ベールの彼方の生活(三)「天界の政庁」篇
三章 天界の経綸
2 象徴(シンボル)の威力――十字を切ることの意味
五章 生前と死後
2 一牧師の場合
一九一七年一二月十日 月曜日
前回のような例は言わば地上の戦場シーンがこの静けさと安らぎの天界で再現されるわけであるから、貴殿にとっては信じられないことかも知れませんが、決して珍しいことではありません。人生模様というものはそうした小さな出来ごとによって織なされていくもので、こちらへ来ても人生は人生です。かつて同僚がこちらで再会し、地上という生存競争の荒波の中で培った友情を温め合うという風景は決してこの二人に限ったことではありません。
では、さらにもう一歩踏み込んで、別のタイプの再会シーンを紹介してみよう。吾々との間に横たわる濃霧の下で生活する人々に知識の光を授けたいと思うからです。その霧の壁は人間の限られた能力では当分は突き破ることは不可能です。いつまでもとは言いません。が、当分の間すなわち人間の霊覚がよほど鋭さを増すまでは、こうした間接的方法で教えてあげるほかはないでしょう。
第二界には地上界からの他界者が一たん収容される特別の施設があります。そこでは〝選別〟のようなことが行われており、一人ひとりに指導霊が当てがわれて、霊界での生活のスタートとしてもっとも適切な境涯へ連れて行かれます。その施設を見学すると実にさまざまなタイプの者がいて、興味ぶかいことが数多く観察されます。中には地上生活に関する査定ではなかなか良い評価をされても、確信と信念とかの問題になると、ああでもないこうでもないと、なかなか定まらない者もいます。誤解しないで頂きたいのは、それは施設でその仕事に当たっている者に判断能力が不足しているからではありません。新参者もまず自分自身についての理解、つまりどういう点が優れ、どういう点が不足しているか、自分の本当の性格はどうかについて明確な理解がいくまでは、はっきりとした方向決めはしない方がよいという基本的方針があるのです。そこで新参者はこの施設においてゆっくりと休養を取り、気心の合った人々との睦(むつ)び合いと語らいの生活の中において、地上生活から携えてきた興奮やイライラを鎮め、慎重にそして確実に自分と自分の境遇を見つめ直すことになります。
最近のことですが、吾々の霊団の一人がその施設を訪れて、ある複雑な事情を抱えた男性を探し出した。その男性は地上では牧師だった人で、いわゆる心霊問題にも関心を持ち、いま吾々が行っているような霊界との交信の可能性についても一応信じていた。が彼はもっとも肝心な点の理解が出来ていなかった。であるから、内心では真実で有益であると思っていることでも、それを公表することを恐れ、牧師としてお座なりのことをするだけにとどまった。肝心な問題をワキへやったのです。というのも、彼は自分には人を救う道が別にある・・・が今それを口にして騒がれてはまずい・・・・・・それはもっと世間が理解するようになってからでよい・・・・・・その時は自分が先頭に立って堂々と唱導しよう・・・・・・そう考えたのです。
そういうわけで、真剣に道を求める人たちが彼を訪ねて、まず第一に他界した肉親との交信は本当に可能かどうか、第二にそれは神の目から見て許されるべきことであるかどうかを質しても、彼はキリスト教の聖霊との交わりの信仰を改めて説き、霊媒を通じての交わりは教会がテストし、調査し、指示を与えられるまで待つようにと述べるにとどまった。
ところが、そうしているうちには彼自身の寿命が尽きてこちらへ来た。そしてその施設へ案内され、例によってそこで地上の自分の取った職業上の心掛けと好機の活用の仕方についての反省を求められることになっていた。
そこへ吾々の霊団の一人が───
──まわりくどい言い方をなさらずに、ズバリ、彼の名をおっしゃってください。
〝彼〟ではなく〝彼女〟、つまり女性です。ネインとでも呼んでおきましょう。
