2023年5月28日日曜日
私が聞いた、三位一体の話です。
愛についての話となりますが、前に紹介した神を頂点としてそれぞれ両極に広がった三角形の図は、三位一体を図に表したもので、それは愛の仕組みを顕したものであるようです。
今回、私の話はこれだけです。
他の方が宇宙的存在から聞いた話によると、神と光と闇の三位一体が愛(言葉では、そのように表現するしかないそうです)となるそうです。
そして、今までの地球人類が、“光と闇は争い傷つけ合うもの”という概念しか抱けなかったとしても、その経験によって成長することで、“光と闇は和解し癒し合うもの”という概念を抱く方向へと変わっていくようです。
愛について考えるとこのようになるみたいですが、愛と光と闇の三位一体を神と表現しても違和感はないと思います。
次に次元について考えてみると、
三元性とは、光と闇と愛による三角形で表現されている世界であり、四元性とは、光と闇と束の間の愛と永遠の愛による十字架で表現されている世界であるということです。
前にホワイトイーグル読書会でも述べたことのある〇に十字架の図は、五元性を表していて、光と闇と束の間の愛と永遠の愛である十字架と、さらにそれら全てを包む救済の神を円として表現されている世界のようです。
アイさんによる〇に十字架の説明では、十字架がクルクル回転しているということですから、それは成長・進化、つまり生命のサイクル(光と闇、地上と霊界による愛の表現)を表していると思われます。
けっきょく細かいことは、私にはよくわからないのですけど……。
その方の話を聞いていて、私なりに感じたことは、その前に二元性の世界があり、どうやらそれは光と闇による世界で、おそらく光と闇の戦いの世界であると思われます。
そこから成長することで、そこに愛が加わり、しかも、その愛には自分への愛と隣人への愛があることや束の間の愛と永遠の愛があること、そして、そこには神が存在していることを理解していきます。それは進化であり、次元が上昇していくことだと感じられます。
でも、その二元性の世界の前は、当然、一元性の世界ということになると思われますが、それを何と呼ぶのかは、人それぞれだと思われます。
最後に、私は人間というものを、それぞれの人がそれぞれの宇宙を有している存在だと見ているので、他の人の話を聞いていると、その人の中には、また私とは別の宇宙があって、とても面白いな~と感じています。
今回は、以上となります。
2023年5月27日土曜日
今後のオンライン読書会は、諸事情が重なり、しばらくの間お休みすることになりました。
そして、再開することになった場合でも、今の所は『クローズド・ミーティング』の形式をとって、今までの参加者のみで行う予定です。
オンライン読書会は、ここ以外にも”ちりりんさんの北神戸ぷちサークル”があります。
私も参加させてもらっています。
興味のある方は、一度、そちらに参加してみて下さい。
2023年5月24日水曜日
最近、気付いたことです。
物語の中の「俊哉さんと夢の中の女性」に出てくる巨大な病院は、どこにも窓らしい窓が存在していなかったことから、巨大な宇宙船の中だったのではないかと感じています。
さらにそこに出てきた、異なったエネルギーに満ちた髪の長い女性は、宇宙から来た人だと感じています。
一年前までの私は、地球外の宇宙の人たちに不信感を抱いていたので、その可能性を否定していたのですが……。
なんか不思議ですね。
2023年5月21日
今後のオンライン読書会のお知らせです。
本来でしたら、6月18日(日)に、オンライン読書会を予定していましたが、いろいろな諸事情が重なり、Zoomでの読書会を続けられるかどうか、ミーティング主催者の方と検討することになりました。
今後のオンライン読書会は、未定となります。
2023年5月19日金曜日
今、霊的な世界から私に求められているのは、量子論を学ぶことだそうです。
量子論への理解が深まることで、今までの霊的な学びやインスピレーションが、私の中の空想ではないことを自分自身が理解していくのだそうです。
量子論で、覚えておきたいことは、大きなもので二つあるそうで、一つは、ミクロな世界では、物質が波と粒子の二面性をあわせ持つこと。一つは、ミクロな世界では、”状態の重ね合わせ”と呼ばれるものがあって、一つの物が複数の場所に同時に存在すること。だそうです。
そして、いつかは霊の世界と物質の世界との繋がりを、誰もが理解する時がやってくるのだそうですが、そのための道が必要だと伝えられています。その道が出来るまでがとても大切なようです。
そのために、私も少しは役に立てるように頑張りたいと思っています。
2023年5月19日金曜日
私の子供の頃からの疑問に、「何故、私は生まれてきたのだろうか?」というのがあります。
その答えを見つけようとしていく過程で、「本当に、神は存在するのか?」という疑問も出てきました。
小学生の頃、生きるのが辛くて、「悪は巨大だ、神の力は届かない。善は悪に勝てない。善霊は悪霊に勝てない。」と、とてもネガティブな思いに支配され、空に向かって悲痛な声なき叫びをあげていたからだと思います。
しかも、「神はいつ生まれたのであろうか?」というように、新たな疑問が湧き出てきて、それが私を非常に苦しめることになりました。
神の存在を信じている人たちの意見を聞いてわかったことは、「神は、永遠で無限の存在である。」ということでした。
つまり、「神は、生まれることも死ぬこともない存在なので、始まりもなければ終わりもない。」ということでした。
それに対して、「申し訳ないけど、それが理解できないのです。」と、私は思いました。
「有限の存在が、無限の存在を理解できるわけがない。」と言われれば、それまでなのですが、
それならば、「本当に、私たちは神の子、あるいは、神の一部なのであろうか?」という疑問があります。
だって、「もしも、私たちが神の一部であるならば、私たちも永遠で無限の存在ではないのですか?」と。
そのようなやり取りを重ねて、私に対して出された答えがあります。
それは、今の私に合わせた答えであって、今後、私が成長すれば、また違った答えが与えられるかもしれません。
一つの思いの塊として答えを受け取っているので、それらを言葉にしていきたいと思います。
「一つのものが、この地上では、プラスとマイナスなどのように、対(ペア)という形をとって表現されているので、それによって私たちは、一つのものをより深く理解することが出来ます。」
(※”一つのもの”とは、創造主や根源と受け取ってもらえると良いと思います。)
「あなたは、有限と無限という概念を理解されるようになりました。それらの概念も対(ペア)なのです。」
「”ある”ということと、”ない”ということは、対(ペア)であり、それらを別々に理解しようとすることは、”一つのもの”の一側面のみを理解しようとすることであり、答えが永遠に見つからないことになります。」
「あなたは、神が自分の外にいると思って探し続けるうちに、神が自分の中にいることがわかりました。私たちは個々バラバラだと思っていたら、私たちは一つであることを見つけ出しました。あなたの中で、無限と有限、無と有とを統合することが出来るならば、きっと、あなたはあなたが求める答えにたどり着くことでしょう。」
簡単に要約するとこのようになりました。
そもそも、「神はいつ生まれたのであろうか?」という疑問が生じたのは、私が当たり前のように神を人格化しているからでした。
おそらく、地球人類の一人として生まれ、そこで成長していくと、”一つのもの”を、人格のある神として理解していくようになるみたいです。
神と悪魔という概念も、やはり、一つのものの対であり、神という人格神も、やはり、一つのものの一部でしかないのだと思いました。
(※繰り返しますが、これは私に合わせて出された答えですので、万人向けに出された答えではありません。)
けっきょくのところ、”一つのもの”って、何なのでしょうね?
