その他のお知らせ(2024年前期)


2024年4月21日日曜日

 

 最近、私が学んだり伝えられたことで印象に残ったことを書こうと思います。

 

 『魂の法則』ヴィンセント・ギリェム著 小坂真理訳 より

 

 霊界との交信 (94ページ1行目)

 

 援助はなぜ直接的ではなく、暗号で与えられるのですか?

 

 「魂の自由意志を侵さず、魂自身に自己発展の努力をさせるためだ。

 よい数学の教師であれば、生徒の実力をつけるためには、答えを直接見せてはならず、行き詰った時に適切で正確な説明をして、生徒自身で問題を解くよう導くべきだと知っているものだ。

 進化途上の魂にも同じことが言える。解答を直接あげてしまったら、自力で霊的な試練を解決しようとしないので進歩がない。怠慢になり、指導霊が自分の問題を解決してくれるのを待つようになるだろう。

 その人自身が決めなければならないことを教えてあげることも、自由意志に関与することになるので、正当とは言えない。魂は自分で決断しないといけないのだ。だが、自力で乗り越えるために知っておくべきなのに、独りでは気づけない重要な細部もあるため、ヒントは与えられる必要がある。

 魂が、自己の問題を完全に自覚しており、独りで解決する能力がある場合には、助けは不要なので与えられない。それは、裕福な人びとの地域に食料を配りに行くようなもので、彼らは配給される食糧は独自に入手できるので、全くの無駄となってしまうからだ。」

 

 そういえば、以前に「魂は自由と幸福を求め続けている」という話を聞いて、私もその通りだな~と思いました。それから、魂の自由と幸福のためには、魂自身の自己発展が必要であり、それを人によっては、霊性進化とか霊的成長、あるいは、意識の拡大と呼ぶこともあります。

 

 『シルバー・バーチ霊言集 二十一世紀のためのバイブル』 A・W・オースティン編 桑原啓善訳

 

 第四章 神について 

 

 (46ページ7行目)

 

 光と闇、陽光と影、これは単に一なる全体の反映にすぎない。影がなければ光はない。光がなければ影もない。そのように人生の苦しみは、魂が上へ上がって行くための階段である。

 困苦・障害・不利益、これらはすべて魂の試練であり、魂はこれらをすべて克服し得て、初めて強くなり、浄化され深みを増し、高く飛躍できるのである。

 

 (50ページ10行目)

 

 (答)完全があり不完全がある。しかし、不完全が発展して完全となるように、不完全の中には、完全の種子が宿っている。完全は完全から生まれることなく、ただ不完全からのみ生じる。

 生命とは、生々発展し、進歩向上し、顕現拡大するものである。善といい悪といい、それは単に、生命の進歩途上の階段にすぎない、そこが終点ではない。皆さんは中途半端な頭でものを判断するから、ここまでが善で、そこからは悪と言う。だが、それは人間的な観念にすぎない。皆さんがやがてもっと違った立場に立てば、善悪の判断も自ずから違ったものになる。しかし、神は常にあらゆるものの内部に在り給うのである。

 

 シルバーバーチが語る言葉は、それを訳している方が違っていても、私の内奥に響いてきます。昨年からこれまでの一年間は、自分でも成長という点で見ると低迷していたことを感じますが、シルバーバーチの言葉から、魂が階段の上へ上がって行くために必要な時期だったのだと思えるのが救いです。やはり、無駄なことも、偶然も、奇跡さえもないのだということだと思います。


2024年4月8日月曜日

 

 これまでシルバーバーチやホワイトイーグルの教えなどを、足立の読書会に限らず他の読書会でも学んできましたが、それでも今後の行く末を思うと、いろいろと迷いが生じたりします。

 

 そういう時は、以下のような言葉を思い出すようにしています。

 

 「わたしは神の中にいると同時に、神はわたしの中にいる。わたしと神との間に、何かを入れようとするから迷うのだ」

 

 「私たちは神の一部だから、私たちは神の一部分を形成しているのだ」

 

 「私という存在は、世界にとって必要とされているから、今、私は、ここに存在しているのだ」

 

 私たち一人ひとりが神の一部を形成していると、もしも本気で思えるのなら、自分をもっと大切にしようと思えるでしょうし、自分以外の人に対しても、大切にしようという思いが芽生えてくるように感じています。

 

 まぁ、私はそのような言葉を思い出して、辛いことがあっても、今までのりこえてきたのです。


2024年3月18日月曜日

 

 「足立シルバーバーチ読書会について」ホームページでの説明を変更した理由について述べたいと思います。

 

 今回、改めて読書会の紹介を変更した理由は、「シルバーバーチ読書会」という名称について、世間一般の方たちになるべく不信感を持ってもらいたくなかったからです。

 

 そのような理由から、これまでの読書会を一度振り返って思ったことは、やはり読書会の名称を使用している限り、扱っている本がたとえ「シルバーバーチ」であっても、読書会の形式に従って会を進めて行く必要があると思いました。

