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過去のブログから5

 今から2年半くらい前、自分にとっては、とても辛く感じたけれども、少し変わった体験をしました。その体験を、(今は公開していない)過去のブログで紹介しましたが、今振り返ると、私にとって、辛かったことも、時間の経過とともに、自分のために必要だったのだと感じるようになりました。

 それでは、過去のブログから、「灰色の世界」を、大幅に修正して紹介したいと思います。

灰色の世界

『暗黒の世界』

 

 シルバーバーチの本を初めて知ったのは、私がまだ、20代の頃でした。つい最近まで利用していた、比較的大きな書店で見かけ、何となく立ち読みをしたことがきっかけでした。

 けれども、その時の私は、その本が必要ではないと感じて、他の本を購入しました。それ以来、書店で「シルバーバーチの霊訓」を見かけても、まったく読む気にはなれませんでした。

 

 しかし、30代前半の事故をきっかけに、人生のどん底を経験し、流す涙も枯れた頃、ひたすら救いを求め続け、再び「シルバーバーチの霊訓」と出会ったのでした。

 その頃の私は、とても辛くて苦しくて、私だけが神に見捨てられてしまったのではないかと思えるほど、孤独で、とても寂しい、暗黒の世界にいるような日々を過ごしていました。

 その一方で、シルバーバーチの霊訓を少しずつ学んでいくうちに、今まで学んできた霊界の知識には、欠陥が多いことに気づき、今まで頼りにしていた心霊治療家からも、自然と離れてしまいました。

 

 再びシルバーバーチの霊訓と出会ったものの、私の中では「ある葛藤」が湧きおこりました。それは、私の信じてきた神は、果して、「シルバーバーチの霊訓」の中で語られている大霊と、同じ神なのであろうか?

 仮にそうだとしても、神に対する祈り方が、シルバーバーチと私とでは、まったく違うのではないのか?ということに、気づかされました。

 当時の私は、「神様、私に、○○の問題を解決するための力を下さい。苦しみや困難を避けるためにお守りください。」あるいは、具体的に「○○をお願いします。」というような、自分のためにお願いをするばかりでした。

 今までも、霊的に成長することの大切さは、痛いほどわかっていたはずでした。けれども、信仰によって、いかに苦しみや困難を避けられるかが、地上での正しい道だと信じてきましたし、実際に、そのような祈りの生活をしてきました。結局、自分の意に反して、いつのまにか傲慢で欲深な、しかも冷たい人間へと変わってきてしまったように感じるのでした。

 それでも、霊的真理を学んでいくうちに、(苦しみや困難などに対して)今までの自分が間違っていたのではないのかと反省し、強い後悔の念を抱きながら、さらに10年の歳月が流れました。

 

 そして、平成27年元旦、突如として腰に激痛が走り、生きるのが嫌になるほどの痛みを抱えながら、治療のために、整形外科・整体・接骨院など、いろいろな所へ通いました。

 「どうしたら腰痛が治るのか?痛みをなくすために、私は何をすれば良いのか?神様お願いします。どうか助けて下さい。」という悲痛な叫びをあげて、そのまま8か月間、苦しみの日々が続きました。

 ある日、インターネットで、腰痛のことを検索していたら、何故か「モーリス・H. テスター(著) 私は霊力の証を見た―奇跡の心霊治療」が目に入り、さらに、シルバーバーチ読書会というものがあることを知りました。そして、これがきっかけとなって、再び、心霊治療(ヒーリング)と出会うこととなったのです。それらのことについては、別の機会に紹介したいと思います。

 

(※過去に関わっていた「心霊治療家」に頼るという選択肢が、この腰痛の時には、まったく浮かんでこなかったのが、今でも不思議に思います。何故なら、事故による左肩甲骨骨折の時には、その心霊治療に頼っていたのですから……。さらに、シルバーバーチの本を読んでいたにもかかわらず、腰痛になるまでの十年間、ほとんど、ヒーリングに対して、興味を持てませんでした。)

 