私の場合、「そこには愛があった。それは、無限であった。」とする方が、バランスが取れるようです。
ともあれ、私とは、“不思議な存在である“ということで、今は落ち着こうと思っています。
2023年5月11日木曜日
ハワード&コニー・メンジャー著「天使的宇宙人とのコンタクト」の中に書かれている文章の一部を紹介したいと思います。
「私たちは誰もが内に宿る無限なる創造主からほとばしり出ている輝く生命であって、その光が個人個人によって色分けされていることなど決してないのだ。肌に隠されている魂はいつも澄みきっていて、自然の法則に従って肉体を通して自らを顕しているのであり、その外殻の色は関係ないのである。発達度合いは人それぞれであっても、誰かが他よりも優れているとか劣っているなどという区別は何もないのだ。私たち一人一人がかけがえのない存在であるのは、その肌色や宗教的信条によるものではなく、お互いを慈しみ合い、手を差し延べ合うことができるからである。」
「私たちの教会は子供たちに対して、良い子にしていなければ神様が罰を与えると教えている。これが私の思うところの無知なる愚かさの表れなのだ。神は誰も罰したりはしない!私たちの身に起こることは全て、私たち自身がもたらすことなのだ。神は全人類であり、全物質であり、この無限の宇宙に遍在する存在である。人間の体とは、この限られた3次元世界に投影された、ごく微小な物理的な表現に過ぎないのだ。」
時は少し前に戻りますが、私が驚いたことは、「霊的知識、あるいは、霊的真理と呼ばれているものは、必ずしも、高級霊と呼ばれている存在だけではなく、宇宙的存在(地球外の人々)が伝えている場合もある。」ことです。
さらに、私の無知から、「地球外の人々(宇宙的存在)には、”名前”が存在しない場合がある。」ということを知らなかったために、「何で名前が無いのだろうか?」あるいは、「何で好きな名前で呼んで良いのだろうか?」と疑問に思ったことがあります。
そもそもコミュニケーションの方法が、言葉を使用しない場合もあるそうなので、地球人の常識は、地球外では通用しない場合もあるようですね。
とは言え、シルバーバーチの霊訓で語られている「私たちは大霊の一部です。私たちは兄弟姉妹です。」というのは、宇宙共通の認識であるようです。
それと、「発達度合いは人それぞれであっても、誰かが他よりも優れているとか劣っているなどという区別は何もないのだ。」ということを、地球外の天使的な存在から伝えられると、私でも「あぁ、そうかな~」なんて思えてきます。
やはり私が、霊的な成長で人の優劣を判断してしまうのは、まだまだ愛が育っていなかったり、生命や魂についての理解が進んでいないためだと感じました。
そして、何よりも、「お互いを慈しみ合い、手を差し延べ合うことができるから、私たち一人一人がこのうえなく大切な存在なのです。」と言えるのは、とても素晴らしいことだと思います。
とにかく、この本を読み始めて、宇宙にはいろんな人がいて、それが、とても素敵な人たちだったりするのが伝わってきました。
今回は、これで終わります。
2023年5月4日木曜日
今日、久しぶりに友人(同級生)たちと会って、過去に目撃したUFOのことを聞きました。
友人の話では、今まで一番びっくりしたのは、やはり三十年くらい前になりますが、環八通りで目撃したUFOだったそうです。
そのUFOは、銀色の卵型で、突然、空の裂け目から顔を出して、そして右から左へとわずかに移動し、再び空の裂け目へと入って消えたそうです。
もしかしたら、UFOがポータル(次元の扉・ディメンションドア)を通るところを、友人は目撃したのではないかと感じています。
それがあまりにもはっきりと見えたそうなので、今まで荒川土手の江北橋付近から見てきた”くるくる回る三連型の光”とは、まったく違っていたそうです。
最後に、彼は重度の蓄膿症で鼻すじの上の辺りが少し膨らんでいるのですが、じつは、宇宙人の通信用チップが仕込まれているんじゃないの?という、笑い話で終わりました。
2023年5月3日水曜日
昨夜に録画した、テレビ東京の『㊙宇宙人&戦慄事件SP』という番組を、先ほど見てみました。
その中で、白い繭(マユ)型のUFO(未確認飛行物体)のエピソードが紹介されていました。
そのUFOは、通常では考えられないスピードで動いていたそうですが、それは、私が目撃したUFOに似ていると思いました。
最近、私が宇宙や宇宙人のことを話すようになったのは、たぶん、それらのことを扱う時期がきたからだと感じています。
最初に私がUFOや宇宙人のことを意識したのは、たしか、小学生の頃だと思います。
その頃の私は、狭いアパートの一室の窓際で寝起きをしていたのですが、しばらくの期間、UFO(宇宙人)に見つからないように、窓から死角になるようにして寝ていました。(今考えると、隠れているつもりなだけで、まったく無駄なんですけど、宇宙人とかくれんぼをしている感覚でした。)
私が白い繭型のUFOを目撃したのは、今から30年ほど前のことです。まだ、私が結婚する前だったと記憶しています。
ちょうどその時は、良く晴れた休日の昼間で、友人の家に向かっている途中でした。
(ちなみにその友人は、普段からUFOを何度も目撃しているので、私が「今、UFOを見たよ」と言っても、彼にとっては普通のことでした。そのため、UFOを目撃することは、誰もがよくあることなのだと思いました。むしろ私は、そういう体験が乏しい人間だと思うようになりました。さすがに霊を見るのは、普通ではないと認識していましたが…。)
今でも不思議なのですが、白い繭型のUFOは、最初、近くの家の上を、まるで翼のない白い鳩が飛んでいるように見えました。
近くなのに、遠くにあるようにも見えて、遠近感がはっきりしない感じでした。
そして、数秒後、家の近くを右から左に飛んでいた白い繭は、音もなくブレもなく、いつの間にか、左上方、遥か彼方の空にいました。
そこで私は、「もしも、あなたがUFOと呼ばれる存在なのでしたら、それを証明して下さい。」と、心の中で伝えました。
その時、言葉としての返事はなかったのですが、「わかった(了解)」という(希薄な……空間?からの)テレパシーを感じました。(それは、テレパシーというよりは、「(相手のそれが)わかる」という感じです。)
すると、その白い繭は、青空の中、上下・左右・ジグザグに、左の空の端から右の空の端へと移動しました。
まるで、私が空を指先でなぞったかのように動いてくれました。
あまりにも凄すぎて、私は「これは現実なのだろうか?」と、あっけに取られてしまいました。
そして、「これで君も信じるよ」というテレパシーが来て、
その白い繭の光は、一直線に空の奥の彼方へと、一瞬の間に移動して消えていきました。
UFOの異常なスピードも凄かったのですが、遠く離れて、白い繭が針の先のような大きさになっても、はっきりと白い光が見え続け、最後に、「すごいだろ」というような笑みを含んだテレパシーとともに消えてしまいました。(一番凄いのは、意志の疎通が出来たことなんですよね…。)
場面は変わって、その数年後、結婚をして団地の4階に住むようになり、時々、家の中から夜空を眺めるようになりました。
ある日、夜空の中に「赤い光」が見え、それがずっと見え続けるので不思議に思いました。
その時は、私の目の錯覚かと思ったのですが、その後しばらくして、再び赤い光を目撃したので、今度は夫婦そろって確認し、その映像を8ミリに録画して記録しました。
最近改めて、その赤い光について、インターネットでいろいろと調べたのですが、私が見た赤い光は、他の人とは違うようでした。
私は、この赤い光に対して、どことなくネガティブな感覚を持っています。それに比べて、白い繭型のUFOに対しては、とてもポジティブな感覚で親しみを抱いています。
ただ、20年前の引っ越しの時に、8ミリのビデオカメラと一部のビデオフィルムを紛失してしまいました。きっと、盗まれてしまったのだと思いますが、残念ながら、その赤い光を記録したフィルムも一緒に紛失してしまいました。
今まで、そのような体験をしてきた私なのですが、少し前まで、私には宇宙人アレルギーがあったようで、なるべく関わりたくないと思っていました。
それが最近、地球以外にも、(善も悪も含めて)兄弟姉妹がいることを受け入れられるようになりました。
それを受け入れるにあたって、私は凄い衝撃を受けてしまいました。
それは、今までの三次元的な思考判断、つまり、見た目の判断からの卒業を意味していたようです。
そして、宇宙の兄弟姉妹の一員として、地球人類を見るようになったことの現れでもありました。
今回は、私が実際に経験したことですが、宇宙人アレルギーでなかったら、本当はもっといろいろと経験したかったな~と思っています。
以上となります。
2023年4月30日日曜日
ホワイトイーグル読書会の報告を考えていたら、「そもそも、カルマって、何だろう?」という疑問が湧きました。
辞書とかで調べると、「カルマとは、業という一言で表されていたり、過去(世)での行為は、良い行為にせよ、悪い行為にせよ、いずれ必ず自分に帰ってくる。という因果応報の法則」と説明されています。
