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セイエンからの贈り物


 「やぁ、シスター・エリス、その~、マシューに用があるのだけど。」と、診療所にセイエンが訪ねて来ました。

 

 「あいにくと今は、薬草を受け取りに出かけているわ。」と、エリスは答えました。

 

 そして、「もうすぐ帰ってくるから、少し、ゆっくりしていけば……。」と、エリスが言うと、

 

 「それには及びません。マシューに、仕事を終えたら私の寺院に来てもらえるように、言付けをしてくれませんか?」と、セイエンはお願いしました。

 

 「もちろん、良いわよ。夕方には行けると思うわ。」と、エリスが答えると、

 

 「ありがとう、シスター。」と言って、セイエンは去っていきました。


 「やぁ、セイエン、用ってなんだい。」と、マシューが訪ねて来ました。

 

 「よく来たマシュー、とりあえず、茶でも飲んでくれ。」と、セイエンが言いました。

 

 「それでは遠慮なくいただくとして、ほら、お土産だよ。」と、マシューはいつものようにパンを出しました。

 

 「いつも、すまない。感謝している。」

 

 「今日は、これをマシューに渡そうと思って、来てもらったのだ。」と、セイエンは言うと、一冊の書物を差し出しました。

 

 「これって、すごく大切なものだろう?」と、マシューが聞くと、

 

 「そう思ってくれるなら、私は嬉しい。」

 

 「マシューへ、私、セイエンが解読した『般若波羅蜜多心経』を贈ります。」と言いながら、マシューへ書物を渡しました。


  摩訶般若波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)

 

 「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)」

 

 私、観音菩薩は、自分が存在するとはどういうことなのか?という問いについて、とことん向き合った末に、一つの真実にたどり着きました。 その真実について、お伝えします。

 

 「照見五蘊皆空 度一切苦厄(しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく)」

 

 私たち人間という存在は、身体と心によって成り立っています。

 

 だから私は、自分とは何かを知るために、この身体と心のどこに自分が存在しているのかを知ろうとしました。

 

 しかし、驚いたことに、いくら探しても「自分」という実体は、じつはこの世界のどこにも存在していなかったのです。

 

 その真実に気づいて私は驚きを隠せませんでしたが、同時に苦悩から解き放たれたように思えました。

 

 「舎利子(しゃりし)」

 

 ブッダの弟子のシャーリプトラ様。私が知り得た真実を聞いて下さい。

 

 「色不異空 空不異色(しきふいくう くうふいしき)」

 

 形あるものには、実体がないことに気づきました。 実体がないからこそ、一時的にいろいろな形として存在できるのだと知りました。

 

 色とは、私たちが認識できるもので、それを物質と呼んでいます。

 空とは、私たちが認識できないもので、それを霊と呼んでいます。

 

 「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」

 

 物質とは、この根本原理である霊によって存在し、形があるように見えています。けれども本当は、実体がないのです。そのように実体がないものが、私たちには形があるように見えているのです。

 

 「受想行識 亦復如是(じゅそうぎょうしき やくぶにょぜ)」

 

 そして、このことは物質だけではなく精神にもあてはまります。つまり、知覚できる身体も心も実体があるように見えているだけなのです。

 

 本当に実体があるのは、知覚できない霊と呼ばれるものだったのです。

 

 

 「舎利子 是諸法空相(しゃりし ぜしょほうくうそう)」

 

 シャーリプトラ様。世の中のすべてのものが霊なのですから、それらすべてに実体がないのです。

 

 「不生不滅 不垢不浄 不増不減(ふしょうふめつ ふくふじょう ふぞうふげん)」

 

 すべての存在が霊だとわかると、ある事実に気づきます。

 

 私たちは、生命が誕生し、いずれ死によって消えるのだと考えていたのですが、それは違っていました。

 

 すべては霊であるから、生じることもなく、なくなることもなく、汚れもせず、清らかでもなく、増えることもなく、減ることもないのです。

 

 「是故空中 無色 無受想行識(ぜこくうちゅう むしき むじゅうそうぎょうしき)」

 

 ですから、霊から見ると物質は実在ではないのですから、物質への執着によって、心が迷い苦しむ必要はないのです。

 

