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読書会開催のために気をつけてきたこと

 読書会の補足

 12月の読書会で伝えきれなかったことを、補足の意味でブログを通して、お知らせしたいと思います。そして後半は、私が読書会を開催するために、気をつけていることについて紹介したいと思います。


 昨日、シルバーバーチの霊訓(一)の『二章 なぜ生まれてきたのか』をみなさんで学びました。
 読書会では、みなさんと『シルバーバーチの霊訓』から、スピリチュアリズムを学んでいます。けれども、それは学校で学ぶような形とは違って、成績が良いとか悪いとか、良い点数の人が上であるとか、霊的知識が豊富であることが凄いことであるとか、そういう地上的な視点で判断するような勉強ではないと認識しています。
 強いていうならば、霊性がどうであるのかということでしょうが、私としては、「今、大霊にしっかりと顔を向けて生きているのだろうか?」ということの方が大切だと感じております。(そういう私は、ここに書きながら霊界側より反省させられております。日々、大霊に祈ってはいても、自分の全てをさらけ出していないようです。つまり、私のどこかに後ろめたいことがあるので、それを隠したいという思いが、無意識のうちに出てしまうのでしょうね……。)
 そして、シルバーバーチの霊訓をみなさんと学んできて、私自身、発見したことがあります。それは参加者のみなさんに(昨日は15名でしたが)、それぞれに視点の違いがあって、みなさんが大切だと感じた所と私が大切だと感じた所は、それぞれ違うということでした。
 そういえば、「それぞれの人の霊性が向上するにつれて、みな同じようになっていくのではなく、ますます、それぞれの人の個性に磨きがかかってくる」というような言葉を思い出しました。それとともに、それぞれの方の個性を尊重していくということも、読書会を通じて私が学ぶようになったことです。
 それで、けっきょく何が言いたかったのかということですが、私は「自分らしく生きる」ということが大切だと思っているので、みなさんに「自分らしく生きて欲しい」ということでした。
 私は、人にはそれぞれ、地上に生まれて来る前に「こうして生きていく」と決めたことがあると思っています。そして、それぞれの魂は、「自分は地上で、こう表現して生きていくのだ」というものを持って、それぞれの人生を歩んでいくのだと思っております。
 私はそのような考えや思いを持っているので、「なぜ生まれてきたのか」という問いかけに対しては、「自分らしく生きるために、生まれてきました」ということを、読書会の場で伝えたかったのです。

 

 読書会の開催で気をつけていること

 私が読書会を開催するのに、いろいろと気をつけていることがあります。

今後、シルバーバーチ読書会を開催しようと思っている方の参考にしていただければ幸いです。


 まず最初に言えることは、シルバーバーチの教えから学んだことを、実際の生活の場において、実践していくことだと思います。けれども、実際に出来ることもあれば、当然、出来ないことも出てくると思います。

 私の例で言うと、朝早く職場に行って、2つの電動ポットにお湯を用意し、9つのテーブルを水吹きしてきれいにします。落ちているゴミを拾うなどして、職場が少しでもきれいになるように努めています。私の勤めている所が大きい職場であることから、毎日、3名の専門業者がゴミの片付けなどをしてくれるのですが、経費削減のために範囲が決まっていて、自分達でやらねばならないことも多いのです。たとえば、トイレの清掃は専門業者がしてくれますが、シャワー室の清掃は、利用する人たちですることになっています。しかし、管理者を含め、みなそういうことは人任せであるのが現状で、たとえポットが空になったとしても、水の補充をせずに、そのまま電源をつけたままにすることが当たり前の現状です。さらに、ゴミをゴミ箱に捨てることさえ、まともにやらない人がいます。まるで、みんなのために少しでも協力することは、自分の労力を使うだけ損であると思っているかのようです。

 職場にそのような人たちが集まれば、「お客様のために」と言葉では言っているものの、本心ではそう思ってはいないので、当然、仕事に関するミスやトラブルも多くなってしまいます。そのため、私を含めて一部の心ある人たちが、「自分さえ良ければ良い」という利己的な考えを改めて、仕事をしていく努力をしております。とても仕事が忙しい時こそ、「相手のことを思い、協力し合うことで、仕事も順調にいくのだ」ということを、日々、態度や行動に移して示していこうと努力している所です。

 そうは言っても、自分の利己的な「他人より少しでも楽をしたい。手を抜きたい。休みたい。」というような思いが、常につきまとってきます。そのため、自分の利己心とのたたかいでもあります。

 そのようなことを20年以上かけて取り組んできて、やっと少しづつですが、そう思ってくれる人が増えてきたように思われます。しかし、職場全体が、まだまだ利己的な雰囲気に包まれていて、とても厳しい現状だと、私は感じております。


 一方、私に出来ないことというと、食事に関することだと思います。読書会に参加されている方には、ベジタリアンの方が多く、ビーガンの方もおられます。

 私は、まず、ビーガンとして生きることは、出来そうにありません。蕎麦屋に行って、そばつゆの出汁がNGだからと言って、蕎麦だけをすするということは、無理だと思っています。私には無理でも、ビーガンの人は、それがごく自然に出来てしまうわけです。凄いですよね。いつも感心しております。

 それと、外食などで料理に肉が入っていたとしても、それを嫌って残すようなことも出来ません。とは言え、動物達が可哀想で、肉を食べる気にはなれません。ただ、カレーを作る時には、カレーのルーを選ばないと、動物性原料が使われていますし、みそ汁を作る時は、その出汁であったり、それがシチューであろうが、スープであろうが同じことのようで、何よりも時間と費用が多くかかります。そのため、私が実践できていることとしては、自炊を心がけ、野菜を多く取り、ファストフードを避け、加工食品を出来るだけ使わない食事をしている程度にすぎません。私は過去に、肉を食べることについて非難されたこともあります。私の霊性が高くないことについては、否定しません。まだその段階にきていないのだと言われれば、そうですねと答えていますし、自分でもそう思っています。不思議なもので、今は外食の時でも、肉を食べられなくなってきました……。


