その他のお知らせ(2021年)


2021年1月22日

送信者: waka

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 読書会での調和(ハーモニー)について

 

 読書会を開催するにあたって、私は昨年より、調和(ハーモニー)が大切だと語ってきました。

 そして、昨年1214日のお知らせで、『読書会で「不協和音」が編み出される主な原因は、「自分の霊的知識を人に押し付ける」ことが原因です。そこでのみなさんの反応は、話している側の「内なる自分」が、参加者のみなさんを通して、みなさんの反応(態度)となって現れているのであって、自分が思っている「内なる自分」と、みなさんが思っている「外なる自分」とのギャップがそれだけ大きいということでもあります。』と、書き込んだのですが、本当の問題は、私自身にあることに気が付きませんでした。

 

 読書会の場で不協和音を出してしまうことは誰にでもありうることですが、その参加者に対して私は、開催者としての立場から思った通りの運びとなるように、「善悪」の判断をして対処してきました。

 そもそも私は読書会の場やブログの中で、「霊界と呼ばれる世界は、善悪の対立概念を超えた世界ですよ」「個性を尊重していきましょう」と語っているのに、相変わらず(自分にとっての)善悪によって判断し、優劣をつけて読書会を開催してきたことになります。

 それでも、個々の利己的な動機によって起こった問題までを、個性や違いによるものだと言うのは間違っているわけですから、それを見極める力が必要だと思っています。

 

 「個性」や「違い」を受け入れるために、私が圧倒的に欠けているものは、やはり、「愛」というものがよくわかっていないからだと感じています。きっと、人それぞれの違いを受け入れることが出来る人は、それだけ愛に溢れた人なんだろうな~と思っています。

 

 最後に、読書会を続けていくと言うことは、とても大変なことだと経験してみてわかりましたが、霊的知識を学ぶ以上に、他の多くのことを学ぶ機会が得られる場だと感じています。

 

 きっと数年後のみなさんは、今と違っていることでしょう。


2021419

送信者: waka

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 昨日の出来事

 

 昨日の夕方、私が勉強会を終えて帰宅した時、次男がめまいと吐き気と少しばかりの頭痛があって、救急車で病院に運ばれました。直観的に大事に至らないことはわかっていたので、病院へは長男が付き添ってくれました。

 

 私は、さっそく遠隔でのヒーリングを試みたのですが上手くできませんでした。どうしても利己心が、私の心の底に渦巻いているのが感じられたからです。

 

まるで「お前は何のためにヒーリングをするのだ」と、自分が自分に向かって叫んでいるようでした。

 

 それに対して私は、「自分の身が可愛いから、ヒーリングをお願いしているのを隠せませんし隠しません。そして、面倒事は嫌だと言う気持ちを持っていることも、今の私には良くわかっています。長男が次男の付き添いをすると言ったとき、ホッとしている自分がいました。それと同時に、自分が薄情な父親であるかについても理解しました。それでも私は子供たちのために祈りたいのです」と答えました。さらに、「もしも、私の直観が間違っていて、ヒーリングの効果がなかったとしたら、私は今までのようにみんなの前で、霊的なことを話すことが出来ないかもしれない」という、不安と恐怖も芽生えていました。

 

 私は、少し前に自分の身内をヒーリングするのは難しいという話を聞いたばかりでした。さらに昨日の勉強会で、みなさんとヒーリングについて、いろいろと話しあったばかりでした。

 

 まさか自分がそのようなことを経験するとは思いもよらなかったのですが、こうして目の前で起こったことで、本当の自分を、自分自身で知ることになりました。

 

 自分をさらけ出したことで、ヒーリングをすることが出来ました。結果だけを求めてしまう自分を自分が見ることで、ようやく自分の間違いに気づくことが出来ました。

 

 ところで、次男はスピリットやヒーリングについて信じたくないという気持ちを強く持っています。そのため親子であっても、霊的知識についてあれこれ話し合うことはありません。

 

