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除霊をする方たちのお話(後編)

 霊的成長の妨げにならないのだろうか?というお話

 私がシルバーバーチの教えを学んできて、「なるほどー」と、とても感心したことがあります。それは、『霊的成長のためになることは善であり、悪とは、それ以外の霊的成長のためにならないことである』という視点でみてみるということです。

 また、『私たちは死んでから霊となるのではなく、そもそも私たちは(肉体を携えた)霊である』ということも大切だと思います。

 最初に取り上げた、テレビで見かけたことのある霊能者の場合は、除霊のやり方に疑問が残るものの、依頼者と憑依霊の霊的成長につながれば、金銭の問題がないと仮定すると、結果的には良いことだと言えそうです。そうでなければ、もちろん、良いことだとは思えませんが…。

 今は、YouTubeを利用すれば、いろいろな除霊の場面を見ることが出来ます。それをいくつか見てみましたが、それぞれの霊能者の方が、それぞれのやり方で、霊と対話をし説得していくという方法が多いのかと思われます。その結果として、憑依している霊が進むべき道を悟って依頼者から離れていくのだと思われます。(このようなブログを書いていて、私が言うのもどうかと思うのですが、あまりこういう動画は見ない方が良いと思っています。また「見るだけで、~が…」というようなスピリチュアル系動画もおすすめ出来ません。)

 その一方で、霊を追い払うことで除霊される方も見受けられます。神から拝受した剣で憑依霊を斬っていく神職者の方のように、何かしらの方法を用いて、憑依霊の手足を斬ったり、体をバラバラにするなどして無力化し、除霊される方もいるようです。神職者の方もそうでしたが、実際に多くの人をそのような方法で霊障から救っているようです。想像すると残酷ですが、それがきっかけとなって、憑依霊の霊的成長につながっているのであれば、やり方はどうであれ、結果的には良いことだと言えるのかもしれません。

 さらに、神霊の光(エネルギー)を浴びせることによって、憑依霊を救っていくと言われている神霊治療も、その言葉通りであるならば、憑依霊の霊的成長が一気になされることになります。

 

 まず、最初に考えなければならないのは、除霊を通して、依頼者の方の霊的成長がなされていくのかどうか?ということになると思います。そして同じように、除霊される側である憑依霊の霊的成長がなされていくのかどうか?ということでもあると思います。

 そうでなければ、たとえ除霊が成功したように見えたとしても、波長の一致によって、依頼者の方は、相変わらず同じような憑依霊につきまとわれることになるでしょうし、憑依霊の方は、憑依する相手を見つけるために、再び地上を彷徨うことになるでしょう。

 さらに霊能者の方が除霊のために、神から拝受した剣などで憑依霊を斬ったり痛め付けたりした場合、それを機会に憑依霊の霊的な成長が得られれば良いのですが、それとは反対に、その憑依霊の霊的成長をさらに遅らせる結果となってしまえば、その罪は、例え依頼者のためにやったことだとしても、自分が再生(生まれ変わり)した後の人生にもついてまわることになるかもしれません。何故なら、霊とは生命(いのち)に他ならないからです。未熟な霊であったとしても、斬られる恐怖、痛みや悲しみ、苦しみなども感じるからです。

 そして、神霊治療(神の霊による治療とされている)については、その言葉通りには受け取れません。が、神霊治療による除霊についてまで、否定をしようとは思っていません。

 私も心霊治療(ヒーリング)によって、憑依霊による不調を何度か解消させていただいたことがあります。少ない経験でしかないのですが、心霊治療によって依頼者からその霊が離れたとしても、その霊がどのような道を歩むのかは、その霊の意志に任されているということを見てきたからです。

 ですから、心霊治療をきっかけとして救われる霊もいるでしょうし、そうでない霊もいるとしか言えません。どういう結果になるのかは、私にはわからないのです。

 それでは、もしも神霊治療が言葉通りであり、憑依霊が一気に救われるのであると信じるならば、どれだけ神霊の光(エネルギー)を受けるかが、人生最大の関心ごととなり、人も霊も、それだけを求める生き方になるかもしれません。もっとも、それが本当の神(大霊)の力であって、そのエネルギーを受ければ受けるほど、霊的成長が成し遂げられればの話ですが…。さらにそれが真実であるのならば、もっと地球人類の霊性が向上していてもおかしくないと思っています。

 それはともかく、もしも、このような神霊治療を信じて、その神霊の光(エネルギー)を当てにし、自分の霊的成長のための努力が疎かになってしまうのであれば、一体、誰が喜ぶというのでしょうか?そして、一体、誰が悲しむことになるのでしょうか?このことを、深く深く考えて欲しいと思っています。

 スピリティズムによる福音 21章 幽界における偽預言者たちでは、「彼らを理性と良識のふるいにかけ、なにが残るかを見ればよいのです。したがって、人類の悪に対する薬や人類の変革を達成する方法として、幻想的で実現不可能なことや、ばかげたくだらない方法を霊が指示した時には、それは無知でうそつきの霊である……。」というように述べられております。

