読書会にむけて

 10年前の私が、今の私を見たとしたらどう思うでしょうか?10年前は、夜、シルバーバーチの霊訓の本を開いただけで、まるでそれが子守歌の様に感じられて眠ってしまい、少しも読み進まない日々が続いていたと思います。(今も、似たようなものですが……。)

 そんな私がシルバーバーチ読書会で、参加者の方たちとともに、霊的真理を学んでいるのですから……不思議です。

 

 今の私は、少しでも、みなさんの霊的成長に貢献できるようになることが問われていると思います。もちろん、ヒーリングが大切なことであるのは変わらないのですが、シルバーバーチの教えからすると、ヒーリングによって病気が癒されることは、手段であって目的ではないということのようです。

 ですから、多くの人がヒーリングによって病気が癒されることは、喜ばしいことです。が、それだけが目的になってはいけないということなので、気をつけたいと思います。

 それでも、多くの方とヒーリングを通して関わることで、「自分に何が必要なのか?何が欠けているのか?」ということも見えてきたように思います。そういう意味では、神様に感謝しています。

 

  ヒーリングに関わることとして、ある方の例ですが、ヒーラーになるためには、「神よ私は○○を絶ちます、一番の趣味・嗜好の○○を絶つことを神に捧げるので、ヒーラーにさせて下さい」と神に誓うことが大切だと指導されている所もあります。

  私には、「ただで神様に願いを叶えてもらえるはずがない。神様に願いを叶えてもらうためには、それ相応の努力や行動をしなければいけない。」というような取り引き的な考えがあるのではないかと感じています。そもそも、神様と駆け引きのようなことが出来るのか?それは、本当の神様とは違うのではないか?と思ったりします。

 その良し悪しはともかく、霊性を向上させるための努力をするということなら、それは良いことだと思っていますし、それを抜きにして、霊的な幸せのことやヒーリングのことなどを語ることは出来ないと思っています。

 

 それでは、どのような生活を心がけた方が良いと言っているのでしょうか?「シルバーバーチ 今日のことば」から紹介したいと思います。

 

 『霊的成長を望む者は、霊的成長を促すような生活をするほかはありません。その霊的成長は、思いやりの心、寛容の精神、同情心、愛、無私の行為、そして仕事を立派に仕上げることを通して得られます。言いかえれば、内部の神性が日常生活において発揮されてはじめて成長するのです。邪な心、憎しみ、悪意、復讐心、利己心といったものをいだいているようでは、自分自身がその犠牲となり、歪んだ、ひねくれた性格という形となって代償を支払わされます。』

 

 さらに、不安の念や取り越し苦労を持つことにも注意を促しています。これらのことから、自分が「どうなるこうなる」というように自分に意識が向いている時には、その根底にどのような思いがあるのかを、自分自身、見極める必要があるのではないかと思います。

 実際には、シルバーバーチの教えの通りには簡単にいかないでしょうし、そう言っている私もその中の一人です。(どうしたら、失敗しなくてすむのでしょうか?本当に、教えてもらいたいです。)

 それでも反省を忘れず、私なりにシルバーバーチの教えを実践し、広めていけるように努力しているところです。そして、月に一回の読書会ですが、それに向けて努力することが、いつのまにか自分の励みにもなっています。(そうでないと、せっかく読書会に参加されているみなさんにも、申し訳ないですからね……。)