2021年1月11日
送信者: waka
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本日、1月11日(月)の勉強会の報告をいたします。
今回は、7名の参加者と勉強しました。北神戸ぷちサークル読書会主催者の”ちりりんさん”が参加されて、私の方もとても勉強になりました。
ちりりんさんは、霊的知識を広める語り手であると、昨年から、私の方にインスピレーションによって伝わっていたのですが、私に人間的な甘さがあるために、その事を伝えられないままでした。
と思ったら、他の人からもそのようなことを言われたそうですし、霊的感覚も持ち合わせていますし…グッドですね。
さらに、みなさんの考え(観念)を受け入れてから、私はこのように思いますよ。って、読書会を進められれば、学びに来る方がさらに増えるようですので、頑張って欲しいと思います。
2021年1月18日
送信者: waka
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1月の読書会の報告です。(2021年1月17日開催)
今回は、「シルバーバーチの霊訓(二)三章 一教師の悩みに答える」後半・68ページ3行目から終わりまで、みなさんと学んでいきました。
後半学んだのは、わずか数ページにすぎないのですが、とても中身の濃い内容で、それぞれの方が自分が気になる所を述べられていました。
そして、最後にシルバーバーチは、この三章の締めくくりとして、「神は、あなたの方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません」と語っております。
もう、この言葉がとても私は好きなのですね。私は見捨てませんよ。
ということで読書会の報告は終えることにして、今回、読書会の後半で学んだことをブログにのせたことをお知らせします。
今回、読書会に参加されなかった方も、読書会では伝えきれなかった内容も含めてのせてあります。私の視点での一つの学びでしかありませんが、少しでも参考になれば幸いです。
そして、ここで記録を残すことで、数年後改めて読み返すことで、私の未熟さが私自身感じられるように、今後も努力していこうと思っております。
2021年1月24日
送信者: waka
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1月のオンライン読書会の報告です。
「シルバーバーチの霊訓(ニ)四章 政治家とジャーナリストを招待して」前半の84ページ4行目までを、みなさんと学んでいきました。
今回は、私も含めたみなさんから出された質問を紹介したいと思います。
78ページ6行目「すなわち人類はお互いがお互いの一部であること」とは、どのようなことを語っているのか?
79ページ13行目「遠い遠い昔、どうみても何一つ苦労はなかったであろうと思われる昔からです。」という昔とは、どのようなにとらえればよいのか?
81ページ9行目「魂というものは”ゲッセマネの園„を耐えしのぶまでは”変容の丘„にのぼり着くことはできないのです。」という意味はどのようなものか?(これについては、参加者の方が詳しく述べてくれました)
82ページ7行目「霊的人間としての人権も徐々に認められつつあります。」と語られているけれども、霊的人間とはどのようなものなのか?
83ページ11行目「皆さんとともにホンのわずかな時だけでも精神の活動を止め、…」という所の「精神の活動を止め(る)」とは、具体的にはどのようなことだろうか?
これを読まれたみなさんも、今までわかったつもりで読んでいた所も、いろいろとわからない所があることに気づくのではないでしょうか?ただ、わからない所があるから、面白いと感じる私は変なのかもしれません。
そして、これらの質問が出された後、一つひとつの質問に対して、みなさんから意見を聞いていきました。今回は、みなさんから出された意見を紹介することはありませんが、私一人の視点だけでは思いつかない意見もあって、とても参考になりました。
後半の最初は、私から脳出血で左側の手足が動かなくなってしまった方、坐骨神経痛で何をやっても痛みが治まらず動けなくなってしまった方へのヒーリングの報告をさせていただきました。
どちらも結果は良好でした。脳出血で倒られた方は、目に見える形で現れ、坐骨神経痛の方は、明日、職場復帰が出来るそうです。
報告はしませんでしたが、腎臓ガンの疑いが強く検査入院をされていた方も、最後の最後でポリープであることがわかり、摘出手術をせずに退院されました。
その報告を終えた後は、昨年のオンラインでいつもくそ真面目に固い話ばかりしてきた私でしたので、交流を兼ねて雑談をすることにしました。
雑談の中で神社の話とかも出てきたのですが、詳しい方は本当に詳しいですね。私はほとんど聞いているだけでしたが、感心しました。これで今回の報告を終えたいと思います。
2021年3月21日
送信者: waka
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本日、3月オンライン読書会を開催しました。
テキストは、「シルバーバーチの霊訓(ニ)六章 霊媒現象の原理」前半、109ページまででした。
今回、YouTubeでシルバーバーチの音読を聞いている間、女性のうめき声のようなものが何度も聞こえてきました。
最初は、参加者の方のパソコンが周囲の音を拾ってしまったのかもしれないと思い、みなさんに聞いてみましたが心当たりがないようでした。また、参加者のみなさんも聞こえたようですが原因はわかりませんでした。
そこでもう一度、YouTubeでシルバーバーチの音読を聞いてみることにしたのですが、今度はうめき声が聞こえませんでした。
それで、「ZOOMの混線などによって他から入ってしまった声ではないのか?」という意見もあったのですが、今度は、みなさんと話している最中に再び「同じうめき声」が聞こえました。しかしそれは、私ともう一人の参加者に聞こえたようで、他の参加者には聞こえないようでした。
そして最後には、その参加者の方にのみ「うめき声」が聞こえて私には聞こえませんでした。
こうなってくると、今回のテーマと何らかの関係があるように思われましたが、私には原因がわかりませんでした。
ただ、こうして読書会の報告をしている間に内なる意識から伝えられたことは、あれは「うめき声」に聞こえたかもしれないけれども、「話し声」だったということです。その声に意識を合わせてよく聞いていたのなら、その声の意味がわかったそうです。
今回、このような体験をして、「自分がどう受け止め、どう判断し、どう活用していくのか?」は、みなさんの自由であるそうです。
その原因が未熟霊によるものかもしれないし、今回のテーマに対する霊的存在からの何らかのメッセージ、あるいは、機械の不調や何らかの不具合が原因によるものかもしれません。
私の霊的な体験はこんな感じなので、他のオンラインで話されている女性の方の話を聞くと、いつも、とっても綺麗で、幻想的で、美しい話ばかりなので、この差は、心の美しさの差であるのかもしれないですね。
そういうわけですが、次回のオンラインは、5月16日(日)です。参加者の意見を参考にして、テキストは、「シルバーバーチの霊訓(十)」となります。
それでは、今回もシルバーバーチの霊訓の内容に触れることは出来ませんでしたが、参加者の方たちは、本当に良く学ばれている方ばかりなので、私の方こそ学ぶことが出来てありがたいです。
2021年3月31日
送信者: waka
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3月26日、ちりりんさん主催のホワイトイーグル読書会に参加させていただきました。
『自己を癒す道』第六章 高級の自我Ⅰの文中より「太陽人」という言葉が出てきました。
「今は身体がくすんでいますが、もし聖火に火がついて活動したら、身体の波動は高まり、輝いて美しくなります。
それは神人すなわち太陽人の域に近づいたわけです。この神人達が地球の創成の頃に大地を歩いていました。」
その「太陽人」ついて、読書会の後、私なりに調べてみました。
参考資料は、ホワイト・イーグルの教え「アメリカ大陸の太陽人たち」グレース・クック著 でくのぼう出版です。
第一章 太陽人たちの到来 22ページより
「ホワイト・イーグルは私に、生命の法則に関する教え――その「太古の叡智」こそあらゆる宗教の基礎であり、それらの叡智はこの人類周期の初めに、ある人々によって人類にもたらされたものである、と指摘してきました。
ホワイト・イーグルは彼らのことを、「太陽の神々」とか「太陽人」と呼んでいます。
彼らは遥かかなたから地球にやって来て、今は海底となっている土地に降り立ち、まだ幼い、霊的には純粋な人類に、自分たちの叡智をもたらしました。
彼ら太陽の神人たちは人類に、神の法則を教えました。また、肉の束縛を脱して再び神へと帰る道、神意識そのものとなる生活方法を教示しました。」
「今は海底となっている土地」とは、かつてアトランティスと呼ばれていたものか、またはレムリアと呼ばれていたものか、それ以外のものなのかはわかりませんが、いろいろ想像してみるのも面白いと思っています。
私の感想ですが、シルバーバーチは、霊的真理を受け入れやすい言葉で凄いことをさらっと語っているように感じているのですが、ホワイト・イーグルは、時々、「なんだそれは~」ということを自然に語っているようにも感じております。
今までの私だったら、全ての知識にあれこれ白黒をつけて判断したがっていたと思います。でも、霊的知識の学びが進んでいくうちに、私が無知で未熟なだけであったことが多々あるので、ホワイト・イーグルが語っていることも、白黒つけずに楽しむようにしています。
最後に、ちりりんさんのシルバーバーチ読書会の方も、私とは違った視点で見ることが出来たり、他の方の霊的体験談を聞けたりして面白かったです。
2021年4月4日
送信者: waka
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本日開催した、4月の読書会の報告をしたいと思います。
今回は、「シルバーバーチの霊訓(ニ)七章 霊媒が入神しているとき」を輪読しました。その後、それぞれの参加者から気になったところを述べてもらい、それについてみなさんで話し合いました。
複数の方から、123ページ、「私たちの世界こそ実在であり、あなた方の世界は実在ではありません。そのことは地上という惑星を離れるまでは理解できないことでしょう。
あなた方は幻影の中で生きておられます。全て〝影〟なのです。光源はこちらの世界にあります。実質の世界です。こちらへ来て始めて生命とは何かということがお分かりになります。」という所が気になったと述べられていました。
これに対しては、読書会の後半で「セスは語る」を紹介し、地上世界の仕組みについて私なりに説明させていただきました。さらに時間と空間についての理解を深めるために、「相対性理論」を作る際にアインシュタインが前提とした「相対性」についても学びました。
私としては、同じく123ページ、「この霊媒の身体を通して語る声としてしかご存知ないわけです。ですが私も実在の人間です。感じる能力、知る能力、愛する能力をもった実在の人間です。」「どうか、私のことをあなた方の兄貴だと思ってください。あなたを愛し、いつも側にいて、精一杯あなたを守り導きたいという願望をもって腐心している兄貴と思ってください。」というところです。
これを読んでいる方は、霊性が高くなればなるほど”人間離れした神聖さ〟を思い浮かべるかもしれません。ですが私が教わった限りでは、霊性が高くなれば”より人間らしくなっていく〟のであって、人間はもともと神聖な存在であるというものでした。
だからと言って、私がシルバーバーチを、”兄貴〟と呼べそうにもないのですが……。
124ページ、「私たちは、やっていただいたことに対しては必ずそれなりの支払いを致します。いつもこう申し上げているのです───施しをする人は必ずそれ以上の施しをしてもらっており、差引勘定をすればいつも戴いたものの方が多くなっていると。施す者が施しを受けるというのが摂理なのです。」
過去の私のように、それとなく見返りを期待して施しをしていたらダメでしょうけど、わたしもそのような摂理があると信じております。
また、みなさんが気になったところで多かったのが、125ページ「完璧な信仰は完璧な愛と同じく全ての恐怖心を追い払うものだからです。人間が恐れを抱くとまわりの大気を乱す波長を出し、それが援助しようとする霊を近づき難くします。霊的な力が地上において本来の働きをするためには、静かで穏やかな確信───全ての恐怖心が消え、より大きな生命力と調和した光輝が漂い、何が起きようと必ず切り抜けられることを信じ切った、そういう確信が無ければなりません」
いろんな所で恐怖心を抱かないように、シルバーバーチは語られています。が、なかなか簡単に出来ることではないと感じております。
後半は「あなた方は幻影の中で生きておられます」ということに関して、なるべく優しい形で説明させていただきましたが、やはり難しかったのではないかと思われます。
どうかこれに懲りずに、今後も読書会で一緒に学んでもらいたいと思います。それではみなさん、お疲れ様でした。
2021年4月24日
送信者: waka
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昨日、ちりりんさん主催の「ホワイトイーグル読書会」に参加させていただきました。
参加者の一人として、感想を述べたいと思います。
読書会が始まる前のことですが、ちりりんさんがこの「お知らせなど」を読んでくれたようでして、次男の病気について少しだけ話し合いました。
ちりりんさんの「病気になるまで、すごく大変だったのでしょうね」という一言がとても心に響きました。
そういえば、先月、次男は専門学校を卒業したばかりでした。しかし、就職が今も決まらず無職のままですので、本人はとても辛い日々を過ごしてきたのではないだろうか?と気づきました。
それに気づいたことで、次男に対する思いがガラッと変わりました。私は次男に優しい気持ちを持てるようになれて、とてもありがたかったです。
「病気になったから大変になった。というよりは、病気になる前から大変だった。」ということを、ヒーリングをする側であればわかることも、今回、私はわからなかったことも理解できました。
読書会で、「黙想と瞑想の違いは何か?」と質問が出されました。人によって答えがいろいろとあるようですが、私なりの解釈を述べたいと思います。
「黙想は、ある一つのことに集中して自分のバイブレーションを高めていく状態にしていくこと。瞑想は、無心になって、高いバイブレーションを受け取れる状態にしていくこと。」と、イメージしております。
言葉の違いよりも目的の違いを述べさせてもらいましたが、あくまでも私の視点からの解釈となります。
『自己を癒す道』第六章 高級の自我Ⅳに、次のような文章があります。
『誰しも愛するにあたり、戸惑いをします。「どうしても愛せない人がいるのです」とこう言います。我らの答えは次のとおりです。個人的感情をストップしなさい。愛のために愛しなさい。神がいかに美しいか、神の創られた万物がいかに美しいかを思いなさい。そうして、心をこめて魂をつくして神を愛しなさい。キリスト神性を愛しなさい。』
今、職場の人間関係について相談を受けている最中で、私も一緒に学んでいる所です。そういうこともあって、この文章に目が留まりました。とても奥の深い意味がこの文章に込められていると感じました。
そして、次の一文では、『万事が、皆さん、貴方の心できまります。貴方の考えるとおりに、貴方はなります。』とあります。