 今では、自分のことを神(大霊か大霊に次ぐ存在としての神)と自称する霊は、その多くが幽界より下の界の霊であるのではないのか?と、私も感じております。さらに、これまで『人類の悪に対する薬や人類の変革を達成する方法』とされているものの中には、むしろ『霊的成長の足かせ』となっているものがいろいろと見受けられるというのが、私の感想となります。

19日10月2019年

 

 とは言ったものの、私自身、自分のことを棚に上げているという思いが湧き上がってきました。たぶん、その通りなのだと思います。

 そのため、私の何が至らないのか?インスピレーションに従って、『ベールの彼方の生活(二)6章 常夏の楽園 5 宗派を超えて』をよく読んで考えてみました。ここでは、その一部を紹介したいと思います。

 

 『ここで私自身の判断によって、そのことから当然帰結される教訓を付け加えておかねばならない。人間が地上生活を終えてこちらへ来た当初は、地上にいた時とそっくりそのままであることを知らねばならない。いかなる宗教であれ、信仰厚き者はその宗教の教義に則った信仰と生活様式とをそのまま続けるのが常である。が、霊的成長と共に〝識別〟の意識が芽生え、一界また一界と向上するうちに籾殻が一握りずつ捨て去られて行く。が、その中にあっても、いつまでも旧態依然として脱け切らない者もいれば、さっさと先へ進み行く者もある。そうして、その先へ進んだ者たちが後進の指導のために戻って来ることにもなる。
 こうして人間は旧い時代から新しい時代へ、暗い境涯から明るい境涯へ、低い界から高い界へと進みつつ、一歩一歩、普遍的宇宙神の観念へと近づいてゆく。同じ宗教の仲間と生活を共にしてはいても、すでに他の宗派の思想・信仰への寛恕の精神に目覚め、自分もまた他の宗派から快く迎えられる。かくしてそこに様々な信仰形態の者の間での絶え間ない交流が生まれ、大きくふくらんで行くことになる。
 が、しかし、全ての宗派の者が完全に融合する日は遠い先のことであろう。あのペルシャ人たちも古いペルシャ信仰に由来する特殊な物の見方を留めていた。今後もなお久しく留めていることであろう。が、それで良いのである。何となれば、各人には各人特有の個性があり、それが全体の公益を増すことにもなるからである。

 例の一行は海上での航海中にさらに一歩向上した。と言うよりは、すでにある段階を超えて進歩したことを自ら自覚するに至ったと言うべきであろう。私が彼らの船上での祈りの言葉とその流儀に何か妙な響きを感じ取りながらも、それが内的なものでなく形の上のものに過ぎなかったのはそのためである。だからこそハローレン様から選択を迫られたとき潔く祭壇を棄て、普遍的な神の子として広い同胞精神へ向けて歩を進めたのであった。
 こうして人間は、死後、地上では何ものにも替え難い重要なものと思えた枝葉末節を一つ一つかなぐり棄ててゆく。裏返して言えば、愛と同胞精神の真奥に近づいて行くのである。』

 

 改めて、ベールの彼方を読んでいて気づいたことですが、目先のことで、人の良し悪しの判断をしたり、信仰のことも含めて、みずから諍(いさか)いの種を蒔いたりしてはいけないということでした。そして、私がシルバーバーチの教えを何よりも大切にしていて、それが正しいことだと思っているのと同じように、他の人たちも、それぞれ大切にしていることや教えを持っていて、それが正しいことだと思っているということを忘れてはならないということでもありました。大霊に近づく道(霊性進化の道)は、一本ではなく、無数にあるということも忘れてはならないのでしょう。

 もしも私が調和と寛容の精神を忘れてしまえば、常に人と衝突したり不和になったりすると思います。さらに読書会の場もそうなってしまうかもしれません。そうならないように、気をつけなければなりませんね。

 最後に、私の未熟な洞察力による今回の説明では、いろいろと足りない部分も多いだろうと思われます。さらに、私の視点が間違っている可能性も否定出来ません。ですので、こういう見方もあるのか~。と思って下さるとありがたいです。そして、多くの偽物がいる中で、今回取り上げた方たちも含め、やり方に違いはあるものの、たくさんの人の役に立っている方もおられます。

    もしも、このブログをきっかけにして、除霊に対する知識を深め、少しでも霊的成長が大切であると感じた方は、ぜひ、自分の霊的な成長のことだけではなく、他の人(霊)の霊的な成長をも考えられるように努力して欲しいと願っております。

 そうすれば、きっと、人生がさらに良い方向へと進んで行くものと思っています。そして、霊的な成長とは、いったいどういうことであろうか?と、この機会にじっくり考えていただけたら幸いです。それでは、最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます。