自己紹介

 私は、1971年に、病弱で、なんら特別な力ももたずに、この世に生を受けました。特別な霊視能力などは持っていません。今は会社員をしております。

  それでも幼少の頃は、私の名前を呼ぶ霊の声が聞こえていましたが、小学校2年生の頃には聞こえなくなっていました。

 そして、その頃引っ越しをしたのですが、すぐ近くだったこともあって学校は変わりませんでした。ですが、今まで仲良しだった人たちと遊ぶ機会も減って、引っ越し先の子供たちと自然に遊ぶようになっていきました。

 近くには、公園や荒川土手があったので、いつもみんなと外で遊んでいたように思います。もっとも、狭いアパートだったということもありましたが・・・。

 

 左の写真は、今でも休みの日になると、ときどき散歩をしている荒川土手です。下の写真は、近くの公園です。

 小さい頃の時と違って、荒川土手も整備されてきています。

五色桜でも有名です。けれども、カニやザリガニ、昆虫などの生き物がいなくなってきて、寂しい気もします。

 


 そのころから、生まれもった持病である「ぜんそく」の発作が、たびたび出るようになりました。呼吸が出来ないということは、今思いだしても、つらいものです。

 今でも覚えていますが、小学生の頃、とても苦しくて、台所の包丁を手にして死のうと思いました。けれどもその時は衰弱しすぎて、その場から一歩も動けませんでした。

 ある時は、空に向かって、「神様はいないのか?イエス様は、私を見捨てたのか?」と恨みの言葉を吐いていました。

 

 それ以来、24歳ころまで、ぜんそくで苦しむことになりました。ただ、私の場合、幸いなことに、入院をするほど重症ではなかったのですが、何故か薬がほとんど効かなかったので、一度発作が起きると夜も眠れず、最低、1週間から12日間くらい、呼吸が出来ないという苦しみに耐えなくてはなりませんでした。

 さらに、ぜんそくが治るまでの間に、年に何度も39℃以上の高熱を出していたので、やっぱりとても辛かったですね。

 

 中学生に上がったころ、「何故、いつも決まった時期に苦しむのか?何故、苦しみの前兆と苦しみの終わりが、自分でわかるのか?何故、薬が効かないのか?」自分では、わからないけれども、何か原因があるはずだと思い始めました。

 

 


 そのような思いで過ごしたある日、たまたま近所の本屋さんに入った時のことですが、数多くの本がある中で、引き寄せられるように、一冊の本だけが目に入りました。 

 その本には、霊障によって病気がひきおこされることが書かれていました。そして、神を信じて、心霊治療というものをすれば、病気が治るという内容です。

 これで救われるはずだったのですが、そうはなりませんでした。過去に何人かのヒーラーによって書かれた本を読みましたが、有名になった頃には、すでにヒーリング能力が失われてしまっているようでした。

 

 それからというもの、何かに取りつかれたように、霊界に関する本を読みあさるようになりました。

 

 今、思い出しても恥ずかしいのですが、霊的知識が豊富になるにつれて、その知識を持っていることが、なんだか特別のような気がしていました。そのために、霊的知識のない人を見下すような、とても傲慢な人間になっていたと反省しています。


 ふりかえると、中学生の頃から、心霊治療家として生きていきたいと思うようになったのですが、何故か、大人になってからも、その機会があるにもかかわらず、気持ちが前へ行きませんでした。

 

 それは、当時の多くの心霊治療家たちが、多額のお金を要求するために、お金のない子供たちや弱い立場の人たちは、病気の相談をすることさえ出来なかったのが原因だと思います。

 

 そのような心霊治療家では、本当に困っている人を見殺しにするようなものでしかないと、怒りを覚えていたせいでもあります。心霊治療は、誰のためのものなのか……?

 

 そのような日々を幾年か重ねていき、これといった夢も希望もなく、生きている意味もわからないまま過ごしてきてしまいました。さらにその間、周りの方にもたくさんの迷惑をかけてしまいました。

 そして、30歳を過ぎて、バイクでの大きな自損事故を起こし、本当に、あと一歩で危うく向こう側に行くところでした。霊界側の配慮によって、こうして再び地上でチャンスを頂きました。(気を失って目が覚めた時には、独り言のように「チャンスをくれたんだ」と言っていました。)そうでなければ、いまだに向こうの世界で苦しみ続けていたことでしょう。

 

 それから、再び霊界に関する本を読むようになるうちに、シルバーバーチの霊訓との出会いがあり、スピリチュアリズムを学ぶようになりました。


 スピリチュアリズムと出会ったまでは良いけれども、人生のどん底に落ちて、夢も希望もないまま、これから何を目標にしていけばいいのかわからないままでした。それでも、少しでも人のために良いことをしていこうと思い始めたのも、この頃だったと思います。

 

 それからまた、10年以上の月日が経って、平成27年8月に、元旦から続いている激痛を伴った、どうしても治らない腰痛をきっかけに、シルバーバーチ読書会のことを知って、そこに参加しました。それ以来、霊的真理を学び、それに沿った生き方をすることが、いかに大切であるのかがわかりました。そこで出会ったみなさんには、本当に感謝しております。さらに、他のシルバーバーチ読書会の参加、精神統一や心霊治療の指導を受けさせていただいたことも、とても良い経験になったと思います。(と言っても、心霊治療家の養成などで嫌な思いをしたこともあります。今となっては良い思い出ですが……。)

 

 平成28年4月4日、午前2時、暗い空間の上方に、大きな扉が現れて「霊的真理の鍵が開く」という言葉とともに、その扉の中央にある大きな鍵がガチャリと開いたところで目が覚めました。その時、何人かの気配を感じていたのですが、扉まで案内をしてくれた女性の姿だけしか覚えておりません。

 今となっては、自ら人の役に立とうと思えるほど私が成長出来ていたならば、そのような映像を私に見せる必要がなかったのだと感じております。また、そうでもしなければ、霊的知識も十分でない私が、こうして読書会を開催することはなかったと思います。

 

 そうこうしているうちに、今までの暗黒界をさまよっているような心境が、嘘のように消え始め、まだ10歳に満たない時に抱いた「霊と人を救いたい」という思いがわきおこり、再び、霊の道具としての道を歩む目標を持つことが出来ました。おおよそ、このような道のりをたどって来て今に至ります。が、自分でも情けないくらいの未熟さを実感しております。

 けれども、今後も、これを見て下さったみなさんとともに成長していきたいと思っています。そして、みなさんの幸せを願いつつ、神の計画を推進する道具として歩んでいきたいと思っています。

    最後に、誰もがいつの日か、人と人、霊と霊、さらに、人と霊とで助け合って生きていけるようになることが、私の夢でもあり、願いでもあります。

 

          2017年5月   足立シルバーバーチ読書会 若佐 ヨシアキ