ホワイトイーグルの語る言葉は、短い文章の中にたくさんの意味が込められているようです。このようにみなさんと学ぶことがなかったとしたら、わかったつもりで読んでしまって、それで終えてしまったことだと思われます。
主催者のちりりんさんもそうですが、読書会に参加される方たちはとても良く霊的真理を学ばれているので、私は参加するたびに勉強になって嬉しいです。
そして、子供の頃からは考えられなかったことでもありますが、宗教を抜きにして、神や霊について、みなさんと話せる場があることに、とても感謝しております。
オンラインがあまり得意ではない私ですが、これからも読書会に参加して学んでいきたいと思っています。
最後に、主催者のちりりんさんや他の方の話を聞いている間、「そうですね~」と共感を抱いたとしても、オンラインだと迂闊に声を出せないだけですので、ちゃんと聞いていますのでご安心を……。ということで、みなさんと学ぶことはとても楽しいことですね。以上で終わります。
2021年5月2日
送信者: waka
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本日開催した5月読書会の報告です。
使用図書は、シルバーバーチの霊訓(ニ)です。今回は、「八章 背後霊の仕事」最初から~136ページまで輪読して学びました。
この章で、シルバーバーチは、「私たちの仕事の基本は〝協調性〟にあります。あくまでも人間側の自由意志と腹蔵の無い同意のもとに手をつなぎ合って進まないと成功は得られません。しばしば言ってきたことですが、私の言うことがどうも変だと思われたら、どうぞ受け入れないでください。拒絶してください。私は絶対に誤りを犯さないとか叡知の全てを所有しているなどとは思っておりませんから、同意が得られない時はいっしょに考え合って、お互いに勉強していきましょう。」と語られています。
私が読書会を開催するにあたって、このシルバーバーチの言葉を大切にし、決して忘れないようにしております。
そして、「そういう方法で行けばきっと成功します。威圧したり強制したりして仕事を進めるやり方は私たちは取りません。神から授かった理性の光で導き、一歩一歩みずからの意志で踏み出すように仕向けます。」と続いています。
これは交霊界に限らず、読書会の場合にも当てはまることだと感じています。シルバーバーチであってもこう語って、お互いに勉強していきましょう。と述べているのですから、私がそれを見習わないわけにはいきません。
さらに、この章の最初の方に、「宇宙の機構について詳しい霊がいても、あくまでその時点までのその霊の経験の結果としての知識を述べるのであって、まるで知らないことについては答えられません。知らないことは何一つないような霊は決していません。」とありますので、あらゆる全てのことを知っているという霊も人も、シルバーバーチの言葉によれば存在しないことになるのではないか?と、思っています。
最近の読書会では、一つの章をゆっくりとしたペースで進めて行くようになりました。何故なら、来月八章の続きを学ぶのですが、例えば「霊的なエネルギーの貯蔵庫」とは、どういうものであろうか?「エクトプラズム」とは何か?そもそも地上の人間に「背後霊」が存在するのは何故か?「大自然の法則」が存在するのは何故か?など、私自身、わかったつもりでいることが多いからです。
ただ、ゆっくり進めたからと言って、それらがわかるということでもないと思いますが、少なくとも、今までのノルマ的なやり方を改める機会にはなると思っています。
私の願いのひとつに「霊的知識を人の幸せのために役立てていく」というのがあります。そして私の中では、その知識たちがまるで生き物のように、みんなの所に行きたいと願っているのです。
変な話ですよね…。
送信者: waka
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読書会の報告の中で、一つ伝え忘れたことがありました。
読書会の中で、シルバーバーチのコインの表と裏について語られていることを例に出し、もしも今の現実が不幸に満ちたものとして地上世界に映っているならば、地上世界に現れていない霊的世界の側では、不幸の反対である幸福が非顕在化の形で存在しているのです。と、私は述べました。
今、世界を覆っている世界的苦難は、同時に、その反対の意味が顕在化していない形で含んでいて、コインの表と裏のように、同じコインの片方の側面が現れているにすぎないと私は理解しています。そして人は、どの側面が地上に現れるかで感情が揺れ動き左右されてしまうと感じています。
このシルバーバーチの教えによって、大きく変わった価値観があります。今までを振り返れば、人の善の部分だけを愛し、悪の部分を憎んできた私でした。つまり、私が満足できる相手の部分を善として愛し、そうではない相手の部分を悪として否定してきました。
私は自分に対してもそのような思いを持っていたので、当然、相手そのものを愛せているわけでもなく、かといって、自分そのものも愛せているわけではなかったのです。
私は人の表面、見かけ上にすぎない部分を天秤にかけ、気に入った所だけしか見ないようにしてきたわけですから、愛についてよくわからないのも当たり前ですよね。
もしかしたら霊的知識が豊富な方であっても、かつての私のように、コインの片方しか見えていないままの人もいるかもしれません。それでも、今これを読まれている方は、シルバーバーチのコインの表と裏のたとえの意味について理解されているのではないでしょうか?
もしも人から愛されたければ、まず、人を愛することから始めれば良いのです。そのことを私は、(今年で五十歳になるわけですが)気づいたばかりです。
このように霊的知識は、自分の中の歪みの部分に気が付かせてくれることもあります。ということを伝え忘れていました。以上となります。
2021年5月16日
送信者: waka
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5月のオンライン読書会の報告をしたいと思います。
本日開催の読書会では、シルバーバーチの霊訓(十)「一章 シルバーバーチの挨拶」を輪読し、みなさん一人ひとりから意見や感想、質問などを述べてもらいました。
その後で、みなさんと気になった部分について話し合ったのですが、私がみなさんに対して質問をしたことを紹介したいと思います。
「すべて神の計画どおりに進行しており、今後もそれは変わりません。人間が邪魔することはできます。計画の進展を遅らせることはできます。が、宇宙最高の霊が地球救済のために開始した計画を台なしにしてしまうことはできません。」
この文章の中で、私が質問した部分は、「宇宙最高の霊」とは、どのような霊であるのか?大霊とシルバーバーチが述べている存在なのだろうか?
そして、他の方が質問していたのは、「地球救済のため」とは、地球人類はそこにどのように計画の中に含まれているのだろうか?というものです。
これについて、みなさんといろいろと話したのですが、ここでは答えを求めることはせずに、それぞれが自分なりに理解を深めていければ良いということで結論は出すことはしませんでした。
そしてみなさんに、神についての認識をどのように持っているのか?ということも質問させていただきました。
何故なら、法則であるとも言われている大霊に対して、人格を持った神に対するような祈りをするのは何故なのだろうか?と、私は疑問に思っていたからです。
その答えは、私なりに私の中で持っているのですが、みんさんはどのように思っているのか知りたかったからです。
最近思ったこととして、霊的知識を悪用してはいけないということについて考えたのですが、確かに霊的知識を利用して、地上的な欲望を叶えるようなことはやってはいけないな~と思いました。霊的知識をお金に変えている人もいるかもしれませんが、そのような人は、どのような霊の世界にいくことになるのかも気になりました。
以上、読書会の中の一部しか紹介できませんでしたが報告を終えたいと思います。
21年5月26日
送信者: waka
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私が前回のお知らせを書いた翌日のこと……。
早朝の6時過ぎ、私は仕事に行くために自転車にのっていました。そして、近くの公園の脇の道路を通った時(その時間は人通りがほとんどないにも関わらず)、反対方向から2台の自転車が並列して走ってきました。
そのため私は、たくさんの木に囲まれている民家の方に避けて通らなければなりませんでした。
その後、何故か、頭の後ろの方で鳥の羽ばたく音がしました。2度ほど、その羽ばたく音がしましたが、これはカラスの威嚇だと後ほどわかりました。ここ十数年のうちに一度体験したことがありましたが、その時も、今の時期のようなカラスの繁殖期だったと思います。今回、木に囲まれている民家にカラスの巣があって、それに近づいてしまったために威嚇されたようです。
たまたまとか、偶然はないとシルバーバーチは語っています。私はカラスに威嚇されたことで、今まで内に隠されていた心の中の”恐怖心”が表に出てきました。
カラスだけではなく、犬や猫が威嚇するのは、”恐怖”を感じるからだそうです。ただ、カラスの場合はヒナを守るために、危害が加えられる”恐れ”を回避するためだと思われますが、相手を攻撃するのは、やはり、恐怖心が根底にあるからだと思われます。
別にカラスに直接突かれたわけではないのですが、だんだんとカラスに対して怒りがこみあげてきました。
今回のことで、心の平穏を感じている(と思っている)さらに深い場所にある”恐怖心”を、具体的に感じるようになりました。この”恐怖心”こそが、私が常日頃感じていた”何だか得体のしれない微かな違和感”の正体だったようです。
この”恐怖心”がもっと強いものであったとしたら、私は心身に異常が現れて何かしらの病気になっていたと思っています。
”愛”の反対って、何だろう?と考えてみると、私が子供の頃は”憎しみ”だと思っていました。しかし、”憎しみ”は、どうやら形を変えた歪な”愛”であるようです。
そして、”愛”が冷めると”無関心”となりますが、この”無関心”が”愛”の反対だという意見もあります。ただ、この”無関心”とは、”愛”が少ない状態のことではないのか?と、私は感じております。
私はシルバーバーチの教えを学んできて、自分の中で何度も何度も思い巡らしてきたことですが、”愛”の反対は、”恐怖”だと感じております。
利己的な状態というのも、自分の思い通りにならないことへの”恐怖”が根底にあるからではないのか?と、感じております。
つまり、自分で意識しているか?していないか?の違いがあったとしても、自分はこうあるべきだと思っている”私”という存在が脅かされる”恐怖”のために、そうさせているのだと、私は感じています。
私は時々、私の内側である精神を探索してみるのですが、何か困ったことがないと、中々深く掘り下げていくことが出来ないようです。
感覚的には胸の奥にある見えない通路が詰まっているせいで、愛のエネルギーが出ないだけではなく、なんとそこにはたくさんの恐怖心が通路をふさいでいます。その”恐怖心”は、今までの体験を通じて積み重なったものであると感じています。
シルバーバーチは、”恐怖心”が霊力の通路を遮断してしまうと語っておりますが、まさにその通りだと感じておりますし、霊力の通路が開通するためには、”愛”が必要だというのにも納得がいきます。
ただ、シルバーバーチが述べる”霊力”とは、霊能力者が扱う霊能力のことではなく、神を源とする根源的な力のことだと、私は認識しております。
最後に、早朝、平行して走る自転車を避けたことをきっかけに、”恐怖心”と”愛”について考える機会が与えられました。そして、私の場合、今まで溜めこんで癒されてこなかった”恐怖心”は、心の隅に押し込められて感じさせられなくなっていただけでした。
その”恐怖心”から自分を守ろうとして、過去に怒りや憎しみの感情で相手を攻撃したり、あるいは、お酒で気を紛らわせたり、物欲に走って逃げようとしてきたのだと思います。
今は、そのようなことに気が付いただけですが、いずれは今の自分が癒される日が来れば良いと思っています。
人によってはヒーリングをする側の人間が、何故、癒されていないのだ……。と、感じるかもしれません。私の場合、一つ一つの体験を通して実際に学んで内省し、霊訓などを勉強しながら、少しでも人の役に立てるような生活を心がけていくうちに、まるで薄皮をはがすように癒されています。
だから、これからも長い道のりになると思っていますが、それが楽しい日々でもあります。ということで、長々と私のことを書いてしまいましたが、この拙い文章を読んで下さって感謝しています。ちなみに私は、カラスのことが結構好きです。何かと嫌われることが多いですし、私もそう思うこともありますけどね……。
2021年5月29日
送信者: waka
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昨日、ちりりんさん主催の『ホワイトイーグル読書会』が開催されました。その読書会に参加しましたので、その報告をしたいと思います。
今回は、『ホワイト・イーグル 自己を癒す道』桑原啓善訳(でくのぼう出版)の「静寂の心 原著の序文 及び、一、大師の魂は不動」の途中まで輪読し、それぞれの参加者が気になった所を述べていきました。
そして、ちりりんさんが他の人の意見を聞いた後、それをまとめながら説明される形式で進められています。
そのような形で、一時間みなさんと集中して学び合うと、あっという間に時間が過ぎてしまいます。それが”ちりりんさん”の読書会の良い所なのだと思います。
内容の方は、ホワイトイーグルの”静寂の心”の原著の序文の中に、「私達の日常生活で直面するさまざまの試練に、勇気と知恵をもって対処できる、その一助となるのです。」とあります。
私について言うと、ちょうど昨日、仕事のことでいろいろとあった後に、読書会に参加させていただきました。自分では仕事を一生懸命やってきたのですが、それでもお客さんとのトラブルや職場の人間関係の相談、さらには、会社側の強制的な対応などが問題となって、けっこう精神的にも疲れている状態でした。
私は、この”静寂の心”に書かれている短い文の数々を読んでとても癒されました。また、ちりりんさんの話や参加者のみなさんの話を聞いて、自分が抱え込む必要がない他の人の課題までも、私は手を出していたのだと気づきました。
さらに私が感じていた”恐怖心”は、読書会で話されたように、もしかしたら幼少の時、あるいは前世からきているものかもしれないですね。
その真偽は私にはわかりませんが、読書会でみなさんと話が出来たことで、とても癒されたように私は感じております。私もそのように参加することで癒されるような読書会にしていきたいと思っています。
それでは、神に感謝して、みなさんにも感謝をしつつ、報告を終えたいと思います。
2021年6月6日
送信者: waka
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本日の6月読書会の報告をしたいと思います。
今回は、『シルバーバーチの霊訓(二)八章 背後霊の仕事 後半136ページ~』を輪読し、みなさんの意見を聞きながら学んでいきました。
そして後半は、「自己犠牲」について、みなさん一人ずつ、順番に話していただきました。ここでみなさんが話された内容を一つずつ紹介することはしません。ですが、この「自己犠牲」をテーマにして、いろいろな人と話し合えたのは、とても貴重なことだと感じております。
そもそも身近に親しい家族や友人がいたとしても、「自己犠牲」について話す機会は、限りなく無いに等しいのではないでしょうか?
