読書会の記録(2017年~)


2017年8月12日

送信者: waka

コメント:

 ご心配して下さる方から、励ましのメールをいただいたり、職場でもブログを読んでくれた方から、声をかけていただいたりと、大変ありがたく思っております。

 私の方は大丈夫です。ご心配をおかけして、申し訳ありません。

 

 ただ、未だに今後の方向性を、自分の中で確立出来ていませんので、しばらく、時間をかけて考えていきたいと思います。

 

 それまで、ブログや掲示板などの書き込みも、減ってしまうかもしれませんが、「足立シルバーバーチ読書会」を存続していくことだけは、諦めないで、続けていきたいです。

 

 私の未熟さを、反省するとともに、私よりはるかに苦しまれている方のために、今後も祈らさせていただきます。

 

2017年8月15日

送信者: waka

コメント:

 足立シルバーバーチ読書会を白紙に戻し、足立舎人会場の方は、9月2日をもって、終了とさせて頂きます。

 足立舎人会場で、ちょうど2年間開くことが出来ました。思い出がいっぱいつまっている大切な読書会でした。

 人生に、これほどまでに、自分に影響を与えてくれるものとは思ってもみなかったです。

 ぜひ、みなさんも、私のようにシルバーバーチ読書会に参加されることを願っています。

 

ありがとうございました。

 

2017年8月25日

送信者: waka

コメント:

 9月の読書会は断念せざる終えなかったのですが、この間、霊界からの導きがなくなったわけではありません。私を導く霊団に従った結果だと思ってもらえれば幸いです。

 そう簡単に神の計画や善霊の働きが、ささいな事でダメになってしまうものでしょうか?一部の方が心配されているような原因(ストーリ―)では、決してありませんのでご安心下さい。

 私は、この会をできるだけ温かく寛容性に満ちたものへとしていきたいと思っております。また、スピリチュアルヒーリングについても、苦しんで困っている方の立場にたった、優しさのある学びにしていきたいと思っております。

 そのため、お互いに自由意志を尊重し、お互いの霊性向上のために少しでも役に立てる場にしていけるように努めていきたいです。

 「足立シルバーバーチの会」は、10月1日からのスタートとなります。足立区での開催となりますが、駅から比較的に近い3つの会場の中から、その時に応じて選んでいく予定です。

 もしも、これから参加をご予定されている方は、お手数ですが「お問い合わせ」から、確認されますようにお願いいたします。

 

 いろいろご迷惑をおかけいたしましたが、これからもよろしくお願いいたします。

 

2022年11月7日

振り返って:

 その当時の読書会は、日暮里舎人ライナー舎人駅(トネリエキ)から歩いた所にある「足立区舎人地域学習センター」で開催していました。

 そこでの読書会は、主に教養室(和室)で開催していました。畳の上でみなさんとシルバーバーチを学ぶのも楽しかったですし、そこから見える外の景色も良かったです。

 さらに読書会を通じて、多くの方々と知り合えたのは、とても良い思い出となっています。

 

 実は、北千住にある東京芸術センターで読書会を始める前に、読書会で私にお世話をしてくださった方といろいろな衝突が発生しました。

 ご本人はバレないと思っていたのでしょうが、嫉妬などが原因して、ある時、私に未熟な霊を送り込んで苦しめようと画策されたことがあります。

 その時の私は、自分の能力に無自覚でしたが、そのような画策がすぐにわかったので、守護霊団に寝ている間の安全をお願いして眠りにつきました。

 

 すると、次のようなメールが朝の5時過ぎに届きました。そのごく一部を紹介します。

 「あなたは霊媒体質で邪霊にとり憑かれやすいのです。昨日からあなを真理の道から逸らそうとする邪霊たちが私に襲いかかり大変でした。といってもあなたはご存知ないでしょう。逆に私はその邪霊をあなたから追い出しにかかりました。何かお気づきになりませんでしたか? 私にできることはどんなに疲れても どんなに大変でもさせていただきます。」

 

