「ねぇエリス、聖書のことで、教えてもらいたいことがあるんだ。」と、マシューは尋ねました。
「もちろん答えるわ、私にわかることなら。」と、エリスは答えました。
マタイの福音書 22章37-39 節
「イエスはお答えになりました。『心を尽くし、たましいを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』 これが第一で、最も重要な戒めです。
第二も同じように重要で、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という戒めです。」
「何故、イエスは『神を愛しなさい』と最初に語って、『隣人を愛しなさい』が二番目なのかな~?」と、マシューは聞きました。
「マシュー、これから話すことは、シスター・エリスとして、自分でつかんだ答えよ。」と、エリスは言いました。そして、
「親は子を愛し、子は親を愛するものでしょう。今度は、その親子の愛を兄弟姉妹たちに向けていきなさい。って語られているのよ。」
「もちろん、親とは父であり母である神のことで、子とは神の子である私たちのことよ。」と、エリスは答えました。
「本当に、神は僕たちのことを愛しているの?」
「だって、生きていると辛いことが多いから、なかなかそう思えないんだよ。」と、マシューが言いました。
「でも、あなたのお父さんは、マシューのことを愛していなかったのかしら?」と、エリスは聞きました。
「いや、やっぱり愛してくれていたと思うよ……。」
「親の心子知らず、か……。親の子に対する深い愛情は、ある程度自分も成長しないとわからないんだよね。」と、マシューは答えました。
「でも、そう思えない悲しい現実もあるんだよ……。」
マシューは、続けて質問します。
「それに…何故、『あなたの神である主』と言ったのかな~。神と主は同じ意味ではないのかな?」と、エリスに聞きました。
「マシュー、これも、私がつかんだ答えとして聞いてね。」と、エリスは言って、
「たとえば、神はいると思っていても、肉体の死によって自分の全てが無くなってしまうと思っている人にとっては、必ずしも自分の主が神ではないのよ。」
「そういう人にとっては、財産だったり、名誉だったり、地位だったり、そういう地上的なものが主だったりするのよね。」
「やっぱり、神の子である私たちの主は、親である神でなければおかしいと思うのよ……。」
「それにね…。『あなたの神』と語られていることも、私にとっては凄いことだと感じているわ。」と、答えました。
「それはどういうことなの?エリス。」と、マシューが聞くと、
「マシュー、『あなたの』と言っているのだから、『あなたの』なのよ。」と、いたずらっぽくエリスは答えました。
(「『わたしが父におり、父がわたしにおられる』と、聖書で語られているでしょう、マシュー。」)
「そんなのひどいよ~。」
「ところで、なんで、『愛しなさい』と、イエスは言ったのかな~?」と、マシューは質問しました。
「イエスが『愛しなさい』と言っているのは、愛するためには努力が必要だからなのよ。それは、成長することでもあるのよ。」
「だって、みんなが愛だと思っているのは、何かしらの見返りを求めているのがほとんどでしょう。」
「きっとね、見返りを求めず、神との愛をみんなで分かち合うことが大切だと思うのよ。」と、エリスは答えました。
「僕の主って、なんだろう?」
「だって僕は、神さまを一度も見たことがないんだよ……。」と、マシューが言うと、
「マシュー、それって、本気で言ってるの?」と、エリスは答えました。