 今朝、再度、病院で診察を受けて、次男の病気は「良性発作性頭位めまい症」と診断されました。特別な治療をすることはないそうですが、ある独特な体操を辛くてもするように言われたそうです。

 

 次男についてはそのような結果となって一先ず落ち着いたのですが、霊的に目覚めるということが簡単ではないということも再認識しました。

 

 それとは別に、今朝、「神の束縛から自由になれ」と、内なる自己が叫びました。これは、自分が今まで抱いてきた「神に対する概念」から自由になれということで、自分の中に、まだまだ多くの矛盾を抱えていることの現れだと感じています。

 

 

 私は、このような経験をひとつずつ積み重ねていくことで、少しずつ成長し、より人間らしくなっていくのだと感じました。 以上でこの話を終えたいと思います。


2021520

送信者: waka

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 今回は、シルバーバーチの霊訓を読んできて、わかったつもりで、実は意味がよくわかっていなかったことを紹介したいと思います。 

 

 私は最近、自分では感覚的にわかっていても、それを他人に説明するのが難しいと思うことが多々あります。

 

 そのうちの一つは、サービス(service 誰かのために何かを行うこと、他者の助けになること)が何故大切なのであろうか?というものです。それと合わせて、何故、利他的に生きるほうのが良いのであろうか?というのもあります。

 

 人によっては、神の摂理でそうなっているから……。神の、あるいは、自然の法則でそうなっているから……。霊的成長するために必要だから……。愛だから……。と答えるかもしれません。

 

 いやいや、私が疑問に思ったのは、神がそう決めたとか法則がそうなっているからとかではなく、何故、あなたはそれが大切だと思ったり、必要だと思ったり、良いと思ったのですか?ということなのです。それは、そのまま自分に対する疑問でもあります。

 

 何故なら、シルバーバーチがそう語ったから、それが正しいのだと、自分で思い込んでいるだけかもしれない……。と、そう思ったからです。言ってみれば、利己的な何らかの欲求を満たすために、利他的になろうとしているだけかもしれないということです。

 

 これを書いている私自身が、霊の存在を信じるようになって、「現世での利益を求めていた自分が、霊の世界での利益を求める自分に変わっただけ」であって、利己的であるがゆえに、霊の世界での利益を得るためには、霊的真理に従わざるおえない……。というのが、本当の所なのだと感じております。

 

 そして、神を信仰し、神の御心に叶う生活を自負する人の中にも、時には、高慢になったり、都合の悪いことには見て見ぬふりをしたり、解釈の仕方を変えて納得しようとしたりする場合もあるかもしれません。

 

 これらのことは、自分が成長出来ない原因はどこにあるのだろうか?と思っていたら、出てきた内容だったので、きっと、私には必要な内容なのだろうと思われます。

 

 話が横道にそれてしまいましたが、私が感じている”サービス„(誰かのために何かを行うこと、他者の助けになること)とは、他者を愛する行為だと思うのです。

 

 それは、ただ一方的に愛する行為ではなくて、他者と神の愛を共有する行為であり、愛を分かち合う行為であると感じております。

 

 つまり、サービスとは、それを通じて愛を分かち合うことが可能であるから、大切なのだと私は思っています。……本当は、スピリットの導きでそのように教えてもらっただけなんですけど。神に感謝しております。

 

 

 以上で終わりたいと思います。

 

送信者: waka

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 補足として、

 新訳聖書にイエスの教えとして、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。」(マタイによる福音書2239)とあります。

 

 私はそうすることによって、他人と愛を分かち合い、神の存在を感じられるようになっていくのだと思っています。

 

 それでは具体的にどうすれば良いのだろうか?と考えた時、その方法が、先に述べたシルバーバーチの“サービス”であると感じております。

 

 このことを書き忘れてしまったので補足を書いたのですが、そもそも、“愛をみんなで分かち合う”ということは、二千年前から地球人類が問われていることのようです。

 ですが、私はこれが本当に難しくて出来ないでいます。

 

