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ヒーリング依頼者と私

 以前は、ホームページでもヒーリングを受け付けていましたので、様々な方からヒーリングの依頼が入ってきました。

 私としては、依頼者の方のためにベストを尽くしてきたのですが、必ずしも、依頼者の方の期待通りにならないこともありました。

 ちょっと前まで、地上にいながら暗黒界を彷徨っていたような私ですから、やっと光が見えてきたのもここ数年のことです。ですから、霊的にみてもそれほど霊性が高いわけではないですし、ヒーリングの効果もそれに見合ったものでしかないと感じております。

 まぁ、それでも、そういう経験をしてきたからこそ役に立てることもあると感じております。

「かつて、私がわからなかったこと」

 私は幼少の頃から、持病の喘息で苦しんできた経験があります。それでも、呼吸が苦しいのは、喘息の発作が出た時だけだとずっと思っていました。

 私は子供の頃から走るのが苦手でした。走ると息が苦しいからです。特に学校の授業で走る時は、タイムを競い合うので、より息が苦しくなってしまいます。

 それは短距離、長距離に限らなかったのですが、周りにいる走り終えた人も、みな息を切らしているので、息が出来ないくらいに苦しいのが当たり前なのだと、20歳頃までずっと思って生きてきました。

 そして喘息のために、医者には、一生薬を飲み続けなければいけないと言われた私でしたが、20代の頃、私の奥さんでいてくれた方が、「病気に負けないで、すぐに薬に頼らないで」と、励ましてくれたことがきっかけとなって、その後、喘息が完治していきました。

 

 喘息が完治してわかったことですが、多少走ったくらいでは、「呼吸はそれほど苦しくならない。息が出来ないということはない。」ということです。

 それまでずっと私は、走って呼吸が苦しくなるのは、自分が他の人より鍛えられていないから、つまり、体力が劣っているせいだと思っていたのです。

 この発見には、本当に驚いたわけですが、それよりも自分が正しいと思ってきたことが、必ずしも他の人から見たら、正しい訳ではないということが、本当の発見だったと思います。

「相談者の幸せを願って」

 今は時間の制約があって、ホームページでヒーリングの受け付けをしていません。けれども、読書会や知人などを通してのヒーリング依頼であれば、喜んでヒーリングを引き受けております。と言っても、私が忙しい時は、他のヒーラーのみなさんにお願いしております。もちろん、みなさんボランティアですので、無料です。(私は過去の反省より、身近な人から、まず大切にしていこうと思っています。)

 ですが、私としては、霊界側にヒーリングのお願いをする立場でしかないので、実際のヒーリングは、私がしているわけではないとも言えます。

 それで私は、ヒーリングの依頼をされた方の中で、霊的成長を望んでいる方がいるならば、その方の手助けをしていくことで役に立とうと思ったのです。

 前置きが長くなりましたが、霊的成長と幸せを願っていながらも、日々、重い病気で苦しまれている相談者の方とのやり取りの内容を紹介したいと思います。

 以下にその一例を掲げていきたいと思います。実際に出したメールに近い形で紹介させていただきます。地上にいる霊の方も読んで下さいね(笑)


○○さん、おはようございます。

○○さんの願いは、霊界に届いているに決まっていますよ。
ただ、○○さん(の魂)にとって、一番良い結果となるようにされているのです。

また、ヒーリングの目的は、霊的目覚めと霊的成長のための手段として霊界側で開発されたものですから、病気が治るかどうかの前に、その目的について考えて欲しいと思います。


私たちは、霊的に言えば、ヨチヨチ歩きの幼子であり、地球という『試練と償い』と言う名の保育園に通うために、地上に生まれてきました。

保護者である守護霊や善霊たちは、その道中で私たちを守ってくれますが、私たちが道端で転んだ時に、一番良い方法で助けてくれています。


しかし、道中にいるのは、守護霊や善霊たちばかりではなく、悪霊、邪霊と言われるような未熟な霊たちが、常に私たちを狙っていますし、道を踏み外させようとちょっかいを出してきます。


