1.一般的な祈り

「主の祈り」

二、<序文>霊はこの祈りの章を、単に祈りの一つとしてではなく、祈りの象徴として、この「主の祈り」で書きだすように勧めてくれました。この祈りは、すべての祈りの中でも霊がまず第一に考えるものです。それは、この祈りがイエス自身によって教えられたものであるから(→マタイ 第六章 9-13)かもしれませんし、あるいは、その祈りが祈る者の意向に応じて、他のどんな祈りの代わりにもなるからかもしれません。簡素で最も完全な形と簡単な言葉に込められた、崇高な真の傑作です。最も短い言葉で人間が神との間に約束する、自分自身に、また隣人との間に果たすべき義務が、すべて効率的に要約されています。また、それは信仰の誓い、神への賛美、服従の行いであり、地上の生活や慈善の原理に不可欠なものを懇願することも含んでいます。この祈りを他人のために唱えることによって、私たちが自分自身に望むことを他人のために願うことができます。
 しかしながら、その簡潔さゆえに、多くの人々はその言葉の持つ深い意味を見逃しています。それは一般に、一文一文の意味を考えずに唱えているからです。数多く唱えればその回数に応じて効力を増すかの如く、決まりのように唱えるからなのです。その回数はほとんどいつも神秘的な数です。古くからの迷信的な数の力を信じたり、魔術によくつかわれる、三、七、九と言った数であったりします。
 この祈りがその簡潔さゆえに私たちに残す隙間を埋めるため、善霊の忠告と助けに従って、祈りの一文一文に、その意味を明らかにする解説とその使い方を付して示します。祈る時の状況と、祈ることができる時間に応じて、「主の祈り」は、簡潔な形でも、またもっと詳しく述べる形でも唱えることができます。  

三、<祈り>
ⅰ.天にまします私たちの父よ、御名が崇められますように
 主よ、私たちはあなたを信じています。なぜなら、すべての存在があなたの力とその善意を示してくれるからです。宇宙の調和は、人類のあらゆる能力を超える英知と理性の証明です。偉大で博識なるあなたの名は、つつましい草花、小さな昆虫から宇宙を飛ぶ星まで、あらゆる被造物に記されています。あらゆるところに私たちは父なる配慮の証を見ることができます。あなたの創造されたものを見て、あなたを称えぬ者は盲目です。賛美せぬ者は思い上がった者です。また、その恩恵に感謝せぬ者は恩知らずです。

ⅱ.あなたの国(御国)が来ますように
 主よ、人類がそれを守れば幸せになることができる、英知に満ちた法をあなたは与えてくださいました。この法によって、人類は平和と正義を確立することができ、いましているようにお互いを傷つけあうのではなく、お互いを助け合うことができるようになるでしょう。強い者は弱い者を圧迫するのではなく、保護することになるでしょう。あらゆるものの過剰や濫用から発する悪は避けられることになるでしょう。全ての惨めさは、あなたの法を守らないために生じるのです。なぜなら、致命的な結果をもたらすことなく、あなたの法を破ることはできないからです。
 あなたは、動物たちには生きるための必要限度に応じて本能を与えられました。動物たちは自然にそれに従って生きています。しかし、人間には本能の他に知性と理性を与えられました。さらに一人一人に関するあなたの法を守るか守らないかを選択する自由を与えられました。すなわち、善と悪を選択する能力を与えられ、それによって人間が自分の行動に対して責任を負い、その意味を知ることができるようにされたのです。
 誰もあなたの法を知らないなどと訴えることはできません。なぜなら、あなたは父なる配慮によって、国籍、宗教を問わず、全ての人間の一人一人の良心の中にあなたの法が記されることを望まれたからです。ですから、あなたの法を守らない者はあなたを見くびっているのです。
 あなたが約束されたとおり、いつか人類すべてがあなたの法を守る日がやってくるでしょう。その時、神を信じない者はいなくなり、すべての人間が最高なる万物の主としてあなたを認め、あなたの法によって治められた者たちは、地球上にあなたの国を築き上げるでしょう。
 主よ、人類が真実なる道を歩むことができるように、必要な光をお与えください。そして、あなたの国の到来を早められますように。