 

 何故なら「シルバーバーチの霊訓」の読者たちを、宗教や信仰などと結びつけ、さらにその読者たちを選り好みし、特定の人たちで固めていくとすれば、それはすでに読書会の名をオブラードにした宗教や思想団体であると思うからです。

 

 もしも私がそれを望んでいるとするならば、読書会という名称を使用してはいけないと感じるのです。

 

 そもそも読書会の場が、各自の意見を”信じる”とか”信じない”とか、”正しい”とか”間違っている”とかのように、信仰心や忠誠心が試される場となっているとすれば、それは違うと思っています。

 

 また、私の経験からですが、自由意志を尊重するよりも組織の方を優先し、各自の自由意志そのものに制限をかけてしまう方法は、あまり良い結果を生み出さないやり方だと感じています。

 

 たとえば、組織の中では従順に見えても、組織から離れたところでは逆の態度だったりすることもあります。

 

 そのような「親の前では良い子であるのに、外では全く違っていた」という話ならどこかで聞いたことがあるのではないでしょうか。もちろん読書会の場の中で、そのような良い子の自分を演じる必要はまったくありません。

 

 ただし、お互いの自由意志を尊重するためには、お互いに成長していこうという意志を、各自が持っている必要があるでしょう。

 

 それと何よりも、それぞれの方に”思いやり”が足りなければ、他者と自分との違いを受け入れることが出来ないと思われますし、お互いの自由意志を尊重出来ずに、相手を批判し、自分の意見や考えの正しさを押し付けようとするかもしれません。

 

 そうは言っても、読書会というのは参加するのもしないのも自由ですし、私としては参加者のみなさんに、これからも楽しんでもらえれば良いと思っています。

 

 ということで、今回は終えたいと思います。


2024年3月3日日曜日

 

 2月17日に発熱し、19日の検査で新型コロナに感染していることがわかり、しばらく仕事を休んでいました。

 

 その時感じたことをメモしてあったので、自分自身を振り返りながら書き残していきたいと思います。

 

 それと、その時々に感じたことを書き留めてあるので、文章としては繋がっていない場合もあります。

 

 2月19日月曜日

 「自分がコロナに罹って、まず最初に思ったことは、今までずっと私は霊的な存在に守られてきたということでした。けれども、いつしかそれが当たり前のことのように思ってしまって、感謝の気持ちを持てなくなっていたようです。

 

 しかも、他人が新型コロナに感染するのを見て、それらの人たちをちょっと馬鹿にしていている自分に気がつきました。それと同時に、そのような自分であることを望んでいない自分がいることにも気がつきました。

 

 こうやって病気を経験すると、ヒーリングの必要性を感じます。

 

 これまでの私は、いずれ誰もがヒーリング能力を持つようになり、自分で自分を癒すことが当たり前の世の中になっていくと感じてきました。そのため最近の私は、ヒーリングに対して、だんだんと興味が失せている最中でした。

 

 自分の中で消えない執着があります。たとえば、ゲームの中では負けたくない、一番になりたいという欲望があります。

 それは私の中に、「地上世界では一番にはなれないし、せめてお気に入りのゲームの世界の中では、自分の思うようにしていきたい」という欲求があるからだと感じています。

 何かそれって、「スピリチュアルの世界の中であればトップになれる」という欲求と似ているような気がします。

 

 たとえゲームの中で一番になれたとしても、新たな欲が生まれるだけで満たされない。それを知っているのに、自分の中から執着が消えていかない。

 

 これまで約9か月間、そのような自分の中の執着とたたかってきたのですが、今回の病気で、嘘のように自分の中から執着が消えてしまいました。それはまるで、自分の中身が洗い流されたように感じます。」

 

 2月20日火曜日

 「私は私に執着していました。私にとって、全ての苦しみの原因はそこから始まったのではないでしょうか?

 

 (肉体を持った)私というのは一つの焦点であり、私という存在そのものではないと感じています。

 

 そのように感じるのは私だけではないようです。

 

 ある人が、「自分という存在はそもそも幻覚である」と言っていました。その人によれば、肉体あるいは身体は機械であり、それは車(乗り物)と同じようなもので、車が自分ではないのと同じことであるそうです。

 

 ちなみに、身体という言葉を使う場合は、そこには肉体と精神(心)が含まれていて、精神や心も含めて機械であると主張されているようです。

 そういうことで、肉体と精神は機械であり、自分という存在は幻覚であるということになるのだと思われます。

 

 結局、その機械を使用している何かしらの存在がいて、その存在が機械を使用することで、私という幻覚が生まれるということなのでしょうか?