 それが出来る人は、きっと、信じられない程の苦難と悲しみの人生を幾多ものりこえて、成長されてきたのだろうと思っています。


2021615

送信者: waka

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 霊的知識というのは、人とのつながりをバラバラにするために学ぶのではなく、神の愛を分かち合うために学ぶのだと、あるスピリットから思いを伝えられました。


2021617

送信者: waka

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 今までの学びを私なりにまとめると、以下のようになります。

 

 世界とは、私たちスピリットの身体です。

 

 あらゆる出来事とは、私たちの心です。

 

 自己とは、私たちを知るための手段です。

 

 幸せとは、神の愛を分かち合うことです。

 

 

 参考になるかどうかわかりませんが、言葉で表現してみました。


2021621

送信者: waka

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 今回は、読書会と直接関係のない話となります。しかも長いですので、興味がある方だけ読んでください。

 

 私は以前のお知らせの中で、カラスの巣に近づいたことによるトラブルについて書きました。そして、自分の中にある「獣性」について、いずれ書きたいとも述べていました。そのことに関連した話をさせていただきたいと思います。

 

 私は5月の末に、カラスに威嚇されたことで、今まで内に隠されていた心の中の恐怖心が表に出てきました。その後、恐怖心を払うかのように、怒りと憎しみの心が強く沸き起こりました。

 

 次に同じようなことがあったら、カラスに対して「やり返したい」という気持ちが強くなってしまったのです。

 そのような怒りや憎しみに支配されて、恐怖心を抱えているのですから、「あぁ、私は獣と一緒だな~。今の私になる前に、私が暗黒界を経験しているというのも、本当のことかもしれないなぁ~。」と、何ともいえない気持ちになりました。本当は言いたくはないのですが、私は過去に暴力をふるったことがあるからです。

 

 私もみなさんのように今まで霊的知識を学んできましたので、そのような心の状態ではいけないと重々わかっていました。が、いくら努力しても、いくら瞑想しても、ある程度和らぐことはあっても消えることはありませんでした。

 

 自分の中に愛があれば、そのような心の状態に苦しむ必要はないと思うのですが、知識はあっても、そんな簡単に愛のある人間になれそうもありません。

 

 10日間ほどたった頃には、最初のカラスとのトラブルから、自分自身の至らなさに問題が変わっていました。実は通勤のための道を少しだけ変えれば、カラスの巣を通らないで済みます。時間にして2~3秒も変わらないですし、私は朝から寄り道ばかりしています。それなのに、私はカラスに屈する結果になるのが許せなかったのです。自分で言うのもどうかと思いますが、小っちゃい人間なのです。

 

 だけど、そういう自分に気づいたら、そのような自分も嫌だと気づきました。それで、結局は道を変えました。

 

それと声なき声が、「共存することはできないのか?」というように、私に提案してきたからです。

 

 「あっ、します。共存していきます。」と、私は答えたのです。

 

 不思議なことに、恐怖心が完全に無くなったわけではありませんが、ほとんど感じられなくなりました。それと同時に、怒りや憎しみも消えてしまいました。私に足りなかったのは、共存の気持ちだったのだと思います。

 

 ところで、この話には続きがあります。

 

 仕事が休みの日のある朝、私の中に、女の子の映像が浮かんできました。正確な時代はわかりませんが、けっこう昔のように感じられました。そして、その女の子は、必死にお経を唱えながら救いを求めているようでした。けれども同時に、その女の子は、お経の意味については何も知らないことがわかりました。」

 

 映像が浮かんだ理由はわからないけど、お経の意味が分からないままでは、その女の子がかわいそうだと思いました。でも、私もお経の意味は分からないし、そもそも私には、以前に比べてかなり良くなったとは言え、何故か仏教に対して相当なアレルギーがあります。

 

 でもその時、「共存する」という言葉を思い出したのです。そして、般若心経なら有名だし、このお経の意味を女の子に教えてあげれば良いと思いました。

 

 けれども般若心経について、いろいろな解説を見てみましたが、これほど解釈が多岐にわたっていて、意味がまるっきり変わってしまうものだとは思ってもみませんでした。しかも、分かりづらい……。