 私の霊的な感覚では、力ずくでも私を従わせようとして、ご自身に憑いている未熟な霊の集団に襲わせたように感じました。それが思うようにはいかずに、ご自身の側に何らかの不利益が発生したのだと感じました。(このようなことは、私だけでなく、他の方にもされていたのを後で知りました。)

 結局、そのことを通じて『足立の霊団』という存在を意識し、私の祈りが通じていることを自覚出来たので、霊的には、何かもっと深い意味があったのかもしれません。

 

 今となっては、それも良い思い出ですし、その方には感謝をしております。

 当時は理解できませんでしたが、形は歪んでいるかもしれませんが、その方が私を必要だと思ってくれて、何とか引き留めようとしたのだと感じるからです。歪であるけれども、そこには愛があったのだと思います。

 最後の一文を見ても、「私にできることはどんなに疲れても どんなに大変でもさせていただきます。」と、書かれているように、優しい部分も持ち合わせている方ですが、残念なことに、嫉妬心が強く、自分を常に持ち上げてもらいたいという欲求がかなり強かったので、それ以来、その方とお会いすることはありませんでした。

 

 生きていると、いろいろとありますね。


2017年11月12日

送信者: waka

コメント:

 日頃、より良く生きていきたいと思っていても、自分の事さえ満足に出来ないのに、人のことにまで関わってしまい、辛い思いをしてしまう。

 最近、仕事上の人間関係では、こういうことが続いています。ですが、わりきってしまえれば、それまでなのかもしれませんが、それも出来そうにありません。

 そういう状況なので、今は他のヒーラーの方をとやかく言う気持ちはありません。何故なら、私自身が私にとやかく言っていますから……。

 それに最近、ヒーリングが出来る方はけっこういることがわかりましたし、私が行っているヒーリングが特別なわけではないので、呼び方を「スピリットヒーリング」から、「ヒーリング」に変更させていただきました。

 いつも私が忘れがちなことでしたが、ヒーリングの時や瞑想の時だけ、「霊たちとともにある」という思いを持っていました。けれども、日々の生活の中でこそ、「霊たちとともにある」という思いが大切なことだと思えるようになりました。

 

2022年10月27日

振り返って:

 この頃の私は、ヒーリングの依頼が多く、仕事を終えてから、10名以上の遠隔ヒーリングを行っていた時もあります。

 一人あたりにかかる時間も長く、長い時では、一人につき40分以上の時間をかけて行う時もありました。

 今は、一回の遠隔ヒーリングに4~5分もかからない場合がほとんどです。

 ヒーリングの依頼を受けるようになって、かれこれ5年以上の年月が過ぎ、私も少しは成長してきたと思いますが、本当にヒーリングが出来る方というのは、依頼者の方と通じた瞬間に、癒しを与えることが出来るのだと、霊の世界から伝えられております。そこまでの霊性に至ることが出来れば、とても素晴らしいでしょうね。


2017年11月27日
送信者: waka

コメント:

 最近になって、「自分らしく生きる。自分の思った通りに生きる。」ということが、本当に難しいとうことがわかってきました。

 シルバーバーチの教えに感動して、霊的真理を実践に役立てていこうと努力してきても、その反動で、暴飲暴食をしてしまうこともあります。また、人の幸せを願う反面、許せない気持ちが芽生えて、相手に厳しく接してしまうこともあって、人間関係にヒビが入ることもあります。そして、小さい失敗であっても、それを繰り返してしまい、自分が嫌になることもあります。頑張れば頑張るほど、自分の嫌な所が見えてくるようです。

 もしかしたら、「自分らしく生きる。自分の思った通りに生きる。」ことは、生易しいことではなく、全力で取り組まなくてはならないことなのかもしれません。あるいは、ストレスの解消がヘタクソなだけかもしれませんが……(笑)

 ただ、表面的に意識できる自分の奥に、控えているであろう本当の自分を何とかしなくてはならないと感じることが出来るのですが……、それが本当に難しいと感じています。という今日この頃です。 ---

 