そして、この言葉が今の時代に相応しくないとして、残念ながら、シルバーバーチの教えを受け入れられないという人も見受けられるそうです。
ここで、この「自己犠牲」という言葉を理解するために、この「自己」とは、何であるのか?を、私なりに理解したことを語らせていただきたいと思います。
そうは言うものの、この「自己犠牲」については、私が多くを語れるような自身の成長が出来ていないと思っています。ただ、それを理解するためのヒントを知ることが出来たということです。
まず初めに、私たちは神の一部として、個性を持ったスピリットであると私は学びました。私たちは肉体の死によって霊となるのではなく、もともとスピリットとして存在してきたとされるので、霊的には誕生もなければ死もないのかもしれません。
スピリットの個性が、地上世界で表現されたものが「自己」であると私は思っております。そしてそれは、スピリットの道具となり、霊性進化のための手段であると認識しています。
しかし、非常に多くの人たちが、スピリットのための手段であるはずの「自己」の役割を忘れ、「自己」そのものの幸せを追い求め、自分がスピリットであることを忘れてしまったようです。
今の地球人類に思いを寄せれば、「自己」をスピリットとして思える人はごく稀だと思います。むしろ、「自己」を「自我(エゴ)」と思っている人が大半だと思っていますし、「自我(エゴ)」の幸せを求めて、自己中心的な視点となっているように感じています。
非常に多くの人たちがこの三次元世界である地上の中で、まるで、「自我(エゴ)」こそが本当の自分であるかのような夢を見ているようです。
その夢から覚めることが、霊的に目覚めるということなのだろうと、私は思っております。
ですから、「自己」と言われる存在をどうとらえるかによって、「自己犠牲」についての受け止め方がみなさん違ってくるというのが、今の私が感じていることです。
次回は、私の「獣性」の話について書いていきたいと思っております。恥ずかしながら、私はいろいろな過ちを繰り返してきました。
そういう私ですので、みなさんと霊的知識を学んでいけるチャンスがあることは、とても有難いことです。それではこれで報告を終え、次回の読書会でみなさんとお会いしたいと思います。
2021年6月12日
送信者: waka
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昨日、ちりりんさん主催の『北神戸シルバーバーチ読書会』に参加させていただきましたので、報告したいと思います。
オンラインでの読書会ですが、何度もみなさんと顔を合わせているとだんだんと親しみが湧いてくるものですね。それはそれとして、テキストの「シルバーバーチの霊訓(一)六章 役に立つ喜び」116ページの続きから輪読し、みなさんの意見や感想をそれぞれ聞きながら学んでいきました。
参加者が多かったので、みなさんが述べられたことを紹介しきれるわけではありませんが、印象的だったのは、ちりりんさんが最初にNさんに意見を求めたことです。
やはり、いろいろと学ばれているNさんにスタートを切ってもらうのは良いな~と、私も感じました。それから内容の方は、霊的目覚め、霊的成長、他人との分かち合い、他人を変えることは出来ないなど、短い文章の中に大切なことがぎゅっと詰まっているように感じました。また、それぞれの視点を知ることで、一人ひとりの受け止め方が私とは少しずつ違うことも感じました。
そして、六章の最後の一文に「霊こそ実在です。物質は実在ではないのです。あなた方はその実在を見ることも触れてみることも感じることもできないかもしれません。少なくとも物的感覚で感識している具合には感識できません。しかし、やはり霊こそ全ての根源であることに変わりありません。」とあります。そして、読書会の最後に霊的感覚に優れた女性の方の話を聞くうちに、シルバーバーチが語っている「霊こそ全ての根源である」という意味が少しだけですが、私も実感することが出来ました。でも、あまり理解出来ませんでした。
来月、出来るならば、もう一度その話を詳しく聞いて学びたいと思っております。
最後に、このように霊の世界がどのようになっているのかを、たとえほんの一部であっても、肉体を持っているうちに教えてもらえるとは想像出来ませんでした。私は学べば学ぶほど、スピリットの偉大さを感じるようになっていたのですが、一方で、地上における「私」の非力によって、それが幻想であるかのように思えてしまいます。
それでも、みなさんとともに、幽界の先にある世界の話を実際に聞けたのは、みなさんそれぞれが霊的成長のために頑張っていらっしゃるからだと感じました。それは、とても素晴らしいことです。 以上
2021年6月26日
送信者: waka
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昨日参加させていただいた、ちりりんさん主催のホワイトイーグル読書会の報告をしたいと思います。
使用図書は、ホワイト・イーグル『自己を癒す道』となります。
今回は、『静寂の心 一、大使の魂は不動」99ページ~
「安全」「接触を保て」「一言」「神に心をすえて生きなさい」「愛は光です、光は生命です」「神霊の現前」を輪読して学んでいきました。
まず、「大使」という言葉をどう受け止めるでしょうか?人によって受け止め方が違ってくるように感じられました。
ホワイトイーグルの原文がわからないので何とも言えないのですが、「大使」という言葉は、外交使節の最上位のものを指します。もう少し具体的に言えば、正式な名称は「特命全権大使」です。互いに直接会って話す機会が限られている国のトップに代わり、自国の全権代表として条約に調印・署名できるなど大きな権限を持っているそうです。
私は、イエス・キリストを「the Master」という言葉で表すこともあるということから、「大使」という言葉は、Master(マスター)という意味ではないのかと思っていました。
そして、参加者の方は、「ホワイトイーグル」を大使だと思っていると語っていました。さらに、ちりりんさんは、そのようなマスターという意味に限らず、グループソウル(類魂)の統括霊も含まれるのではないのかと語られていました。人によっては、それが「シルバーバーチ」なのかもしれません。
このように「大使」という一つの言葉について、いろいろみなさんと語っていくだけでも楽しいものです。「大使」という言葉に注目すれば、「神の代理」「神の使い」というようにも感じられます。結局は、みなさんそれぞれが感じた通りで良いのだと思っています。
「安全」という一文に、「幼児の信をもって」という言葉があります。「幼児のように素直に疑わず、嘘偽りのない心で」ということだと思われますが、参加者の方も述べられていましたが、これが難しいと思います。
さらにその一文の中に、「世の人は貴方を裏切ります。」とあります。いろいろと過去のことなどが思い出されて考えさせられます。
「接触を保て」という一文では、「神との確かな接触さえ保てれば、人生に悪いことなど起こりません。」とあります。これには続きがあって、「但し、魂の目を覚ましていねばなりません。」とあります。
参加者の方が、これについて詳しく説明してくださったのですが、全部をここで書くことは出来ないので、かいつまんで書かせてもらいます。
霊の世界からすれば、この地上世界は仮想世界であって、霊的成長のために参加しているという客観的な視点を持てれば、地上世界での「悪いこと」は、霊にとっては必ずしも悪いこととは言えないそうです。本当にそうだと思います。そういえば、シルバーバーチは、霊的成長になることは善であり、悪とはその反対のことであると語っていたと記憶しております。また、この地上世界を去った後は、地上世界が夢の世界だったように感じるとも語っていたような気がします。
最後に、ちりりんさんから未熟な霊の導き方などを含め、読書会を終えてからも、いろいろとアドバイスをいただきました。また、参加者のみなさんからは、誠実で飾らない言葉でいろいろ話されたことが印象に残りました。
読書会では、私が紹介しきれないほどいろいろな意見や感想が出てきます。そういうのがとても良いと思うし、私は好きです。
みなさん、お疲れ様でした。
2021年7日4日
送信者: waka
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7月読書会の報告をいたします。
本日開催の読書会では、「シルバーバーチの霊訓(ニ)九章 この世、そしてあの世」(前半)154ページ10行目までをみなさんと輪読して学んでいきました。
みなさんと話して感じたのは、あの世…つまり霊界という概念が、それぞれの人で違うということでした。
シルバーバーチの霊訓を学んでいる人であっても、ただ単に「霊界」と言った場合、それが、幽界~神界までを含めた霊の世界なのか?暗黒界をも含めた霊の世界なのか?それとも、幽界・霊界・神界と界層を分けた内の狭義の意味の霊界なのか?…というように、いろいろな意味が含まれています。
まず、これらの概念があることをみなさんと確認した上で、シルバーバーチの霊訓の中身について話し合いました。また、そうしなければ、みなさんと話が嚙み合わない場合も多々あると思われます。
ところで、私は「スピリチュアリズム」が凄いと思うのは、人と霊を救済するという目的はもちろんですが、地上世界に「霊」という概念を作り上げたことだと思っています。
何故なら、「霊」を信じるとか信じないとかの自由意志が持てるのは、そもそも「霊」という概念があるからです。その「霊」という概念があることで、各自がいろいろな観念を持てるようになったのだと思います。
さらにシルバーバーチは、「The Great Spirit is life, life is the Great Spirit.(神が生命であり、生命は神である)」と語っています。さらに「生命」とは「霊」でもあるということですから、私たち人間一人ひとりは、神の一部、あるいは、神のミニチュアであると言われております。
話を戻すと、他の所でシルバーバーチは、「幽界とは地上界の写し」であると述べています。そうだとすれば、この九章で語られている「霊界」とは、もしかしたら「幽界」のことかもしれません。もし、そうではなくても、幽界に近い霊の世界だと私は感じております。が、私では、霊界のことを語れないのが残念なことです。
それというのも、地上の概念を持ち越した延長上の霊の世界と「霊界」と呼ばれる世界では、やはり違うということしか私には感じられないからです。
それはまるで、私が「waka」というパーソナリティとして地上に現れる前は、何者だったのだろうか?どういう世界にいたのであろうか?ということを述べるようなものだからです。
私はスピリットです…と言葉のみを語るのは簡単ですが、何故、霊性の違いによってそれぞれ世界が変わるのか?何故、高級霊と呼ばれている存在は、他の界や暗黒界でも高級霊でありつづけられるのか?今、グループソウルの仲間はどうしているのか?もしも肉体の死後、魂の故郷に戻れないときは、「私」とは他のパーソナリティが生み出されるのだろうか?などなど、本当にたくさん、いろいろと学びたいことがあります。
そういえば、まったく読書会の報告になっていないことに気が付きました。どうもすみません。
後半は、シルバーバーチの霊訓(二)の九章前半を終えて、みなさんと他のことについてもいろいろと話し合いました。それから、元々私は親戚のけっこう大きな寺の跡継ぎだったのですが、(高校を卒業するときに)それを断った経緯なども紹介しました。私はすっかりそのことを忘れていましたが……。
2021年7月11日
送信者: waka
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7月9日に開催された「ちりりんさん主催のシルバーバーチ読書会」に参加しました。
テキストは、「シルバーバーチの霊訓(一)七章 心霊治療と生命力(前半~129ページ2行目まで)」でした。
読書会では、みなさんのお話を聞くことが出来て良かったです。
私は読書会の参加後、自分を取り巻く状況についていろいろと考えさせられました。
何故なら読書会を終えた後に、5名のヒーリングが控えていたからだと思います。
ヒーリング依頼者のそれぞれの症状として、肉体的な症状の方が1名、肉体的な症状よりも発達障害や精神的な症状の強い方が4名です。
その中で精神的な症状が強く、常に人間関係のトラブルを抱えている人は、30~40歳の男性3名となっております。
これから述べることは、あくまでも私の経験からでしかありませんし、全てのケースに当てはまるわけでもありませんが、常に人間関係のトラブルを抱えている人には、「正しさ」や「正義」、あるいは、どちらが正しいのか?間違っているのか?という二者択一に強くこだわる傾向が見られました。
柔軟性にも欠けていて、彼らの中の「正義」という枠から外れる人を許せない傾向も見られました。
案の定、周囲の人たちから話を聞いてみると、彼らこそ「病んでいる」と思っていて、「性格が悪い」「わがまま」「ずるい」「人の話を聞かない」「一度決めたら譲らない」「自分が得することばかりしようとする」など、呆れている場合が多かったです。
もちろん良い所もあると言ってましたが、それを台無しにしてしまうほど迷惑を受けているということです。
つまり、お互い協調していくという発想が見られず、また、理解出来ないみたいなのです。
そして、困ったことに依頼者である彼らは、自分と向き合って反省することを避けます。そのような話になると、話を変えようとするか、人を責めたり、自分の正しさを証明しようとします。
