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『個人』と『個性』について

『古代霊は語る』近藤千雄訳 潮文社刊を読んで~

 私が『古代霊は語る』を読んだ時は、二年以上にわたる相談者とのやり取りに疲れ切った後でした。私はヒーリングをすることによって疲れることはありませんが、ヒーリングの効果が見られない依頼者の相談にのることで、時と場合にもよりますが、とても疲れてしまいます。

 私は自分を変えていくだけでも四苦八苦していますので、依頼者の方の直すべき所がわかったとしても、それを伝えて改善してもらうことは、「並大抵のことではない」と実感している所です。

 私もそうですが、例えば「こういう利己的な所を改善した方が良い」と、自分で何となく感じていたとしても、それを他人にはっきり指摘されると、どことなく恥ずかしいやらムカッとくるやら、嫌な気持ちになるものなのでしょう。

 ところで、この『古代霊は語る』の ”古代霊„ とは、みなさんご承知の通り『シールバーバーチ  (Silver Birch)』のことです。私は、シルバーバーチが大好きなので、シルバーバーチの生徒として、今後も学んだことを実践に役立てて生きていきたいと思っています。

 それでは、私が『古代霊は語る』を読んで、「あ~なるほど~」と感じた所の一部を紹介したいと思います。


第三章 再生

「では今ここに類魂の一団がいるとします。その個々の霊が何百万年かの後に完全に進化しきって一個の霊になってしまうことは考えられませんか」

シルバー・バーチ

「そういうことは有り得ません。なぜなら進化の道程は永遠であり、終りがないからです。完全というものは絶対に達成されません。一歩進めば、さらにその先に進むべき段階が開けます。
 聖書に、己れを忘れる者ほど己れを見出す、という言葉があります。これは個的存在の神秘を説いているのです。つまり進化すればするほど個性的存在が強くなり、一方個人的存在は薄れていくということです。おわかりですか。
 個人的存在というのは地上的生活において他の存在と区別するための、特殊な表現形式を言うのであり、個性的存在というのは霊魂に具わっている神的属性の表現形式を言うのです。進化するにつれて利己性が薄れ、一方、個性はますます発揮されていくわけです

 まずはじめに、私には、『類魂』について完全に理解するのは難しいと感じております。言葉ではわかっているようで、本当は理解出来ていないと思っています。そもそも「魂について完全に理解しているならば、神についても完全に理解していることに等しいのではないのか?」と、勝手に思ったりしてしまいます。私は神に祈る一方で、神の一部だとも思っているので、神は、私の外にも内にも存在していることになり、「これもコインの表と裏ってこと?それってどういうこと?」って、考えたりします。「考えるな、感じるんだ…」が正しいのでしょうか?本当は、霊的にそこまで成長出来ていないだけだと思います。負け惜しみですね。とにかく、自分が何故?ここに存在できているのかが自分ではよくわからないのです。そんな私から言えることは、私を含めて私たちは、「必要とされているから存在しているのでしょう」と言うことだけです。

 それから、「聖書に、己れを忘れる者ほど己れを見出す、という言葉があります。」というのがあったので、私なりに聖書のどこに書かれているのかを調べましたが、よくわかりませんでした。

 ただ、私の経験からは、「自分まみれ(自分ばかり)の時は、生きるのがけっこう辛いと感じるのに、自分のことを忘れて人のために頑張っている時は、けっこう楽しいと感じている」と言えると思います。

 それと一応お知らせしますが、私はとてもではありませんが、「地球人類のため」とか、ここで言えるような高い霊性の持ち主ではないので、自分と関わりのある人や霊たちの幸せを願って生きるのが精一杯な現状です。

 それはそうと、私が「あ~なるほど~」と感じた所は、『個人的存在というのは地上的生活において他の存在と区別するための、特殊な表現形式を言うのであり、個性的存在というのは霊魂に具わっている神的属性の表現形式を言うのです。』という所です。

 「個人」という言葉からは、個々別々の、ひとりひとりの人という感じで、人と人とが切り離された印象を受けます。

 一方、「個性」という言葉からは、自分に向けて言えば、「自分らしさ」であり、他人に向けて言えば、「その人らしさ」というように、人によってそれぞれ表現の仕方が異なっているけれども、人としては同じであるというような印象を受けます。さらに「人」という所を「霊」と置き換えて考えてみるのも良いと思います。

 私は今まで、知識は大切だと思って生きてきましたが、シルバーバーチの教えを学んでからは、本当に実感として感じています。

 私にとって一番の問題として、自分が霊的成長をしたいと願うのは、自分が幸せになりたいからという思いがあります。

 私は、今まで霊的知識を学んできたのにもかかわらず、常に自分の中の利己的な思いによって少なからず苦しんできました。

 何故そうなってしまったのかと言えば、今までの私は「個人的存在としての霊的成長」を願っていたからだと理解しました。それは、今まで「人と切り離された、自分だけの霊的成長を願う」という利己的な動機があったからです。

 けれども今後は、シルバーバーチから学んだ「個性的存在としての霊的成長」が実践出来れば、「自分らしさ」を自分で認められるように、他の人に対しても、「その人らしさ」を認めることが出来るようなっていくのだと感じております。

 つまり、他人に対していろいろ気に食わないことがあったとしても、「自分も大切だけど、他人も大切ですよね。霊としては繋がっているわけだから……。」という感覚になっていくと思うので、自分だけどうのこうのという「自分まみれ」になることは避けられるだろうと思っております。(たぶんですが……。)


