「おじさん、ぼくの家に行こうよ」
霊の世界で、大樹君は、ある男の人に声をかけていました。
「誰かいるのか?」と、その男の人から声が聞こえました。
どうやら、頭を抱え込んで座っている男の人は、大樹君の姿が見えていないようでした。
「ぼくだよ、大樹だよ。ぼくのお父さんとお母さんが、おじさんのことをとても心配している」と、大樹君は伝えました。
「ぼくは、おじさんのこと、写真でしか記憶がないけれど、今は、おじさんのことが、よくわかるよ」と、続けて話しました。
「ぼくのお父さんとお母さんが、最近、おじさんのことを思い出して、なぜか、とても心配になったと言っているよ」
「だから、お父さんとお母さんの気持ちを知ったぼくは、おじさんがどうしているのか?とても気になって、探していたんだ」と、男の人に話し続けました。
大樹君の傍らで、頭を抱え込んでいる人は、智也さんという男の人です。実は、大樹君の父親のお兄さんです。それから、俊哉おじさんは、大樹君のお母さんのお兄さんです。
智也さんは、今から10年前となる35歳の時に、思わぬ事故によって階段から落ちてしまいました。
その時に頚椎を損傷し、四肢麻痺となってしまったので、入院することになりました。
身動きが出来なくなってしまった智也さんは、全身に管をつけられまま8か月を耐えました。
その時の智也さんは、どれだけ辛く苦しかったっことでしょうか。
その後、感染症にかかってしまい、さらに途端の苦しみを経験しつつ、36年の人生を終えてしまいました。
智也さんが、こちらの霊の世界にやってきたのは、今から9年ほど前のことです。
「私は、ダメな人間なんだ。私の人生に、いったい何の意味があったというのだ」と、智也さんは独り言のように言いました。
「ずっと、母親の言うことを聞いて、母親のために生きてきた人生だった」
「挙句の果てに、苦しむだけ苦しんで、自分の事は何も出来ずに死んでしまった」と、智也さんは後悔の言葉を吐き続けました。
「おじさん元気を出して、こちらの世界には、いろいろと楽しいことがあるよ。それに、地上世界でやり残したことだって、ちゃんと出来るんだよ」と、大樹君は、何とか智也さんをはげまそうとしました。
「すまない。それはわかっているんだ。わかってはいるんだよ。自分が死んだこともわかっているし、ここはもう地上ではないことだって…」
「今は、こうして体を動かすこともできる」
「それでも、どうして生きている間に、もっと自分の人生を歩んでこなかったのか?」
「もしも、あの時にもっと注意して、階段から落ちていなかったら…。と思うと、悔しくて、情けなくて、どうしようもないんだよ」と、智也さんは声をおさえて、泣いていました。
智也さんが、自責の念でつくり出してしまった世界は、地上を去った9年前から時が止まったままでした。さらに今も、そこから前に進むことが出来ませんでした。
「おじさん、ぼくはまた来るよ。今度会った時には、きっと、おじさんも元気になるはずだよ」と、大樹君は言って、その場を去りました。
「何だか、久しぶりに人と話をした気がする。それに、あぁ、大樹はもう死んでしまったのか……」と、智也さんは思いました。
「あれっ、今のは大樹なのか?」
「まだ、よちよち歩きだったはずだ」と、智也さんは言うと、
自分の中の時が止まって以来、じつに9年ぶりに、自分以外のことを考えている自分に、ハッとしました。
そして、智也さんは、自分はまだ36歳のはずなのに、大樹君が立派な青年の姿をしていたので、とても不思議に思いました。
地上でも、霊の世界でも、自分のことしか見えない人は、盲目の状態であると言えます。
さらに、肉体の死によって霊となり、こちらの世界に来ても、「人間とは、霊を携えた肉体なのです」という強い思いが、地上への未練を、なお一層強くしてしまったようです。
そのような人が、こちらの世界でも多く見られることに、大樹君は驚きが隠せないのでした。