ⅲ.あなたの意志(御心)が天で行われるように、地でも行われますように。
 子が父親に従うこと、劣る者が優れる者に従うことが義務であるならば、創造された者がその創造主に従う義務はそれにいくらかでも劣るでしょうか。主よ、御心が行われるとは、あなたの法を遵守し、神の決定に不平を言うことなく従うことです。人類は、主がすべての英知の源であり、主なしには何事も存在し得ないのだということを理解した時、あなたに従うことになるのです。その時、天において選ばれた者たちが行っているように、地球でもあなたの意志のとおりに行われることになるでしょう。

ⅳ.私たちの日ごとの糧を今日もお与えください。
 肉体的な力を維持するために必要な糧を、私たちにお与えください。また、私たちの霊が進歩できますように、霊的な糧をもお与えください。
 動物たちは牧場にその糧を見つけます。しかし人類はその糧を、その知的な財産と自らの活動によって得なければなりません。なぜなら、神は人類を自由な身に創造されたからです。
 あなたは言われました。「額に汗して地を耕し、食物を得なさい」と。そして人間に労働を義務として与えられました。働くことは、肉体労働であれ、知的な労働であれ、人間に知性を使わせ、必要なものや、よりよい生活を得る手段となるのです。労働なしでは人類は不変なものとなってしまい、善霊の幸せを望むことはできません。
 怠惰を楽しみ、努力なくしてすべてを手に入れようとしたり、必要以上のものを求めるのではなく、必要なものを手に入れようと、神の意志を信頼し、意欲的に働く者を守ってください(→第二十五章)。
 自分自身のせいで気力を失ってしまう者がどれだけいるでしょうか。不注意であったり、先見の明がなかったり、あるいは野心を抱き、あなたがお与えになられたものに満足しない者。彼ら自身が不幸を自らつくりだしているのですから、不平を言う権利はありません。それも、自分で犯した罪そのものに罰せられているのだからです。しかし、無限に慈悲深いあなたは、そんな者たちをも見捨てたりはされません。言うことを聞かぬ子どもが心からあなたの方向へ向き直るよう、天から手を差し延べてくださるのです(→第五章 4)。
 私たちの運命を悲しむ前に、その運命が自分の手によってつくられたものであるか問うてみます。
私たちに降りかかってきた一つ一つの不運を、避けることができなかったかどうかを確かめてみます。神は私たちに苦境から抜け出せるように知性を与えてくれ、それを正しく使うかどうかは私たち自身にかかっているのだと繰り返し言い聞かせます。
 地上の人類は労働の法に従わなければならず、ゆえにその法に従えるように、私たちに勇気と力を与えて下さい。また、慎重さや先見の明、節制によって、私たちが受け取るべき実りを失うことがないようにしてください。
 主よ、ですから、私たちの日ごとの糧をお与えください。つまり労働によって必要なものを得る手段をお与えください。必要以上のものを得ることができないからと不満を言う権利は誰にもありません。
 もし、労働することが不可能である場合には、神意を信じます。
 もし、私たちの努力にもかかわらず、神の計画の中でより厳しい苦難によって私たちが試されることになっているのであれば、現世、もしくは過去の人生において犯したであろう罪の正当なる報いとして受け入れます。なぜなら、あなたが正義であり、不当な罰は存在せず、理由なくして罰せられないことを私たちは知っているからです。
 主よ、私たちが持っていないものを持っている者や、私たちが必要としているものを必要以上に持っている者に対し、私たちが妬みを起こすことがないよう、お守りください。神の教えられた慈善と隣人を愛する法を忘れてしまった人たちをお赦しください(→第十六章 8)。
 悪人の繁栄や、善人たちを襲う不幸を見ても、あなたの正義を否定するような考えを私たちの霊から遠ざけてください。一方、私たちはあなたが与えて下さった新たな光によって、あなたの正義が、誰一人例外とせずに守られることを知りました。つまり悪人の物質的な繁栄はその肉体の存在と同じようにはかなく、後に恐ろしい不幸を引き起こすことになるでしょう。そして苦しみを甘受する者にとって、その喜びは永遠のものとなるでしょう(→第五章 7,9,12,18)。