さらに「自分がどれだけ正しくて、相手(や環境など)がどれだけ悪くて間違っているのか?」ということを力説されます。
被害者は自分であり、周りが理解しようとしないのが駄目だと言うのです。
簡単に言えば、「自分の思い通りにしたい」という気持ちから、その思いを正当化するためには何でもするようですが、相手の気持ちを大切にするという気遣いは、一ミリも働かないようです。
今、私はそのような方のヒーリングを受け持っています。どういう訳か彼らには、多かれ少なかれこのような共通点が見られました。
私は、お子さんのヒーリングに対しては、依頼内容に関わらず、素直に依頼者の幸せを祈ることが出来ます。
しかし、先に述べさせていただいたような場合は、彼ら依頼者の利己的な部分が大きく見えてくるたびに、ヒーリングをすることに苦痛を覚えることがあります。
それでもヒーリングを通じて、私自身が成長する機会を与えてくれているのだと思えば、少しだけですが感謝の気持ちが芽生えてきます。それに彼ら依頼者は、過去の私と重なる部分が多くあります。もしかしたら、もっと酷いところもあったかもしれません。
とにかく私から言えることは、肉体の死後、霊の世界に持っていくことが出来ないものは、実在しているとは言えず、幻影でしかないということです。
けれども、霊の世界に持っていけないものにこだわっている人が大半で、肉体の死後に持っていけるものに気持ちを向けている人は少ないようです。
霊の世界で必要なものは何であるのか?このように考える機会を持つことも必要だと思います。
私は、肉体を癒すためには魂の問題にまで踏み込む必要があるのだと感じています。
やはり、ヒーリングを通してみなさんと成長していくことが、私の課題だと感じていますので、今後もあきらめずにやり通していきたいと思っています。
以上となります。
2021年7月19日
送信者: waka
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7月オンライン読書会の報告です。
使用図書「シルバーバーチの霊訓(十)二章 何のために生まれてくるのか」をみなさんと輪読しました。
その後、それぞれ気になった個所を述べてもらい、みなさんと話し合いました。
22ページの「太陽がさんさんと輝いている時、つまり富と財産に囲まれた生活を送っているようでは霊的真理は見出せません。」という一文に、みなさんからいろいろな意見が出されました。
この「富と財産」というものを、どのようにとらえるのか?または、考えるのか?によって、変わってくるからです。
ほとんどの意見としては、自分では使いきれないほどの「富と財産」というものでしたが、参加者によっては、「温泉に行くのも良くない。外食をするのも良くない。その分を恵まれない人に寄付をしなければならない」という意見もありました。
ただ、それは極端な意見だと感じます。特定の苦しんでいる人を助けるために、その他の人に苦しみを強要したり、代わりに苦しみを受けることで、みんなが幸せになれるとは思えません。
それは「自分の中にある欲求を満たすために出た意見ではないのか?」と感じました。
そうとは言え、苦しんでいる人を見て見ぬふりをして、手を差し伸べようとしないのは問題だと感じます。が、ここはこれくらいにしたいと思います。
実は、この「富と財産」という部分に対して、私はそれほど気になっていませんでした。もともと私が産まれる直前に、両親が北海道から東京に出てきた状態でしたので、6畳一間の共同トイレに住んでいました。そこで、小学一年生になるまで妹を含めて一家四人で住んでいましたし、引っ越した後も5年間は風呂なしのアパートでしたので、一軒家に住んでいる人は、みんな金持ちに見えました。
その時に比べると、はるかに贅沢な生活をしているように感じていますが、今まで、出世をしていない会社員の給料でやりくりしてきました。やはり、子供の頃の貧乏の経験が、今の生活に大きく貢献しているのは間違いないと思っています。
話を22ページに戻します。
その一文の後に続く、「何一つ難門が無いようでは霊的真理は理解できません。困苦の真っ只中に置かれてはじめて触媒が働くのです。」とあります。
もともとは、霊的真理を見出すための状況や理解するために必要な状況について述べているのであって、「富や財産を持つな」とか「難問を抱えろ」とか「困苦に置かれろ」とかを言っているわけではないと、私は感じています。
これは捉え方の問題かもしれませんが、私は、目の前にいる苦しみや悲しみなどを抱えている人たちに対して、シルバーバーチは語っているのだと思いました。
その人たちに、「今、本当に大変でしょうけど、みなさんが貧困にあえいだり、様々な問題を抱えて苦しんでいるからこそ、こうして霊的真理を見出し、理解することが出来るようになったのですよ。だから、誰かを責めたり、あるいは、自分を責めたりして、さらに苦しみを大きくしないで下さいね。」と、耳を傾ける人たちに対して話していると感じています。
けれどもそれは、私の視点であって絶対的なものではありません。人によっては、シルバーバーチの言葉から、「富や財産を持つな。もっと苦しみが必要だ。ベジタリアン(ビーガン)になるべきだ。スピリチュアリズム以外の他の宗教は無くすべきだ。その他にも、〇〇すべきだ。」というような受け止め方をされているかもしれません。
それもやはり、そう思った方の視点からの理解であって絶対的なものではないはずです。
この二章の「何のために生まれてくるのか」という問いに対して、冒頭で「地上生活の目的は人間の霊性の発現を促すことです。」と答えています。
そして、シルバーバーチは、「われわれはみんな人間的存在です。ということは、内部に不完全であるが故の欠点を宿しているということです。もしも完全であれば、あなた方は地上に存在せず私は霊界に存在しないでしょう。宇宙における唯一の完全な存在である大霊に帰一してしまっていることでしょう。」と語られています。
そういえば昨日の読書会で、私は間違ったことを伝えてしまいました。私が人から聞いた話の一つを紹介しましたが、「霊の世界に行った後、人間として生まれた経験のないスピリットたちが、地上で体験した話を聞きたがると話しましたが、そうではなくて、その人と同じような体験をしたことがないけれども、人間として生まれたことのあるスピリットたちが話を聞きたがるということでした。」また、他の霊媒の方の話では、一度も地上に生まれたことのない霊も存在していて、私たちのような進化の方法を歩まないという話もあります。
確かに、肉体を持ったことのない霊として、天使や妖精の存在があげられますが、昨日は、そのことがごちゃ混ぜになって話してしまったので、申し訳ありませんでした。
この二章は、私にとっても「宝の山」とも言える言葉がちりばめられているのですが、その中でも私を大きく揺さぶった言葉があります。
それは、21ページの中の文章となります。「そもそも人間は死んでから霊となるのではなくて、もともと霊であるものが地上へ肉体をまとって誕生し、その束の間の生活のためではなく、霊界という本来の住処へ戻ってからの生活のために備えた発達と開発をするのですから、死後も生き続けて当たり前なのです。」
最後に、たった一枚の木の葉が落ちたことを神が知っているのだから、一人の人が霊的に目覚めれば、そのことは宇宙に知れ渡り、世界が変化していくのだと私は思っています。
そして私は、ナザレのイエスがそうであったように、シルバーバーチは、地球人類が好きで好きでたまらないのだな~と思っています。そういう所を、私は見習って自分のものにしていきたいです。
以上となります。
2021年7月26日
送信者: waka
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ホワイトイーグル読書会の報告です。
”ちりりんさん”主催で、7月23日(金)に開催されました。
その日は、東京オリンピック開会式などと重なったこともあって、いつもより参加人数は少なかったです。
テキストは、『自己を癒す道』の中の「静寂の心 二、大師は優しく愛に満ち親切」です。
今回のホワイトイーグルの言葉の数々は、短いながらも今の私の胸に突き刺さるものばかりでした。
今回のホワイトイーグルの最初の一文は「利己主義を克服しなさい」でした。
その最後の所で、「聖者はもの分かりがよくて、人間味があります。すなわち人の気持ちがよく分かります。人の喜びや悲しみに入って行くことが出来ます。聖者とは愛そのものです。」とあります。
ここでは、人間味があると語られています。人間味があるというのは、私にとっては救いの言葉です。
何故なら、私としては、けっこう一日、一日を一生懸命頑張って生きているのですが、それでも失敗したり、嫌な出来事にあったり、利己的な思いに振り回されたり、という経験をしているからです。思い通りにならないのが人間だって思えるのが良いです。
ところで、私の経験からですが、読書会などでスピリチュアリズムを学んでいくと、遅かれ早かれ必ずと言っていいほど、解釈を巡って意見の対立が起きるのを目撃します。
特に、「地上生活をどのように生きていくべきか?」ということに関わることが多いです。具体的には、お金や食事に関すること、あるいは、ボランティアや愛についてなのですが、ちりりんさんに聞いたところ、やはり、そういう意見の対立を目にしたことがあるそうです。
私は、他の誰かの人生を歩もうとは思いませんし、自分の人生を歩むわけですから、自分の中の良心に従っていろいろと判断すれば良いと思っています。
それから、もしも自分の中の「愛」に条件を付けてしまえば、それはもはや「愛」とは言えないと思うのです。ですから読書会の中では、「私の意見はこうです。そして、あなたの意見も尊重します。」というように、意見の相違があっても、お互いに調和を心がけていく必要があると感じています。
そもそも読書会とは何でしょうか?私は、思想集団になることでも、教条主義になることでも、宗教集団になることでもないと思っております。
もしも読書会に参加して、「魂の自由が奪われる」と感じてしまうのならば、それはすでに読書会ではなくなっていると思います。
このことは、開催者としての私自身への戒めでもあります。ですから、それぞれの方の思いや考えを尊重するのと同じように、参加者である自分の思いや考えも尊重して欲しいと思っています。
今回、ちりりんさんは、少人数で行われる読書会も良いと感想を述べられていました。私も少人数だったこともあり、かなり深い話を聞くことが出来ました。
特に、食事に関して悩んでいる人の話を聞いて、他人ごとではないな~と感じました。食事の内容もそうなのですが、私の場合はもっと少食にしたいのですが、それがどうしても出来ないのですね。
他の人の悩みを聞いたことを機に、私も改めて振り返ってみました。少食になりたいという私の意見は、私の中では少数派で、タフであることという意見が多数派であることを、私は初めて知りました。なんとなく、過去生の影響も考えられますが、ずっと20代半ばまで病気がちであったことにも原因があるように感じています。
ともかく、私の中にある条件付きの「愛」を、本物の愛にするために、今、次のように自分対して問いかけています。「私はかつて、鉱物であり、植物であり、動物であったのではないか?それら全てを含んでいるから人間になれたのではないのだろうか?そう思えれば、より多く愛することが出来るのではないか?」と。
今回も、ホワイトイーグル読書会に参加したことで、いろいろと学ぶことが出来ました。ありがとうございます。
以上で報告を終えたいと思います。
2021年8月1日
送信者: waka
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本日開催した読書会の報告です。
使用図書は、「シルバーバーチの霊訓(ニ)九章 この世、そしてあの世」(後半)154ページ11行目からでした。
読書会を開催するにあたって、いろいろと注意しなければなりませんでした。何故なら事前に、緊急事態宣言中の利用の自粛に協力する旨の文章が届いていたからです。今までは、電話による確認のみでした。
そのため、もしも今後も読書会を開催し、みなさんと一緒に学ぶことを望むなら、人数制限を含めて「足立区新型コロナウイルス感染拡大防止ガイドライン」に沿う必要がありました。
参加者のみなさんがそのような状況を理解し、読書会に参加されていることに対し、感謝しています。本来なら、新規参加者を募って一緒に学んでいきたいところですが、しばらく出来そうにないのが残念に感じております。
内容について、今回、心に残った所を紹介します。
「物質が霊によって存在が与えられている以上、物質界には真に実在と言えるものは何一つ存在しません。物質というのは霊的実在の波長によって形を与えられた表現の一つに過ぎません」156ページ10行目
ここでは、霊と物質との関係について語られています。おそらくですが、多くの人は霊と物質とは別々のものだという認識を持っていると思われます。しかし、ここでの文章をみると、霊によって物質は存在が与えられていると受け取れます。そうなると、霊と物質とは別々のものとは言えないのかもしれません。
「一人一人が神の無限の可能性を秘めた統一体としての一部なのです」159ページ2行目
この文章を見ると、「一人一人が統一体としての一部である」と受け取れます。果たして、この「統一体」とは何を意味しているのでしょうか?私は、この統一体とは「神」のことを意味していると思っています。もしもそれで合っているとするならば、神とは、唯一神として存在しているわけではないのでしょうか?