 

 特に「空」についての意味が、人によって違っているのが原因だと感じています。

 

 私は、次のように解釈しました。

 

 「色」とは、私たちが認識できるもので、それは「物質」のことであると思いました。

 

 「空」とは、私たちが認識できないもので、それは「霊」のことであると思いました。

 

 この「霊」とは、ゴーストのことではなく、シルバーバーチの霊訓で語られている「霊」のことです。

 

 私が解釈すると、般若心経における”色即是空” 空即是色”の意味とは、「物質とは、霊によって存在し、形があるように見えるけれども、本当は実体がありません。そのように実体がないものが、私たちには形があるように見えているのです。」となります。

 

 このような感じで般若心経の意味を探って、その女の子を救いたいと思って努力してみたのですが、結果的には、その女の子はある目的のためのきっかけに過ぎずに、私が抱えてきた内面の問題を解決するための出来事だったように感じられます。

 

 今回の話は以上となりますが、生きているといろいろとあるものですね。最後に、仏教を信仰したり学んでいる人は、この「空」を「霊」として、もう一度見直してもらえたら良いなと思います。

 これは私に、スピリットが伝えてくれたことでもあるので……、以上となります。

 

2022年11月21日

振り返って;

 この話をちりりんさんにした時、その女の子を直接助けても良かったのではないですか?と、聞かれました。

 そういえばそうなのですが、その時の私はそのような思いが、まったく出てこなかったのです。不思議なことです。


2021719

送信者: waka

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 こちらは、読書会以外の報告となります。

 

 昨日は、読書会の前に、勉強会で一緒に学んでいる和歌山の方へのメールを返信しました。

 この方は、数年前に退職金や今まで貯めてきた財産を失い、それによって精神も病んでしまって、自殺を考えるまで追い込まれてしまいました。けれども、シルバーバーチの霊訓に出会ってからは、苦しみの中でもがきながらも必死に自分が生まれてきた意味を探し求めてきたそうです。今では家庭菜園やテニスに精を出されるまでになられました。

 そういうこともあって、私はとても立派な方だと感じております。もう、かれこれ6年近くの付き合いになりますが、その間、何度も意見のぶつかり合いがありました。そして、「あの、頑固で変えようのない魂を、よくここまで鍛え上げたものですね。」というのが率直な感想です。

 本人に直接言えそうにないので、ここで述べさせてもらいましたが、本当に素晴らしいと思います。

 

 さらに昨日の読書会の後、以前、職場で一緒だった女性の方と、そのお友達でヒーリング依頼者でもある方との三人で、実際にお会いして雑談を交えながら、三時間ほど霊的知識について話し合いました。

 こちらも2か月に一度、定期的に「お話し会」という形で開催しております。

 いずれ、シルバーバーチをほとんど理解していない人たちと、どのような話をしているのかを紹介出来れば良いな~と思っております。

 

 そして来月は、職場の10名程度の人たちと、「それぞれ利己的な部分を改めて、どのように仕事をしていけば良いのだろうか?」について、みんなで話し合って考えていく予定です。

 

 大したことはあまり出来ませんし、自分をそれほど律することも出来ていませんが、ボランティアも含めて、私なりに人類のために貢献していきたいと思っています。

 

 それと、私のコンプレックスなのかもしれませんが、もっと愛のある人間になっていきたいですね。今も愛のある人を見るたびに、とても羨ましいと思ってしまいますので……。


2021年8月11日

送信者: waka

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 『シルバーバーチ霊訓(三) 第七章 宇宙創造の目的』

 「現在人間という形で表現している意識も、かつては動物、鳥類、魚類、植物、その他、無生物と呼ばれているものすべてを通じて表現されてきたのです。これからもその意識は進化と成長を続け、発展し、拡張し、神性を増し、物質性を減らしていきます。」

 ※無生物とは、石や水などのように、生命がなく生活機能をもたないもの。

 

 シルバーバーチが語っていることを、大きく分けてみます。

 