さらに私たちの通う『試練と償い』と言う名の保育園では、私たち一人一人に苦難という試練を用意されています。それから、罪の償いをしなくてはならない場合もあるので、少し辛かったり、けっこう辛かったり、かなり辛かったりします。辛い事しか言ってないですね(笑)

もちろん、楽しいこともありますよ。

 

また、その保育園の中にも様々な仲間がいて、親切な人もいますが、意地悪な人もいて、嬉しいこともありますが、嫌なこともたくさんあります。

 

いずれは、各自、それらの試練をのりこえて保育園を卒業し、肉体という古い衣を脱ぎ捨てます。そして、新たな衣に着替え、さらなる学びの場へと旅立って行きます。


けれども、それら全てを用意された神さまは、この『試練と償い』の保育園で、私たちが、自分たちの好きなように試練へと臨める様に、その保育園での中では、一定の自由意志というものを与えてくれています。

この自由意志で、私たちが同じ生命=霊でありながら、私たちはそれぞれ成長して、個性というものを持つことが出来るようになりました。

けれども、その自由意志と一緒に、私たちに責任というものも与えてくれました。守護霊と一緒に歩んで行くのか?道を踏み外すしてしまうのか?それはあなたしだいです。それによって、私たちの将来の幸せが左右されていきます。

神さまは、私たちがどのように歩んだとしても、苦難という試練をのりこえ、この保育園を無事に卒業すれば、必ず幸せになれるようにしてくれています。
もちろん、この保育園を用意された神さまは、ここに通う園児のことを全てお見通しです。
神さまが用意されたのは、この保育園だけではなく、守護霊や善霊、未熟な霊たちも含めて全てですから、神さまの懐の中にあるのです。

 ですから、○○さんの祈りの通りになっていないからといって、○○さんのことを神さまがうっかり見落としたり、忘れてしまったり、他の人と間違えたりしているわけではないのです。

今、○○さんは、保育園で経験していることが辛すぎて、このままでは無事に卒業出来ないと心配して、不安や恐怖にさらされているところですね。
そのため、○○さんは、この『試練と償い』と言う名の保育園で、どのように思って、どのように感じて過ごしてきたのか?
それらのことを復習して、今後どのように進んだら良いのかを思案している状況です。


○○さんに不足しているのは、想像力です。
自分が生まれてきた意味や目標を、地上と言う名の保育園に置いてはいけません。
地上生活は、目的ではなく、手段です。
私は、『霊界でどのように幸せになりたいのか?』と、そこに目標を持っていくのが正しいあり方だと思っています。

守護霊や善霊たちは、○○さんが地球という保育園を無事に卒業して、霊界でとても幸せに暮らして行けるように、一生懸命に行動されています。
決して、○○さんの願いが届いていないわけではありません。
そして、それが守護霊の親心というものだと思います。
今日も頑張って下さい。

WAKA


○○さんへ

もう一度、基本的な事をお話します。

守護霊や善霊たちは、○○さんが、霊界で幸せに暮らせるように行動されています。

地上は、霊界で幸せになるための『手段』であることを当たり前のこととして、善霊たちは、ご存知だからです。

確かに地上生活は、辛いことの連続です。
でもそれは、生きる過程で苦しみがあるのであって、苦しむことが目的ではありません。

今、病気が治らないからといって、○○さんの幸せを願わない守護霊なわけではありません。それに善霊たちは、私なんかよりも、はるかに○○さんを大切に思って、愛してくれています。私だって○○さんの幸せを願っているのですから、私が敬愛する霊の方々は、それ以上に思ってくれていることでしょう。

困ったことですが、○○さんが地上生活に執着すればするほど、善霊たちよりも地縛霊たちと通じてしまいます。
何故なら、すでに彼らは肉体を失っているにも関わらず、霊界ではなく、地上生活での幸せに執着しているのは、他ならぬ地縛霊たちですからね。

 

 私としては、この地上で生きている今も、本来、人は霊であるのですから、霊としての幸せを求めることが、人として歩むべき最善の道だと思っています。ましてや、肉体を失って霊として生きているのだとしたら、霊としての幸せを願い、そのために努力して生きることは当然のことだと思います。