ただ、シルバーバーチの数々の祈りを見てみると、そんなことないのかな~。と、感じたりします。
それから神について、聖書で気になる箇所があったので、読書会の場でも紹介させていただきました。
聖書の創世記1章26節
神は仰せられた。「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。」
ここでは、神が「われわれ」と語られているのですよね。何故、「われわれ」と複数形になっているのか?神のことを知ろうとすると、次から次へと疑問が出てきて、わからないことだらけで興味が尽きません。
ただ、私を含めて参加者のみなさんがどう感じ、どう思い、どう考えているのかは、読書会に参加された人たちの意見をそれぞれ尊重したいと思いますので、ここではそれには触れず、問題提起だけにしたいと思っております。
最後に、シルバーバーチの霊訓を学んでいくたびに、その教えが日常生活にとても役に立っていることを実感しています。とにかく、多々嫌なこともありますが、生活が充実していると感じられるようになりました。
ここで今、生きているって、感じられるようになりました。以前は、早く地上から去りたいと願ってばかりいました。本当は、弱虫で逃げたくて仕方ないのに、強がっているのが私であったのだと感じております。
今後も、みなさんと楽しく学んで行って、さらに多くの幸せをみなさんと感じられたらありがたいな~と思っております。
以上で、8月読書会の報告を終えたいと思います。
2021年8月14日
送信者: waka
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昨日、開催された「ちりりんさん主催のシルバーバーチ読書会」の報告をしたいと思います。
テキストは、シルバーバーチの霊訓(一)七章 心霊治療と生命力 129ページ3行目~136ページ最後までとなります。
昨日は、インドネシアからオンラインに参加された方がいました。その方は、シルバーバーチを学んで一年ほどだそうです。読書会に参加して、みなさんと学ぼうとされているのは、素晴らしいと思います。
いつも思うのですが、ちりりんさんの読書会に参加すると、いろいろな人と交流が持てるので楽しいです。
関西からの参加者は女性が多いですし、関東からの参加者は男性が多いので面白いです。
ただ、日本語が話せる方だけしか対応が出来ないそうなので、その点だけ注意が必要です。
実は読書会が始まる前に、ある団体が出されたインフォメーションについて話題になっていました。私もそれについて意見を聞かれたのですが、私は笑って聞いていただけで、「逆にみなさんはどう思うのですか?」と、聞き返しました。
ちりりんさんの所に、そのことについていろいろと問い合わせが来ていたそうですので、反響が大きかったように見受けられます。
さて、今回のテーマが、ちょうど「心霊治療と生命力」でしたので、私がヒーリングをお願いしているスピリットの方についてお話しようと思います。
が、結論から言いますと、名前はわかりませんし、私自身はその姿も見たことがありません。人数もわかりません。
唯一、参加者の方が、読書会の時に空色のダブルのスーツを着ている男性を目撃されたくらいです。父なのかな?わかりません。
また、私自身、霊団の名前に興味がないせいなのかもしれませんが、「無名であることが良い」という思いしか伝わってこないので、読書会のみなさんは『足立の霊団』と呼んでいるそうです。
それから一応、私が呼びたい名で呼んでもかまわないそうなのですが、私は結局『無名の霊団』と呼んでいます。
何故、このような話をしたのかというと、その『足立の霊団』に、私を介せずにヒーリングをお願いしている参加者の方がいて、それで効果が出ているそうなのです。
ここでその仕組みを説明することはしないのですが、面白いと思う気持ちもあるし、ありがたいとも思っています。
最後に、霊的体験を毎月報告されている女性の方の話が、とても素晴らしい内容でした。近くに住んでいる母のために、夜、寝る前に母の体をマッサージをしに行ってあげるそうです。
その時、「母がとても大好き」という心の状態にして、マッサージをしてあげるそうです。そして、いつしかその手が光るグローブのように見えるそうで、その手でさすると、寝たきりだった母が、帰りには立って見送れるようになったそうです。
「母がとても大好き」という心境は、母が子供の頃に良くしてくれたことや、母が苦労したことなどを一杯思い出して、努力して作っていくそうです。ネガティブな思いが出そうになったら、それをはねのけて、母が大好きという気持ちを作り上げてから、母の面倒を見るそうです。
ヒーリングって、そうですよね。私は母に、そこまでの思いを持ったことがありません。本当に勉強になりました。それと、今回は紹介出来ませんが、その女性の方からは、他にもいろいろと話を聞くことが出来ました。
その方の心の綺麗さは、私とは段違いですので、いつも、一つ一つの話がとても綺麗で、清々しいです。けっこう厳しいですが、私も見習っていこうと思います。
ということで、ちりりんさん、今回もお疲れ様でした。以上となります。
2021年9月5日
送信者: waka
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9月読書会の報告です。
今回は、「シルバーバーチの霊訓(ニ)十章 霊訓を必要とする時代」前半169ページ12行目までを輪読して、学んで行きました。
いつもの読書会と今回の読書会の一番の違いは、新しい方が参加されたことです。今現在、足立の読書会では新規の受付をしていないのですが、この方はそれに気づかないままに参加の申し込みをされたそうです。
偶然はないと言いますが、しばらく読書会をお休みされる予定の方がいらしたので、今回からその方が参加されることになりました。
ここでは詳しいことを語ることは出来ませんが、その方が参加されるまでの霊からの導きは、私個人の考えや思いをはるかに超えて働いており、私を含めて、本日参加された方々に大きな学びと体験を与えてくれました。
「十章 霊訓を必要とする時代」の最初の方に、「地上の至るところに悩みを抱えた人々が無数にいます。従来の信仰は瓦解(ガカイ)してしまいました。が、その人たちの心の奥に、自分にも気付かずにいるある種の願望があります。それは永遠の実在の証を求める心です。」という一文があります。
その「永遠の実在の証を求める心」に答えてくれるのが、シルバーバーチの霊訓であると思いますし、その教えを学ぶために導いてくれる存在が、霊と言われている人々だと思っています。
今回、読書会の中で、「人間としての個性と、魂としての個性について」の説明が上手く出来なかったのですが、シルバーバーチは、164ページの中頃で次のように語っております。
「魂は表現を求めてやまないのです。たとえ意識的には自分を理解していなくても、つまりそうした霊性を自覚していなくても、内部の霊的部分、真の個性の欲求を無視することは出来ません。」
この文章を読むと、魂にこそ、私たちの「真の個性」があるのだと感じられます。
まぁ、これらの内容は、私にとって難しい内容ですが、「何故、人間として生まれる必要があったのか?」と、これからも自分なりに追及していくことで、今までわからなかったことも、だんだんと理解出来るようになるのだろうと感じております。
ところで、前回のホワイトイーグル読書会の報告にあった『「弟子たるの道」で語られた「人を裁かず」について』話したいと思います。
今までの私は、自分の思い通りにならないことがちょっとでもあると、それは霊的に正しいとか、正しくないとか、相手と自分に優劣をつけて判断して、自分なりに納得しようとしていました。
しかも、ほとんどの場合は、相手の至らなさを具体的にあげることで、自分を正当化していることに疑問さえ持ちませんでした。
ごく最近になって、「相手の至らない所、不足している所、不十分な所があったとして、それを責めるために、私は人間として生まれたのであろうか?」と、自分に問いかけるようになりました。
「人間性」を身に付けることとは、何であろうか?「人間らしい」とは、どういうことであろうか?そのようなことを、今回の読書会の後半でみなさんと一緒に考えていきました。
読書会の最後で、参加者の女性の方から、「霊的真理とは具体的にどのようなことですか?」と質問されたのですが、これも難しいですね。自然の摂理ですとか、宇宙の法則ですとか言っても、ピンとこないそうです。
まぁ今は、「私たちが神のもとから旅立って、再び、神のもとに帰っていくために用意された道しるべ」って言うようにしか出来ないので、これについても学びを深めていきたいと思っております。
次回の読書会からは、もっとシンプルにわかりやすい内容にしていきたいと思っています。それでは、9月19日のオンライン読書会の方もよろしくお願いいたします。以上となります。
2021年9月11日
送信者: waka
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昨日、ちりりんさん主催の「シルバーバーチ読書会」に参加させていただきました。
その報告をしたいと思います。
テキストは、シルバーバーチの霊訓(一)七章 心霊治療と生命力 137ページから終わりまで、八章 愛の力 144ページ8行目」でした。
七章の「地上で自由を享受するのは人間だけではありません。創造物の全てが自由を享受する資格があるのであり、本来守ってやるべき立場にある人間によって勝手に捕えられ苦しめられ利用されて良いものは何一つありません。その代償は必ず支払わされます。」という個所で、男性の参加者の方は、「これは動物たちのことを言っているのだと思います。」と発言されていました。
さらに、「全生命は不可分のものです。物的形態上の違いはあっても深奥での区別は無いのです。生命は一つなのです。霊は一つなのです。そして霊とは神であり、全存在に内在しております。」と、語られている個所が印象に残ったそうです。
八章では、女性の参加者の方が(140ページ)「あなた方を今日まで導き、これ以後もより一層大きな霊的回路とするための受容力の拡大に心を砕いてくれている背後霊の愛に目を向けて下さい。昼の後には夜が訪れるように、春の後には夏が訪れるように、種子を蒔けば芽が出るように、霊は着実に開眼し一歩一歩その存在意義の成就に向けて階段を昇ります。日常の煩瑣(ハンサ)な雑事の渦中にあって、時には僅(ワズ)かの時間を割いて魂の静寂の中に退避し、己れの存在の原動力である霊性に発現の機会(チャンス)を与えて下さい。」という個所に目が留まったそうです。
他の方は、(143ページ)「真の愛は大小優劣の判断を求めません。愛するということ以外に表現の方法がないから愛するまでです。宇宙の大霊は無限なる愛であり、自己のために何も求めません。向上進化の梯子を登って行けば、己れのために何も求めず、何も要求せず、何も欲しがらぬ高級霊の世界に辿り着きます。ただ施すのみの世界です。」
さらに別の方は、(144ページ)「その意味でも、あなた方には霊の世界の最高レベルの階層と感応するよう努力していただきたい。」というように、人によって目に留まる箇所が違うことが驚きでした。
例えば、「あなた方には霊の世界の最高レベルの階層と感応するよう努力していただきたい。」という所に目が留まった理由を、その参加者の方に教えてもらったのですが、「今は、スピリットの人たちにたくさん助けてもらっているのが実感出来るので、もっと努力して、今まで以上にそのようなスピリットたちと交流出来るようになりたいです」って、感じでした。
そのために、「霊の世界の最高レベルの階層と感応するよう努力」をしたいとおっしゃられていたので、すごいと思います。
一方の私は、ほどほどで良いと思っているので、この部分は、無意識の内にスルーしていました。
私の目に留まったのは、(142ページ)「宇宙に存在を与えたのは神の愛です。宇宙が存在し続けるのも神の愛があればこそです。全宇宙を経綸し全存在を支配しているのも神の愛です。」同じく、「全生命の極致であり、全生命の基本であり、全生命の根源であるところの愛は、」という個所です。
七章の「生命は一つなのです。霊は一つなのです。そして霊とは神であり」という個所と合わせて考えると、愛は、宇宙規模の壮大なスケールで満ち溢れているように感じました。
今回も読書会の最後に、参加者の方の「霊的体験と学び」の報告を聞くことが出来ました。とても勉強になったので、ありがたいです。
最後に、今、ちりりんさんが主催しているオンライン読書会は、とても良い感じで学べていると感じています。きっと日頃から、ちりりんさんが努力されているからだろうと思っています。
私は読書会を開催する側でもありますが、こうして参加者の一人として学んで行けることがうれしいです。
次回も、みなさんの話を聞くのが楽しみです。
以上で、ちりりんさん主催の「シルバーバーチ読書会」の報告を終えたいと思います。
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2021年9月20日
送信者: waka
コメント:
昨日開催のオンライン読書会の報告となります。
使用図書は、「シルバーバーチの霊訓(十)三章 生きがいある人生を送るには」前半33ページ1行目までです。
今回はまず初めに、私が気になった所を述べていきたいと思います。
シルバーバーチは、全てのあらゆる存在は神であると語っています。
「大霊と離れて何ものも存在しません。大霊が全てなのです。」
「霊の働きがあってこそ、すべてが存在できているのです。」
「人間がいかなる説を立てようと、神がすべてに宿り給い、したがって神はすべてであり、すべてが神であるという事実は変えることはできません。」
その一方で、全ての存在であると同時に、創造主であると語っています。
「無限なる創造主であり、その愛と叡智によって壮大な宇宙を経綸し、その完全なる知性によって摂理を考案して、壮大といえるほど大きいものから顕微鏡的に小さいものまでの、ありとあらゆる存在を包摂し、その一つ一つに必要な配剤をしてくださっている大霊を超えた存在は、誰一人、何一つありません。」
神とは、「あらゆる全てのそれぞれの存在であると同時に、あらゆる全ての統一体としての存在(きっと、それ以上の存在)である」と、私には受け取れます。
そして、私たちは、そのような神の一部であるとされ、ミニチュアの神であると語られております。私たちにもそのような考え方を当てはめると、
この「私」とは、ミニチュアとしての神(私)の中の「あらゆる全てのそれぞれの存在(パーソナリティー)であると同時に、あらゆる全ての統一体としての存在(インディビジュアリティー)である」と考えることが出来ます。
「私」という存在を考える時に、以下の文章を考えてみたいと思います。
「生命力すなわち霊がすべての存在、すべての人間に宿っているのです。その最高の形が他ならぬ人類という存在に見られます。」
「物的に顕現している形態そのものには永続性はありません。それが存在を保っているのは霊によって生命を与えられているからです。原動力は霊なのです。」
ところで、過去の私を振り返ると、人間という存在を物質的にしか見ていなかったために、何十年間も誤った認識のままで生きてきました。それは、地上的な思考である「霊」と「物質」という二元的な視点によって、人間という存在を理解しようとしていたからです。
私はそれが間違っているのだと言いたいのではありません。けれども、あらゆる全ての存在は神によってその存在が可能であるのに、「物質」として表現されたものを神から切り離して、物質をひどく軽視していたことが問題であることに気がついたのです。
その問題とは、次のような考え方にあります。
『人間とは、神の部分である「霊」と、その霊から切り離された「物質」によって出来ている』。つまり、「物質」とは、「神とは別の何かである」という矛盾した考え方です。
そのような考え方は、物質そのものを軽視したり、霊性を重視するあまり、人間性に欠ける「思いやりのない」人間となる可能性が含まれていると思われます。
私を例にすると、「物質は霊に劣る」、「物質性の強い人は霊性の強い人に劣る」、「悪人は善人に劣る」、「人間性は霊性に劣る」、「パーソナリティーはインディビジュアリティーに劣る」というように、全てを二元的(霊と物質)(善と悪など)に分けて判断することで、あらゆることに優劣をつけながら生きてきました。
今ではそれが間違った考え方だと感じております。本当は、霊と物質とでは現れ方の違いがあるものの、根源的には同じものであるはずです。私には、そのことがわかりませんでした。
そして、物質も含めて、「あらゆる全ては神に含まれる」という視点で見れるようになって、他を見下すような思いが消えていきました。
霊的真理とは何でしょうか?
「(また)私たちの心の視野を常に広げ、自分が何者であり、いかなる存在であるかについての認識を増やし続けてくれる真理(と叡智とインスピレーションの~)」
このようにシルバーバーチが語っている真理を、私たちは「霊的真理」と呼んでいます。霊的というのは、地上だけではなく、どの次元の世界であっても通用するという根源的な意味が含まれています。つまり、宇宙のどこであっても、世界のどこであっても通用する真理を、霊的真理と呼んでいるのだと思います。
そのひとつに、「私たちは霊的存在であり、肉体の死後も存続して生き続けていく」という大切な真理がありますが、そもそも何故、真理というものがあるのでしょうか?