2022年10月27日

振り返って:

 今の私は、これを書いた5年前とあまり変わってないような気がします。以前よりは、暴飲暴食をしなくなった分だけ成長した気がしますが、大食いな所は変わっていません。

 それから、アルコールをまったく飲まなくなったのは良かったと思います。お酒を飲まないと付き合いが出来ないとか、お酒が飲めないのは男らしくないとか、つまらないとか、そういう周りの影響を気にせず対応することが出来るようになれたのは嬉しいことです。

 

 それらのことはともかく、その頃の私が「自分らしく生きる。自分の思った通りに生きる。」と書いたのは、自分と言う存在が、見えない何か、もしくは神や霊や人という存在に支配されていると感じていたせいだと思います。

 たぶん、ずっと昔から、「人はこうでなくてはいけない。ああでなくてはいけない。または、これはダメだ。あれはダメだ。」などのような、ネガティブな指導を、人や霊から受けてきたからだと思っています。

 

 また、私は子供の頃から、「この地上世界に、神によって強制的に放り込まれてしまった。」と、ずっと思い込んでしまっていたので、「早く地上世界から出て霊界に帰りたい。」と、20代の頃から密かに願っていました。

 すると、「逃げてはいけない。同じことの繰りかえし。逃げれば後悔する。」と、自分の中に伝わってくるのです。

 とにかく、その当時はそのようなことを口には出さなかったものの、今、こうして書き出してみると、自分は変な奴でしかありませんね。

 

 もちろん、今の私は、そのような神や何かに支配されているという感覚は、幻想であることを理解しております。

 それを理解したことで一番変わったことと言えば、とても生きるのが楽になったと思えることです。

 今後も、このような振り返りを少しずつ行っていこうと思っています。


2018年2月16日

送信者: 参加者

コメント:

 読書会での「イエスとヒーリング」の話、とても勉強になりました。

 病人が、差別に会うだけでなく(律法で?)死後の救いも得られないとされていた当時、病の癒しには二重の救いがあったのですね。

 当時からヒーリングと(魂の)救いはセットであり、今もそれが大事であると、その視点がなるほど!でした。

  真理を普及する、魂の覚醒を広げていくという目的がまずあって、その手段としての霊的知識やヒーリングなのですね…

 

  そういえば、伝道には必ずしも言葉はいらないと山村幸夫さんの本で読みました。

  "その人のうちから出る本当の光を輝かせた時に、周りの人たちは、どうしようもなくあなたに影響される"そうです。

  シルバーバーチにも"あなたの存在がかもし出す霊の芳香を漂わせることです"とありました。

  ヒーリングは出来ず、霊的知識を話すきっかけも少ないですが、自分に出来ること、自分がこれだと思うことを一生懸命させて頂き、"霊の芳香"を自然と広げていけるようになりたいです。

  それだけでも地球の霊的浄化に貢献していることになり、イエスを筆頭に進められている霊界の運動に加わっていることになるのだと、もっと自分を鼓舞したいです。

 

2018年2月17日

送信者: waka

コメント:

 参加者さん、ありがとうございます。

 

 私が小学生の頃、イエスは架空の人物だと思ったことがありました。理由は、あまりにも病気で苦しんでいた時に、神は私のことなんて見てくれない「イエスなんかいない、イエスの嘘つき」と空に向かって怒りの思いをぶつけていたことを、今でも覚えています。

 さすがにシルバーバーチの霊訓を読んでからは、そんなことはありませんでしたが、そんな私が「イエスとヒーリング」について話しているのだから、不思議に思います。

 

 今はヒーリングの力がないとしても、参加者さんに必要な力(ヒーリングに限らず)が、知らず知らずのうちについてくるのではないでしょうか?