それでも私は、「なんでカルマがあるの?」と疑問に思いました。
そうしたら、なぜか「重力」というワード(言葉)が届きました。
(※重力ではなく、引き寄せ合う力の引力ではないでしょうか?と、何度か問い合わせたのですが、引力ではなく重力だとの答えがきました。私がオカシイだけかもしれません。)
それらは、次元を超えて働くようですが、さらに新たなワードが届きました。
「自由意志」
私には今のところ、これらワードの意味について説明することが出来ませんが、「自由意志」には(制限があるようですが)、物理法則を超え、さらには、カルマや重力さえも超えることの出来る力が秘められているのだと感じました。
「私を私たらしめるもの」
よくわかりませんが、とにかく、人間って、本当はとても偉大な存在なんだな~。と思いました。
いつものように、私の勝手な妄想が含まれていますので、ご了承ください。
2023年4月27日木曜日
今朝、私が目覚める前の、半分寝ている状態の時に、私は見えない誰かと話し合っていたようです。
そして、「生まれた目的は、餃子のタレを作ることです。」という結論になって目が覚めました。
「醤油・酢・ラー油(あるいは、その他)で、それぞれの人が自分なりの餃子のタレを作ることが、人生の目的なのだ。」というようなことを話してました。
たぶん、それって、4月23日に書いた「それら全ての経験が、私たち一人一人の虹色の光に、さらに多くの色と輝きと深みを与えていきます。そして、その虹色の全ての光を統合し、より大きく強く輝く白色光へとなることで、私たちは、より深く大きな愛の存在へと変容していくことでしょう。」という文章に関わることだと感じました。
どうやら私は、霊的な知識を難しく考えすぎる所があるので、そのような話になったそうです。
でも、「餃子のタレ」という発想は、私より人間臭いと、正直思いました。
まぁ、このような生活が私にはあります。みなさんも、たぶん、そのような出来事を覚えていないだけだと思います。
こっち(地上)の世界は肉体も精神も大変なのに、全てが重くて鈍くて退屈だから、「あ~あ、またこっちに来ちゃったよ。」と、思う時があります。
(お願いですから、話半分で聞いてくださいね。)
以上となります。
2023年4月23日日曜日
最近、ある女性が書かれた本を読んで、私はとても感銘を受けたのですが、それと同時にとても考えさせられました。
その本の中で作者は、自らの過去世を紹介しながら、そこで経験し学んできた様々な思いや愛について語られています。
そこで語られていたことは、「光り輝く高次の存在と呼ばれている存在は、誰よりもたくさんの失敗と後悔を繰り返してきた。」ということでした。
こちらの地上世界では、出来る限り失敗と後悔をしないことが良いことだと思われているので、失敗と後悔を繰り返している人は、反対に、残念な人だと思われてしまうのではないでしょうか。
でも、人より多くの失敗と後悔を繰り返してきたということは、それだけ数々の試練をのりこえてきた証でもあるのだと思います。
以前のお知らせの中で、「白色光には、虹色のグラデーションとなる、それら全ての波長が含まれている」と紹介したことがありますが、さらに強く輝く白色光になるためには、その白色光の元となる虹色のグラデーションを構成する一つ一つの光が、さらに強く深みを増して輝く必要があります。
つまり、光り輝く高次の存在とは、その光を構成する虹色の一つ一つの光が、それぞれとても輝いている存在であると言えます。
その虹色の一つ一つの輝きは、私たちが人生の中でのりこえてきた、一つ一つの失敗や後悔であり、私たちの一つ一つの過去世の経験であるとも言えます。
もしかしたら、私たちが人生で苦難を経験し、それをのりこえることが必要なのは、もともと一つだった私たちが、今まで以上により光輝く存在となって、再びみんなと一つになるために、お互いに約束したからかもしれません。
そして、その光とは、きっと愛のことだと思います。
今まで私が接してきた、ある正義感の強い人を例に出すと、「善は光で、悪は闇であり、神は善で光の存在であるから、私たちは悪と闇を否定し、排除していかなければならない。」というような考えが強い人がいました。そして、神の正義を行うために、自分の周りの人を(強引であっても)変えていこうとしました。
けれども、「この世界は、神に背く、なんて身勝手で、利己的な人たちばかりしかいないのであろうか。」と、嘆いていました。
そこで問題になったのは、その人の中にも存在する未熟さや間違いについて、自分では認識することが出来ないことでした。
たぶん、その人自身が神に選ばれた特別な人間だと思っているようなので、その人にとっては、変える必要があるのは自分ではなく、周りの憐れな人たちであったようです。
もしも、ここに出てくるような人が神であり法則であったとすれば、この宇宙や私たちの自由意志は、そもそも存在出来ないように感じました。
ところで、シルバーバーチの霊訓を学んでいる方はご存じの通り、私たちは大霊の一部です。
そこには、善と悪、光と闇、高次と低次とかの区別に関係なく、みな大霊の一部です。
もしも、これまでのような神に対する概念のように、悪や闇が大霊の一部ではないかのように発するならば、それは、新たな分裂や争いを生み出すためのフェイクであり、偽情報であると思います。
私たちは大霊の一部であり、私たち一人一人がミニチュアの神(これは、ダイヤモンドにたとえると、私たちがダイヤモンドの一側面であり、その一側面である私たちは、それぞれがミニチュアのダイヤモンドであること。さらに、私たち自身が様々な側面を持ち合わせている存在)であることから、私たちは、あらゆる二面性、あるいは両極性を持っていることになります。
私たちは、愛を与え合うことも出来ますし、奪い合うことも出来ます。お互いにぶつかり合って、愛を絞り出すような経験をすることもあります。相手を思いやりで包むことも出来ます。自分との違いを認めない生き方も出来ますし、違いを受け入れる生き方も出来ます。優しくすることも冷たくあしらうことも出来ます。
それら全ての経験が、私たち一人一人の虹色の光に、さらに多くの色と輝きと深みを与えていきます。
そして、その虹色の全ての光を統合し、より大きく強く輝く白色光へとなることで、私たちは、より深く大きな愛の存在へと変容していくことでしょう。
最後に、いつも私にいろいろと教えて下さる姿なき方々に、感謝して今回は終えたいと思います。
毎日、朝目覚めたとき、この地上から早く去りたいという弱い私をいつも支えてくれて、ありがとうございます。
2023年4月16日日曜日
最近は、仕事を終えるのが早くなって、やっと少し時間に余裕が出来るようになったのですが、諸事情があって人が足りずに、休日が少なくなっています。
そのような理由から、正直、身体的につらい時があります。ですがそれ以上に、精神的につらい時があります。
でも、職場のみんなも、そのつらさをのりこえて頑張っているんですよね。
それはきっと、職場のみんなだけではなく、家族、地域の人、友人、知人、読書会で出会った人、それ以外の人たちも、それぞれそうだと思います。
私はそういう思いを忘れずに、みなさんにも、そして自分にも思いやりを持てるような人間になりたいです。
もちろん、スピリットたちにも……。
2023年4月11日火曜日
最近の私は、霊の世界と地上世界との違い、そして、地球外の世界との違いも含めて学ぶようになりました。
それと、学び方も変わってきました。今までの学び方は、主に知識を得て、その知識を実践に活用することでした。
今もそれは変わっていないのですが、潜在意識のある部分が、学ぶことで得た知識を、私の奥に飲み込んでいくような感覚が伝わってくるようになりました。
それによって、自分の中の執着やこだわりが、さらに薄れてきたように感じています。
さらに今までよりも、自分と他との違いを受け入れられるようになりました。
今まで感じていた恐怖や不安というものも、無くなってきました。
それと同時に、自分に生じてくる苦しみが、どのように作り出されているのかもわかるようになってきました。
それでも私は、たくさん失敗するし、時には間違ってしまうこともあります。
でも、「大丈夫だ」と、そう思えるのです。
それは、とても不思議な感覚です。
そして今、私が見ている世界は、私が読書会を開催する前までの世界とは違うように感じます。
どうしてそう思うのかと言うと、私が過去に経験したとても悲惨で惨めな出来事が、何故か最近、無かったことになっているからです。
さらに、そのことを知っている人たちの中で、疑問に思って私に聞き返したのは一人だけでした。
それでもけっきょく、「まぁ、良いんじゃないか。」ということで終わってしまったのです。
確かに、その悲惨で滲めな経験は、私の記憶の中や一部の人たちの記憶の中にしか、もう存在しないのかもしれません。
過去世の時とは違うけれど、私は再び、今世でも罪を犯しました。
(もっとも、その罪だと感じている経験で、読書会を開催していく道を歩むことになったそうですが……。)
それが無かったことになっているのは、どういうわけでしょうか?