  これは、私の感覚で述べているに過ぎませんが、 永遠の存在であり、自由である霊としての私たちは、限りのある地上世界に生まれ、物質と結びつくことによって個性を持ち、思い通りにならない世界の中で、何を学んで霊界に持ち帰っていくのか?そして、その地上での経験から、みんなと協力することや人の役に立つ喜びを覚え、霊界をより豊かに、より美しいものへとしていく。私たちが地上に生まれてくるということは、本来、そういうことだったのではないのか?と感じております。


 第四章 苦しみと悲しみと

 「霊的知識を手にした者は挫折も失敗も神の計画の一部であることを悟らなくてはいけません。陰と陽、作用と反作用は正反対であると同時に一体不離のもの、いわば硬貨の表と裏のようなものです。表裏一体なのですから、片方は欲しいがもう一方は要らない、というわけにはいかないのです。
 人間の進歩のために、そうした表と裏の体験、つまり成功と挫折の双方を体験するように仕組まれた法則があるのです。神性の開発を促すために仕組まれた複雑で入り組んだ法則の一部、いわばワンセット(一組)なのです。
そうした法則の全てに通暁することは人間には不可能です。どうしても知り得ないことは信仰によって補うほかはありません。盲目的な軽信ではなく、知識を土台とした信仰です。
 知識こそ不動の基盤であり、不変の土台です。宇宙の根源である霊についての永遠の真理は、当然、その霊の力に対する不動の信念を産み出さなくてはいけません。そういう義務があるのです。それも一つの法則なのです。」

 私は、シルバーバーチのこの言葉の意味を理解はしていても、実践となると、やはり理解した通りにはいきませんでした。と言うよりは、苦しみから逃げて逃げて、さらに逃げる方法を探して快楽を求めるような生き方だったと感じています。とても恥ずかしい限りです。

 そのため、「もしかしたら私は、生まれた頃からシルバーバーチ読書会に参加するようになるまでの間、中身は人間ではなかったのかもしれない。けだものだった?」と思ったりすることもあります。色で表すと、10代までの時の純粋だった頃を除けば、『黒に近い灰色』だったと思います。それが40代になって白に近い灰色になり、最近やっと少しずつ色が付き始めてきた状況だと言えます。

 そして、今までのような苦難から逃げるための悪あがきはやめて、素直に努力した方が楽なのかもしれないと思えるようにもなってきました。

     今の課題は、甘いお菓子やパンを食べて逃げている私を、どうにかしなくてはならない時期なのでしょうね。振り返ると、タバコ、アルコール、砂糖も含めて、何かに依存する生き方をしてきました。さらに精神的にも未熟なのに、そのことに気付きもしないで、人に文句ばかり言っていたように思います。そのくせ、自分の悪い所は見て見ぬふりをし、さらに約束をしても破ってばかりでした。本当に嫌な奴ですね。自分で自分のことを書いていて、悲しくなりました。が、そんな私でも、シルバーバーチの霊訓と出会って、何とかここまで頑張れたのだから、本当に良かったと、感謝しております。


 この『古代霊は語る』という本には、シルバーバーチ以外にも、いろいろな人や霊が登場されています。そして、訳者でもある近藤千雄さんの話も盛り込まれております。

 こういった、人の役に立ち、しかもバラエティーに富んだ本が手に入り難い状況には悲しくなりますが、ひと昔前よりは、シルバーバーチの本を読まれている方が意外に多いと思えることは、とても嬉しく感じております。

 

 そしていつか機会があれば、シルバーバーチが語った『You have the greatest riches within yourselves.(あなたは自分の中で最大の富を持っています。)You are part of the Great Spirit.(あなたは、大霊の一部です。)』ということについて、読書会で学んでいきたいと思っています。

 締めくくりとして、上手く表現できないのですが、今まで以上に(人類の幸せのために)霊力が地上に流れていくためには、霊的通路の構築が必要だと思われます。

 そして、そのための土台となる霊的知識が必要不可欠だと思われますが、肝心な霊的知識を広めていく側を見ると、人によって霊的知識に対する認識や方向性に違いが出てきているように思われます。特に(スピリチュアリズムではなく)スピリチュアルと呼ばれているものには、違和感さえ感じております。何故なら、スピリチュアルと呼ばれているものの中には、霊的な成長を避けたり不要だとするような考え方やお金と結びついたものが多くみられることに、私は危惧しているからです。もちろん中には、良いなぁ~と思える考え方もあります。

    とは言っても、霊的知識を知識としてのみ知っている方、あるいは、霊的知識を利用してお金を得たい方、注目されたい方、尊敬されたい方、偉くなりたい方、救われたい方、人の役に立ちたい方、人類を救いたい方、というように、そもそもの動機が人によって違うのですから、霊的知識に対する理解の仕方も、みな同じであるわけがないのですよね。

     私の心境としては複雑ですが、それぞれの方の意志や個性のことについて考え、尊重するならば、それで良いのかもしれません

     今後も私は、心を柔軟にして謙虚さを忘れず、さらに霊的知識を深めて人の役に立っていきたいと思っております。

We are part of the Great Spirit. 

We have the greatest riches within ourselves.

     最後に、いろいろと嫌なことから逃げて来たからだと思いますが、私は、みなさんと共に喜んだり苦しんだり出来ることが、幸せというものではないのだろうか?と、最近になって感じるようになってきました。

 それでは、今回はこれで終わりたいと思います。お疲れ様でした。