「シスター・エリス、こんにちは。」
「あれから時々、セイエンさんのもとで座禅をして、お手伝いをするようになりました。」と、セシールは話しました。
「それは良いことだわ。」と、エリスは言いました。
「それと、今日はシスターの話が聞けるというので、とても楽しみにしていました。」と、セシールが言うと、
「私はあまり難しい話は得意ではないけれど、あなたとこうしてゆっくり話してみたいと思っていたのよ。」と、エリスは答えました。
(だって、あなたはいつか私の妹になるのでしょうから……。)
ヨハネの福音書 1章1-4節
「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。この言葉は、はじめに神とともにあった。すべてのものは、言葉によってできた。できたもののうち、一つとして言葉によらないものはなかった。この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった。」
「セシールは、この意味について聞きたいということね。」と、エリスは聞きました。
「どうしても神の前に、はじめに言葉があったことが理解出来ないのです。」と、セシールは答えました。
「そうよね~、私も意味がわからなくて、先代の牧師ユリウスに質問したことがあるのよ。」
「私が理解していることしか話せないけど、それで良いかしら?」と、エリスは聞きました。
「もちろんです。よろしくお願いいたします。」と、セシールは答えました。
エリスはセシールに説明していきます。
私が最初に教わったことは、「ヨハネの福音書 1章1-4節を、もとの言葉から考えてみましょう。」ということでした。
「アルケーとしてロゴスがあった。ロゴスは神とともにあった。ロゴスは神であった。このロゴスは、アルケーと神とともにあった。すべてのものは、ロゴスによってできた。できたもののうち、一つとしてロゴスによらないものはなかった。このロゴスに命があった。そしてこの命は人の光であった。」
古代ギリシアでは、万物の根源を「アルケー」と呼び、そのアルケーは、「水」であるとの概念が生み出されました。
そして、水以外にも、火、土、空気、数、無限なるものという概念が生み出されてきました。
ロゴスには、さまざまな意味があるようで、言葉という意味以外にも、万物が流転するという宇宙の真理、理法、あるいは、万物の流転中に存在する一定の法則や原理なども含まれています。
次に教わったのは、先代の牧師ユリウスが語った言葉になります。
「万物の根源として大霊があった。大霊は神とともにあった。大霊は神であった。この大霊は、万物の根源と神とともにあった。すべてのものは、大霊によってできた。できたもののうち、一つとして大霊によらないものはなかった。この大霊に命があった。そしてこの命は人の光であった。」
大霊とは、シルバーバーチの教えを学んでいる方ならご存じのように、グレートスピリットのことです。
先代の牧師によると、万物の根源であり、神であるのが、大霊、つまり、グレートスピリットであるとされています。
きっと大昔は、万物の根源と、神とは、それまで別々の存在として考えられてきたと思われます。
ところがヨハネは、万物の根源と、自分たちが信仰する神が、別々の存在ではないことを理解したのではないでしょうか?
そして、万物の根源と神が同じだとしたら、すべての存在は神であり、命があるということになります。
人の光を外に求めるなら、それをイエスとすることもできるでしょうが、大霊の命が人の光であるのでしたら、人の中にこそ、大霊が存在し、光があることになります。
そして、人の中にある光のことを、神性といって、人は神と同じ性質を持っていると、私は受け取っています。
ですから、「すべての人は、イエスと同じ神の子であり、兄弟姉妹である。」と、辺境の牧師たちは語っているのです。
これで、エリスの話は終わりました。
「シスター、ありがとうございます。」
「やっぱり難しいけど、学ぶことは楽しいです。」と、セシールが言うと、
「私の話では不十分かもしれないけど、今の私では、ここまでが限度のようなの……。」と、エリスは答えました。
「どういうことですか?」と、セシールは質問しました。
「見えない霊の世界のことを理解し、言葉にしていくためには、もっと私が成長しなければならないということよ。」と、エリスが答えると、
「それは、聖霊によるものでしょうか?」と、セシールが聞くと、
「次は、聖霊についてお話するわね。」と、エリスは答えました。