ⅴ.私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。
 主よ、あなたの法に対する違反の一つ一つは、あなたに対する私たちの攻撃であり、遅かれ早かれ支払わなければならない私たちの負債を増やすことになるのです。これ以上増やさないよう努力することを約束いたしますので、どうか永遠なる慈悲においてお赦し頂けますようにお願いいたします。
 あなたは私たちすべてのために、慈善を明確な法としてつくられました。しかし慈善とは、ただ単に私たち同胞を必要に応じて助けるだけでなく、同胞の攻撃を忘れ、赦してあげることでもあるのです。私たちの不満の原因をつくったもの者たちに対する慈善に欠けておきながら、どうしてあなたの赦免を求めることができましょうか。
 主よ、私たちの周りの人々に対するどんな恨みや憎悪、怒りの気持ちも打ち消す力をお与えください。私たちの心の中に復讐の欲望を抱かせようと、死が不意をついて襲ってきませんように。もし、あなたが私たちを今日この世から連れて行かれ試されたとしても、処刑の執行者たちのために最期の言葉を残したキリストのように、恨みの感情からまったく解放されてあなたの前へ出向くことができますように(→第十章)。 
 私たちを苦しめる悪人たちによる迫害は、地上における私たちの試練の一つです。それらはあなたがイエスの言葉を通じて、「義のために迫害されてきた者は幸いです」と言われたごとく、その他の試練と同じように永遠の幸せへの道を開くのですから、彼らの非道の行いをののしることなく、不平をこぼさずに受け入れなければなりません。そして、私たちを傷つけずはずかしめる者たちに祝福がありますように。なぜなら、肉体の苦しみによって私たちの魂は強化され、私たちは侮辱からも解放されることになるからです(→第十二章 4)。主よ、御名が崇められますように。なぜなら、私たちの運命が死後に取り消しようもなく決定されてしまうのではないかということを教えてくださったからです。私たちは、さらなる進歩のため、過去の過ちを償い、改めたり、現世で行うことができなかったことを改めて実現させるための手段を、また別の人生において得ることができるのです(→第四章、第五章 5)。
 このことによってはじめて、人生におけるすべての見かけ上は変則的な出来事が説明されます。光は私たちの過去にも未来にも差しています。それは、あなたの最高なる正義と永遠の善意の輝かしいしるしです。

ⅵ.私たちが誘惑に負けませんように(→FEB版注1)、悪からお救いください。
 主よ、悪霊の誘惑に抵抗できる力をお与えください。彼らは私たちに悪い考えを思いつかせ、私たちを善の道から逸らそうとします。
 しかし私たちはこの通り、向上と償いのために地球上に生まれた未完成な霊です。悪の原因は私たち自身の中にあり、悪霊は私たちの悪い性癖を利用し、そこへ入り込んで私たちを誘惑しているに過ぎません。
 私たちの一つ一つの未完成な部分が、悪霊の影響に対し開かれた扉のようなものである一方で、悪霊は完璧な者の前には無力であり、対抗しようとはしません。彼らを遠ざけようとして何を行ったとしても、私たちが悪を完全に放棄し、善を行う強固な意志を彼らの前に見せるのでなければまったく無効です。したがって私たちは、努力を私たち自身に向けなければならないのです。そうすることで悪霊は自然に私たちの周りから遠ざかって行くのです。なぜなら彼らを呼び寄せるものは悪であり、善に対しては拒絶するからです(→第二十八章 81‐84)。
 主よ、私たちが弱くなった時にはお守りください。私たちの守護霊や善霊の声を通じて、私たちの欠点を改めようとする意志をお与えください。そのことによって、不道徳な霊の接近に私たちの魂を閉ざします(→第二十八章 11)。
 主よ、したがって悪とはあなたの仕業ではないのです。なぜなら、全ての善の源からはどんな悪も創られることはないからです。悪とは、私たち自身があなたの法を破り、あなたが与えてくれた自由を悪用することによって、創り出しているものなのです。人類があなたの法を守るようになった時、より進歩した世界がそうであるように、地球上からも悪は消えるのです。
 誰にとっても宿命的な悪は存在しません。その悪を楽しむ者にとってそれが抵抗できないもののように映るだけなのです。私たちに悪を働こうとする意志を持つことができるのならば、善を働こうとする意志を持つことも出来るのです。ですから主よ、私たちが誘惑に抵抗できるように、あなたの、そして善霊の助力をお願いいたします。

