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ほとんど、ひとりごと

 最近、ブログを書こうと思っても、書けない状態が続いていました。
日々、自分のことに限っても様々なことがあるし、相談やヒーリングの依頼もあるので、それを文章にするならば、ブログも更新し続けられるはずなのですが…。
 けれども、そういう気が起きないどころか、自分自身の利己的な部分に再度気が付いてしまったので、それどころではなくなったというのが本音です。

 私の場合、利己的な思いが強くなると、みぞおちから下の辺りに、何とも言えない違和感を感じて、実際に辛くなってしまいます。
 今まで自粛生活をせざるおえない状況からか、今まで以上に、自分のこと、さらに自分以外の人たちのことも考えるようになったからかもしれません。
 その結果、朝、目が覚めて寝るまでの間、「自分が得することばかり考えている自分がいる」ことに気が付いてしまいました。
 それで今は、利他的に生きている人たちに学びながら、「どうしたらこういう自分を変えることができるのか?」と、日々もがいている所です。

 私は、今も自分の中に「少しでも人より上でいたい」という思いや「自分の思い通りに進めたい」という思いがあります。この思いが染みついてしまっているようで、自分にとって精神的な苦痛になっています。

 今はそれらの思いに気が付いたおかげで、やっと自分の内側の下の方から、少しでも利他的に生きたいと思えるようになりました。これは私の場合ですが、頭の方で思うことは、その時の状況によって変わってしまうので、やはり、みぞおちの下から湧き出る思いからではないと、気持ちが揺らいでダメなようです。

 それともう一つ気が付いたことは、「自分という存在に実感が持てていなかった」ということです。これは、たぶん、「周りで正しいとされていることや言われていることなどが、善悪の判断の基準となって、しかも自分もそうあるべきだ。自分も同じ考えだ。」と、何の疑いもなく受け入れて生きてきたからだと感じています。

 さらに言うと、善悪の基準も、「自分の思い通りにいくことが善で、思い通りにいかないことが悪である」と、決めつけていたことにも気が付きました。

 今まで私は、霊的視点を持つことの大切さを述べてきたのですが、知識として知っている段階でしかなかったのだと感じています。

 何故なら、他人の欠点や間違いを探しては、いい気になっていた自分がいましたし、他人の良いところには、なかなか目がいかなかったのも事実です。

 でもそれが、「大霊の子である人間なんだな~」と、自分を顧みて、改めて思ったりもします。

 『霊的に生きる』って、言葉では簡単に言えるけど、実際には大変なことかもしれないと、改めて今になって感じております。

 今は、もっといろいろな人から話を聞いて、学んでいこうと思っています。そういう気持ちになりました。多分、それが必要なのでしょう。ということで、今回は、終えたいと思います。