○○さんは、どのような霊界で過ごしたいのでしょうか?
そこに夢と希望を持って、霊界生活にこそ目標をおいて、守護霊や善霊たちと共に頑張って下さい。

WAKA


 この○○さんとは、2年5か月にわたり、双方で1500通を超えるメールのやり取りをしてきました。そして片道1時間30分かけて、10回以上、訪問してお会いしております。○○さんは、すでに6年以上、精神障害で病院に通い続けているようですが、それ以外にも、整体、針、気功など、様々な治療を試してきたそうです。けれどもほとんど効果が感じられなかったみたいです。それで今度は、霊能者に霊視してもらったり、数名の方からヒーリングを受けてきたそうですが、やはり効果がいまいちだったようです。結局、私もその中の一人になってしまいました。

 それでも、○○さんの生い立ちを知ってから、私は知らん顔ではいられませんでした。それに○○さんは、とても優しく、お年寄りが困っているのをみると、ほっとけないタイプの人です。病気療養中であっても、何とか人の役に立ちたいとの思いから、近所のゴミや吸い殻を拾ってきました。○○さんは、やっぱり良い人なんですよね。

 

 ところで、何故、ボランティアで私が、ヒーリングや霊的な相談をしているのかと言えば、数々のシルバーバーチが述べた言葉に感動したからだと思います。

 特に私は、「神が私たちを見捨てることはありません。私たちが神を見捨てているのです。」という言葉が好きです。(私が勝手に解釈している言葉です…。)ついこの前まで、私は神に見捨てられたと思いつつ、それでも必死に神を信じて生きてきたからだと思います。

 そして、いろいろな苦難をのりこえてきたからだと思うのですが、本当に「神が見捨てることはない」と、実感出来るようになりました。それがとてもとても嬉しいからです。だから私は、微力ながらも○○さんを含めて、依頼者の方のために努力することが本当に嬉しいと感じております。そういう訳があって、時間がとっても足りない日々を過ごしています。

 

    本当はきれいなままで、この話を終えたかったのですが、例えば、ある一人の依頼者から、連日のように20通以上のメールが来て、その対応に追われてしまい、しばらく距離を取るように頼んだことが数回あります。

    さらに、耳の痛い話を避けて、都合の良い話しか聞いていない依頼者の方には、イラッとして注意したこともあります。そして、自分を変えようとせずに、周りを変えようとする態度にうんざりしたこともあります。

    最近わかったことですが、病気が改善されない方の中には、自分を変えようとする努力まで、神や善霊などに頼ってお願いしているのに、自分では、一生懸命に自己改善をしていると信じて疑わない方がいることです。そうなる根底としては、言葉ではいろいろ反省の言葉を言ってはいるものの『自分は悪くない』或いは、『被害者だ』という気持ちが見受けられます。

 結局、その方の祈りとは、病気治癒のために、『神さまに変わって欲しい』(法則を変えて欲しい)と願っていることに等しいわけです。ですが、地上的な視点で見ると、そのような方に限って、とても良い人で、頭も良く、親切ですし、努力家です。言葉使いも丁寧で礼儀正しいのです。これでは、『どこをどう改善していけば良いのか?』が、本人も周囲の人たちも、さっぱりわからないということになるかもしれません。

 さらに依頼者の方が霊的知識を理由に、病気が治らない原因を今の自分以外に求めている場合は、本当に困ってしまいます。たとえば病気の原因を、『前世のカルマのせいである』とか、『霊的成長のための試練である』からというもので、間違ってはいないかもしれませんが、病気の原因をどうにかして、今の自分以外に見つけて行くことに頑張るんですよね。自分は被害者であって、自分は悪くない、責任は取りたくないという動機がチラホラ見えてくるのです。

    私は好きでやっているはずなのですが、相談にのるのが結構キツイ時があります。そういう時は、私も試練なんだなって、感じています。まぁ、私がイメージしていたボランティアとかヒーリングとは、何だかだいぶ違っていますが、今後もめげずに頑張っていこうと思っています。