「鉱物」→「植物」→「動物」→「人間(霊的存在としての自覚はない)→(霊的存在としての自覚がある)」 

 

2022年11月21日

 補足

 

 第3段階(密度・レベル)と言われる人間としての課題は、霊的存在としての自覚を得ることとなります。

 本来、霊的存在である人間ですが、鉱物の時に、自分という存在に気付くことを経て、植物・動物へと進化していきます。

 そして、光(神)に向かって成長するようになり、人間へと成長していきます。

 霊的存在として目覚めた後は、次の第4段階へと進化していきます。

 その第4段階へと進化するための課題が愛と調和であり、それは他人への奉仕、つまりサービスを通して成長することで可能となるのです。

 しかし、その段階を十分に経験することなく、さらに上の第5段階(光と叡智)へ進もうとする場合が見受けられますが、結局は、さらにその上の段階へと進もうとしても、愛と光、調和と叡智との釣り合いが取れないために、地上への再生を繰り返すことになるようです。

 だからこそ、今の地球人類にとって、シルバーバーチの霊訓が大切であることと、何よりも、今、地上で身に付けなければならないことが、愛と調和であり、それが、サービスを通して可能となるのです。


202196

送信者: waka

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 先ほど、私はある方のヒーリングを試みました。

 それを終えたとき、その方にとって、とても大切な方からメッセージを受け取りました。

 「愛は死を超えるんだよ」と。

 「とても辛い出来事の向こう側には、幸福が待っているから…」と。

 言葉としてではなく、その思いという形としてです。

 

 神様どうか、その方に思いやりと、悲しみをのりこえるための力をお届け下さい。

 いつのまにか、私の目から涙がこぼれ落ちました。

 

 まるで天使がその方の所へ、愛を育むために地上に降りて去って行ったように感じました。

 

 これは、私がヒーリングをしたことによって与えられたストーリーですが、私にとっては現実のことです。

 

 けれども今回は、まるでおとぎ話のように感じるのでした。


20211021

送信者: waka

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 今回は、雑談となりますので、興味がある方だけ読んで下さい。

 

 最近、信憑性に疑問が残る「霊言」と言われているものや「チャネリング」と言われているものを読んでみました。

 私の霊的視野と知識が少しでも拡大することを願ったのですが、書かれているものによっては読むのが辛くなって、途中で読むのを断念しました。

 

 さらに、1980年代に交霊術によって伝えられたとされる数々の「霊訓」と言われるものの一部を読んでみましたが、特に、「イエス・キリストの霊訓」と言われるものは、読んでいる私の方が、何だか申し訳ない気持ちになってしまいました。

 正直なところ、それらの霊訓は、「霊媒が今まで得た知識を、それぞれ知識として掴んだスピリットの個性を利用して、結局の所、自分の願望を交えて話している」ように思えました。

 

 人によっては、「そんなことはない」と言われるかもしれませんが、スピリットが変わっても伝わってくるエネルギーが同じなのはどういうことなのでしょうか?

 

 それら霊言は、霊媒のフィルターを通しているのだから、そのように感じるのだと言われたとしても、私には、「本人の中に蓄積された知識が、スピリットの個性というフィルターを通して話されている」ように伝わってくるのです。

 

 つまり、「逆チャネリング?」っとでも言えばよいのかもしれません。それは、「地上の人間が、スピリットを通して(利用して)、自分の無意識化にある思いを伝える」というものです。

 

 たぶん、私のインスピレーションだって、そうではないと言い切れないのですから、霊能力と言われるものには特に注意が必要だと思っています。

 

 それでもスピリットの方たちの協力によって、現実の問題を解決出来ていることに驚異を感じています。

 私の私の周りの人たちが困難な問題に直面したときは、「その問題を通してその方の霊的成長が得られますように」と祈るようにしているのですが、一生分の運を使ったとか、奇跡だとか、本当に良かった~とかの声を聞くと、私もやっぱり嬉しくなって、神とスピリットたちに感謝をして、「よくこれが解決できるものですね~」と感心してしまいます。

 