 「無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法(むげんにびぜっしんに むしきしょうこうみそくほう)」

 

 さらに、五官を通して感じたことや喜怒哀楽の感情などによって、私たちが振りまわされる必要もないのです。

 

 「無眼界乃至無意識界(むげんかいないしむいしきかい)」

 

 眼に映る世界から心の世界に至るまで、本当は実在していないのです。この物質の世界とは幻影の世界なのです。

 

 「無無明 亦無無明尽(むむみょう やくむむみょうじん」)

 

 迷いというものはありません。同じように、迷いがなくなるというものもありません。そこには、そのような概念があるだけです。

 

 「乃至無老死 亦無老死尽(ないしむろうし やくむろうしじん)」

 

 同じように、老いや死があるということもないのです。老いと死がなくなるということもないのです。

 

 「無苦集滅道 無智亦無得(むくしゅうめつどう むちやくむとく)」

 

 さらに、苦しみも、苦しみの原因も、苦しみがなくなることも、苦しみをなくす修行法もありません。知ることも、得ることもありません。また、得ないということもありません。ただ、そのような概念があるだけなのです。

 

 

 「以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙(いむしょとくこ ぼだいさった えはんにゃはらみったこ しんむけいげ)」

 

 悟りを求める者は、智慧の修行をすることにより、心を覆う雲や霧がありません。

 

 「無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顚倒夢想 究竟涅槃(むけいげこ むうくふ おんりいっさいてんどうむそう くぎょうねはん)」

 

 心を覆うものがないので恐怖もありません。幻影の世界から離れて、安らぎの境地に達しています。

 

 

 「三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提(さんぜしょぶつ えはんにゃはらみったこ とくあのくたらさんみゃくさんぼだい)」

 

 過去・現在・未来における真実に目覚めた者たちは、智慧の修行によって、正しい悟りに達したのです。

 

 

 「故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒(こち はんにゃはらみった ぜだいじんしゅ ぜだいみょうしゅ ぜむじょうしゅ ぜむとうどうしゅ)」

 

 ゆえに、これは大いなる霊力をもった言葉であり、明らかなる言葉であり、この上ない言葉であり、他に比類の無い言葉なのです。

 

 「能除一切苦 真実不虚(のうじょいっさいく しんじつふこ)」

 

 その言葉は全ての苦しみを取り除き、真実であり、偽りのないものです。

 

 

 「故説般若波羅蜜多咒 即説咒曰(こせつはんにゃはらみったしゅ そくせつしゅわく)」

 

 そこで、この真実を見抜く智慧を、短い言葉で説くことにします。それは以下の通りです。

 

 「羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶(ぎゃていぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)」

 

 ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボウジーソワカー

 

 「般若心経(はんにゃしんぎょう)」

 

 これで、観音菩薩が語った霊と物質についての物語を終えます。


 「今まで何年もパスターと語り合ってきた結果だが、今の私は、霊という根本原理によって、あらゆる存在が成り立っているとの認識がある。」

 

 「パスターはその根本原理を神と呼び、私はその根本原理を、今まで空と呼んできた。」

 

 「そうなると、パスタ―が説く、皆が兄弟姉妹であるとの認識、あるいは、私が説く、全てに仏性があるとの認識も同じものではないのかと感じているのだ。」

 

 「また、コインの表と裏とは、同じものの、それぞれ違う側面に過ぎないという話は、私が説く、無と有、否定と肯定の両方の意味を持っている、空 (クウ)の教えのように感じる。」

 

 「さらに、空とは、両方の側面を持つものであるから、プラスにもマイナスにもなる可能性がある。」

 

 「パスターの言葉を使うなら、いろいろな側面を持つ兄弟姉妹が世界に存在しているのは、無限の可能性がある霊として考えれば、それは当然のことなのだ。」と、セイエンは語りました。

 

 「ありがとうセイエン、これはとても大切な教えなんだね。ずっと大切にしていくよ。」と、マシューはお礼を言いました。

 

 「お礼を言うのは、私の方だよ、マシュー。」と言うと、セイエンは、にっこりとしました。