霊的真理とは、宇宙の法則と言い換えることが出来ます。その宇宙の法則とは、「私たちが神のもとから旅立ち、再び神のもとに帰りつくまでの道しるべとなるもの」だと思います。
そして、シルバーバーチは、神は法則であるとも語っております。そういうことから、霊的真理について学ぶこととは、神について学ぶこととなり、それは、「何故、ミニチュアの神として、私が存在しているのか?」の追求でもあります。
このように霊的真理とは、結局のところ、上に記された「私たちの心の視野を常に広げ、自分が何者であり、いかなる存在であるかについての認識を増やし続けてくれる真理」という一文に行き着くのだと思っています。
今回の読書会では、前半の一時間、シルバーバーチの霊訓を輪読した後に、それぞれの方から意見や感想、質問を発言してもらいました。
みなさんからの発言を聞いて改めて感じたことは、三章のタイトルである「生きがいある人生を送るには」、やはり、「人の為に役立つことをすること」だと思いました。
けれども、人の役に立つことをして、それが本当に楽しいと感じられるようになるまでが大変だとも思いました。きっと、そう感じられるように成長する必要があるのだと思います。
後半の一時間は、三章に限らず、幅広い話になりました。また、三章の「(※ この姿勢は頭初からの方針として徹底しており、例えば霊言を公表すべきか否かについてさえバーバネルとスワッハーとの間で意見が対立し激論を闘わせたこともあったのに、シルバーバーチはそのことに一言も口をはさんでいない。
これは霊界の計画だから早く公表するように、といった助言があっても良さそうに思えるのであるが、それすらなく、実際にサイキックニューズ紙に掲載され、やがて霊言集として出版されるまでに十数年の歳月が流れている──訳者)」という部分について、私は「シルバーバーチはそのことに一言も口をはさんでいない」のは、どうしてでしょうか?という質問をしました。
みなさんの意見を聞いて、「なるほど、みなさん大人の意見だな~」と感じました。だって、みなさんから「高級霊とはそのようなものです」という言葉が出なかったからです。
そうではなくて、「シルバーバーチからすると、きっと、こうだったからだと思います」という話でしたので、そこが私は凄いなと感じました。
今回は長くなりましたが、これでオンライン読書会の報告を終えたいと思います。
2021年9月15日
送信者: waka
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昨日、ちりりんさん主催の「ホワイトイーグル読書会」に参加しました。その報告をしたいと思います。
テキストは、『自己を癒す道「静寂の心」三、大師は寛容』となります。
〇「愛するとは善を見ること」では、「愛するとはすべての人に寛容であること、日常生活のすべての出来事に我慢があることです。」と語られております。
そして、「すなわち辛抱・思慮深さ・親切とか柔和、そうあることです。」と続きます。
愛に辛抱が必要だと、私は考えたことはありませんでした。むしろ、愛があれば辛抱する必要はないのではないのか?くらいに思っていました。
そのため過去に、私が相手に対して負担を感じてしまった時には、何かしら理由をつけて避けてしまったことを思い出しました。
辛抱とは、つらいことをじっと耐え忍んだり我慢したりすることですが、その中に、向上心を持ち続けるという意味も含まれているようです。つまり、その辛さをのりこえて成長していくということが、愛には含まれているように感じました。
もしかしたら、「愛の人」とは、すべての人を通して霊的成長を目指し、同時に、すべての人の霊的成長を促す人なのかもしれません。そしてそれは、人に限らず植物や動物などに対しても、その思いが持てる人なのかもしれません。
〇「上っ面の下を見なさい」では、「表面だけを見て物事を判断してはいけません。霊的な因果を見抜く内的視力や洞察力を開発しなさい。そうなれば、人を裁くことができないことが分かりましょう。」と語られています。
私は、自分にとって気に食わないことがあると、心の中で、しょっちゅう人を裁いてしまいます。これではいけないとわかっていても、しょっちゅう人を裁いてしまうので、そのたびに反省しますが、これを何度も繰り返すことで落ち込んでしまいます。
それでも不思議なことに、ホワイトイーグルの教えを学んでいると、「このような道を辿るのは、私だけではない」と思えてくるからありがたいです。
〇「人間の道、神の道」では、「人間の道は他者の行為を憎んで裁くこと、神の道は静かに黙して愛すること」と語られています。
ここでの「人間」という言葉は、地上での視野しか持たないが故に、利己的な道を歩んでしまう人のことを意味していると思われます。そして、「人は人間であると共に神です。」と続いています。このホワイトイーグルの教えは、シルバーバーチの教えと矛盾していないと感じます。
ところで、シルバーバーチの教えに比べて、ホワイトイーグルの教えは、「劣っている」という意見も聞かれるようですが、私もホワイトイーグルの教えを読書会で学ぶまでは、そのように思っていました。
しかし、人間関係に疲れてしまった時には、このホワイトイーグルの「自己を癒す道」を読むと癒されますし、今は、ホワイトイーグルが劣っていると思いません。
そういう経緯もあって、ちりりんさんが「ホワイトイーグル読書会」を開催してくれることに、とても感謝しています。シルバーバーチ読書会は、全国にいろいろと見かけても、ホワイトイーグル読書会は、ほとんど見かけません。
最後に、私は今回の学びで、「人を裁かない」ことと、「忍耐と辛抱が必要である」ことが大切だと思いました。これらのことを、ホワイトイーグル自身が実践されていると思うと、尊敬の念が少しずつですが、出てきます。
普段は、シルバーバーチの教えを中心に学んでいますが、ホワイトイーグルの教えを学んで、視野を広げていくことも大切だと思えるようになりました。
以上となります。
2021年10月4日
送信者: waka
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昨日開催した、10月読書会の報告です。
足立シルバーバーチの会は、初めて読書会を開催してから4年の年月が経ち、今回の読書会で5年目を迎えました。
今まで何度も参加者の入れ替えがありましたが、参加者のみなさんは、それぞれとても良い方たちですので、とても感謝をしています。
10月の読書会では、前半の時間を「シルバーバーチの霊訓(二)十章 霊訓を必要とする時代」をみなさんと輪読し、学んで行きました。
後半の時間を「シルバーバーチの霊訓(一)」の一章から九章までを振り返って、『何故、「私」は存在しているのだろうか?』をテーマにして学んで行きました。
後半は、ちょっと難しかったかもしれませんね。
それから、「霊の力とはどのようなものか?」を知ってもらうために、私がヒーリングをするときの話や、仕事の時の話など、具体的な例を出して紹介させていただきました。
今回、参加者の身内の方のヒーリングをすることになったのですが、費用の心配をされていたので改めてお伝えします。
私はヒーリングをボランティアでやっているので、お金を必要としません。そもそも霊界の先輩たちはお金を必要としていませんし、お金が必要なのは私自身です。私にとって必要なお金は、日々の仕事を通して得ています。
もしも私にとって(現実にはないことですが)、必要以上のお金が入ってくる場合は、そのお金で人の役に立つための実践が求められます。そのような能力が乏しい私にとっては、とっても困ることです。
今回、読書会を終えた後に、7名の方とランチをしました。その席順を決めるために、くじ引きをするのですが、見事に男性だけの席と女性だけの席に分かれました。
参加者から、「女子会って、何歳までの人が言うの?」って、聞かれました。そういえば、女性の方たちは、とても盛り上がっていて楽しそうでした。
私たち男性たちも、「お釈迦様って、今、どうしているのでしょうかね?」とか、「友人がいても、読書会のメンバーたちと話すような内容は話せないな~」とか、「霊能者は性格も含めていろいろだよね~」という話などをで、静かに盛り上がっていました。
普段、私は神に感謝をする気持ちが少ないと思います。それでも、読書会を開催して、みなさんと共に学んで行けることに、神にとても感謝しております。地上と霊界のみなさんにも感謝しております。
私は今までに、何度も何度も「この地上に生まれて来なければよかった」と、思ったことがあります。
読書会に参加して、自分でも開催してからは、「私でも読書会を通じて、少しでも人の役に立つことが出来るんだ。かつての私のように孤独ではないんだ。みんなと一緒に頑張っていいんだ。」と、思えるようになりました。
それでは、来月の読書会もよろしくお願いいたします。
2021年10月10日
送信者: waka
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先日、ちりりんさん主催・10月のシルバーバーチ読書会(オンライン)に参加しました。その報告をしたいと思います。
10月は、使用図書「シルバーバーチの霊訓(一)八章 愛の力 144ページ9行目~149ページい行目」を輪読して学んで行きました。
今回の読書会は、始まりが午後9時からでしたので、いつもより30分遅い開始となりました。午後8時20分頃に、私は「いつもの時間に、なかなか始まらないな~」と思いながら待っていました。が、ちりりんさんのホームページを見てみると、午後9時からとなっていました。
私は読書会が始まる前に、ホームページを確認するようにしたいと思いました。ちりりんさんも仕事と家庭の用事がある中で、読書会を月2回開催されているので、とても大変だと思います。
内容の方は、144ページ11行目~「霊の力の証を授からなくても信じられる人は幸いです。が、証を授かり、それ一つを手掛かりとして他の多くの真理を信じることのできる人は、それ以上に幸いです。なぜならばその人は宇宙の摂理が愛と叡知そのものであるところの霊の力によって支配されていることを悟っているからです。」
みなさん、そのように悟ることが出来れば良いのですが、たぶん、「霊の力の証」を授かる他に、人間としてのかなりの経験が必要なのではないか?と、私は感じています。
それから私自身、「霊の力の証」については、それなりに今まで授かってきたわけですが、ちりりんさんの読書会に参加されている女性の方の話を聞くようになって、さらに、それが実感出来るようになりました。
おそらく、その方が話される言葉以上のものを、参加者のみなさんに届けてくれているのだと感じております。
ちりりんさんもおっしゃっていましたが、その方の話を読書会の参加者だけに留めておくには、もったいないと、本当にそう思います。
例えば、過去に私は複数の人と瞑想していた時があったのですが、その時、私自身は意識があるのに、隣の人にいびきをかいて寝ていたと言われたことがありました。その理由についてもわかりましたし、それ以上のことも教えていただきました。
その他、みなさんの目に留まった個所を紹介したいと思います。
145ページ、「我欲を棄て他人の為に自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。」
146ページ、「愛の最高の表現は己れを思わず、報酬を求めず、温かさすら伴わずに、全てのものを愛することができることです。」「愛は人のために尽くし、人を支え、人を慰めんと欲します。愛は慈悲、同情、親切、優しさとなって表現されます。愛はまた、滅私と犠牲の行為となって表われます。」「地上との間に横たわる測り知れない困難を克服してまで自ら志願して帰って来るのは、あなた方への愛があるからです。」
148ページ、「霊性は書物からは得られません。先生が授けるものでもありません。自分自身の生活の中で、実際の行為によって体得しなければなりません。それは個性の内部における神性の発芽現象なのです。」
「神聖こそ(途中省略)、自分とは一体何なのか、いかなる存在なのか、いかなる可能性をもつかを徐々に悟らせる方向へと導いてくれます。」
149ページ、「物的束縛から脱した霊は二度と死に囚われることがないということです。」「愛は魂と魂、精神と精神とを結びつけるものです。宇宙の大霊の顕現なのです。」
もちろん、他の個所もあったのですが、やはり、シルバーバーチが語る数々の言葉については、私がそれについてあれこれ語るよりも、実際に読んでもらった方が良いと思います。
最後に私事ですが、最近、行き場所を失った息子の友人を一時的に預かっています。そのようにしたのは、もちろん息子にお願いされたのもありますが、その子のことを中学生の頃より知っていて、「いつか私が面倒を見ることになるだろうと感じていた」のが大きい理由です。その子は複雑で大変な家庭環境で生まれ育って、その子の母親も数年前に他界されました。
もしも私がシルバーバーチから学んでこなかったとしたら、何かと理由をつけては、見て見ぬふりをしていたと思います。
一緒に住むのは何かと大変ですが、それでも良いことがいろいろとあります。まず、子供たちが家庭のことをするようになったことです。食事の用意、買い物、掃除など、少しずつですが手伝うようになりました。
本当に今回の私の人生は、たくさん経験して学ぶことが出来る人生だと感じています。
その中の一つに、ちりりんさん主催のシルバーバーチ読書会があります。ありがとうございます。
2021年10月25日
送信者: waka
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今月も「ホワイトイーグル読書会(北神戸プチサークル)」に参加しましたので、その報告をしたいと思います。
開催日は、10月22日、午後9時からでした。こちらは、オンラインでの読書会となります。
テキストは、「ホワイト・イーグル 自己を癒す道 桑原啓善訳」です。
みなさんと学んだのは、「静寂の心 四、大師は静寂、平静、そして不動心」
「我れは汝と共に在り」(127ページ)~「落ち着いて働きなさい」(133ページ)までとなります。
今回は、主宰者のちりりんさんが、途中で退席しなくてはならない出来事がありましたが、そのおかげで他のみんさんとの交流が出来たので、私としてはありがたいことでした。(ちりりんさんは、いろいろと大変だったそうですので、お疲れ様でした。)
最初の「我れは汝と共に在り」にある一文は、「どんなにきびしい試練にあっても、神が居られることを思い出しなさい。」です。ちりりんさんが目に留まった個所がこの一文で、それをみなさんに紹介した後にハプニングが起こりました。
みなさんとの輪読を終えて、一通り意見や感想を出し合った後でした。そのまま終えても良かったのですが、この機会にみなさんと交流することになりました。
それで、関西で開催されているシルバーバーチ読書会のことや霊的なサークルのことを聞いたり、あるいは、個人的な霊的体験を聞いたり、私の体験を話したりなど、わずかな時間しかなかったのですが、有意義な時間が過ごせたと思います。
ホワイトイーグルの「神が貴方を見捨てることはありません」では、神が貴方を見捨てられることはありません。と語られています。ホワイトイーグルが語る言葉は、とても簡潔だと感じます。
ところで、「シルバーバーチの霊訓(二)三章 一教師の悩みに答える」の最後の一文に、
「神は、あなた方の方から見捨てない限り、絶対にあなたをお見捨てになりません」とあります。以前、私が開催している読書会で、「自分から神を見捨てているような人は、神に見捨てられてしまうのでしょうか?」と質問されました。
その質問に対しては、シルバーバーチの霊訓の他の個所に、「神は決してあなた方を見捨てません。見捨てるのはあなた方の方です。あなた方が神を見捨てているのです。」とあるので、シルバーバーチの教えを理解するのは、結構難しいのかもしれないと思っています。
両方を見れば、「神を見捨てているような人は、その人に見合う形での現実が展開され、それに沿った辛い経験をすることになるかもしれません。そのような時でも神は決して見捨てているわけではないのですよ。」って、受け取ることも出来ます。
ちりりんさんの読書会に参加するようになって、ホワイトイーグルが語っていることと、シルバーバーチが語っていることに、多くの共通点が見られることもわかってきました。それでも、ホワイトイーグルならではの言葉も多く見受けられます。