 

 参加者さんの「ヒーリングは出来ず、霊的知識を話すきっかけも少ないですが、自分に出来ること、自分がこれだと思うことを一生懸命させて頂き、"霊の芳香"を自然と広げていけるようになりたいです。」という思いは、本当に大切なことだと思います。

 

2022年11月2日

振り返って:

 この参加者さんは、今も読書会で一緒に学びながら、瞑想をされ、遠隔ヒーリングをされるようになりました。

 彼との最初の出会いは、まだ北千住の東京芸術センターで開催する前からですので、6年くらい前になると思います。

 もっとも、彼だけに限らずに、読書会で出会う参加者の方たちとは、浅からぬ前世からの繋がりを感じております。


2018年3月28日

送信者: waka

コメント:

 ホームページに「シルバーバーチ 今日のことば」より、『自分が何を信仰しているのかを宣言しても何の意味もありません。大切なのは、日常生活をどう生きているかです。』をのせていますが、振り返ると私自身が、ずいぶんといいかげんに生きてきてしまったと思います。

 自分では正しいと思って実践したことが、後になって間違っていたと感じて反省することも多々あります。また、自分ではあまり良いことをしたと感じていないことで、人から感謝をされることもあって、自分の判断が正しいのかどうかがわからない時もあります。

 ただ、今までのことを反省してみると、失敗の原因が少しずつわかってきました。それは私の中にある「まぁ、いいか~、しょうがない」という、いいかげな所ですが、その奥にある「嫌われたらどうしよう」という不安や恐れがあることがわかってきました。

 過去に人が周りにいても、強い孤独感を嫌と言うほど味わってきたことが原因かもしれません。そういう私の弱さが隙となって、未熟な霊たちの標的となっているのだろうと思われます。

 今は、先輩心霊治療家のアドバイスにもあるように、読書会を10年間続けられるように努力し続けていきたいと思います。とても未熟な私ですが、みなさん、よろしくお願いいたします。

 

2022年11月2日

振り返って:

 今はホームページに、その言葉をのせていませんが、やっと、『自分が何を信仰しているのかを宣言しても何の意味もありません。大切なのは、日常生活をどう生きているかです。』と語ったシルバーバーチの言葉の意味がわかってきました。

 5年以上前の私は、自分がスピリチュアリズムを学ぶことで、スピリチュアリストという肩書を、あるいは、ヒーリングによって病気を癒せるようになって、ヒーラーという肩書を欲していたように感じます。

 たぶん、それは私の無意識の中でのことでだと感じていますが、自分は他の人とは違うのだという満足を欲していたのだと思っています。

 今は逆に、スピリチュアリスト、あるいは、ヒーラーなどの肩書を名乗って、自分は特別なのだと得意になって語る人には、ちょっと引いてしまいます。また、そう思っていた過去の自分にも引いてしまいますけど……。

 ただ、自分に対してそう思っているのは悪くはないと思いますが、そもそも人を見るときに、スピリチュアリストやヒーラーが、その人の肩書によって人を判断することなど、あまり考えられないことだと思っております。

 これまで私が続けてきたことでもあるのですが、霊の世界を語る人には、そのような自分を少しでも高く見せようとする自分の内面に、とことん向き合って欲しいと思っています。

 私は「睡眠中も含めて、24時間のすべてをどう生きているのか?」が、問われているのを感じています。それでも私は、この地球での辛く苦しい地上人生を、できる限り楽しもうと思っています。


2018年4月9日

送信者: waka

コメント:

 4月読書会の後半に学んだ、「除霊とヒーリング」についてですが、たとえば、病気とともに心霊現象を伴った問題であっても、みなさんと学んだことを実践に生かしていけば、病気とともに心霊現象も解決していくと思っています。

 

 読書会でみなさんと学んでいるのも、地球人類の霊性の向上と幸せのために、地上と霊界の双方が協力して活動していくのがスピリチュアリズムだと思っているからです。

 今、地上で生きている人たちだけではなく、死後救われていない霊たちに対しても救済の手を差し伸べていくことが、私の願いでもあり、やるべきことでもあります。

 

 ですから、ヒーリングの依頼者の方に、もしも憑依している霊がいたとしても、それらを含めて、霊界側の方たちが救済のための活動をされていると思っていますし、また、双方が救われることを願ってヒーリングをさせていただいております。

