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復活後の体


 「牧師様、お久しぶりです。」

 

 「もう、私はこんなお婆ちゃんになってしまいましたよ。」

 

 「もし、新しく生まれ変わって神の国に行けたとしても、こんなお婆ちゃんの姿のままだったら嫌だわ。」と、ベラは話しました。

 

 辺境の牧師は、エリスの町にある孤児院などを訪ねるために、ちょうど町の入り口まで足を運んでいるところでした。

 

 「いつもお綺麗ですよ、ベラさん。」

 

 「ところで、どうしてそう思ったのですか?」と、パスタ―は尋ねました。

 

 ルカの福音書24章36-43節

 「これらの話をしている時、突然イエスが現れ、みんなの真ん中に立たれたのです。彼らは幽霊を見ているのだと勘違いし、ぶるぶる震えました。

 『なぜそんなに驚くのですか。どうしてそんなに疑うのですか。さあ、この手を、この足を、よくごらんなさい。わたしにまちがいないでしょう。さあ、さわってみなさい。これでも幽霊でしょうか。幽霊だったら、体などないはずです。』イエスはそう言いながら、手を差し出して釘の跡を見せ、また、足の傷もお示しになりました。

 弟子たちは、うれしいけれども、まだ半信半疑です。心を決めかねて、ぼう然としていました。

 それでイエスは、『何か食べ物がありますか』とお尋ねになりました。焼き魚を一切れ差し上げると、イエスはみんなの見ている前で召し上がりました。」

 

 「牧師様、ルカの福音書では、イエス様は魚を召し上がっています。」

 

 「それに、釘の跡も足の傷もそのまま残っていますわ。」と、ベラは答えました。

 

 「私も初めて聖書を読んだとき、こんなことがあるのだろうか?と、驚きました。」と、パスタ―は話し、

 

 「ここだけ読めば、まるで肉体がそのまま生き返ったように読み取れますね。」と、続けました。

 

 マルコの福音書16章12節

 「その日の夕方、二人の弟子たちがエルサレムから田舎へ向かう道を歩いていました。そこへイエスが現れましたが、とっさには、だれだか見分けがつきませんでした。以前とは違った姿をしておられたからです。」

 

 パスターは、マルコの福音書を紹介して、

 

 「この他にも復活したイエスを見て、最初は弟子たちでさえもイエスだとは気づかなかったことが書かれていますから、肉体がそのまま復活したとは言えないと思います。」

 

 「もしも、復活後のイエスの体が生前とまったく同じ肉体であったのなら、すぐにイエスだと気づいたはずです。」と語りました。

 

 「私も、イエス様だと気づかなかったのはどうしてかしら?と思っていました。」

 

 「きっと、新しく違う外見の肉体を得られたのだと思いました。」と、ベラが答えると、

 

 「語られている通りに、イエスが本当に焼き魚を食べたかどうかは私にもわかりませんが、復活した体は塵のようなものではなかったようですね。」

 

 「それに……、きっと新しい体は、ベラさんが考えているような肉の体ではないと思います。」と語りました。


 話は変わりますが、今まで聖書が人の手によって改ざんされてきたために、パスタ―自身も理解に苦しむ個所がいくつもあります。

 

 さらに、聖書の解釈をめぐっていろいろな教派が存在し、辺境の牧師たちは、その中のごく一部の小さな教派でしかありませんでした。

 

    しかも、この町の人たちは親切で善良ではあるものの、霊という概念には乏しく、「人は塵から生まれ塵に帰る」あるいは、「死後は土に還る」という概念が、未だに根強く残っていました。

 

   それでも、今まで聖書によって語られてきた「イエス復活の話」は、少なからず、この町の人の心を救っているように感じました。

 

 それというのも、イエス復活の話を知るまでは、どんなに深い愛でお互いが結ばれていようとも、この地上で肉体を失ってしまえば、多くの人にとってのそれは、永遠の別れを意味していたからです。

 

 「ベラさん、この機会に、引き続き神の国についてお話をしたいと思います。」と、パスタ―が話しました。

 

 「ええ、もちろんですとも……。他の人にも声をかけたいと思いますので、どうか私の家まで来てください。」と、ベラは答えました。