ネインが訪ねたとき彼は森の小道───群葉と花と光と色彩に溢れた草原を通り抜ける道を散策しておりました。安らかさと静けさの中で、たった一人でした。というのも、心にわだかまっているものを明確に見つめるために一人になりたかったのです。
ネインが近づいてすぐ前まで来ると、彼は軽く会釈して通り過ぎようとした。そこで彼女の方から声をかけた。
「すみません。あなたへの用事で参った者です。お話することがあって・・・・・・」
「どなたからの命令でしょうか」
「地上でのあなたの使命の達成のために主の命を受けて、あなたを守護し責任を取ってこられた方です」
「なぜその方が私の責任を取らなくてはならないのでしょう。一人ひとりが自分の人生と仕事に責任を取るべきです。そうじゃないでしょうか」
「たしかにおっしゃる通りです。ですが残念ながらそれだけでは済まされない事情があることを、私たちもこちらへ来て知らされたのです。つまりあなたが地上で為さったこと、あるいは為すべきでありながら為さずに終わったことのすべてが、単にあなた一人の問題として片づけられないものがあるのです。守護の任に当たられたその方も、あなたの幸せのために何かと心を配られましたが、思い通りになったのは一部だけで、全部ではありませんでした。こうして地上生活を終えられた今、その方はその地上生活を総ざらいして、ご自分の責任を取らねばなりません。喜びと同時に悲しみも味わわれることでしょう」
「私には合点がいきません。他人の失敗の責任を取るというのは、私の公正の概念に反することです」
「でも、あなたは地上でそれを信者に説かれたのではなかったでしょうか。カルバリの丘でのキリストの受難をあなたはそう理解され、そう信者に説かれました。すべてが真実ではなかったにしても、確かに真実を含んでおりました。私たちは他人の喜びを我がことのように喜ぶように、他人の悲しみも我がことのように悲しむものではないでしょうか。守護の方も今そういうお立場にあります。あなたのことで喜び、あなたのことで悲しんでおられます」
「どういう意味でしょうか。具体的におっしゃってくださいますか」
「慈善という面で立派な仕事をなさったことは守護霊さまは喜んでおられます。神と同胞への愛の心に適ったことだったからです。が、あなたみずから受難について説かれたことを実行するまでに至らなかったことは悲しんでおられます。あなたは世間の嘲笑の的になるのを潔(いさぎよ)しとしなかった。不興を買って牧師としての力を失うことを恐れられた。つまり神からの称賛より世間からの人気の方を優先し、暗闇の時代から光明の時代へ移り始めるまで待って、その時に一気に名声を得ようと安易な功名心を抱かれました。が、その時あなたは意志の薄弱さと、恥辱と冷遇を物ともしない使命感と勇気の欠如のために、大切なことを忘れておられました。つまりあなたが到来を待ち望んでいる時代はもはやあなたの努力を必要としない時代であるかも知れないこと、闘争はすでに信念強固なる他の人々によってほぼ勝ち取られ、あなたはただの傍観者として高見の見物をするのみであるかも知れないこと、又一方、その戦いにおいて一歩も後へ退かなかった者の中には、悪戦苦闘の末に名誉の戦死を遂げた者もいるかも知れないということです」
「いったい、これはどういうことなのでしょう。あなたはいったい何の目的で私のところへ来られたのでしょうか」
「その守護霊さまの使いです。いずれその方が直々にお会いになられますが、その前に私を遣わされたのです。今はまだその方とはお会いになれません。あなたの目的意識がもっと明確になってからです。つまりあなたの地上生活を織り成したさまざまな要素の真の価値評価を認識されてからのことです」
「判りました。少なくとも部分的には判ってきました。礼を言います。実はこのところずっと暗い雲の中にいる気分でした。なぜだろうかと思い、こうして人から離れて一人で考えておりました。あなたからずいぶん厳しいことを言われました。ではどうしたらよいのかを、ついでにおっしゃっていただけますか」
