話のメモですので、文章が変でしたらすみません。

 

 愛と依存を混同しないこと。

 

 愛は与えていくし、相手をそのまま受け入れていくことが出来るようです。

 

 依存的な愛は、その反対のことを求めていくようです。

 

 何かしらの見返りを必要とする愛は、主に男女の関係に見られますが、他にも神と人間との関係にも当てはまって、”神から見て良い子だと神に愛されるし、天国に行ける”というのがあります。

     逆に”救われたいから、神の言うことを聞く”という関係とも言えます。

    この場合、神にも人にも下心が存在していて、お互い分離されているように思えます。

    それは、”神というよりは親でしょう”とツッコミを入れてみます。

 

 個人的には、たぶんナザレのイエスだったら、神と人間との関係については、”あなたは神の子です。だから、あなたが神なのです。”と言うと思っています。


    それは、”神の一部、あるいは、神の子とは、顕現されている神である”という理由からです。

 

 ですから、天国に行くか行かないかを決めるのは、他でもない”神である自分自身”であるはずです。という話を私は信じきれていないし、忘れがちです。


    そもそも天国ってなんでしょうね。私にはわかりません。   


 ”AさんとBさんのどちらの味方をするのか?”と問われた時、私の場合、片一方だけを尊重し、AさんとBさんの両方を尊重することを忘れがちです。

 

 それと、表面的なことで、人や物事を判断しがちなのも私ですね。

 

 今までは、AさんかBさんかのどちらかを選んで、良いと思う方を支持し、悪いと思う方を変えようとしてきました。

 

 これだと、善悪で人を選別して、けっきょくは”神に従うものは天国に行って、従わないものは地獄に落ちる”という構図と変わらないような気がします。

 

 そこに、相手への尊重とお互いの成長ということを忘れないようにすれば、話は変わってくると思いました。

 

 ところで、”自由意志は悪なのか?自由意志を認めない方が悪なのか?もしも自由意志が悪ならば、自由意志を与えた存在も悪となるのではないのか?それは、愛というものをより深く学ぶために必要なのか?”


    逆に、自由意志が存在せずに、意識だけがあるとしたら、私は幸せなのであろうか?  

 

 日頃、このようなことを考えている私は、変だと思います。

 

 だけど、”どうすれば、みなさんが幸せになれるかな~”と少しずつ考えられるようになったのは、良い方向に向かっていると思います。

 

 今回は、これで終えようと思います。

 


2023年9月4日月曜日

 

 今日、ある人からアドバイスをいただいたのですが、今となってその言葉が胸に響いてきました。

 

 シルバーバーチ読書会を私が開催していることもあって、私の職場や周囲の人たちと比べれば、霊的能力者やヒーラーと呼ばれる方たちとの関わり合いは、はるかに大きいと思っています。

 

 けれども、どんなに相手の方に素晴らしい霊的能力があったとしても、その方とある程度の距離感を保ちつつ、客観的にみることが大切であるとのことでした。

 

 さらに付き合いも深く、日頃から信頼している相手であれば、私も無条件に相手の話を鵜呑みにしてしまうことがあると思われますし、誰もが注意しないとそうなってしまう可能性があると思います。

 

 と言うよりも、私は”一度は受け入れてから考える”タイプですので、今回、そのようなアドバイスを受けたのだと思います。

 

 今はですが、霊視などの能力に対する私の態度は、”その人の視点から、その人の視力(能力)に応じた見え方をしている”ということが前提としてあります。

      そのため”霊視とは、みんなそれぞれ違って見えるものなのでしょう。”という認識です。

     同じ一枚の絵を、それぞれの人が言葉で説明しているところを想像してみれば、よりイメージがわいてくると思います。

 

 何故、そのような認識を持っているのかと言うと、以下のような経験が影響しています。

 

 私も過去を遡ると、個人的に信頼していた”霊能力者”と呼ばれた人が数人いました。が、そのうち、その人たちの人間的な問題点や我欲などが見えてくるようになってからは、その人の霊的能力も信じることが出来なくなって離れていった経験があります。

 

      そのように同じ人であっても、その時の人間性によって、霊視の結果や話すことなどが怪しくなっていくのを間近で見てきました。

 