 

 

 ブログについては、それなりの知識がついてきたつもりでしたが、その知識を日常生活やヒーリングに生かしていくための実践が少ないと感じています。読書会で学んだことをブログに書くのは、(今は自分の未熟さが恥ずかしく感じるので)もう少し実践を通して、もっと学んでからにしたいと思っています。

 

2022年11月12日

振り返って;

 今は、まったく除霊というものをしていませんし、除霊と言う言葉も忘れていました。

 もしも除霊というものが、「自分に都合が悪いから、不都合な存在をどうにかしてくれ」という動機からではなく、自分に関わる霊の幸せを願って行われるのだとしたら、それは除霊とは言わないと思います。

 愛と調和、あるいは、人と人、人と霊とで、お互いに愛を分かち合うことを心掛けていくことが大切だと思っています。


2018年4月27日

送信者: waka

コメント:

 最近、自分が思い描いている思念が、とても恥ずかしく感じるようになりました。今までは、それほど気にならなかったことでも、気になるようになりました。

 仕事時の思念について言うと、今までは、それほど悪いと思っていなかったことでも、「あぁ、また利己的な思いのままで仕事をしてしまっている」というように感じるようになりました。

 普段の生活の時には、「何を食べようか?何を飲もうか?」というように、自分の飲食のことばかり考えていることに気づきました。

 私自身、「人や霊のため」と言いながら、自分のことばっかり考えていたので、同じような失敗を繰り返すのだと、気づきました。

 『原因と結果の法則』を学んでいながら、自分で蒔いてきた種を無視して神や善霊に祈っているのだから、どうしようもないですね。(そのことにどうして、今まで気がつかなかったのでしょうかね……。)

 今さらですけど、自覚できるかどうかは別としても、いつも思い描いている思念がとても大切だと気づきました。

 認めたくはないのですが、「自分がなりたい自分になっている」ということだと思います。

 これからは、思念の管理をして、きれいな状態にしていきたいと思っています。そう思ったら、今までのモヤモヤが、やっと、スッキリしてきました()


2018年8月11日

送信者: Hajime

コメント:

 Wakaさん

 

 読書会、お疲れ様でした。

 

 今回は、9名ほどの参加者でしたが

 「肉体を持った参加者だけでなく、我々に関係したスピリットや、読書会の霊団に連れられて来たスピリットも参加している」

という話を聞いて、なるほどそうに違いないと思いました。

 

 というのも、スピリットはこの場に関わらず、繁華街や病院などあらゆる所で遊び、働き、学び、(我々に)影響を及ぼしているわけで…読書会にも参加すると考える方が自然であると、思い至りました。

 

 参加するスピリットも、決して特別な存在ではなく、我々と同じように不完全で、霊的なことに興味はあるが、その他の趣味や考え方は全く異なる、人間的で個性あふれる方々なのだと思います。

 

 Wakaさんが(今は公開されていない)ブログで紹介されていた、読書会をきっかけに霊的知識を学ばれ、今は逝去された女性も、スピリットの世界で学びを続けながら、足立の会にも(時々?)参加されているのかもしれません。

 

 「志願した試練、本当の苦行」では、輪読された女性が、何気ない箇所だったのですが、思わず感極まって言葉に詰まり、そのまま次の方が輪読を続けました。

 

 誰も何も言わず(その後の食事会でも特に話題に上らず)、静かな一場面でしたが、その時は自分も、なぜか込み上げるものを感じ、不思議な(霊的な?)体験でした。

 

 霊的な条件は、静かで協調の取れた雰囲気の中で整うと言いますから、これからも、我々だけでなく参加するスピリットにとっても学びやすい読書会の場であって欲しいと願います。

 

 会全体の進め方など、まだまだ試行錯誤と思いますが、霊団の導きに従えば万事よきに進むだろうと、安心楽観しております(笑)

 

 今後とも、よろしくお願いいたします。


2018年8月11日

送信者: waka

コメント:

 今回、8月の読書会は、「8章 祈りの効用」でした。参加者のみなさんで「祈り」をテーマにして、進めていきました。

 

 私のように漠然ながらも、小さい頃から神を信じている方にとっては、祈るということに違和感がないようです。けれども、スピリチュアリズムに出会うまで、神を信じていなかった方にとっては、そもそも祈るということに無縁だったそうです。

 

 後半は、スピリティズムの福音から『第5章 苦しむ者は幸いです』「志願した試練、本当の苦行」を読んで、みなさんと学びました。その後、実際に被災地に足を運んでボランティアに参加されてきた方の話を聞かせていただきました。

 

 私は読書会を開催するたびに思うことは、みなさんと読書会で輪読して、より学びを深めていくことで、自分は何とか生きていけるということです。

 何故なら、シルバーバーチの教えを通して、参加者みなさんの思いや声に耳を傾けることで、自分も頑張ろうという意欲がわいてくるからです。

 

 さらに、いろいろ辛いことがあって、自分が苦しんでいる時に、励ましの言葉をかけてくれたり、話を聞いてくれる方がいるだけでも、本当にありがたく感じています。

 今までは、本当に、ひねくれていたので、「励ましの言葉をもらっても、話を聞いてもらっても、問題を解決することは出来ないよ」という思いばかりがわいていました。ほとんど進歩のない私ですが、そこだけは、成長したようです()

 

 次回、9月2日(日)の読書会は、「9章 キリスト教のどこが間違っているのか」です。テーマは、「自分にとって、スピリチュアリズムとは」にしたいと思います。

 

 それでは、次回の読書会もよろしくお願いします。


2018年10月8日

送信者: waka

コメント:

 10月の読書会の報告をしたいと思います。

 

 10月は、シルバーバーチは語る(スピリチュアリズム普及会発行)~「10章 人工的教義と霊的真理」で、テーマは、「自分にとって、宗教とは」でした。

 

 3分間の瞑想の後、最初にテーマを、みなさんにそれぞれ語って頂きました。初めて参加する方もいたのですが、みなさん、自分の考えや思いを話してくれたので、良かったと思います。(ただ、今後の課題として、時間の配分をもう少し上手に出来るように、努力が必要ですね。)

 

 その後、輪読をして、「シルバーバーチが語りかけてくれることは、読書会に参加している人にとっては、当たり前のように受け止められることであっても、キリスト教を信じている人にとっては、そうではない」ということを、休憩をはさんだ後に、説明させていただきました。

 たとえ自分にはそう思えなくても、ここでは、「聖書=神の言葉」であると信じている人の立場に立ってシルバーバーチの言葉に耳を傾けると、さらに学びが深くなると感じました。

 そして、そのような立場になって考えると、「死」というものが人間の原罪がもたらした刑罰であって、「洗礼」を受けなければ救われないと思われる方がいても不思議ではないと思われます。さらに、そのような方にとって、「聖書を否定することは神の言葉を否定すること」に繋がりますから、人によっては、シルバーバーチが神を否定する存在であると感じてしまう場合もあるのだと、私は理解しました。

 けれども、シルバーバーチの教えを学んでいけば、自分の中にきっと正しい答えが出てくることだと思います。問題は、それを受け入れられるかどうかかもしれません……。

 

 テーマとは別に、読書会の終わりの時間を迎える前に、いろいろな問題についての意見交換があったのですが、ここでは割愛させていただきます。

 読書会に参加されている方は、すでにスピリチュアリズムについて、いろいろと学ばれているからなのか、私にとっても、とても有意義な時間を過ごさせていただいているのだと、実感しました。それでは、次回11月3日(土)の読書会も、よろしくお願いします。

 

2022年11月16日

振り返って;

 過去の読書会の報告やブログなどは、ここで紹介している以外にもメールの形で記録されています。

 まだまだこの先も、『足立シルバーバーチ読書会』を続けていく予定ですので、今後も、それらの記録の中の一部だけを紹介していきたいと思っていますので、よろしくお願いいたします。