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神の国を見るためには


 さっそく辺境の牧師は、ベラの家まで行くことにしました。

 

 そして、しばらくして、ベラの家に集まってきた人たちに語りかけていきました。

 

 ベンチに座っているのは、ベラの他にローズおばさん、そして、セシールという若い女性と、そのセシールをじっと見ているマシューでした。

 

 「神の国について、イエスは次のように語られました。」と、パスターが話しました。

 

 ルカの福音書 17章20-21節 

 「さて、神の国はいつくるのか、とパリサイ人たちが尋ねたので、イエスは答えて言われた。「神の国は、見られるかたちで来るものではありません。 

 また、『ほら、ここにある』とか、『あそこにある』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」 

 

 「その話からすると、どうやら地上のどこかに、神の国があるわけではないことがわかります。」と、パスターは話しました。

 

 「神の国は、私たちに見えないかたちで来るのですね。でも、私たちの中に神の国がある。ってどういうことでしょうか?」と、セシールが質問をしました。

 

 「神がおられる場所に神の国があるわけですから、まず、神がどこにおられるかを知る必要があると思います。」と、パスターは答えました。

 

 ヨハネの福音書 14章10-11節  

 「わたしが父におり、父がわたしにおられることを、あなたは信じないのですか。わたしがあなたがたに言うことばは、わたしが自分から話しているのではありません。わたしのうちにおられる父が、ご自分のわざをしておられるのです。  

 わたしが父におり、父がわたしにおられるとわたしが言うのを信じなさい。さもなければ、わざによって信じなさい。」

 

 「私は神の中にいると同時に、神は私の中におられるということですから、神の国も、(神の中にいる)私の中にあるということになります。」と、パスタ―は語りました。


 ヨハネの福音書 3章3-6節 

  「イエスは答えて言われた。『はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。』 ニコデモは言った。『年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。』

 イエスはお答えになった。『はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。』」(ニコデモは、パリサイ派で最高法院の議員)

 

 「私も、ニコデモと同じ疑問を抱いています。」と、セシールは話し、

 

 「肉体から生まれた私たちが、神の国を見ることができないのだとしたら、一体だれが神の国を見ることができるのでしょうか?」

 

 「しかも、神の国は私たちの中にあると言われても、私たちにそれが見えないのなら、神の国があるとは言えないと思います。」と、セシールは疑問を投げかけました。


 辺境の牧師は、セシールの疑問に答えて、次のように話しました。

 

 「イエスは私たちと同じように、人間の肉体を持って生まれて来られましたが、イエスは肉体の死を通して、新たに霊として生まれて来られたのだと理解しています。」

 

 「そして、私たちもイエスと同じように、人間は肉体の死を通して、水、つまり私たちの生命である魂は、今までの肉の体の代わりに霊の体を持つことによって、新たに霊として生まれてくることになる。と、理解しております。」

 

 「辺境の牧師たちは、そのことを『復活』と呼んでおります。」

 

 「さらに、私たち人間の魂が、霊の体を身に着け、スピリットとして生まれてくることで、永遠の生命を得て、神の国を見ることが出来るのだと理解しております。」と語って、

 

 「私の認識では、イエスは神のもとから来たと言われているので、同じように、私たちも神から来て、この地上に生まれて来たのだと思っています。」

 

 「そうなると私たち人間も、神が永遠であるのと同じように、もともと永遠の命を持っているのだと考えられます。」

 

 「つまり、神の子である私たちの魂は、地上では肉の衣を身に着け、死後には霊の衣を身に着ける永遠の存在なのである。と言えます。」

 

 「セシール、私の話は理解できたでしょうか?」と、パスターは尋ねました。

 

 「正直言うと、むずかしくてあまり理解できませんでした。」

 

 「牧師様の話によると、イエスは、スピリットとして復活されたということなのですね。」と、セシールは答えました。

 

 ヨハネの福音書20章19-20節

 「同じ日曜日の夕方のことです。弟子たちは、ユダヤ人を恐れて戸をしっかりとかぎをかけ、肩を寄せ合うようにして集まっていました。その時、突然イエスが一同の中にお立ちになったのです。「平安があるように。」イエスはまず、こうあいさつされてから、手とわき腹をお見せになりました。主を見た弟子たちの喜びは、どれほどだったでしょう。」

 

 不意に、聖書に書かれていることを思い出しました。」と、セシールは話し、

 

 「復活したイエスは、霊の体によって、鍵のかかった部屋に自由に入ったり、突然みんなの前に現れることが出来たのですね……。」

 

 「牧師様、永遠の命を人間がもともと持っているのでしたら、どうして、わざわざこの地上に生まれてくる意味があるのでしょうか……。」と、セシールは新たな疑問をパスターに投げかけるのでした。

 

 それを聞いたマシューは、

 

 「セシールは、とっても賢くて、ステキな女性だよ。」と、とても小さな声でセシールに話しかけました。

 

 ベラとローズおばさんは、やれやれといった感じで、「マシュー、頑張りなさい……。」という素振りを見せるのでした。