学ぶことは大切ですね。

 最近、自分のことが自分でだらしないな~と、本当に感じてます。ですから、人から感謝の気持ちを伝えられたりすると、「それは、何か勘違いをされているのではないでしょうか?」と、本気で思ったりしてしまいます。それでも、やっぱり嬉しいのですけど……。

 

 それはそうと、最近、何かこう「モヤモヤ」した感じがずっと続いていたのです。が、今日の明け方に、気づいたことがありました。それは、「自分が霊であるということ」を忘れていたことです。それで、「自分は霊である。自分は霊である。自分は霊である……。」と何度も自分に言い聞かせていくうちに、(短い時間ですが)二度寝をしてしまい、再び目覚めた時には、今までの「モヤモヤ」がスッキリしていました。

 そうこうしているうちに、さらに気づいたことがありました。それは運動不足になっていることと、霊的真理の勉強が不足しているということでした。

 それで今日は、仕事が早く終わったことも手伝って、ずいぶんと久しぶりにトレーニングをして汗を流しました。(続けられたらいいのですが……。がんばれ自分)

 さらに、瞑想の方も、おろそかになっていて、祈りの仕方も、心がこもっていない形式的なものになっているというように、何もかも中途半端になっていたことに気がつきました。

 それで、「そうだ、スピリチュアリズム○○会の所を見て、学ぼ~う」という気持ちが新たに芽生えたので、そこのサイトを見ていました。そして、しばらく読み進めるうちに、私の目にとまった言葉がありました。それは、「道具意識」と「犠牲精神」という言葉です。

 私は、霊能者とかヒーラーと言われている方の多くの人が、低級霊に翻弄されているということを知って、複雑な思いと憐みの思いをもってしまいます。私も、そうでしたから。

 

(すみません。「道具意識」と「犠牲精神」については、いずれまた……。)

 

 ですが、書きかけのまま、次の日になって、改めてそこのサイトを見てみると、いや~、すごく興味のあることが書かれていることに気づきました。

「霊能力と霊能者」という所は、読めば読むほど、勉強になりますし、反省ばかりですよね。(いろいろ思い当たる人を思い浮かべたりもしますが……。)でも、こういうことを学ぶことが出来て、とてもありがたいです。

 これは私の推測でしかありませんが、時には、あまりにも真摯な内容なので、そこのサイトに対して批判もあると思います。でも、私の背後にいる霊の方たちの中にも、私が学んでいる時に一緒に学んでいる方もいるようなんですよね。

 つまり、霊界側の霊の一部の方たちも、(地上の場で教えている)スピリチュアリズム○○会のサイトを見て、一緒に学んでいる(学び方にもいろいろとあるんでしょうね)ということは、結局、霊界でも地上でも、霊的真理を学んでいくことは大切なんだと、私は思っています。