もしかしたら、私は別人になってしまったのでしょうか?と思えるほどなのです。
それから、私は何度か不思議な体験をしているのですが、それと何か関係があるのでしょうか?
たとえば、7~8年後、あるいは、10年以上経ってから、まったく同じ人に、同じ場所で、同じ服装で、同じ仕草をする人と出会ったことがあります。
それも、5人です。さらに、ある駅から私を探し当てて、私と話をするために来た見知らぬ女性を含めると6人です。
もしかしたら、その内の3~4名は地縛霊だったのかもしれません。
私には、その人たちが人間なのか霊なのか、本当にわからなかったので、去年と十年くらい前?に、自転車修理のために、私に道を聞きに来た女性のときには、本当に人間なのかどうか確かめるために、その女性のスマートフォンの画面を確かめました。
「そういえば前回、スマートフォンではなかったかもしれない……。自転車も違う……。前回はパンクだったし、今回はブレーキの故障らしい。でも、この女性は、前と同じようなセリフを言っているし、私の受け答えも一部を除けば似たようなものだ……。」
とても不思議なのは、その女性と話している時は、時間が止まって流れていないように感じました。
もっと不思議だったのは、その小柄で髪の長い女性が、まったく年を取ったように感じられないことでした。
その女性は、霊ではなかったと思います。けれども、同じ世界の人だとも思えません。
私が宇宙人や地球外の世界のことも学ぶようになったきかっかけは、このような経験が積み重なったからだと感じています。
地球人類が持つ目で知覚している宇宙は、四方八方、直線的に広がりを持つように見えることから、そこには時間と空間が存在しているように思えます。
きっと、多くの人にとっては、その目に見える宇宙が全てに思えるかもしれません。
もしも(この、とてつもなく広大な宇宙であるにもかかわらず)、地球人類が唯一の神の子であると固く信じてしまうならば、そして、その中で優越性を求めてしまうならば、無自覚のまま傲慢になってしまうのも当然かもしれません。そのような人にとっては、地球だけ、しかもそのごく一部しか見えていないのですから……。
きっと、私たちの目に映らない宇宙の存在、あるいは、人々の存在を認めるならば、みなさんの意識も、今よりもっと広がっていくことでしょう。
以上で終わります。
2023年4月5日水曜日
これから紹介する文章は、誰が書いたものだと思われますか?
「私たち人間はどのような肌の色をしていようと、誰もが兄弟姉妹です。本当の私たちは、内部に宿る魂なのです。魂は絶えず自らを表現し、学び続け、意識を拡大していく永遠の進化の旅の途上にあります。私たちは物理的な肉体として顕現している精神的な存在なのです。」
この文章を書かかれた人は、スピリチュアリズムに関わっている方ではありません。UFOに興味のある方は、もしかしたら聞いたことがあるのではないでしょうか?
これを書かれたのは、ハワード&コニー・メンジャー氏です。
先に紹介した文章は、「日本の読者の皆さんへ」というタイトルで書かれた短い文章の中の一部です。
私は初めてこの文章を読んだ時、優しく心地よいエネルギーを感じました。
入り口はそれぞれ違ったとしても、私たちが行きつく先は、みな同じなのかもしれませんね。
余談ですが、まったくどうでもよい知識として、たとえば、金星人という言葉は、そのままの意味の「金星に住んでいる宇宙人」という場合と、「金星を経由してきた宇宙的存在」という場合があります。また、私たちと同じような密度の存在なのか、それともまったく異なる密度の存在なのか、さらに、テクノロジーはどうか、あるいは霊的にどのような存在であるのか、ということも考えると、私たちが地球外の宇宙的存在を理解するのは難しいかもしれません。
2023年3月20日月曜日
最近、私が想像していたよりも、私たちと同じ存在であるにもかかわらず、遥かに進んだ霊性と知識と力を兼ね備えている存在(人)がいることに戸惑いを覚えました。こういうのをカルチャーショックというのでしょうね。
私は小学生の頃から霊的な関心も高かったこともあり、ほとんど周りを気にせずに、心霊関係の本をいろいろと読んできました。
そのため、周囲から奇異の目で見られることもありましたし、小学・中学生の時には、一部のクラスメイトから変な奴だと言われたこともあります。
教室の中で、テレパシー実験や透視実験などをしていたのですから、そう思われても仕方がないと思いますが、その時の私は、「コックリさんをやっている人よりは大丈夫だろう」と変な自信がありました。
まぁ、このような私の周りにいたのは、UFOをしょっちゅう見たり、霊を見たり、やたらと幻想世界が好きだったり、オタクと呼ばれている人だったりしましたが……。
すでに中学生の時には心霊治療についての知識も学びましたが、それでも20年くらい前に、シルバーバーチの霊訓やその他のスピリチュアリズムの本を読むようになって、地上の人が知識を得て書いた内容と、スピリットを通じて書いた内容の違いに驚いたものでした。
一見するとそれらは同じように見えるのですが、たとえ同じ言葉を使用していても、伝わってくるバイブレーションに違いがあるために、こちらの受け止め方にも違いが出てきます。
これらのことは、誰かから聞いた話を人に伝えるのと、自分が実際に体験した話を人に伝えるのとでは違うことと似ているような気がします。
今回の衝撃は、その時と同じように大きなものでした。
今まで、私は見えない何かの力に導かれてきて、シルバーバーチ読書会に参加することになって、また、自らも主催するようになり、多くのスピリットの方たちとも関わってきました。
それでも最近になって、今までの私は”井の中の蛙大海を知らず”だったことを理解しました。
正直な話、いつかはみなさんも知ることになるのかもしれませんが、出来ることなら知らない方が幸せなのかもしれません。
でも、地球に生まれてきて良かったと思えるようになったことも事実で、今まであった胸の中のつかえが消えていました。(胸のつかえは一度消えても、何かの拍子に生じています)
最後に、なんだか的を得ない文章になってしまいましたが、皮肉なことに、既成の宗教を否定している人々や団体などが、違う思想や信念を掲げながらもそれらと同じようなものへと変貌してしまう……。何故でしょうか?
もしかしたら、シルバーバーチが語っているように利己主義が原因であるとしても、本当のところは、利己主義な存在を神と崇めてきたせいなのかもしれません。
今回は、以上で終えたいと思います。
2023年2月20日月曜日
今日、初めて読んだ本に、「あなたに必要なものは、あなただ。」と書かれていました。
今日は仕事が休みだったので、午前中に散歩と買い物に出かけた程度で、ほとんどを家で過ごしていたのですが、その一文を読んだ後に物凄い睡魔が襲ってきて、そのまま2時間以上も寝てしまいました。
私の心の表面では、自分が自分の幸不幸を作り出していると感じているようですが、心の奥底では、やはり、自分の外側の世界、あるいは、自分の外側の力によって、自分の幸不幸が左右されていると感じているようです。
それは、私では抗うこと(逆らうこと)のできない力であると感じているので、それを解決するための力、あるいは、愛する人やその他のものを、世界のどこかに探し求め続けているようでした。
でも、「あなたに必要なものは、あなただ。」という、たったこれだけの言葉ですが、探していた答えを見つけられたような気がしました。
そして私は、「わたしを持っていれば、すべてを持っていることになるんだね。」と思いました。
そうしたら、眠くて眠くて仕方のない状態になったというわけです。
何か、目に見えないけど、そのようにみなさんに助けられているので、私はありがたいと思っています。
2023年2月19日日曜日
霊的な知識を伝えている私としては残念なことですが、この地上世界でも、こちらの働きかけがあっても上手くいかずに、霊の世界のように住み分けが必要な時があります。
今までもそのようなことはあったのですが、最近、改めてそのことを学びました。
それは、今の段階では暗闇から救われない、脱け出すことの出来ない魂が存在していることを意味しています。
いざ、そういう経験を自分がしてみると、ズシンと自分に響くものがあります。
きっと、そうやって、自分も成長していくのでしょうね。
2023年2月17日金曜日
私が今日学んだことですが、忘れないうちに書き留めておこうと思います。
これは、私の学びですので、みなさんとは違う学びであることを、ご了承ください。
シルバーバーチの霊訓は、私たちが生きていく上での参考書なのです。ということを、もう一人の私から伝えられました。
世界には、シルバーバーチの霊訓の他にも、数多くの霊訓や聖典と呼ばれるものが存在しています。
けれども、霊訓や聖典の言葉を覚えたり、学んだりすることで、聖者や覚者になれるわけではありません。
それらの霊訓や聖典に、自分がどう向き合って、どう活かし、どう生きていくのか?が、大切なのです。
その答えは、霊訓や聖典そのものにあるのではなく、それらを通して、私たちひとりひとりに与えられるのです。
そして、自分の成長とともに、その答えも変わっていきます。
真の知識は、真の謙虚さを生み出していきます。
その反対に、自分を高くし、他人を低くするような知識は、真の知識とは言えません。
何故なら、真の知識とは、上っ面を取り繕うのものではなく、その人の魂に問いかけるのものだからです。
神は、私たちに自由意志を与えてくれました。
その自由意志を尊重せずに、魂の自由を奪おうとするのは、神の名を語る人間の方なのです。
(追伸)
本来、魂を成長させ、自由をもたらすために、霊訓や聖典があるのだと思います。
そのような理由で、「シルバーバーチの霊訓は、私たちが生きていく上での参考書なのです。」と、もう一人の私が、この私に、伝えてくれたのだと思っています。
そして、主人公は、霊訓でも聖典でもなく、私たちひとりひとりの人間であり、それは、私たち魂のそれぞれ中心人物であるのです。
2023年2月14日火曜日
(※ブログにのせるために、書き直しました。)
神の愛とは、一体どのようなものでしょうか?