 シルバーバーチは、霊訓の中で、幾度となく、人の役に立つことが大切だと語っています。

    今まで、人に何かをしてもらうことばかりを考えてきた私も、数年前、シルバーバーチ読書会に参加するようになって、私も人の役に立ちたいと思い、努力するようになりました。

 さらに、過去を振り返って反省し、禁酒をし、肉食を避け、禁欲的な生活を心がけるようにもしました。

    しかし、自分では良いと思って行動しているはずなのに、何故か虚しさがつのるばかりでした。

 そればかりか、善行によって人に感謝をされた時でも、私の心は凍り付いたように反応しないので、それも嫌でした

 この時の私は、シルバーバーチの教えが間違っているとは思わなかったけれど、善霊たちは、人のために自分を犠牲にして、本当に幸せを感じているのだろうか?と疑問に思っていました。

 さらに、私の守護霊は、何の見返りもなく、私の幸せのために働いてくれているのだとしたら、本当は、とても辛いのではないだろうか?というようなことも考えていました。

 その時の私は、そのような思いしか持てない程度の段階だったのだと思います。

    

『灰色の世界』

 

 読書会に参加してから、お酒を控え、湧きおこる肉欲に耐え、人の役に立つことを実践していく日々……。いったい、いつになったら、喜びを感じられるようになれるのだろうか?

 ひたすら見返りを求めず、自分なりに正しいと思うことを実践していくうちに、気が付いたら、私を取り巻く世界から、色が消えてしまったのです。確かに、目に映る物には、それぞれの色があります。けれども、その色を感じることが出来なくて、世界が灰色のように感じてしまうのです。心の眼には、灰色に映るのです。

 

 努力すればするほど、世界から色が消え失せると同時に、本当に夢も希望も持てなくなってしまいました。読書会には参加し続けましたが、そのような禁欲的な生活は、半年ほどで挫折してしまいました。(もっとも、今まで、とてもいい加減な生活でしたから……。)

 

 その後、私なりに気が付いたことがありました。それは今まで、「人のために」というオブラードに包んで、自分のための善行をやってきたにすぎないということ。やはり、無意識のうちにも、見返りを求めていたということ。結局は、本当の動機がどうであるのかが、問われていたのでした。

 そして、私が「愛」というものを、あまり理解出来ていないということでもありました。だからこそ、本当の意味での人の役に立つということが、どういうものか理解できないまま実践せざるおえなかったのです。

 私が挫折した「禁欲的な生活」とは、他の人よりも優位に立ちたいという不純な動機があったことと、ただ単に、利己的な自分を否定するための実践だったのではないかと感じております。

 まさに「灰色の世界」での私こそが、偽りのない、本当の姿だったのだと思います。

 

 それでも、今回、紹介をさせていただいた経験が、無駄になったわけではないと感じています。いろいろと失敗を重ねていくうちに、少しずつ人の優しさを感じることが出来るようになってきたからです。人が喜ぶことで、自分も嬉しく感じるようにもなってきました。こうして自分のことを振り返ってみても、本当に、シルバーバーチの教えにある通りでした。

 

 最後に、私からの経験から一言。みなさんが、たとえシルバーバーチの教えを学んで、霊的知識が豊富になったとしても、かつての私のように、「死後は、人よりも高い霊界に行けるだろう……。」あるいは、「自分は、人よりも霊性が高いはずだ。」「自分は、特別な存在(のはず)だ。」というような思いが、たびたび湧きおこるようでしたら、気をつけた方が良いと思います。

 それこそが、「自分を高く、人を低くしようとする思い」の現れだと思うからです。その結末がどうであるのかは、霊的真理を学んでいる方なら、ご存じのことでしょう。

13日1月2019年

以上、「過去のブログから5」でした。

 今は、ほんの少しずつですが、生活を改善しているところです。それでも、今までのツケがたまりすぎているせいなのか、失敗の日々を繰り返しています。本当に痛い目を見ないと、改善しようとしてこなかったからだと思います…。

   それでも、一進一退を繰り返しながら、ちょっとずつでも成長出来て欲しいと、自分のことながら思っています。