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除霊をする方たちのお話(前編)

 はじめに、過去2回の『ゆる~い瞑想・ヒーリング&雑談会』を終えて、そこで学んだり話したりしたことを、ブログで見られるようにしたらどうかという話がありました。ただ、ブログにそのまま出すには、いろいろと難しい問題もあるので、いろいろ工夫をして載せてみたいと思います。ですので、「このような話もあるんだ~」という程度に読んでいただけたらと思っています。

 除霊によるヒーリングの話

 

 長年、病気で苦しんでいる方が、どこの病院に行っても病気が治らないために、病気治しの宗教にすがったり、あるいは、霊能者・祈祷師と呼ばれる人に、除霊・浄霊・お祓い・祈祷と言われるものに頼った人もいると思われます。

 そして、それらの方法をヒーリングとして分類するとすれば、(病気の原因を憑依霊によるものと考え、その霊を取り除くことによって解決をしていく)「除霊によるヒーリング」になるのではないのかと思われます。実際にそこでは、どのようなことが行われているのかを、これから見ていきたいと思います。

 

 最初に、私が過去にテレビで見かけたことのある、ある霊能者の方の除霊の方法について考えていきたいと思います。(あくまでも、ここで紹介する方法は、一つの例であって、霊能者と言われる人によって、やり方も変わってくるということを、付け加えておきます。)

 その霊能者と呼ばれる方が除霊をする時には、それらしい豪華な衣装を身に着け、立派な祭壇を作ってお経を唱えていきます。(一人でやる時もあれば、複数人でやる時もあるようです。)そして、依頼者に憑いた霊と直接やりとりをするために、憑依霊の意識が表面に出てくるように誘導していきます。最終的には、憑依霊とのやりとりを終え、霊能者の言う通りに依頼者の方の合わせた手や身体が動くことで、除霊が成功したということになるようです。


 この霊能者と呼ばれる方は、『衣装、祭壇、お経or祈祷』の3点セットによって、除霊をするわけですが、まず、その3点セットによって、除霊をするための雰囲気をつくっていきます。さらに依頼者の方が、その場で瞑想することによって、その独特な雰囲気に飲み込まれていくように感じられます。これは、一時的に依頼者の方に、強度の霊媒体質にさせる狙いがあるように見受けられます。

 そうすることによって、依頼者と憑依霊の側に、一種の催眠状態を作り出し、依頼者に憑依している霊を表面に出させることによって、霊能者との意思の疎通が取れる状態に持っていくようです。

 そして、霊能者側が、その憑依霊を脅したりなだめたり、アメとムチを使い分けて除霊をしていくように感じられました。時には、その憑依霊が望むことを叶えるために、いろいろとお供えをしたりするようです。例えば、飢餓で亡くなった人には食べ物を、火事で亡くなった人にはお水を、幼くして亡くなった人には、ジュースやお菓子を、お墓に住みついている先祖には、墓参りを、というように、いかにも地上的な方法が行われるようです。しかも、憑依している霊が複数に及ぶ場合は、それなりに多額の費用と時間、気力や体力も費やすことになると思われます。また、このような除霊が、過去より霊能者たちに引き継がれてきたのは、自分が死んだことにさえ気づいていない憑依霊が多いということも、理由の一つだと思われます。しかも、場合によっては、何年経っても解決出来ない場合もあるようです。

 そして、もしも憑依霊の望みが叶って、除霊が成功した場合には、それは除霊ではなく、浄霊であると言われているようです。ところで、除霊とは、何らかの方法で依頼者から霊を引き離すことを目的としているのに対して、浄霊とは、その霊に納得してもらうことによって、改心してもらい、本来行くべき所にその霊を導くことによって離れていくことだと言われています。

 けれども、除霊する側が不十分な霊的知識のままに、もしも、お墓に行きたいと言う霊の望みを叶えて、その霊が望んでいるお墓に行けたとしても、その霊は、霊界ではなく地上に留まっていることになると思います。