みなさんには、それぞれ自分に内在する神によって、答えが与えられるかもしれません。
これから述べるのは、私が私に与えた答えです。
神は、絶対的な力を決して独り占めせずに、その力を全ての魂と分かち合われました。
そのように、神は、万物に等しく、無条件で、愛と力を分け与えられたので、神は、私たち一人一人の中に存在しています。
それ故に、私たちが謙虚で、利他的であることは、神と共に愛を分かち合うことになるのです。
神は、己の全てを、私たちと分かち合われています。
だからこそ、神は、私たちの中に存在しているのです。
宇宙は、いつまでも、どこまでも、愛に満ちているのです。
私は、神の愛をこのように受け取りました。
みなさんにとって、神の愛とはどのようなものでしょうか?
きっと、それは、とても素晴らしいものだと思います。
2023年2月12日日曜日
職場での話の続きとなります。
脅迫メールやLINEを送ったことで訴えられた男性は、数年前に、自分が組合役員になりたい理由を私に述べていました。
その時の彼は、「弱い立場の人を助けたい」と語っていたのです。
そして、「この社会に対して正義を貫きたい」というようなことも語っていたのです。
今となって知ったことですが、実際には、彼が組合役員になって、管理者などからも一目置かれるようになると、態度がどんどん横柄になっていったそうです。
けれども不思議なことに、彼は自分より強いと感じる人に対しては、そのような態度をとることは少なかったので、今回のように問題が表面化するまでに、数年の時が経ってしまったようです。
彼は、組合役員として必要な知識を身につけていく過程で、さまざまな協定や協約のこと、あるいは法律のことなども知るようになりました。
彼はそのような知識と立場を利用して、職場の中で、相手が反撃できないのを知ると、自分が楽をするための要求を押し付けるようになったそうです。
ただ、このようなことは彼に限ったことではなく、私が働く職場には、他にもそのような知識を利用して、自分の権利ばかりを主張される方がいます。
人のために役立てるための知識が、利己的な(自分を高くして、相手を低くする)目的のために悪用されるのを見て、怒りが込み上げてきたこともあります。
私は、「自分で蒔いたものが、自分に返ってくるのだから、人のために役立つことをしていこう」と、十数年前から職場の中で呼びかけています。
さらに私は、「人として大切なものは、心の中にこそある」と、労働組合の中でも語ってきました。
私の霊的な活動の場は、読書会に限らず、職場にあります。
けれども、今から20年以上前、私がまだ20代後半の時、「私は霊の存在を信じている」というだけで、職場の(過激的な派閥に属していた)先輩たちから、アル中だの病気だのおかしいだのと言われ、挙句の果てには、私と付き合うなと、私の仲間にまで強制していたことがあります。
その当時の私は、先輩たちから「宗教は、アヘンだ」と言われ続けましたし、マルクス主義などについて学ぶことを強制されたこともあります。
それでとうとう、唯物論的な思想の持ち主たちと決別することになったのですが、「結局、君は、学んできたことが身につかなかったな」と言われ、さらに「裏切り者」というレッテルを貼られてしまいました。
それでも私は、「死後の生命の存続を肯定しない学びは、人を真の幸福に導くことは出来ない」と話してきました。
しかし、その言葉を発していくためには、職場の中で、それ以上の実践と態度で示していく必要がありました。
文書にすると見えてこないかもしれませんが、職場に行くのが嫌でたまらない時期も数年間続きました。
それでも今は、長い年月をかけてきたこともあって、少しずつですが、そのことを受け入れてくれる仲間が増えてきました。
当然、その仲間たちは、私が神や霊の存在を信じていることも受け入れてくれています。
ありがたいことです。
私がここに存在している理由は、「私たち一人ひとりが、神性を宿した尊い存在であること。それは、霊であろうが人であろうがみな同じであること。」を、みなさんに知ってもらいたいからなのです。
2023年2月11日土曜日
今、私が働く職場で、「自分の蒔いた種は、自分で刈り取ることになる」という出来事が起きています。
昨夜の北神戸ぷち読書会では、私自身もその出来事でショックを受けていたこともあって、みなさんに話を聞いてもらいましたが、労働組合云々よりも、事はもっと重大でした。
それは次の通りです。
私が働く職場の中で、自分の思い通りにならないと、直属の上司や先輩などに、〇す(コロス)とか、爆弾を落とすとか、脅迫めいた内容をメールやLINEなどで送っていた男性が、つい先日、警察に訴えられました。
翌日、警察の事情聴取を受け、それによって、職場で働くことが出来ない状況へと追い込まれてしまいました。
訴えられた本人は、軽い気持ちでやったようですが、一か月間、職場の接近、さらには、職場の人への接近も禁じられてしまいました。
つまり、仕事が出来なくなってしまったのです。
しかも、警察から職場へ、それらが守られているかどうかの確認の電話も毎日来るそうです。
実は、被害を受けていた人たち(私は後で知りましたが、他にも同じような被害を受けていた人がいました)は、加害者が仕事を残して帰った時でも、その仕事を引き継いで、それらをすべて終わらせてから帰っていたそうです。
聞くところによると、加害者の人は、日頃から仕事を残して他人に手伝わせ、しかも思い通りにならないと、暴言や嫌がらせなどもしていたそうですから、一か月の謹慎期間を過ぎても、職場に戻れるかどうかはわかりません。
すでに、本人が被害者に謝罪をすれば、解決して済む問題ではないそうです。
そのため今では、職場の中で次のような言葉が聞かれるようになりました。
「自分の蒔いたものが、自分に返ってきのだ」と。
職場の中の数名の人たちが、原因と結果の法則の凄さを目の当たりにして、とても驚いたと言っていました。
加害者の人は、私と同じ労働組合に所属し、一時、同時期に役員をしていたこともあったので、私もいろいろ話したり、組合や仕事についてのアドバイスをしたこともありました。
すでに去年の内に、脅迫めいたメールやLINEのことについて、十分に注意しなければならないことも話し合っていました。が、彼とは一緒に仕事をしていたわけではなかったので、ここまで酷いことを知りませんでした。
結局、私との話し合いだけでは、不十分だったようです。
私はこの体験を通じて、他人を大切にせずに、脅迫のメールやLINEを相手に送ったり、暴言や脅しを繰り返してしまうと、それはそのまま、自分を傷つけ、自分の首を絞めることになってしまうのだと、心に刻みました。
ところで、加害者の人は、私の先輩でもある数名のOBたちに泣きついて、自分の方が被害者であると訴えているそうです。
それを聞いたあるOBは、「今度の月曜日に、会社と被害者の所に行って、赦してもらえるまで土下座をするしかない」と伝えようとしていることが、私の耳にも入りました。
私はこれを聞いて、「今、接近禁止を言い渡されているのに、何を見当違いなことを言っているのだろうか?」と思いました。
(後でわかったことですが、そのOBの方は、警察からのことを詳しく聞いてなかったそうです。加害者の人は、このような状況となっても、都合の悪いことを隠しながら説明していたようです。)
そもそも相手に対する謝罪の気持ちもなしに、自己保身のみの、自分の首をつなげるための土下座に、何の意味があるというのでしょうか?
もしもそれを実行すれば、確実に、職場を去らねばならない結果になると思います。
私は、このような危機に追い込まれた時にこそ、自分の内面と向き合う必要があると思っています。
私の経験ですが、私が人生のどん底に落ちた30才前半の時、とても辛すぎて、これが夢の中のことであって欲しいと願いました。
現実から、逃げようとしましたし、その時の自分は、世界で一番不幸なのだと思いました。
時には、運の悪いことが重なったのだと、自分を慰めようとしました。
そして、失敗をする前までの時間に戻ることが出来れば、どんなにありがたいことだろうかと思いました。
もしも、奇跡が起きて時間が戻り、今までのように過ごせるのなら、絶対に神を信じると誓いました。
あ~、なんて利己的な男なのだろう……。
話を戻すと、
死後の生命の存続を信じているかどうかによって、見ている視点や考え方、人として守るべきものなどに、はっきりとした違いが現れていることに気がつきました。
今回のことは、「神という存在を肌で感じるとは、このようなことなのだ。」と思えるほど、私にとっては衝撃的なことでした。
以上となります。
2023年2月9日木曜日
読書会の場で、「宇宙の愛」について話してほしいという要望がありました。
この要望ついては、私の課題として持ち帰らせていただきました。
創造主の愛について学ぶことが、宇宙の愛への答えになるのではないのか?と、感じております。
2023年2月2日木曜日
今後は、ホームページを出来るだけシンプルにしていきたいと思います。
特に最近、みなさんが私のブログなどを読むよりは、その分、シルバーバーチの本やホワイトイーグルの本をたくさん読んでもらった方が良いと感じています。
それと、私の不慣れな操作によって、今までホームページに保管してあった過去のブログや資料などのほとんどが消えてしまって残っていません。しかも、今まで私が書いてきたブログは、長くて読むのが大変だったと感じています。
それでも、消えてしまったブログの中には、私がとても気に入っていたものもありました。
たとえば、隣の家に数年前まで住んでいて、今は他界された年配の女性と、一緒にシルバーバーチ読書会に参加した時の話と、その方の姉が暗黒界を彷徨いながら、救われるまでのエピソード。
あるいは、私の他界した祖父、祖母、父との夢の中での話や地縛状態の叔母が救われた話。
さらに、友人のフィリピン女性の祖父(故人)がヒーラーで、それにまつわる話。
そして、霊能力やヒーリング能力を利己的に使った霊能者の末路。
利他的に生きた霊能者が除霊を終えた後、一週間後に亡くなった話。
それから、過去に私がタバコやアルコールを完全に止めるまでの、心霊現象と呼ばれるようなことを、私なりにいろいろと経験してきたときの話もあります。
その当時は、霊視のできる方たちとも、何度かお酒を飲みにいったこともありました。が、今思うと、私はすごくつらい日々をおくっていました。
何故なら、地上の近くにいる霊と関わっている方たちは、表面的には何もないように見えても、何かとトラブルや争いを抱えているように感じましたし、私も含めて、自らがそのような種を持っていたような気がしました。
(パソコン内のそのような記録は、全て消えてしまいました。)
予定では、まだまだしばらくの間、読書会を続けていこうと思っていますので、過去のブログに書いたエピソードなどは、今後、読書会の場で、参加者から要望があれば、その場を利用して紹介していこうと思っています。
ブログに代わるものとして、「その他のお知らせ」を用意しましたので、よろしくお願いいたします。
2023年1月29日日曜日
これは、昨年の秋頃の話です。
今まで、自分の心の醜さを他人に知られたくなかったこともあり、読書会のことも含めて、ここで伝えていないことも多くあります。
マタイによる福音書5章28節に、「みだらな思いで他人の妻を見る者はだれでも、既に心の中でその女を犯したのである」とあります。
さらに厳しいかもしれませんが、聖書によれば、心の中で邪な思いを抱くことは、実際に罪を犯しているのと変わらないとのことです。
私はこのことを、真実だと思って努力をしているものの、自分の醜さを自覚するだけで思うようになりません。
私の中に、未だに高慢さや差別的な傾向が消えていないためだと思うのですが、ある日心の中で、中国の(霊性に関わることで)批判をした時に、「老子の教え、道(TAO)がある」と、私の中から伝わってきました。
それで私は、「老子って、中国の人ですよね。孔子なら学校で習ったことがあるし、『君子、危うきに近寄らず』ですね。」と返し、さらに「老子っていう名前を見るだけで、もう無理な気がします……。」と答えました。
それ以上は何も伝えられなかったので、とにかく老子の教えについて調べようと思いました。
第一章 道の驚き
語りうる「道」は「道」そのものではない、名づけうる名は名そのものではない。
名づけえないものが天地の始まりであり、名づけうるものは万物の母である。
だから、意図をもたない者が「道」に驚き、意図ある者はそのあらわれた結果しか見れない。
この二つは同じものである。
これらがあらわれて以来、名を異にする。
この同じものは神秘と呼ばれ、神秘から神秘へとあらゆる驚きの入り口となる。
これを読んで、まず、すぐに私が思ったことは、「これは、シルバーバーチが語る『霊』のことと似ているように感じる」ということでした。
それはともかく、孔子の教えとは全然違うことだけは、今のところ理解しました。
私の中の高慢や差別的な思いが消えないのは、自分が未熟であることは当然だとしても、視野の狭さと理解不足も大きな原因になっているのだと思います。
でも、これを書き終えて伝えられたことは、「愛がまだ十分に育っていないのです」ということでした。
自分としては、ここで書いたことで、少しは前進したと感じています。
waka (Saturday, 21 January 2023 22:28)
1月17日、及び、18日の「おしらせなど」の続きとなります。
いつものように、話半分で読んでいただきたいと思います。
前回、創造主から生み出された存在が創造主へと帰って行く過程を、逆三角形と三角形の二つの図で表してみました。
今回は、創造主を頂点として、それぞれの陰極と陽極を底辺にした三角形の図で考えていきたいと思います。
(何故かというと、逆三角形を使って説明している方があまりいないようなので、先輩たちに倣います。)
頂点である創造主から生み出された私たちは、陰極と陽極の点でつくる三角形の底辺に近づくにつれて、霊性を減らし物質性が増していきます。
その反対に、創造主の頂点に近づけば近づくほど、物質性を減らし霊性が増していきます。
底辺に近づくほど、分離されていきます。反対に、頂点に近づくほど、統合されていきます。
創造主の頂点に近づくためには、三角形の図を思い浮かべれば分かりやすいと思います。
私たちが創造主へ帰りつくために、どのような三角形をつくっていくのか?については、各自の自由意志が尊重されるとしても、陰極と陽極の両極が歩み寄らなければ、三角形をつくることは出来ないことを前回に伝えました。
また、創造主の下に帰りつくために、各自がつくり続ける三角形とは、霊性の進化、霊的な成長、あるいは、神性の顕現、神性の発揮などと呼ばれていると思います。
けれども、陰極、あるいは、陽極の一方に偏ったまま頂点を目指しても、創造主の下へと帰りつく前に、壁にぶつかることになります。
もしも私たちが、それ以上の進化、成長、顕現、発揮を求めるならば、修正が必要になることでしょう。
なぜなら私たちは、創造主を頂点とした陰極と陽極でつくる三角形の枠を変えたり、飛び越えて存在することが出来ないからです。
そのように考えると、三角形の中のどこかに、私たちは存在していることになります。
そして、頂点の創造主に近づくにつれて、その枠が狭くなっているのは、それだけ陰と陽の統合が進み、調和がとれている存在ということになります。
それぞれの陰極と陽極の間には、私たちのそれぞれが抱いている、善と悪、あるいは、ポジティブとネガティブが含まれています。