 しかも今となっては、”あんな胡散臭い人たちを、どうして信用してきたのだろうか?”とさえ、感じています。

 

 そうは言っても、私自身が一番に胡散臭いのではないのか?と思ったりしています。

 

  (このようなことを書いている私ですが、いくら霊能力者を信頼していたと言っても、結局は、霊的能力を目当てにしていただけで、その人自身を信頼していたわけではなかったのかもしれません。)

 

 それはそうと、今日のアドバイスにあったのですが、私の場合、霊能力を開発したりするよりも、直観に磨きをかけた方が良いみたいですね。

 

 私もそうだと思いました。

 

 何はともあれ、私が他の方のガイドやスピリット、あるいは、霊的能力者などを通じて聞いたり学んだりしたことを、読書会のみなさんに話すことがあるので、今回、このようなことを書かせていただきました。

 

 ぜひ、みなさんも私が受けたアドバイスを参考にし、特に霊的なことに関しては、感情的にならずにニュートラルの状態で、みなさんそれぞれ理性的に考えてもらいたいと思っています。

 

 そのことは、もちろん、今まで私がここで書いてきたことも含まれます。


2023年8月22日火曜日

 

 今回、北神戸ぷちサークルのメンバーと直接交流するために、私は足立のオンライン読書会の日を変更して、8月20日日曜日の朝早く、新幹線に乗って神戸へ行きました。

 

 こういうのを、オフ会(オフラインの会合・集まり)と言うみたいですね。

 

 有難いことに、昼間はメンバーのお二人の方に神戸をいろいろ案内して頂きました。

 

 車で六甲山に連れていってもらった後、みなさんの行きつけのイタリアンのお店でランチをしました。

 

 その後、有馬温泉を散策して滝を見てから”金の湯”に入りました。

 

 (ちなみに滝の写真を撮ってみたところ、いろんなスピリットの方たちが写っているようでして、人によっては、キャーとなるかもしれません。が、現実の世界を考えたら、あの人は低級、この人は悪、そっちの人は未熟だとか、いちいち一人一人にレッテルを貼っていくのはどうかな~と思ったりします。)

 

 夜は大阪に移動して、昼間、用事のあった”ちりりんさん”たちと待ち合わせをして、みなさんと食事をしました。

 

 翌日は、大阪の”あべのハルカス”へ行き、ハルカス300(展望台)から大阪の街並みや他の県の景色を眺めました。地上から300メートルの高さなのですが、トンボが飛んでいました。

 

 今回、新大阪のホテルに泊まったのですが、新大阪に来るのは今回で二度目となります。今から十年以上前となりますが、その時は労働組合の関係で行ったので観光は出来ませんでした。

 

 一人旅でもダブルベッドの部屋でオッケーでしたので、とても快適に過ごせました。

 

  北神戸ぷちサークルのみなさんとは、今までシルバーバーチとホワイトイーグルの本を通じて、オンラインで一緒に学んできましたが、実際にみなさんとお会いしてみると、より一段と素晴らしい人たちであることがわかりました。

 

 みなさんとても親切ですし、しかも何を聞いても話しても楽しかったので、また機会をみて神戸と大阪に行こうと思えました。

 

 ここからは、せっかくですので読書会らしい話をさせていただきます。

 

 みなさんとの話の中で、いろいろ興味深い話もありました。

 

 今回は、その中の一部を紹介したいと思います。

 

 アイさんとアイさんのガイドを通じて学んだこととして、

 

 物質は素粒子で出来ていて、その素粒子は、”ひも”であり、そのひもには開いたひも(三次元)と閉じたひも(高次元)があります。

 

 さらにその開いたひもは、三次元のブレーン(と呼ばれる膜)にくっつくみたいです。

 

 ここまでの話は、少しでも超ひも理論をかじった方はご存じだと思いますが、その”開いたひも”には、思念をのせることが可能だということでした。

 

 例えばここで、自分がネガティブな思念を持った場合を考えたいと思います。

    そのネガティブな思いが”ひも”にのっかることで、ネガティブな性質を帯びた”ひも”となり、自分のブレーンにくっついてしまうようです。

 

 自分では気づかない内に、まるで”ひっつきむし・くっつきむし”(とげとげのついた植物の種子)が、いつの間にか衣服にくっついてしまっているかのようです。

 

