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辺境の地へと続く道


 ここ辺境の地の教会では、異国の聖母とパスターとの会話が続いていました。

 

 「牧師様、もしも全ての人に神が宿っていると思えるならば、あなたが神を愛することは、全ての人を愛していることになりませんか?」

 

 「それに、『あなたの神である主を愛しなさい。』と、聖書にもありましたね。」と、聖母は語りました。

 

 「どうすれば、聖母様のようになれますか?」と、辺境の牧師は尋ねました。

 

 異国の聖母は、語りかけます。

 

 「牧師様は、人を愛されます。それは、神を表現するための手段としての、神がお使いになる道具を愛しているとも言えます。」

 

 「人は、神のために、(神に仕えて、神を悟るために)存在していることを、心に据えて置くべきです。」

 

 「私は神を愛すると言う時、その『私』を捨てて、ただ、神のみを愛する努力をしてみてください。」

 

 「そのような霊性修行(サーダナ)を通じて、他の人に存在する『私』も、消えていくとは思えませんか?」

 

 「牧師様、そもそも、あなたがこの地上に生まれる前は、どこのどなただったのでしょうか?」

 

 「牧師様は、いくつかの前世を知りました。もしも牧師様が、数百にもわたる前世を視覚化できたとしても、永遠に存在し続ける『実在としてのあなた』においては、前と後、上と下、昼と夜、春夏秋冬、という問題など存在しないのです。」

 

 「問題だと感じているのは、時間の奴隷となっている『道具としてのあなた』なのです。」


 異国の聖母は、語り続けます。

 

 「異国から、この辺境の地に入るには、何よりも寛容さが必要です。慈悲の心と奉仕の精神も求められます。」

 

 「それらの試験に合格しなければ、辺境の地へと続く道を見つけることは出来ません。」

 

 「さらに辺境の地にたどり着いたとしても、エリスの住む町に入るためには条件があります。」

 

 「それは、自分たちが信じる宗教とは違っても、『それぞれが真理の一部を秘めていること。』また、『自分たちの宗教と根幹において矛盾しないことを理解すること。』そして、『それぞれの宗教が、同じ「神」につながる道の別の側面であること。』という考えを受け入れられるかどうかです。」

 

 「そのためには、謙虚さと敬意の念も求められます。」


    「神によって争うことは、神を道具とし、神を汚すことになると思えないでしょうか?」

 

 今まで話を聞いていた辺境の牧師は、ここで一つの疑問が浮かびました。

 

 「聖母様、私のようなものが、この地にいても良いのでしょうか?」と、パスターは質問しました。

 

 「もちろんです。あなたは可愛い弟子のひとりですから……。」と、異国の聖母が答えると、その姿は消えてしまいました。