「実はそれを申し上げるのが私のこの度の使いの目的だったのです。それが私が仰せつかった唯一の用件でした。つまりあなたの心情を推し量り、ご自身でも反省していただき、あなたに向上の意欲が見られれば守護霊さまからのメッセージをお伝えするということです。今あなたはその意欲をお見せになられました───もっとも心の底からのものではありませんが・・・・・・。そこで守護霊さまからのメッセージをお伝えしましょう。あなたがもう少し修行なされば、その方が直々にご案内してくださいます。その方がおっしゃるには、取りあえずあなたは第一界に居所を構えて、そこから地上へ赴いて、こちらの光明の世界の者との交信を求めている人たちの気持ちをよく汲み取り、その人たちをキリストの光明と安らぎへ向けて向上させてあげるために慰めと勇気づけのメッセージを送ることに専念している(光明界の)人たちの援助をなさることです。あなたの教会の信者だった人の中には、悲しみに打ちひしがれた人たちのために交霊会を開き、他界した肉親との交信をさせて喜ばせ、かつ、自らも喜びを得ようと努力しておられる人もいます。今こそあなたはその人たちのところへ赴き、あなたの存在を知らしめ、あなたが地上時代に説かれたことを撤回するなり、語るべきでありながら勇気がなくて語らずに終わった真理を説いて聞かせるなりすべきです。これは恥を忍ばねばならないことではあります。でも、それによって地上の信者は大いに喜びを得るでしょうし、あなたの潔い態度に好意を抱くことでしょう。と言うのは、その方たちはすでに今のあなたの位置よりはるかに高い天界からの愛の芳香を嗅ぎ取っているのです。でも、どうなさるかはあなたの自由意志に任されております。言われる通りになさるなり、拒否なさるなり、どうぞご自由になさってください」
彼はしばし黙して下を向いていた。必死で思いを廻らしていた。その心の葛藤は彼のようなタイプの人間にとって決して小さなものではなかった。果たせるかな彼は決断に到着することが出来ず、後でもっとよく考えてからご返事しますとだけ述べた。怖れと優柔不断という、かねてからの彼の欠点が相も変わらず彼をマントの如くおおい、その一線を突き破りたくても突き破れなくしていた。ネインは自分の界へ戻って行った。が、彼女が求めに来た嬉しい返事を携えて帰ることはできなかった。
──それで結局彼はどうしました? どういう決断をしたのでしょうか。
このあいだ聞いたところでは、まだ決めていないとのことでした。もっとも、この話はつい最近のことで、まだ結末に至る段階ではありません。彼の自由意志によって何らかの決断を下すまでは結末はあり得ないでしょう。貴殿が催される〝交わりの集会〟へは彼のような立場の霊が大勢参加するものです。
──交わりの集会というのは聖餐式のことでしょうか。それとも交霊会のことでしょうか。
どう言い変えたところで同じでしょう。確かに地上の人間に取っては両者は大いに違うでしょうが、吾々には地上の基準で考えているのではありません。どちらにせよ同じ目的、つまり両界の者と主イエスとの交わりを得るためです。吾々にとってはそれだけで十分です。
ところで吾々が派遣した女性のことですが、貴殿はなぜこのような使命を女性が担わされたのか──キリスト教の牧師を相手にしてその行為と態度を論じ合わせたのはなぜかと思っておられる。その質問にお答えしましょう。
答えはいたって簡単です。実は彼には幼少時代に一人の妹がいたのですが、それがわずか二、三歳で夭折した。そして彼一人が成人した。例の女性がその妹です。彼はその妹を非常に可愛がっていた。であるから、もしもその人生においてもう一段高い霊性を発揮していたら、たとえその後の彼女が美しく成人していても、すぐに妹と知れたはずです。が、低き霊性故に彼の視界は遮られ、視力は曇らされ、遂に彼女は自分が実の妹であることに気づいてもらえないまま去って行った。
げに吾々は、喜びにつけ悲しみにつけ一つの家族のようなものであり、それを互いに分かち合わねばならない。主イエスも地上の人間の罪と愛、すなわち喜びと悲しみを身を持って体験されたのですから。