 個人差はあると思いますが、もしも少量であれば”ひっつきむし”のように、さほど気にならなくても、それが全身に大量についてしまえば、日常生活にも支障をきたしてしまうと思われます。

 

 つまり、ひもの振動状態が私たちの思念によって左右され、さらにその”ひも”が、ひっつきむしのようにそれぞれのブレーンにくっついていくのだとすれば、日頃私たちが抱く思念は、とても大切で重要なものであるこということになります。

 

 ですから自分が抱く思念について、一度立ち止まって考えてもらいたいのです。

 

 ここで話を変えて、最近危惧されていることについて話したいと思います。

 

    それは、シルバーバーチの霊訓がどんなに良いものだとしても、私たちは大霊の一部であって、シルバーバーチや他の存在の一部ではないということです。

 

 シルバーバーチの霊訓は私たちにとっての教科書であって、私たちの一部になり得たとしても、それが全てではないのです。

 

 私はこのことを、スピリットたちから、また、アイさんやアイさんのガイドを通して伝えられてきました。

 

 もしも自分で考えるのを止め、自分が抱く思念さえも、他人(それがシルバーバーチやイエスであっても)任せにするのなら、私にとってそのことは、肉体の死後に行く世界までも他人任せとし、自分の魂に対する責任を放棄しているように感じるのです。

 

 信じることと依存することとは違うと思います。信じるということに何らかの欲や見返りが一定以上含まれてしまうと、依存になっていくのだと思います。

 

 上手く伝えられないのですが、もしも大霊が大霊自身のことを、他の存在に依存したとしたらおかしいと感じますし、大霊が私たち人間や他の存在などに、何らかの欲や見返りを求めてしまうこともおかしく感じます。

 

 まるで大霊が、「私はそれなしでは完全ではありません」と言っているようなものです。たとえそれが大霊の一部であったとしても、通じることではないでしょうか。

 

 それでも、もしもそういう経験を求めている方がいるのでしたら、私はそれに対して否定しようとは思っていません。

 

 何故なら、かつての私自身がそうだったのですからね。今回は以上となります。


2023年7月29日土曜日

 

 昨日、アイさんのガイドからアドバイスを聞いて感じたことは、そのガイドが発するエネルギーがより軽やかで洗練されているということでした。

 

 そのエネルギーに意識を向けたことで、私の成長の足止めになっているのは、やはり”ジャッジ癖”であることがより明確になりました。

 

 そのジャッジ癖と呼んでいる”自分と他人を善悪で裁く癖”は、良くも悪くも自分の中の正義心から出てきたものなので、それが自分の成長の足かせになっているとは考えてきませんでした。

 

 そういえば、まだ実家に住んでいた頃、「お兄ちゃんは厳しすぎるのよ」と、母に注意されたことがありましたし、厳しく批判することで、人を傷つけてしまったこともありました。

 

 ただ、そんな私でも、過去の出来事にいつまでもこだわって執着し続けるのは、自分をそこに留まらせることになるのはわかっていました。

 さらに最近では、私が今まで培ってきた地上での価値観は、霊の世界ではガラクタ同然なのではないのか?と感じるようにもなっていました。

 

 どうしてなのかと言いますと、「そもそも私たちが大霊の一部であるのなら、そこに良し悪しというものがあるのだろうか?

 たしかに、人間として顕現されている部分には良し悪しがあるとしても、大霊の一部である私たちとして霊的に見れば、そこに良し悪しなど存在しないのではないだろうか?」と感じるようになっていました。

 

 一晩明けていろいろと考えてみると、「どんな出来事も(だいたいが辛かったり嫌な経験ばかりですが)、私の成長のために起きているんだな~。」と思いました。

 

 そう思えたら、私は世界一とは言わないけど、地上だけではなく、霊の世界の人たちからも気にかけてもらえて、なんだか幸せ者だな~。と思えてきます。

 

 それと、今まで嫌だったり恥ずかしかったりして、記憶から消してしまいたいという過去の出来事も、その出来事を通じて、互いに学んで成長するためにあったのだと思えるようになりました。

 

 今までの「私があの時、ひどい態度を取ったからあなたを傷つけてしまった。私はなんて傲慢で愚かだったのだろう。」と、後悔する思いから、

 「あの出来事があったから、それぞれ新たな道を歩むことが出来たし、今、私は成長したいと思えている。」というように変わってきました。

 

 そして何よりも、気付いたら、相手の幸せを素直に願えるようになってきたことが一番良かったです。

 

 以上で終わります。


2023年7月17日月曜日

 

 7月のオンライン読書会の報告は、時間に余裕が出来たら行いたいと思います。

 

 正直な話、少ない休みなのに予定がいろいろとあって、その用事もこなしたいけど、読書もしたい、動画も見たい、温泉も行きたい、でも今は、ゲームをやりたいです。


2023年7月3日月曜日

 

 たまには、私がどのような休日を過ごしているのかを紹介しながら、読書会の報告などもしてみたいと思います。

 

 今日は仕事を休みにしてもらって、前から予定していた用事をすませようと思っていました。が、先方の体調がすぐれなかったこともあって用事を延期し、急遽、朝4時に起床して高尾山へ山登りに行きました。

 

 高尾山には年に一度は行っているので、ちょっと遠い散歩みたいな感覚です。疲れますけど…。

 

 朝、7時28分から登り始め、8時34分に頂上についているので、ちょっとペースが速すぎたかもしれませんね。その後、二年ぶりにケーブルカーを利用して下山し、そのまま駅の隣にある京王高尾山温泉に入りました。

 

 今回は早めに帰って、電車の中で読書をしたり眠ったりしました。

 

 家についてからは、テレビゲームをやったり、今こうしてパソコンに向かったり、読書会の会場の予約をしたり、メール相談の返事をどうしようか考えたり、ヒーリングの依頼をいつやろうか?とか考えています。

 

 いつもの休日は、朝、瞑想してから近所の散歩や読書、または、近くに住む母の面倒を見たりなどしています。

 

 私の好きなことが温泉に行くことですので、月に二回ほどは自転車で行ける距離の温泉やサウナなどに行って、予算千円以内で行って帰ってきます。

 

 こんな感じですので、一人で行動することが多いです。

 

 本当は私のことはどうでも良かったのかもしれませんが、今月も読書会でシルバーバーチの霊訓をみなさんと学ぶのは楽しかったのですが、読書会の報告に限っては、今回、気が進まなかったのです。

 

 理由としては、シルバーバーチの霊訓をみなさんと学んできて、私も感じていることですが、「本に書かれている一部の内容が、今の時代に合っていないのではないでしょうか?」と言う疑問の声が出されるようになったからです。

 

 今回のシルバーバーチの霊訓(三)の十章は、”前世・現世・来世”というテーマになっていますが、「この章を読んで、前世や来世のことを理解できるのでしょうか?」と聞かれれば、「私はそう思いません」と答えるしかありません。

 

 要因はいろいろあると思われますが、編集する人によっても違うでしょうし、英語から日本語に訳す過程で伝わり方が微妙に違ってしまうことやその時の時代背景、さらに、日本人とは違う西洋的な視点の持ち方なども考慮に入れた方が良いと思っています。

 次の部分は参加者の方から疑問の声が出された部分です。163ページ8行目、

 「米国は人種の問題、国籍の問題、宗教の問題を解決してきました。黒人問題もほぼ解決しました。」

 そのように言い切ってしまって良いのでしょうか?と感じられたそうです。

 

 まぁ、私もそう思いましたが、そもそも私たちはシルバーバーチ本人から直接話を聞いたわけではないですし、そもそもシルバーバーチは、受け入れられない所は受け入れなくて良いと言っているのですから、問題はないのでしょうね。

 

 ここで私が何を言いたかったかと言うと、シルバーバーチは神界の存在で、しかも神庁やイエスという言葉も出されていることから、もしもそれを利用し、自分と重ね合わせて地位や権威を得ようする人は、ここで指摘されたことは見て見ぬふりをするのかもしれない。と感じたということです。

 

 これは依存的な例ですが、シルバーバーチの権威や地位を落とすことは、自分の価値が落ちることに等しい。と感じる人もいるようです。

 

 決してそんなことはないと思いますし、やっぱり私がみなさんと学んでいく本は、シルバーバーチの霊訓が一番良いと思っています。

 

 今回は、こんな感じの報告ですが、以上となります。