 

   ただ、その人の主張では、その何かしらの存在も無いということなので、それはそれで面白かったです。

 

 それらの真偽はともかく、私が病気で苦しんでいる時に、そのような主張に対して、自分でもアレコレと考えていたことに驚いています。」

 

 2月24日土曜日

 「仕事帰りに思ったこと。

 

 今まで、”地上世界とは、霊的な向上をするための修行の場である”と思って生きてきました。それが間違ってはいないとしても、そのように思うことで、私と世界との間は、どんどん分離していきました。

 

 世界と自分が分離すればするほど、潜在的な恐怖心が不安や心配の念を増長させていくように感じます。何故なら世界は味方ではなく、良い自分でなければ救われないという思いが見に染み付いているからです。

 

 まるで”地上世界に苦しみが多いのは、地上世界が修行の場であるから”という言葉は、言わば気休めのために、自分が自分に言い聞かせるための呪文のようにも感じられます。

 

 そのように私と世界が分離している状態のままで、カルマのことを理解しようとすれば、カルマとは、まるで天罰のようで、けっして逃れることの出来ない呪いのようにさえ感じてしまいます。

 

   永遠の命でさえ、一種の拷問にしか思えません。

   それから逃げるために霊の世界を夢見ることは、逃避であるかのように思えます。

 

 それでも言葉とは不思議なもので、”原因と結果の法則”という言葉からは、神は公平であるという思いが感じられます。

 

 ここで一旦、私と世界との間にある深い溝を埋めて、世界は私の味方であり、どんな些細なことでさえも見逃さないと思えるならば、今までと違った”地上世界”を生きることが出来るのではないでしょうか。

 

 ざっと書き留めてみましたが、日々、いろんなことを考えているんだな~と思いました。


2024年2月18日日曜日

 

 本日のオンライン読書会は、都合により延期とさせていただきます。


2024年2月5日月曜日

 

 今さっき、ふとしたことで、霊界のことを”死後の世界の案内人”に教えてもらった内容を紹介している動画を見たのですが、とても勉強になりました。

 

 特に魂について語っている内容については、私がこれから学ぼうとしていることと重なっていたので紹介したいと思います。

 

「すべてであるもの」と「魂」とは同じものです。さらに魂とは簡単に言えば、”変化”のことであり、変化を利用して多くの経験を手にすることが出来るようになります。

 

 多くの経験とは、分身の人生によってつくられます。分身が人生で経験することは、「すべてであるもの」も経験しているということです。

 

 分身が人生を通して自分の存在を経験できれば、「すべてであるもの」も、自分が誰であるのかを経験できます。

 

 つまり変化という「動き」が、「すべてであるもの」の存在を確立させるのです。

 

 ここでもし変化のない状態、すなわち世界のすべてが止まった状態であるとすれば、分身は人生を生きることができません。分身が存在しなければ、「すべてであるもの」の経験も生まれなくなります。

 

 すると(経験がないのですから)自分が誰であるのかを理解出来なくなります。それどころか存在すら出来なくなるのです。

 

 そのため変化は分身にとっても、「すべてであるもの」にとっても、不可欠なのです。

 

 変化は、「すべてであるもの」と、魂の二つを意味するだけではなく、宇宙に存在する生命とその人生までもを意味します。

 

 「すべてであるもの」は魂で、魂は変化で、変化は生命であるということであり、全ては同一のものなのです。

 

 要は、「すべてであるもの」は魂であり、生命であり、変化であり、人生であり、あなた自身であるのです。

 

 「すべてであるもの」は、神だとも言えます。さらにそれは、愛と、喜びと、祝福と、栄光だと言えます。どれもがイコールで結ばれているのですから、「あなたは喜びと栄光の存在である」と。

 

 ざっと動画のごく一部を紹介させていただきましたが、この後も多岐にわたって霊界のことについて語られています。

 

 私がこれまで学んできたことを(言葉使いや内容の一部が違うのですが)、とてもわかりやすく説明されているようでした。


2024年1月23日火曜日

 

 昨年から続いた精神的な不調は、睡眠不足が大きな原因であることがわかりました。

 

 ある人のブログに”睡眠不足”という言葉がのっていたのですが、その言葉がずっと今まで心に残っていました。

 

 それと今年に入って、無性に甘いものなどが食べたい衝動にかられていたのですが、それは仕事などのストレスが原因だろうと安易に考えていましたが、そうではなかったようです。

 

 自分の中の霊的エネルギーが不足した時に、どうやら睡眠不足のせいで、寝ている間に十分な補充が出来なかったようです。

 

 そのせいで、無意識に食べ物から補充しようとしていたのかもしれません。が、食べ物だけではとても補充しきれないようです。

 

 とにかく今までの私は、睡眠のことをすごく軽く考えていました。

   それどころか、睡眠を削ってでも別のことをすることが美徳だとさえ思っていました。


   睡眠と運動と食事のバランスが大切であることを、この歳になって初めて理解しました。


   これからは出来るだけ睡眠の時間を取るように努めたいと思っています。


2024年1月16日火曜日

 

miyukiのブログのみゅうさんから、読書会のみなさんのために書いて送ってくれた作品です。

 

この他にも、みゅうさんから数々の作品を送って頂いています。

 

残念ながらブログの方は休止中のようですが、日々、頑張っておられるようですね。