三角形の図に照らし合わせれば、陰極と陽極の調和とバランスが大切であり、それらを得るためには、両極それぞれの経験と学び、いわゆる、善と悪、あるいは、ポジティブとネガティブの経験と学びが必要なのだと感じました。
(ただ、調和とバランスという言葉の意味は、似ているようで違っているので、興味のある方は調べてみるのも良いと思います。)
今回は、このような三角形の図を使用しながら霊的知識を学んでみましたが、これらのことは、私が学んできたことを伝えているにすぎません。
私としては、シルバーバーチが語ってきた訓えを、少しでも深めていくための手助けが出来るように願っています。
最後に、霊的感覚と霊性に優れている人は、これらのようなことを、瞬時に、霊的感覚を通して経験し学ぶことが出来るようです。
それから、光と愛のエネルギーについても、私はそれらの知識があるものの、それをみなさんにお伝え出来るような段階には至っていません。
それでは、私の妄想に付き合って下さって、ありがとうございます。
みなさん、お疲れ様でした。
waka (Wednesday, 18 January 2023 17:48)
読書会と言う霊的な船と霊団と言う霊的箱舟について
足立の読書会は、足立の霊団による霊的箱舟(Spiritual Ark by Adachi Spirit Group)という霊的な領域の中の一部のようです。
つまり、読書会に参加されていない人であっても、霊団との繋がりを求める人は、足立の箱舟(領域)に属しているようです。
不思議なことですが、以前、読書会という船が出港する時に、みゅうさんとシスターエリスさんたちが、港からその船を見送っている場面を、みゅうさんは見たそうです。
けれど、そこには船長であるはずの私もいて、シスターたちと一緒に見送っていたそうです。
つまり、私自身が読書会のみに執着せず、もっと広く、柔軟な視野を持つ必要があるのだと理解しました。
箱舟による 真の目指すべき故郷とは、自分自身なのだそうです。
waka (Wednesday, 18 January 2023 04:22)
どうやら、修正が必要なようですので、修正します。
昨日のお知らせで、
(頂点である創造主へと帰りつくための)
「頂点への一番の近道は、図にすると、正三角形になると思います。」と書いたのですが、
私たちは、創造主が生み出した宇宙(逆正三角形の図)の中を、どのような道筋を辿って帰りつくかということであって、その枠(正三角形の図)を飛び越えたり、枠を作り変えたりするわけではないと伝えられました。
最初に書いた、頂点に帰りつくための三角形とは、各自に内在する、それぞれの小さな宇宙についてのことらしいです。
このように私自身、いろいろと間違ったり、訂正しなければならない学びの過程にいますので、ご了承下さい。
waka (火曜日, 17 1月 2023 19:37)
今のうちに、思いついたことを書きたいと思ったので、書いてしまおうと思います。
今回は、創造主から生み出された存在が、創造主へと帰って行く過程を、図によって考えてみましょう。という試みです。
私の妄想が入っているので話半分で読んで下さい。
それでは始めます。
創造主が宇宙を生み出した時に、極性というものが存在することになったようです。
極性とは、ウィキペディアによると、「一般に、特定の方向に沿ってその両極端に相対応する異なった性質を持つことを指す。」のだそうです。
または、「電極、磁極など、一つの物体に正反対の性質が場所を変えて存在する状態。」のことを指します。
そのように、ひとつのものが、プラスとマイナス、あるいは、陰と陽というように、分かれて存在するようになりました。
図にしていくと、創造主を起点として、それぞれの陰極と陽極を底辺にした「逆三角▽」の形でエネルギーが放たれ、宇宙が生み出されました。
図で表すと、創造主である頂点が下、陰極と陽極の底辺が上にくる逆三角形▽となります。
私たちは、その三角形のどこかに存在していることになります。
そして今度は、宇宙が生み出されてから、創造主へと帰って行く過程を図にしたいと思います。
先ほどの反対で、陰極と陽極の底辺から「三角形△」の形を描くことで、頂点となる創造主を目指すことになります。
つまり、陰極と陽極の両極がお互いに歩み寄らなければ、三角形を作ることが出来なくなります。
つまり、どのような形であれ、三角形を作ることが出来なければ、頂点となる創造主の所に帰りつくことが出来ないことになります。
シルバーバーチの霊訓の中で、苦しみの必要性を語られているのは、どちらか一方の極、または、その経験だけでは、大霊の下に帰りつくことが出来ないことを、私たちに理解してもらいたいからだと思います。
同じように、「苦しみだけをのりこえさえすれば良い」ということではなく、人の役に立つための実践など、ポジティブとネガティブの両方の経験が必要だと思われます。
さらに、「どのような三角形を描いていくのか?」と言うことも、私たちの自由意志に関わる問題として、重要であると感じています。
この時に、調和、つまり、バランスの問題が出てくると思います。
頂点への一番の近道は、図にすると、正三角形になると思います。
このように、三角形のシンボルひとつを見ても、様々な意味が込められているように感じます。
また、私には興味がないのですが、この逆三角形と三角形を合わせると六芒星になります。
何となくですが、ピラミッドにエネルギーがあるのは、頂点である創造主が、それぞれの底辺に向けて宇宙を創造した縮図であるからかもしれません。
もしもそうであれば、その縮図であるピラミッドの形を、人々の支配のために利用するなど、悪用してはいけないと感じております。
それでは、今回も私の妄想に付き合っていただいて、ありがとうございます。
waka (Tuesday, 17 January 2023 08:16)
昨日のお知らせと読書会の報告を通して、7という数字の持つ意味を紹介してきました。
今回は、12という数字の持つ意味を紹介したいと思います。
まず初めに、7や12という数字は、天の川銀河を創造した神々(もしかしたら大霊)が、その数字を気に入っているからそうしたのだと感じていますが、その答えでは、みなさんの学びにならないようです。
そういうことで、昨夜から今朝にかけて、私が寝ている間に学んだようです。
1月の読書会の報告で、「7という数字は、チャクラやそれに対応する領域の数を表していると思われます」と紹介しました。
そして、7つの領域を一つのオクターブとして、「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ、そして、新たなオクターブのはじまりとしてのド」と書いて説明しました。
そして、これを7つのチャクラとプリズムの色光とを合わせて考えてみても、7という数字は、音、光、領域(次元)など、いろいろな所で重要な意味を持っていることがわかります。
では、12という数字はどうなのでしょうか?
音楽をされている方は、1オクターブが12音(ドレミファソラシの7音+ド#レ#ファ#ソ#ラ#の5音)で出来ていることをご存じだと思います。
最初に説明した、1オクターブの7音に、ド#レ#ファ#ソ#ラ#の5音をいれることで、12音となります。
同じように、チャクラ(エネルギーセンター)も、7つのチャクラに、5つのチャクラを加えることで、12チャクラとなるそうです。(チャクラの数は、それ以外にもたくさんあるそうです。)
虹の色についても、色相環(色を「赤、オレンジ、黄色、緑、青、藍、紫」の色相(hue)順にサークル状に並べたもの)というもので考えれば、12色となります。
面白いのが(ユングの12の元型というのも参考にしても良いと思いますが)、人間の資質が12に分けられることです。(もちろん、自分はそんな型に当てはまらない。と言う人もいそうですね)
そして、次元と言われるものは、今の所、12次元であると言われているようですね。
私は難しいことはわからないのですが、それに0を(最初につけるのか新たなオクターブとしてつけるのかはともかくとして)加えれば、13次元になるのではないか?と感じています。
そうすれば、大霊から出て大霊に帰ることになるのではないでしょうか?
(後で知ったのですが、次元と密度がごちゃ混ぜになっているそうです。けれども次元についてはよくわかりませんし、話半分で読んで下さい。)
それ以外にも、1年を12の月に分けたり、アナログ時計が12の数字で表されたりしているのを見ても、7と共に、12という数字も重要な意味があるように感じています。
ここで私が大切だと思ったことは、それら7や12という数字による分け方は、もともと「ひとつのもの」が、どのように分かれたのかを表している。のを忘れてはいけないということです。
それで、私なりに感じたことは、大霊の生命と愛のエネルギーが光となって顕現され、その光には、さまざまな色彩や音階を伴っていて、それを7つに分けたり、12に分けたりして、私たちはそれらを理解しようとしている。ということです。
そして、逆にそれらが統合(融合)されていくと、大霊に行き着くというのは、理解出来ると思われます。
それはそれで、大霊は何故、そのようなことをしたのか?という新たな疑問が私の中で生まれてきています。
「まったく、もう……、本当に困るけど、まぁ、いいか(ひとり言です)。」
終わりに、「神とは何だ?私とは何だ?無限であり永遠である創造主を、どう理解すればよいのか?」
こういうことを、私は過去世からずっと考えてきたそうですし、今も同じなのだそうです。
それでわかったこととは、「私は、今、生きている」ことだけは確かだということです。
ついでに言うと、「私は、今、死んでいる。ということを知らない」ということです。
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。お疲れ様でした。
ホワイトイーグルが語る、「色彩と美の栄光の虹」と「完全な光、偉大な白光」についてのお話です。
私のブログで、プリズムやチャクラの色について触れたことがあります。
それらの色は、赤・オレンジ・黄・緑・青・藍・紫、と書いていますが、
そのような虹の色彩は、もとの白色光が分かれてそう見えているのだそうです。
もう少し詳しく言うと、太陽の光は白色光と言われていますが、その白色光をプリズムに通すと、虹色のグラデーションとして見えるようです。
光の色の違いは、光の波長の違いだそうです。
出来るだけ簡単に説明したいので、私なりの言葉で言うと、
白色光には、虹色のグラデーションとなる、それら全ての波長を含んでいるということになります。
今回、私が述べたいことは、「それをチャクラの色光(シキコウ)にも当てはめて、一緒に考えてみましょう。」ということです。
もともとは、白色光だったものが、それぞれの波長に合わせた色光に分かれたということになります。
それとは逆に、虹色の光を全て合わせると、白色光になるのです。
つまり、ホワイトイーグルの栄光の虹の光は、偉大な白色でもあるわけです。
ということで、アイさんがスピリットの協力を得て見ることが出来た「人類に浸透する七つの光線を頭に戴く偉大な霊」という存在が、白色の光の存在でもあることが理解出来ると思います。
(これを書きながら、シルバーバーチの「Shining Ones(光り輝く存在)」を思い出しました。)
そもそも、その白色光はどこから来たのか?を考えると、やはり、大霊からだと考えるのが理にかなっていると思います。
そのような考えから、人間という存在は、チャクラの色光の視点から見ても、それら全ての色光を合わせると白色光になることから、大霊の光を内に宿している存在であると思えるわけです。
ただし、絵具などを利用して虹の色を混ぜ合わせていくと、茶色や灰色のような色になるようです。たぶん、チャクラの色光のどれかが濁っていると、白色光にはならないと思います。
最後に、スピリチュアルなことを学んでいる人は、頭がお花畑であるかのような連想をされるかもしれませんが、けっこう科学的なことも学ばないと理解出来ないこともあるようです。
私自身は、チャクラについては、ド素人ですが、それでもこのように学んで行くうちに、人間という存在は、宇宙の縮図であるのだと思えてきます。
きっとそれは、シルバーバーチが語るように、人間がミニチュアの神であるからなのだと思っています。
本当は、こういうことを学校で教えてくれると良いのですが、まだまだそれは、先の話になりそうですね。
以上で終わります。
waka (Saturday, 14 January 2023 15:45)
これは、午前中にご本人から聞いた話です。
読書会に参加されていて、ヒーリングもされている方の体験となります。
この話をされた女性のご主人は、昨年の10月に他界されました。
それから3ヶ月が過ぎたつい最近のことです。
眠りにつく前のうたた寝のような時に、いつのまにか(夢の中で?)ご本人はお風呂に入っていて、湯舟に浸かっていたそうです。
ふと前を見ると、亡くなったはずのご主人(ちょっと若くなっている)が、タバコを吸いながら向かい合う形で湯舟の中に浸かっていました。
その時は、ご主人の体についている雫(シズク)まで、はっきりと見えたそうです。
その湯舟の周りには、ご主人が生前に好きだった沢山の本が置いてありました。
ご本人はその様子を見て、「(やっと片付け終わった本を)見ているだけでウンザリするよ。」と言っていましたが、何だか楽しそうでした。
そして、ご主人に向かって、「あんた死んだんだよ。」と、はっきりと言ったそうです。
すかさず、「死んでないんだよ」と、ご主人は答えたそうです。
それでも再び「10月10日に、○○病院で死んだんだよ」と言い返したら、
「死んでないんだよ」と、ご主人は言い返されたそうです。
明日の読書会で、自らこの体験について話してくれるそうですが、肉体が無くても、生きている人間と全く変わらずに見えたことに驚いたそうです。
今後もいろいろと何かありそうな予感がします。
私も楽しみにしています。
waka (火曜日, 03 1月 2023 07:08)
今回は、私のひとり言となります。
ひとり言とは、私に話しかけてくる、もう一人の私から伝えられたこととなります。
いつもみなさんに注意してもらっているのですが、私が変なだけだと思います。
ただ、私が文章を作り変えるのもどうかと思うので、そのまま書いてみます。
「あなたは、地球人類が幸せになるためには、みんなが霊的に目覚める必要があるという。
あなたは、自分を霊だと自覚しているなら、自分を変えていくと良いでしょう。
あなたは、自分を肉体だと思っているなら、世界の人々を変えようとするでしょう。
今までのあなたは、地球人類を愛する努力を、どれだけしてきたのでしょうか?
あなたは、自分の幸せのために、世界が自分の思い通りになって欲しいと思っていませんか?
そして、その実現のために、自分以外の誰かや何かに求めようとしていませんか?
もしかしたら、自分に自信がないからそうするのかもしれません。
神を信じていると言いながら、自分は霊よりも、今は肉体が大切なのだと本心では思っているからです。
あなたに必要なのは、愛する努力です。
愛されるから愛するという、そういう甘えを捨て去ることです。
今のあなたは、世界が自分の思い通りになれば、人類が幸せになれると信じている夢想家と、何が違うというのでしょうか?
それでも、わたしはあなたを愛しています。」
waka (月曜日, 02 1月 2023 22:21)
新しい年を迎えました。
元旦早々、私はまた同じ失敗を繰り返してしまいました。
私は今、「ホピ 神との契約 この惑星を救う テククワ・イカチという生き方」という本を読んでいますが、それだけでは、自分の欠点を直すことが出来ませんでした。
やはり、私が自分の欠点を直すためには、必要な苦の体験をしなければならないのかもしれません。
一年のはじまりである元旦の早朝、私はお金のことで下の子を疑ってしまいました。
完全に私の勘違いであることは、下の子に疑いの声を掛けた後、しばらくしてから気がつきました。
「はぁ~、また、やってしまった。本当に申し訳ない。」
自分の勘違いで、下の子を疑ったのは、これで三度目です。
その日の朝、私は新聞を読んで、「いろいろと物価も上がるし、ローンを払うのも大変になりそうだ。しかも、給料もほとんど上がってないのに、扶養手当の支給も終わってしまっている。老後の生活は大丈夫だろうか?」と考えていました。
そう考えているうちに、ふと、家の生活費がどれだけ残っているのか確認しようと思って、さっそく確認してみました。
「あれっ、思っていたより少ない。おかしい……。」ということで、深く考えることもせずに、下の子を疑ってしまったのです。
実際は、つい最近に限っても、20㎏のお米代やクリスマスの時のケーキ代、母や妹への年越しそばの費用、おじさんとおばさんへのお年玉、元妻の両親へのおせち代などで使っていたので、お金がそんなに残っているわけがなかったのです。
本の中に、「貧しいマサウ」と「金持ちマサウ」というのが出てくる話があります。
※マサウとは、創造主に仕える救済の霊で大地の守護者である。と、私は認識しております。
その話の中で、「バハナ(白人の意味)のいう知識と知恵の意味は、一方では倫理法則、他方では物質主義を表しているものとわれわれは信じている。」というように語られています。
倫理とは、「社会生活で人の守るべき道理。人が行動する際、規範となるもの。」であり、これ自体を悪いことだと思う人は、ほとんどいないと思います。
けれども、それが物質主義と結びつくと、お金や富が人の幸せの基準となってしまい、それらをどのように満たしていくのか?が、重要な位置を占めてしまうのではないでしょうか。
そのように問いかけている私自身が、本を読み進め、今回の体験を経て、そうなのだと気がついてきました。
昨日の私は、「幸せに生きていくために、私には十分なお金があるのだろうか?」と考えました。
けっして、「みなさんに愛を与えているだろうか?」とか、「人の役に立っているだろうか?」とは考えませんでした。
まさしく、お金と富が、私の幸せの基準になっていました。
それに気づいた私の中で、以下のような詩がうたわれました。
「思い出せ、自分の金銭欲に操られていることを
思い出せ、自分の物質欲に操られていることを
思い出せ、楽なことが善であるかのように、思い込まされていることを」
それはそうと、どうすれば私は成長できるのでしょうか?
今年こそ、少しでも、心のきれいな人になりたいな~。と思いました。