 その後、その霊がどのように導かれていったのか?という話を、たまたま私が聞いたことがないのかもしれませんが、そこは疑問として残っています。

 このような方法で、怪奇現象を静め、不運や病気の原因を取り除いていたと思われます。が、それで本当に解決出来たかどうかは、依頼者の方、さらに憑依していた霊に聞かなければわかりりませんね。

 

 次に、他の例をあげていきたいと思います。今度は、神道系の霊能者の方の話しとなります。神職をされる一方で、霊能力を使った除霊をすることで、依頼者を救う仕事をされている方となります。(私が見たこと以外に、その話を人から教えてもらったり、聞いたりしたりしたことも含まれます。)

 ある神職の方は、自分の身体に何体もの○○の神が入っていて、その神による指導と力によって、除霊をするようです。その方が言われることとして、病気の原因は、地獄霊や悪霊と呼ばれるような憑依霊が原因だそうで、それも組織を作って襲いかかるので、時には、数百体、それ以上の数の憑依となることもあるそうです。それを神霊治療(神の霊による治療とされている)によって、神霊の光(エネルギー)を依頼者に流すことによって、未浄化霊を浄化し、病気を治すことが出来るそうです。この方法も、浄霊と言われているそうですが、最初に説明した浄霊とは違って、シャワーによって、身体をキレイにしていく感じですね。

 ただ、この場合、憑依霊の意思は関係ないのでしょうか?しかも、何百体もの霊というのは、何百体もの人ということでもあると思うのですが、一気に救われるということなのでしょうか?謎が深まります。(C.A.ウィックランド著『 迷える霊との対話』を読んだ後なので、なおさらそう思ってしまいました。)

 そして、この方は、修行を続けながら多くの人を助けたことによって、自分の身体に入っている神の格も上がったそうで、その神の名前も変わっていったそうです。さらに、本人もパワーアップしたということです。

 

 この方が述べることと、過去、私と面識のあった女性心霊治療家の方が、先生と呼んでいた方が述べたこととが、とても似ていたのでびっくりしました。その先生と呼ばれていた方は、神職ではなかったのですが、最初は、ある神道系の神による指導と力によって、除霊をして病気を治していました。その後、修行が進んで行くにつれて、「病気の原因の大半が憑依霊によるものである」とし、それを神霊治療によって、同じように、未浄化霊を浄化し、霊の救済をすることによって、病気を治すようになっていきました。やはり、そのようなことを続けていくうちに、自分を指導する神の格も上がっていくのですが、自分自身の魂の格も上がっていき、とうとう自分自身が神となってしまったそうです。当然、神の名前も変わっていったのですが、指導する神の方も、生前は人だったそうです。その神と思われている存在やその方も含めて、本当の神ではないはずですが、本人は、そう思っていたのだと思われますし、そのことを本気で信じた人も、周りに多数おられたようです。

 

 さらに、もう一人の神職の方の除霊の方法も、紹介したいと思います。その方もやはり○○の神の指導を受けて、除霊をするそうなのですが、その方の場合は、指導される神から拝受した剣で除霊をしていくそうです。つまり、その剣で憑依する霊を実際に斬ることによって、霊を引き離していくことになります。もしも憑依する霊が、両腕を斬られたとしたら、その霊は、両腕のない姿のままになるそうです。終いには、霊によって、生首一つの姿のままになってしまうこともあるようです。

 この場合、切られた憑依霊たちは、剣で斬られた痛みを実際に感じていますので、除霊をした神職の方に、さらに強い恨み、怒り、憎しみなどを持ってしまうようです。そのため、この方に隙があるとみれば、除霊された霊たちが仕返しをするために襲い掛かってくるそうです。つまり、除霊をすればするほど、憑依霊の恨みつらみが増えてしまい、依頼者の代わりに自分が霊障によって苦しむことになるようです。

 

 実は、他の神職の方も、依頼者のお祓いをすることで、自分や家族の具合が悪くなった経験をされているそうです。それと、先に述べた神職の方、さらに先生と呼ばれている方にも、常に自分の周りに憑依霊がまとわりついていたみたいです。それは、単なる偶然なのでしょうか?

 そして、この方たちに共通していることとして、「霊とは、たたかう存在であり、不幸の原因は、霊のせいである」と認識していることだと感じました。

 さらに、除霊をするたびに、憑依霊たちも力をつけて、どんどん強く大きくなっていくということで、常日頃、さらに自分が強く大きくなるための修行をしなければならないという話もあるのが、私としては、気になるところです。除霊をするたびに憑依霊の怒り恨みつらみなどが増大し、仕返しを企む憑依霊の数が増大していっているのでなければいいのですが……。

 神と交流出来る方の霊界とは、どういう霊界なのだろうか?の話

 先に紹介した神道系の霊能者で、神から直接指導を受け、神霊治療によって病気を治すと言われているお二人に共通していることは、スピリチュアリズムで言われているような守護霊の存在が出てこないということです。たとえ守護霊という言葉が出た場合であっても、その守護霊とは、~年前の先祖であったり、上手く働けていなかったり、浄化の必要があったりするそうです。そのため必要に応じて交代してもらう必要があると述べられております。また、それを行う能力もあるそうなのです。

 さらに私が感じたこととして、そのお二人にとっては、自分の霊視で確認出来る世界が全てであり、その霊視に絶対的な自信を持っているように見受けられることです。私の経験では、霊能力に頼って過信してしまうと、とても危険だと思っています。

 つい最近、私自身のことで言うと、思い込みが原因で間違った映像そのものが浮かんできたことがあります。それが真実ではないとすぐにわかったのですが、間違った映像であるにもかかわらず、はっきりと自分の中に現れたことから、過信はとても危険だと実感している所です。

 そして、それぞれの方は、神から直接指導を受けられているようです。しかもその神とは、シルバーバーチが大霊と呼んでいる神と同じか、それに次ぐ存在であると言われております。

 私としては、その神といわれる存在は、シルバーバーチが大霊と呼んでいる神でも、それに近い存在でもないと感じておりますが、このように神と直接交流されているという方は、神道系の霊能者の方に限ったことではないようです。

 バイブル(聖書)を神の言葉として位置づけ、それを絶対的な教えと受け止めている霊能者の方たちの中にも、直接、神と会ったという方と神の存在を確認したという方が、それぞれいらっしゃいます。このお二人の方も、自分の霊視に絶対的な自信を持っておられるようです。さらに守護霊や背後霊の認識についてもスピリチュアリズムと違うことや、浄霊によって一気に救うことが出来ることなど、神道系の神霊治療をされている方との共通点も多いようです。

 このように、私がここで紹介している人だけでも、神と交流できるという方が、何人もいらっしゃるのですが、それぞれの方が神と呼んでいる存在は、それぞれ別の存在であると私は感じていますし、思っています。そして、それぞれの方の神は、それぞれ違う存在であるとしたら、その中には偽物の神も含まれているのではないでしょうか?

 

 では、実際のところ、どうなのでしょうか?まず、神と交流できるという方であっても、神から口止めをされているのかもしれませんが、地球以外のことについては、あまり詳しくないようです。

     何故、このような疑問が出たのかと言うと、ベールの彼方の生活(一)六章に登場された『アリストリエルとその霊団』によると、第十界に到達した霊は、二つ以上の太陽系にわたる広大な霊界に存在することがうかがえます 。そのアリストリエルとその霊団にとっても、『そのイエスなる存在はこの私にとっても未だ、遥か遥か彼方の遠い存在であるということである。』と語られています。そのことを考えれば、神(大霊)と直接交流出来るのなら、宇宙の全て、霊界の全てに通じているはずだと思ってしまいます。(ただ、それも地球人類を混乱させないための配慮かもしれません…。)

 それから、霊や生命について、私としてはもっと知りたいのですが、それについても、それほど詳しく教えてもらっていないように見受けられます。きりがないので、止めることにしますが、霊視能力者が10人いれば、そろって同じものを霊視しても、10人違うように見えるという話があるくらいですから、そもそも霊視に対して、話を聞いただけの第三者が判断をするのは、難しいことなのかもしれません。