ホワイトイーグルの「世の騒音の下に」では、「貴方は平和とは、お互いの善意、国家間の善意、武器を使わない事だと考えておられる。だが、平和とはそれ以上のものです。」とあり、「それは心の中でのみ理解出来るもの、またその内部で実現できるものです。」と続きます。途中を省略しますが、最後に「それは霊です。神であります。」と締めくくっています。
また、「安定」では、「皆さんも内的平和を守り、内に光明をしっかり燃やしておけば、不愉快な状況に興奮したり、ガミガミ言ったりするよりは、ずっと良い事をしていることになるのです。」というのもそうだと思います。
ただ、「訳す人によって違うでしょう」と言われれば、そうなのかもしれませんね。ちりりんさんが、「シルバーバーチをより深く理解するためにも、日本でホワイトイーグルの本を読むことが出来るのは、大変ありがたいことです。」と語っていました。もちろん、シルバーバーチの本も含めて、こうして私が学べるのは諸先輩たちの尽力のおかげなので、改めて感謝したいと思います。
最近、特に感じていることですが、それぞれの読書会によって、霊的知識の理解の仕方や方向性、霊的な経験にも大きな違いが見えてきています。
私は霊的真理を「神への信仰のための教えや行為をするための宗教」としてよりも、「人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めるための哲学」として、位置づけて学んでいます。
シルバーバーチの言葉で、「宗教とは神に近づく生き方をすることです。あなたの行動の中に神が表現されることです。宗教とはサービスです。奉仕です。」とあります。そのようなシルバーバーチが語る意味での「宗教」でしたら、私はそれが一番大切なことだと思っています。
話は変わって、自分に関わるスピリットたちを、私は大切な友人や先輩たちと感じていて、実際にそう思っています。しかし、世界の全ての人たちを、同じように思うことは出来ておりません。同じように、全てのスピリットに対してもそうです。
けれども霊的に成長していけば、いつかは、シルバーバーチが語るように、全てのみなさんを兄弟姉妹と思うことが出来るようになるかもしれません。(今回は、ホワイトイーグルでしたね。もちろん、ホワイトイーグルも同じように人類を兄弟姉妹であると語っています。)そうなれれば、もっと自分が幸福に満たされていくことがわかるようになりました。
ちりりんさんのオンライン読書会は、開催される時間が午後九時からと遅いのですが、みなさんと一緒に霊的知識を学んで行けることが楽しいので、今後も続けて参加していきたいと思っています。
以上で報告を終えたいと思います。
2021年11月7日
送信者: waka
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本日開催の11月読書会の報告です。
使用図書は、「シルバーバーチの霊訓(ニ)十一章 新しい世界」です。
今回の読書会が開催されるまでに、数名の参加者の方たちに様々なことが起こったようです。
その様々なこととは、急用が出来たり、体調が優れなかったりなどいろいろでした。今回、私は参加することが出来なかった方たちへの祈りとヒーリングを、会場に向かう前にさせていただきました。
内容の方は、ここで語られている「新しい世界」とは、ただ時が過ぎるのを待つことで、いつの間にかたどり着くような世界ではなさそうです。
この「新しい世界」とは、私たちが霊的知識を身に付けて、自己の霊性を自覚していくことによって生まれるようです。それは、世界の物的な発展を通してではなく、霊的な発展を通して実現していくのだと思われます。
中には、「そんなの当たり前だ~」と、思われる方もいるかもしれません。が、私はシルバーバーチの霊訓を学ぶまで、「新しい世界」とは、明るい未来よりも、暗い未来が待っているのだと感じていました。
何故かといえば、今後、世界がより物的な発展に偏り、いつか取り返しのつかないことが、世界に起こるかもしれない……と、いつの間にか刷り込まれてきたせいなのかもしれません。
今は、シルバーバーチが語る言葉に納得していますので、途中、いろいろとあっても、きっと良い世界になっていくのだろうと思っています。
短いですが、シルバーバーチ読書会としての報告は以上となります。次に、霊的な体験や相談について話したいと思います。
今日の読書会の後半の時間を利用して、参加者の方が足立の読書会に参加する前の話として、有名な占い師に見てもらった話を聞きました。
家族のことで本当に辛い思いをされている時に、知人の強い紹介ということもあって見てもらったそうです。しかも、大変な人気だそうで、遠方から来る人も多く、八時間待ちで見てもらったそうです。
見てもらった結果は、「家族の不幸は、人よりも、もっと悪いものが取りついているのが原因」というようなことを言われたそうです。さらに、毎日、その占い師の言うとおりに儀式を続けていくように告げられたそうです。そして、実際に数か月間も、毎日その儀式を続けられてきたそうです。
けれども、(導きがあったのだと思われますが)自分で探した霊能者の方に見てもらったら、まったく違うことを言われたそうで、その有名な占い師との関りを絶ったそうです。
そういう経緯があったことを話されて、私に質問をされました。「有名占い師と霊能者のどちらの方が、本当のことを言っているのでしょうか?」というものです。
「残念ながら有名な占い師の方が、〇〇さんのことをいろいろと言い当てることが出来たのは、知人が紹介するにあたって、〇〇さんの情報を少なからず伝えていたからです。一番簡単なトリックだと思われますが、有名な人ほど紹介制になるでしょうから、本人が実際に見てもらう前に、すでにいろいろと知られているわけです。」というようなことが私には伝わってきたので、有名な占い師の方については、そのようにお話させていただきました。
一方の霊能者については、恐らく本当のことを話されているということを伝えました。先月、その参加者の方に、ご家族について感じていたことを伝えていたのですが、ほとんど私と同じことを話されたようです。
私もその霊能者が話された内容を聞いてみましたが、本当に霊視が出来ていることにとても感心しました。また、そういう人を探し当てることも凄いことです。
余談ですが、霊能者の方に、その有名な占い師の話をして、さらに写真も見てもらったそうです。その方によれば、その有名な占い師の方が憑依されていて、ご家族のことは、憑依とは関係ないものだと言われたそうです。
また、この話をされた参加者の方は、最近、霊感が目覚めて、夢の中で明確な通信を受け取るようになったのですが、自分が夢の中で体験したことと、霊能者が話された内容が一致していたことも確認できたそうです。もちろん霊能者に、そのような情報を伝えていなかったそうです。
締めくくりとして、今回の有名占い師の話にあるように、依頼者の霊視をしているはずの本人が、実は自分こそが憑依されていて、その憑依霊にとって都合の良い映像を見せられているだけで、それを霊視と呼んでいる場合があるということを知りました。
さらに、その内容が理性に反したり可笑しなものであったとしても、「もしも、その話が本当だったら、それを信じなかった自分は、不幸になってしまうかもしれない」という不安や恐怖を利用してくるようです。
そういうことは、いろいろとある○○詐欺のように、地上だけではなく、霊の世界でも、あの手この手と形を変えて行われているようです。
私も含めてですが、「自分だけは大丈夫」という過信にはくれぐれも気を付けていきたいですね。 今回は、このような話をみなさんと話をしました。以上となります。
2021年11月13日
送信者: waka
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昨日、ちりりんさん主催の「シルバーバーチ読書会(オンライン)」に参加しました。その報告をしたいと思います。
テキストは、「シルバーバーチの霊訓(一)八章 愛の力 (149ページ2行目~最後まで)」となります。
この話が出たのは一番最後でしたが、最近は参加メンバーがほぼ定まってきて、落ち着いた感じに思えます。
ちりりんさんの読書会は、開催時間が60分という制限があるので、10名を超えると大変だと思います。今くらいの人数が、ちょうど良いように感じます。もしかしたら、先に霊の世界で打ち合わせを済ませて、今のメンバーに落ち着いてきたのかもしれませんね。
女性の参加者の方は、149ページ7行目「無数の回路を通して光輝を放ちつつ地上に至り」という所に目が行ったそうです。何故、そこが気になったのかを話されたのですが、実際に寝ている時の霊的体験を通して、シルバーバーチが語るその言葉の通りに、無数の回路を通して光輝を放ちつつ地上に至っていることがわかったからだそうです。
そもそも、その部分に私の目が行くことはなかったので、とても勉強になりました。
次に、149ページ2行目「完全なる愛は恐怖心を駆逐します。知識も恐怖心を駆逐します。恐怖は無知から生まれるものだからです。愛と信頼と知識のあるところに恐怖心は入り込めません。」という個所についても、みなさんと話し合いになりました。
話し合うきっかけとしては、「シルバーバーチを長く学んでいても、恐怖心が出てくることがあって、シルバーバーチの言葉の通りに恐怖心を駆逐出来ていない現実がある」ということでした。
それに対して、「恐怖心が芽生えた時は、自分が霊であると改めて認識することで、客観的になることが出来ます」という話が出て、恐怖心が芽生えた原因に対して、いつもより冷静に対処が出来るということでした。
私からは、シルバーバーチの教えを実際にやってみることで、恐怖心を克服していることを話しました。私は恐怖心が芽生える原因に対して、必ず祈るようにしています。具体的には、その原因が人である場合は、「自分の思い通りにしたいという気持ちを捨てます。相手の方の幸せと霊的成長こそを願います。」というように祈っています。
もしも、原因が何かしらの物事や他にある場合は、それに合わせて祈ることをしているのですが、形だけでもシルバーバーチの教えの通りに、我欲を捨てて他人のために尽くす努力をしています。
実は、そうした方が良いと思うよって、私は人から教わったのでそうしているのですが……。それと以前にYouTubeで、嫌な人とか、ムカつく人に、「幸せになりやがれ」って怒ると良いよって、5歳くらいの男の子が言っていたのを思い出しました。そういうのも面白いと思うので、これからやってみようと思いました。
今回は、このような報告となってしまいましたが、他にも”同類魂”(アフィニティー)についての話や、女性参加者の方の霊的体験(グループソウル)の話など、私の文章能力ではとても表現できない話がされました。
最後に、読書会に参加することで、今まで私が学んできたことが「本当のことだったのだ」という確証を得られるようになって、私はとても嬉しいです。
それでは、次回も参加したいと思います。それと、ホワイトイーグル読書会も楽しみにしております。以上
2021年11月16日
送信者: waka
コメント:
今度の日曜日、21日はオンライン読書会の開催予定日です。午前10時から11時50分となります。
テキストは、「シルバーバーチの霊訓(十)三章 生きがいある人生をおくるには」となります。
(33ページ2行目から39ページ12行目までを予定しています。)
その最初の一文に、「地上生活の特異性と目的」が語られております。
「地上世界の特異性は対照的、ないしは両極性にあります。美点と徳性を具えたものと、それらを欠いたものとが同じ地上に存在していることです。これは霊界では有り得ないことです。各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しません。
地上生活の目的は善悪様々な体験を通じて魂が潜在的霊性を発揮して、強くたくましく成長するチャンスを提供することです。それで悪事があり、罪があり、暴力があるわけです。進化は一直線に進むものではありません。スパイラルを描きながら進みます。表面的には美しく見えても、その底はあまり美しくないものがあります。」
私はこの一文を改めて読んでみて、このシルバーバーチが語る「地上生活の特異性と目的」を受け入れているようで、ずっと受け入れることが出来ないままであることが理解できました。
私の中では、だんだんと和らいできたことですが、「霊である自分が地上で苦しみを経験し、スパイラルを描きながら成長すること」が、ずっと嫌で嫌でたまりませんでした。
私の人生は、波はあるものの「地上で生きるのが嫌だという自分との戦いの繰り返し」と言っても間違いではないと感じています。
それでも、「逃げてはいけない」という「声なき声」が内部から感じられ、「逃げたら同じことの繰り返し」という思いに導かれて、何とかここまできた感じです。
また、今までの私は、「相手を受け入れて、霊的成長を願ってきたのか?相手を否定して、霊的成長を願ってきたのか?」と、そのどちらだったのだろうかと振り返りました。
自分で気づくまでは、私は好きな人に、自分の気持ちを相手に受け入れてもらうことが「愛」だと思っていた「勘違いの人」ですし、私の思う通りに霊的成長をすることが「正しい」と思ってきた「傲慢な人」でもあったわけです。
結局は、独善的な善や愛の世界でしか生きていなくて、シルバーバーチが語る「地上生活の特異性と目的」を、受け入れていないだけではなく、知識としても理解していなかったということだと思います。ただ私は、言葉を知っていただけのことだったようです。
私はこのシルバーバーチの一文から、いろいろと考えることになりました。
みなさんは、どうでしょうかね。それでは、オンライン読書会で一緒に学んでいきましょう。
2021年11月21日
送信者: waka
コメント:
昨日開催した「11月オンライン読書会」の報告です。
「シルバーバーチの霊訓(十)三章 生きがいある人生をおくるには」
(33ページ2行目から39ページ12行目まで)を輪読して学びました。
シルバーバーチが語ることによれば、霊の世界は、各界が同じ性質の霊で構成されていて、対照的なものが存在しないそうです。そのため、地上生活のような、善悪様々な体験を通じて魂が潜在的霊性を発揮して、強くたくましく成長するチャンスがないようです。(霊の世界は、地上の世界とは違う成長の方法があるそうです。)
そして、霊界の界層とは、さまざまな発達段階の存在の場のことを指しているそうです。それらが地理的に平面上で仕切られているのではなくて、低いレベルから高いレベルへと、段階的に繋がっていて、それが無限に繋がっており、これでおしまいという頂上がなく、さらに、各界層にはほぼ同等の霊的発達段階にある者が集まっている。と、このように語られております。
このように、地上の世界と霊の世界との違いを知ることは、私たちが、地上の世界に生まれてきた意味を知る手掛かりになると思います。
ところで、この三章は「生きがいある人生をおくるには」がテーマです。その答えは、シルバーバーチがこの章の最初に語られています。それは、「人の為に役立つことをする」ことです。
けれども私は、日々の生活の中で、人の為に役立つことを心掛けている一方で、自分の快楽につながることに目を向けてばかりしまいます。さらに、少しでも自分の思うとおりにいかないと、マイナスの思いが湧き出てしまい、その思いが自分を支配しようとします。
たとえば、「道路を渡ろうと思ったら、信号が赤になってしまった」「ただ近くを通っただけなのに、犬に吠えられた」「あの人の態度は間違っていると思うし、なんだか気に食わない」など、本当に些細なことで、少し経ったら忘れてしまうことであっても、マイナスの思いに支配されそうになってしまいます。
「シルバーバーチ霊言集 二十一世紀のためのバイブル 桑原啓善訳」の中で、次のように述べられております。
〔五十六〕人生はその行為だけでなく、その言葉、その思念からも成り立っている。行為がすべてと思ってはいけない。勿論、行為は重要だ。しかし言葉と思念もものを言う。悲しいかな、貴方がたの多くは、思念の主とならず、その奴隷となっている。