 それとは別なことですが、ペットの犬を大切にしている方をみると、(私には無い)犬に対する愛情をたくさん持っているのだと感心してしまいます。それは、猫であっても同じことです。動物は好きな方なので、過去に何度も動物園に行っていましたが、何故かペットにするということに関しては、それほど興味を持つことが出来ないでいます。私自身は、人にはそれぞれ、得手不得手があるのが当たり前だと思えるようになったので、自分に出来ないことが多くても、それはそれで良いと思っています。


 話を戻しますが、そうは言っても、シルバーバーチ読書会の開催者は、やはりシルバーバーチの教えを実践していくことと、霊的成長のための努力をし続けていかなければ、いつか参加者に見切りをつけられて、人が集まらなくなったり、2~3年もしない間に人がコロコロ変わってしまったりと、落ち着きのない会になってしまうと思われます。

 

 読書会の開催のために、他に気をつけていることとしては、参加者の方に、選民意識を持たせてはいけないということです。選民意識とは、「自分たちは選ばれた特別な存在であり、他者を卑しい存在として見下したり排除したりするような考えのこと」です。

 たとえば、「君たちは、他とは違って特別なのだ」「ヒーリングは、神に選ばれたから行えるのだ」というようなことを言う人がいるとします。それは、自分の会に参加出来るのは、特別に選ばれた人(=霊性が高い人=開催者はそれ以上の存在)であると思わせるために言っているのだと思われます。

 さらに、「周囲の人から注目されて認められたい」という自己顕示欲と関係しているのではないでしょうか。周囲に幸せを与えているような形をとって、じつは、「自分を認めてもらいたい、高く評価されたい」という動機が隠されて、行われているのかもしれません。

 私自身、『人の役に立ちたい』という動機は何であろうか?自分を犠牲にしてでも相手の幸せのために、そして霊的成長のために尽くしたいという思いだろうか?それとも、善行をすることによって、自分にかえってくる利益を計算しての思いだろうか?ということに常に気をつけるようにしています。何故なら、損得勘定を捨てきれていない私ですから、いつの間にか、見栄えばかりを気にするような人間になってしまうと思われるからです。

 

 次に気をつけることとして、シルバーバーチ読書会の開催者が、嘘をついたりごまかしたりしてはいけないということです。当たり前のことですが、これが出来ないという人がいるかもしれません。

 もしも、シルバーバーチが嘘をついたり、ごまかしたりしていたとすれば、それはもう、私の敬愛するシルバーバーチではありませんよね。そのようなことをするのは、未熟な霊であることを、みなさんわかりきっていることだと思います。けれども、開催者が間違いや失敗をしないという意味ではなくて、霊的真理を学んで伝える立場の人が、霊界で嘘やごまかしが通用しないということを知らない訳がないということです。もしも間違いや失敗をしたとしたら、素直に反省をして、自分が成長していくしかないと思います。

 

 さらにやってはいけないこととして、参加者に恐怖心や罪悪感を持たせてしまうことです。たとえば「~しないから霊性が上がらないのだ」「病気が治らないのは、あなたの~のせいである」とか、「疑念を持つことは神を疑うことだ」「~をしないと痛い目に会う」などがそれにあたります。

 それらのことは、話す方の動機にもよると思うのですが、私の場合は、相手の方に憑依霊がついていることを告げてしまったために、とても怖い思いをさせてしまったことがあります。注意していても、何らかの形で失敗してしまうものだと反省しております。

 今後、私が読書会を開催した時に、もしも会の中で、争いや分裂などの不和の状態が発生したとしたら、それは「愛と慈善に見せかけて、実は ” 自分こそ „ が不和の種を蒔いてしまったのではないのか?」と反省しなくてはならないと思っています。

 そのような不和が起きてしまうのは、何かしらの試練であるのかもしれませんが、開催者である自分自身が未熟であるのだと、私は思っております。そこをまず反省出来ずに、自分にも相手に対しても、言い訳をしたりごまかしたりすれば、同じようなことが何度も繰り返されていくと思っております。やはり何事においても、謙虚さが必要だと思いますし、シルバーバーチが述べているように、いくら霊的知識を手にしてはいるものの、それは全体からみればささやかなものでしかないことを自覚しなければならないと思っています。自分のことを偉くみせたいと思ってしまったら、霊的には低く扱われてしまうのでしょうから……。


 最後に、私はシルバーバーチ読書会とは違う形の会を、断続的に20代の頃から少し前まで、仕事に関連する形でしたが開催してきました。やはり10名前後でおこなってきたのですが、仕事関係の人の集まりでしたので、読書会とは目的もやり方も違っていました。それでもそのような会をほとんど強制的に持たざるおえない状況にあったのは、今思えば、こうしてシルバーバーチ読書会を開催するために必要なことだったのだと思います。

 人生をざっと振り返ってみると、とても辛く嫌なことも多かったけれど、それらも必要なことだったのだと思っています。私はとてもわがまま(あるがまま)だったので、余計にそう感じたのだと思います。それらの経験が、今の読書会へとつながっていることを感じて、「神、大霊、霊界って、すごいな~」と、一人で呟いている所です。それなのに最初の頃の読書会では、緊張して上手く話せなかったし、今もそういう所があると思っています。ということで、今回はこれで終えたいと思います。