 ごく最近のことで言えば、私が休みの日に、封筒に入っている品物がお客様に届いていないというクレームが入ったのですが、私の上司が確認しにいっても無かったという連絡を受け、私は不安な気持ちが出てくるのを抑えて、自分のためではなくお客様のために祈りました。その30分後に、上司から「何故かもう一度確認したら、私が言った所にあった」というのです。

 それでお客様も「たまたま見えなかったのかもしれない……。」ということになって解決しました。不思議だ~、何故なんだろう?って、言っていました。

 

 また、私と一緒に仕事をしている人にも同じようなクレームが入ったのですが、今回は、もう10日以上も経っているし、原因がわからないので解決出来ないと思われていました。その時も、やはり私はお客様や職場の人のために祈りました。

 そのおかげなのか、二日後にお客様の方からお詫びの連絡がきました。その内容は「受け取っていたのに勘違いしてしまい、本当に申し訳ない。」ということでした。と、このような感じです。

 

 でも、だからと言って、何でもありってわけではないみたいで、その人にとって、「霊的成長につながるかどうか?」が鍵になるみたいです。とにかく、目には見えないけれども、霊の世界の先輩や友人たちも、現実に私と一緒に生きていることを感じております。

 

 話は変わって、個人的に読書会のメンバーと話して気づいたことがあります。自分が霊であると自覚したことによって、地上での利益を求める代わりに、霊の世界での利益を求めている自分って、充分に利己的ではないだろうか?ってことです。結局の所、周りがどうだろうが、自分だけは救われて幸せになりたいだけなんだな~ってことです。

 

 それは反省点として話題を最初に戻しますと、スピリチュアルって、本来の神聖で霊的な意味から離れ、自分たちの思いや考えなど、自分の願望を叶えるための道具として利用されているように感じられます。

 

 例えば、自分がそうなって欲しいことを、霊視によって見る。自分の中の罪悪感を紛らわせるために、そのような霊からのアドバイスを聞く。自分は特別だと思いたいから、特別なスピリットに認められる。現実は思い通りにならないから、霊の世界で思い通りになるストーリーを思い描く……。

 このようなことが、何度も何度も今も昔も繰り返されてきたように思われます。要は、それらを信じる人にとっては真実に映っていたとしても、一般的には、そう思えない人の方が多いのではないでしょうか。

 

 最後に、人というのは、自分の信じたいものが真実であるとの確証を得たいがために、ある人は書物を通して、ある人は偉人を通して、ある人は霊能者を通して、というように、いろいろな方法によって確証を得ようとするみたいです。

 

 シルバーバーチの教えによると、「人間の一人一人の中に、永遠に神と結び、また人間同士を結びつける霊が宿っています。」ということですから、自分の外の誰かや何かに、真実や救いを求めるよりも、自分の内部にこそ、真実があり、救いが用意されているのではないのか?と、私は感じています。

 

 だらだら勝手に好きなことを述べてしまいましたが、目には見えないけれども、愛にあふれた霊の世界の人たちと、みなさんも一緒に生きているということだけは、伝えておきたいと思いました。

 

 

 ここまで、読んでくださってありがとうございます。今回は、以上となります。


20211227

送信者: waka

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 今年一年を振り返って学んだことを書きたいと思います。

 

 今まで、「幸せ」とは、無意識の内にも、快楽を求めることで得られると思っていました。

 今は、「幸せ」とは、神の愛を分かち合うことで得られると思っています。

 その神とは、霊である私たちひとり一人のことでもあると感じています。

 

 たぶん、快楽だけを求め続けても、苦しみが生じてくるだろうと思います。快楽とは、幸せの中のひとつに過ぎなくて、苦しみとセットなのではないのかと、今では思っています。

 

 シルバーバーチが語る「サービス」とは、みなさんが幸せになるための教えなのだと改めて感じています。

 

 来年は、みなさんの幸せのために、少しでも手助けになれるような、そんな読書会にしていきたいです。

 みなさんの幸せを祈っております。来年もよろしくお願いいたします。

 

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