 それでも私が感じていることを言わせてもらうと、神と交流があるという方たちは、霊視によって神を確かめたということですから、自分の霊視が及ぶ範囲の世界での神ということになります。そうすると、どうしても「幽界でのことではないのか?」と、私は考えてしまうのです。何故なら、シルバーバーチによると、『交信ができるのは、各自が到達した霊性開発の熟練度に応じた範囲内のことであって、至高の極致など、とんでもありません。』と述べられているからです。それが、神(大霊)との直接交流ではなく、触れ合いがどの程度であるのかという問題であるならば、話は違ってくるのですが…。

 さらに私は、幽界の中に、人々の思いによってつくられてきた偽物の霊界や神界までが存在しているのではないのかと感じております。霊界の隅々までを探索して、とうとう出会ったとされている神というのは、幽界につくられた偽物の神界にいる存在なのではないのかと思えてしまいます。(あくまでも、その可能性があるというだけですが……。)

    そして、神道系の方は、神道系の、キリスト教系の方は、キリスト教系の、仏教系の方は、仏教系のというように、それぞれの方の波長にあった世界を、それぞれの方が見ているのではないかと感じております。

 例えば、本物か偽物かは別として、キリスト教系の霊界を見ている方ならば、イエス・キリストや聖母マリア、あるいは、サタンやルシファーといった悪魔や堕天使といった存在と出会っているかもしれません。仏教系なら、不動明王だったり、神道系なら、天照大御神というように……。さらに憑依霊が、神霊の光(エネルギー)によって、一気に救われたように見えたのは、その方が、そのように見せられてそう思わされている可能性も考えられます。

 それとは別に考えられることとしては、「善霊や高級霊の存在を神と錯覚してしまったのではないのか?」ということです。それは、私たちが高級霊と呼ぶような存在であっても、さらに霊性の高い霊が側に近づいてくるだけで、とても大変な思いをされるということですから、この可能性も否定できないと思われます。勝手にいろいろと述べてきましたが、これら以外の可能性も、もちろんあると思われます。

 

 他に気になる点としては、未熟な霊に対しての対応の仕方があります。今の私は、霊に対して自然とあたたかい思いが出てくるのですが、神と交流されている方たち(それ以外の方たちも含めてですが)の中には、まるで霊を物のように見ているのではないのか?と思えてくる人もいます。霊はいくらでもいるので、いちいち考えてられないという意見もあるようですが、これには賛成しかねます。私がシルバーバーチから学んでいるからかもしれませんが、「あなたも、私も、あなたの大切な人も、その霊の一人ではないのですか?」と言いたくなってしまいます。

 そして、もしも本当に浄霊をすることで、依頼者だけではなく、憑依をしていた霊を一気に救うことが出来るのならば、これほど素晴らしい救いの方法はないと思えます。それこそ、生前にどのような人生を送ったとしても、さらに肉体消滅後、どのような霊になっていたとしても、神霊の光(エネルギー)を浴びせることによって、パッと救うことが出来るのですから、因果律を超えた奇跡ということになります。

 さらに、この理論でいけば、霊を救うことが出来ることから、人の魂も救うことが出来るということになるのではないかと思われます。そうなると、いかに神霊の光(エネルギー)を自分が取り入れられるかということにもなりそうで、地上に生まれてきた意味が、いかに神霊の光(エネルギー)を受けるかということになってしまいそうです。

 本当にそのようなことが可能なのかどうかはともかく、過去、実際に私も、そのような神霊治療(神の霊による治療とされている)と言われているものに期待していた時期がありました。また、アセンション(次元上昇)に期待していた時期もありました。他にもいろいろとあるのですが……。それらに期待していたのは、こうしてスピリチュアリズムを学ぶようになってからも、その時の私は、辛く厳しい人生からずっと逃げたかったからだと、今では感じております。さらに「自分だけは救われたい…。」という、利己的な思いもありました。

 

 後編へと続く