まさに、それは私のことです。行為として見えない思念の側で見ると、「私は心の底から、人類のみなさんを兄弟姉妹だと思って、人の為に役に立つことをしているわけではなく、人の為に役立つことが自分の利益になると知っているから、そのように努力している。」となるようです。
地上の世界では、利己的な自分が隠せると思っていても、霊の世界ではそれが筒抜けで隠せないようです。
「だから、自分にとって辛いことや苦しいことが、いつまでたっても起きるのだ。」と、今では理解しました。
前回学んだ32ページに戻りますが、「あなた方は霊を携えた身体ではありません。身体を携えた霊なのです。本当のあなたは鏡に映る容姿ではありません。それは霊が地上で自我を表現するための物的な道具、複雑な機械に過ぎません。霊は物質に勝ります。霊が王様であり、物質は召使です。
こうした事実を追及していくうちに、あなたの視野と焦点の置きどころが変わっていくことに気づかれます。自分がなぜ地上にいるのか、真の自我を発揮するにはどうすべきか、そうしたことを理解し始めます」ということを、私も様々な経験を通じて理解出来るようになりました。
シルバーバーチが語ることを理解し始めると、この世界の仕組みとかも見え始めてきて、何だか面白く思えてきます。
最後に、ここでは控えるしかないのですが、読書会では具体的な体験をみなさんにお話しさせていただきました。ひとつの辛い経験をとってみても、それが偶然に起こったわけではなく、霊的成長のために、事前に霊の世界で計画され、それぞれが協力することで成り立っているようです。
私も最近、そういことが見えてきたので、今後、少しはマシな自分になれそうな予感がしています。ということで、今回は終えたいと思います。
2021年11月27日
送信者: waka
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11月の「ホワイトイーグル読書会(北神戸プチサークル)」に参加しましたので、その報告をしたいと思います。
11月26日、午後9時からのオンラインの読書会です。
テキストは、「ホワイト・イーグル 自己を癒す道 桑原啓善訳」
今回は、「静寂の心 四、大師は静寂、平静、そして不動心」 浪費をせぬこと(133ページ)~まず、天の王国を求めなさい(140ページ)までとなります。
ホワイトイーグルは、「神と共に生きなさい」で、神が自分の心の中にいること、自分は生命である神の子であること、すなわち、私たちの願いは何なりと神はご存じであることが語られています。
次に「人は神」では、「我らが知り得た真理のすべての力をこめて、こう申します、人間は神です。」と語られ、「人の真我(神我)」「神と自己との毎日のつながり」というように続いています。
「神」という言葉には、本当に様々な意味が込められていると思っています。それこそ、人によって意味が変わってくる言葉だと感じています。ですから、私の理解と他のみなさんとの理解とでは、違うのかもしれませんね。
私がホワイトイーグルは凄いな~と、特に感じたのは、134ページの「永遠とは今です」の所です。
「永遠は今であること、未来とは今であることを知りなさい。時間は過去、現在、未来と分かれていません――魂の内部に、そのすべてが含まれています。」
自分を振り返ると、今の自分が嫌で「本当の私は違うはずだ」というように、現在の自分を否定して、「未来にあるべき自分」を生きようとしたり、過去の自分に後悔して、それに引きずられたまま生きてきた時がありました。どちらにしても、その時の私は、今を生きることから目を背け、逃げていたのだと思います。
「未来などということは、現在に対する反抗です。決して未来ということに目を向けてはいけません。あれとか、これとか、それとか予期したりしてはいけません。そうすることは、恐怖をもって生きていることですから。」
シルバーバーチの霊訓でも、取り越し苦労が良くないこととして語られています。が、ここでは、そもそも未来に目を向けることが良くないというように受け取れます。
けれども私は、取り越し苦労はしないで、今を一生懸命に生きることが大切なのだと理解しています。次の文章を見ても、そうだと思いました。
「神と共に今日を生きなさい。そうあれば、貴方の未来には喜びだけがあることになります。」
やはり、今、どのような種を蒔いていくのかで、刈り取るものが決まるのだとすれば、ホワイトイーグルが語ることは、まったくその通りだと思います。
そして、その神とは自分の内部に存在しているということですから、あちこちと、どこかに出かけて神に会いに行かなくても大丈夫だということになります。
今回は、他にも「何ものにも乱されぬこと」、「神は決して急がれない」など、紹介したい所があるのですが、それはさすがに出来ないのが残念です。
たとえば、「霊力が身体の状況や物質的な環境をつくり出すのです。」という一文をとってみても、この意味をどのように理解するのかは、人によってそれぞれだと思います。さらに、「霊力」という言葉一つとってみてもそのように感じています。
最後に、私はそういう視点の違いや理解の違いを読書会で認識できることは、とてもありがたいことだと感じています。また、他の方の霊的体験を実際に聞いてみても、それぞれ同じようにみえて、一つ一つの体験がみな違っていました。
読書会に参加するようになって、自分が変わったと思う所は、「霊的成長をして、自分が何でも出来るようになって、能力的にも人より優れるようになること」という自分中心の思いから、「より多くのみなさんと、与えあったり、補いあったりして成長していきたい」という思いに変わってきたことです。
それは私の中では、とても大きな変化です。これを読まれているみなさんは、どうでしょうか?そういうことが話せる読書会の存在に、私は感謝しております。もしかしたら、読書会は神からの贈り物なのかもしれませんね。
以上となります。
2021年12月6日
送信者: waka
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12月読書会の報告です
使用図書「シルバーバーチの霊訓(ニ)十二章 病気とカルマ(宿業)―エドワーズ夫妻を迎えて―」
みなさんと輪読を終えて、それぞれの方の話を順番に聞いた後、心霊治療とは、どのようなものなのかを説明させていただきました。
これを読まれている方は、すでにご存じだと思われますが、心霊治療とは、Spiritual healing(霊的な癒し)のことです。心霊治療家とは、心霊治療を行う人のことです。英語で、healer(ヒーラー)と呼びます。
もともとの日本語的な概念では、「心霊療法」という言葉が使われているようです。
心霊療法とは、病気の原因には霊が関わっているとして、祈祷や呪術などの治病儀礼によって、病気を治療する方法であるとされています。ここで扱われる「霊」とは、どうやら人に災いを招く存在のようです。
そのようなことを考えると、もしかしたら「心霊治療」と言われているものは、日本では比較的新しい概念なのかもしれません。
辞書などによれば、心霊治療とは、超常現象の一つで、通常の医療行為によらない病気治療のうち、霊的な力によるものとされる行為の総称であるとされています。
実際に使用する言葉としては、healing(ヒーリング)という一言で意味が通じると思います。ですが、ヒーリングにはさまざまな種類がありますので、興味がある方は自分で調べてみてください。
特に、シルバーバーチの霊訓で扱われる心霊治療とは、治療霊団と呼ばれる病気の治療にたずさわる霊たちの協力によって行われるヒーリングのことです。
古くからある概念としての心霊療法では、病気の原因が「霊」によるものだとされているので、霊を病人から取り除くことが病気を治すこととなります。
一方、シルバーバーチの霊訓では、病気の原因の多くが「霊と精神と肉体の不調和」であるされています。この章でも、「病気というのはその大半は主として精神と肉体と魂との間の連絡が正しく行われていないことに起因しています。」(193ページ13行目)と語られています。
また、病気の原因がカルマ的負債「当人に賦課された税金であり、自分で綴っている物語(ストーリー)であり、その筋書き」(194ページ11行目)である場合もあり、それも考慮する必要があるようです。
私がシルバーバーチの霊訓を学んできて感じたことは、今までの「霊との争いに勝つことによって病気を治す」という概念から解き放されて、「人と霊との協力によって病気を治す」という考えや思いに変わってきたことです。
その概念とは、日本語の「除霊」という言葉をみてもわかるように「自分にとって不都合な存在である霊を排除する」というものです。それを「浄霊」という言葉に置きかえてみても、動機は同じように感じます。
過去の私のことで言えば、自分の幸せばかりを考えている時に、このような除霊や浄霊という言葉が出てきたように思います。(悪いのは自分ではない……。と)
ところで、今の私にとっては、日本語の「心霊治療」という言葉も使用したいとは思いません。心霊とは、超常現象や超能力、あるいは精神的な意味が含まれていて、治療とは、病気やケガなどを治すことであり、それが目的となります。
シルバーバーチの霊訓で語られているヒーリングとは、病気を治すことが目的ではなく、「患者の魂の琴線に触れ、自我に目覚めさせ、生きる目的を自覚させることが一ばん重要な役目である」(195ページ4行目)と語られています。また、精神と身体と霊との間の不調和を解消するための一つの手段として、ヒーリングを位置づけています。
本来、霊的な成長を通して私たちが幸せになるためには、どのような方法があるのだろうか?という視点で生み出されたのが「ヒーリング」であり、それは、サービス(人のために役立つこと)の一つであると思っています。
しかも、人と霊とが協力することで、そのサービスが提供されます。この「協力する」ということが、私にとっては、とても大切に感じます。
さらに言わせてもらうと、ヒーリングで病気が治るか治らないかは、ヒーラー(心霊治療家)の能力・力量に左右されるという概念があります。それはそのまま、病気の人の運命が、ヒーラーの能力・力量によって、左右されてしまうこととなってしまいます。
そうではないのですよ!と、シルバーバーチの霊訓を学んでいくことで、私は理解出来るようになりました。
最後に、ヒーリング依頼者にも、自分の病気について考えてもらって、少しでも「原因と結果の法則」を理解してもらえたら、自分という存在に目を向けてもらう第一歩になると思っています。
そして、その法則が病気以外にも当てはまることを知ってもらえたとしたら、自分がどのような種を蒔いていけば良いのか?どのようにすれば幸せになれるのか?を理解されると思っています。
私は、このような考えに導いてくれた「シルバーバーチの霊訓」をやはり大切に思っていますし、一人でも多くのみなさんに知ってもらいたいと思っています。
今回は、以上となります。今年もみなさんと読書会を開催することが出来て楽しかったです。来年も楽しい読書会となるでしょうね。
2021年12月11日
送信者: waka
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昨日開催された、ちりりんさん主催の「シルバーバーチ読書会」の報告です。
昨日は、読書会メンバーでの座談会という形で行われました。
一年間を振り返ってみた感想を、それぞれの方が順番に語られました。
ちりりんさんが話された一年間の内容は、とても大変だったのを知って驚きました。
そういう状況の中で、シルバーバーチとホワイトイーグルの両方の読書会を続けてこられたのは、とても凄いことだと思います。
私だったら、そういう状況で続けていけただろうか?と考えてしまう内容でした。
一方、他の女性参加者の方々は、それぞれ貴重な霊的体験をされていて、その話を聞いている私も、とても勉強になりました。
男性参加者の方は、読書会でみなさんと学ぶことが出来たのが、とても大きな意味があって良かったそうです。
読書会の時間も終わりに近づいた時、ナッキーさんが語られたことが、私の胸に残りました。
それは、だいたい次のようなことです。
「日頃、ちょっとしたことで、ムカッとすることやイライラすることがあると思うけど、その出来事は、実は自分の内部に持っているものが出てきているだけで、それら、自分の内部にあるものを少しずつ現実に小出しして、それらを克服していくことで成長していく。」
私は、なるほどな~と思いました。ナッキーさんの言うように、生きていれば、辛いこと、苦しいこと、悲しいことなど、いろいろ嫌なことはありますが、それは私が未熟だから、どこかにいる(はずの)神様が、試練として私に与えているのではなく、自分の内部にあるもの、自分が内部に持っているものが、現実に投影されているのかもしれない。いろいろと考えさせられますね。
また来年も、みなさんと一緒に学んで行きたいと思いました。ちりりんさん、お疲れ様でした。以上となります。
2021年12月25日
送信者: waka
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昨日開催された「12月のホワイトイーグル読書会(ちりりんさん主催)」の報告をします。
テキストは、『ホワイト・イーグル 自己を癒す道 桑原啓善訳』 静寂の心 五、大師は偉大な奉仕家
「全世界を癒すために」(143ページ)~「心が愛に満ちている時」(150ページ)までとなります。
今回、複数の方が注目されたのは、『何をしようと』(144ページ)でした。
「大事なことは、この地上でどんな仕事をするかということではありません。肝心なことは、自分の仕事を心を込めて力を尽くしてするということです。~」
けっこう参加者のみなさんも、仕事で苦労されているようなのですよね。私もその中の一人となるのですが、私にも、このホワイトイーグルの言葉が響いてきます。
私は、『私が、もし私が向上すれば……』(145ページ)が心に残りました。
「もしも貴方が内在の神性を高める努力をするなら、それは全人類を向上させることになります。貴方が天へ向かってする一つ一つの努力は、全世界のためになり、地球そのもののためでさえあり、地球を向上させます。~」
住んでいる地域によっては、たった一人で頑張っている方もいると思われます。が、シルバーバーチも「〝個〟が集まって地上人類全体ができ上がっているのです。一人でも多くの〝個〟が貪欲と強欲と残虐と横暴を止めれば、その数だけ平和に貢献するのです。」と語っているので、霊的真理の普及が思うように出来なかったとしても、「内在の神性を高める努力をするなら」大丈夫みたいですね。
そして、『神の子が貴方の中に誕生している』(146ページ)で語られいることを説明してくれた参加者の方もいました。
『自分の仕事を受け入れなさい』(147ページ)「人は誰でも選ばれています。一人一人の魂には、その魂の為すべき仕事があります。誰しも人の仕事を代ってするわけにはいきません。ひとり一人が自分自身の仕事をするのです。~」も心に残る言葉です。
『心が愛に満ちている時』(149ページ)「奉仕に生きるとは、魂が犠牲を忍ぶことです。~それは喜びです。」という言葉で終わっています。奉仕に生きることが、いずれ喜びとして感じられるようになるのでしょう。ホワイトイーグルの言葉も良いですね。
今回のホワイトイーグル読書会は、オーラを見てもらったり、貴重な霊的体験を聞かせていただけたり、みなさんの良い雰囲気とエネルギーに触れられたので、私にとっては一番のクリスマスプレゼントだと感じました。
ちりりんさんが、WAKAさんのオーラは何色でしょうか?という発言から始まって、参加者のIさんが瞬間的にトランス状態になって、霊の世界からオーラを見られたそうです。
Iさんによると、読書会に参加されているみなさんは、とても綺麗なオーラだそうです。何といっても、ちりりんさんがとても穏やかになられたことが、参加者の方たちにも大きく影響していると、私は感じています。
私は、今までスピリットに注意ばかりされていたので、今回はとても嬉しかったです。Iさんは、いろんなスピリットがいろいろとガヤガヤ言ってくるそうなので、賑やかなそうです。内容の一部を聞かせてもらいましたが、スピリットって、本当に人と変わらないです。お化けではないですね。
今回も、みなさん良い人たちだな~と、感じることが出来た読書会でした。ちりりんさん、参加者のみなさん、お疲れ様でした。来年もよろしくお願いいたします。