ⅶ.アーメン(そうでありますように)。
 主よ、私たちの望みが実現しますように。しかし、すべてをあなたの無限の英知に委ねます。私たちが理解できないことに対しても、私たちの意志ではなく、あなたの聖なる意志が働きますように。なぜならあなたは私たちの善を望まれ、私たちには何がふさわしいのか、私たちよりも良く知っておられるからです。
 主よ、私たちはこの祈りを私たち自身のために唱えます。しかし、生きている者、死んでいる者を問わず、他の苦しんでいる者や、私たちの仲間、私たちの敵、また、私たちの救済を特に求めている「〇〇」のためにも捧げます。
 すべての人たちのために、あなたの慈善と祝福をお願いいたします。
(ここで神に向かい、与えられた恵み対する感謝と、あなた自身もしくは他人のための願いを形に表わし、唱えることができます。)

スピリティズムの集会

六、<祈り――集会の始まりにおける祈り>
 私達の集会に善霊が参加し、私たちを悪へ導こうとする者たちを遠ざけ、真実と偽りを区別するために必要な光が与えられることを全能なる神にお願いいたします。
 生きている者も、死んだ者も含め、私達の結束を分裂させることによって慈善と隣人への愛から遠ざけようとする邪悪な霊を、私たちのもとから連れ去ってください。もしこの場に入り込もうとする者がいるのであれば、私達の心の中に彼らが入り込むすきができないようにしてください。
 私たちを指導してくださる善霊よ、私たちがあなたにとって教えやすい生徒となれますように。どんな利己的な考えも、高慢な考えも、また羨み、妬み深い考えも、私たちのもとから遠ざけてください。
 ここに集っている人たち、この場にいない人たち、友だち、敵に対しても、寛大さと、慈悲深さをお教えください。私たちを励ます感情によって、あなたたちの道徳的な影響力を私たちが感謝を持って認識することができますように。
 あなたたちの教えを伝える役目を負った霊媒たちに、彼らに託された役目の神聖さ、実践しようとする行いの重要性を自覚させ、それによって献身的に働き、必要な収穫を得ることができますように。
 もし私たちの間に、善とは異なるその他の感情を持った者がいれば、その目を光に向けてあげてください。また、悪意をもってここに参加しているのであれば、その者を赦してあげてください。私たちもその者を赦します。
 私達の指導霊である「〇〇」には、特に私たちを監視し、見守ってくれますようお願いいたします。

七、<祈りー―集会の終わりにおける祈り>
 私たちに教えを伝えに来てくれた善霊に感謝いたします。教えられた事柄を実践できるようお助け下さい。私たち一人一人が、善を実践し、隣人を愛する意欲を強めて、ここを出て行くことができますように。

 これらの教えが、今日の集会に参加することができた苦しむ霊、無知な霊、悪習のある霊にとっても有益なものとなりますように。彼らにも神の慈悲がありますようにお願いいたします。


2.個人的な祈り

守護霊や保護霊への祈り

十一、<序文>私たちは生れた時から、私たちを守護下においてくれた善い霊と関わりをもっています。子どもを守る父親のように、その霊は与えられた任務を果たします。

  人生の試練を通じて、私たちを善と進歩の道に導いてくれます。私たちに対する彼の配慮に私たちが応えると、彼は大変幸せに感じますが、私たちが屈服してしまうのを見ると彼は苦しみます。

 彼の名前など大した問題ではありません。なぜなら、彼の名はこの地球上では知られたものではないかもしれないからです。ですから、私たちの守護霊、もしくは私たちの善き守り神と呼びましょう。彼のことを私たちが親しみを感じる、ある特定の優秀な霊の名で呼んでもかまいません。

 私たちには必ず、より優れた霊である守護霊の他に、同じように善く寛大でも、進度のより少ない保護霊がついています。保護霊は、友達の霊だったり、家族の霊だったり、あるいは現世においては全く知らない誰かの霊だったりします。
 彼らは助言を与えることによって私たちの人生を見守り、しばしば私たちの日常の行動の間に入ってきます。

 親切な霊とは、私たちと趣味や嗜好の上で類似性のある霊のことです。そうした霊を引きつける私たちの性質の傾向により、それは善い霊でも悪い霊でもあり得ます。

 誘惑する霊は、私たちに悪い考えを植えつけ、私たちを善の道から遠ざけようとします。私たちの魂への接近を容易にする開かれた扉のように、私たちの弱点をすべて利用します。私たちを獲物にしようと付きまとう者もいますが、私たちの意志と対抗するには無力であるということを知ると離れていきます。

 神は私たちの第一の案内人として、より優れた守護霊を送り、第二の案内人として保護霊や家族の霊を送ってくれています。しかし、保護霊が私たちに与える善い影響とつり合わせるために、私たちのとなりに悪の力もが強制的に置かれていると考えるのは間違いです。
 悪い霊は、自分の優勢を占める機会が私たちの間にあるのを見つけると自発的にやってくるのです。
 それは私たちが弱気になったり、善い霊が与えてくれるひらめきに従うことを無視する時です。つまり悪い霊を寄せつけるのは私たち自身なのです。このことから、私たちは善い霊の支援を受けていますが、悪を遠ざけるのは私たち自身であるのだと結論づけることができます。
 人間は不完全であるため、自分を苦しめる困難の第一の原因を、多くの場合、自分自身の性質の中に持ち合わせているのです。(第五章 四)。

 守護霊や保護霊への祈りは、神との間を取り持ち、悪い誘いに対抗する強さを与え、日常の偶発的な出来事の中で私たちを見守ってくれるようにお願いすることを目的としなければなりません。

十二、<祈り>神の使いとして人間を見守り、人間を善の道へ歩ませることをその使命としている高尚で慈悲深い霊よ。この人生における試練に向かう私を支えてください。悲嘆することなく試練に耐えることができるよう、力をお与えください。
 悪い考えを持たないことによって、私を悪へ導こうとするどんな悪霊も入り込めなくなるようにしてください。私の欠点をはっきりと自覚できるよう、自分の欠点を知り、自分自身に言い聞かせることを阻む自尊心のベールを、私の目の前から取り去ってください。

 私を見守ってくれている私の守護霊である「〇〇」には特に、また、私のことを心配してくれているその他の保護霊すべてには、私があなたたちの保護に値することができますようにお願いいたします。私の必要としていることが知られ、それらが神の意志に従って聞きいれられますように。

 


十三
、<別の祈り>神よ、私が苦しんでいる時、私の周りにいる善霊が私を助けに来てくれ、私の力が衰えてしまった時には私を支えてくれることをお許しください。彼らが信仰心、希望、慈善の気持ちを私に吹き込んでくれることをお願いいたします。
 それらは私にとっての支えと激励であり、彼らの慈悲の証なのです。それらの中に、人生の試練に立ち向かうために私に欠けている力を見出すことができますように。そして悪いひらめきに抵抗するために、私を救ってくれる信仰心と私を慰めてくれる愛をお与えください。

 


十四
、<別の祈り>神のお許しのもと、その無限の慈悲をもって人類を見守ってくれている親愛なる霊、守護霊よ。地上での試練の間、私たちをお守りください。気力、勇気、そして忍従する力をお与えください。善であるものはすべて私たちにお教えください。
 悪に傾くことから私たちを引きとめてください。あなたたちの善なる影響が私たちの魂に響きますように。私たちを熟愛してくれる友達が、私たちのとなりで苦しみを見守り、喜びを分かち合ってくれていることを感じることができますように。

 善なる守護霊よ、私を見捨てないでください。神が私のもとにお送りになる試練を、信心と愛を持って乗り切るために、あなたの全てのご加護が必要です。