人によって変わる霊的指導

   今まで、シルバーバーチ読書会や心霊治療家のもとに足を運んで、いろいろと学ばさせていただきました。

   そこで、いろいろとアドバイスをいただいたり、時には、心霊治療家や霊能力者と呼ばれる方たちから、少ないながらも霊的指導も受けてきました。

 

   で 、私自身は、スピリチュアルヒーリングと関わってきて、やはり、シルバーバーチの教えに沿っていくことが大切だと強く感じています。

 

   参考になるかどうかわかりませんが、今まで、いろいろな方から受けた霊的指導の一部だけですが紹介したいと思います。

 

 まずは、精神統一についてです。みなさんの中でご存知の方もいると思います。精神統一研修会というのに参加して、そこで精神統一の手引きを参考にしながら指導を受けた後、実際に霊的能力者とともに精神統一を行いました。

 そして、その後の懇親会(お茶会)にも参加させていただいて、話を聞かせていただきました。みなさん、親切だったので、私が思っていたよりも参加して良かったと思います。ある女性の方は、この研修会に続けて参加していくうちに、いつの間にか成長している自分に気づいたそうです。

 

 その一方で、精神統一をするのは良くないという霊能力者もおられました。特に霊媒体質者の方は、精神統一や瞑想をすると精神が不安定になったり、場合によっては霊の憑依を受けてしまうので、精神統一や瞑想をしてはならないと指導されていました。

 さらに、あちこちの宗教や霊的な所を渡り歩いた方などは、未熟な霊と波長がつながりやすくなるそうで、軽はずみにやらない方が良いということでした。

 

 今は、朝晩に瞑想をしていますが、それと同時に、霊性向上の努力が大切だと思っています。

 

 次に、霊性向上のための指導についてです。今まで一番印象に残ったことで、本当に大切だと思えたのは、「謙虚であれ」ということでした。

 常に思い上がることなく、素直な態度で、自分は完全ではないことを理解し、常に学んでいく努力が大切だと、私も思っています。

 謙虚さを忘れると、相手の方が、本当に自分のことを思って言ってくれていることも、批判ではなく非難と受け止めてしまい、せっかくの成長のチャンスを失ってしまうことになります。

 また、良心の声も届かなくなって、霊界からの導きもわからなくなってしまうかもしれません。さらに、ヒーラーと言われる方でしたら、相手の思いを受けとめる優しさも必要だと思っています。

 

 それから、見返りを求めない善行が大切だとも教わりました。けれども、このことを本当に理解するのに、私はとても時間がかかりました。

 たとえば、ゴミ拾いのボランティアをしたとしても、心のどこかで「これで霊性の向上につながるだろう」という思いがあるならば、そこに利己心が潜んでいるということです。やはり、自分のために、何々の善行をするという人の魂は、あまりキレイだとは思えません。

 動機が大切だとシルバーバーチも述べられていますが、「きっと誰かが喜ぶでしょう。その事自体が嬉しい」からするというようになるまでは、とても時間がかかると思います。(それを平気で行えてしまう先輩を知っていますが、本当に凄いですよ。)

 

 その一方で、霊性の向上のためには、神と約束をして守ることだと指導される方もいました。確かに、私のような悪癖の塊は、神と(何かを断つ、あるいは、何かを実践する)約束をして、それを守っていくことは必要だと思います。

 けれども、簡単に守れないから、「神に誓って」とか言うのではないでしょうか?と思えてなりません。(笑)

 ですので、神との約束が守れなかった時はきちんと反省したうえで、「魂の純化のために導いて下さい」「私は、心がキレイになりたいのです」と神様にお願いしています。もっとも、そういう約束をしなくて済むようになれればいいのでしょうね……。

   それよりも、自分の幸せではなく、人々の幸せを願って祈ったほうが、良いと思います。

 

 さらに、こういう指導をされている霊能力者の方もいました。『神様に、肉欲を断つ約束をして、たとえそれが出来なかった場合でも、それは邪霊がやらせたんだと否定すること。「絶対に私がやったのではない、邪霊がやらせたんだ」と思念で否定すること。』というように、霊界が思念の世界であることを、まるで逆手に取ったような指導をする方もいました。

 これでは、本当に魂がキレイになるわけがないと思うのですが、こういう方に限って、上からものを言ったり、神との約束をこれだけ守ってきたと自慢したりします。(笑)

   で、毎回、未熟な霊と関わっている話が出てくるようです。

 

 まぁ、少ないながらも、いろいろな人から霊的指導を受けてきたのですが、本当に人としても素晴らしい方がいる反面、霊的指導をする方が、平気で嘘をついたり、霊的真理を歪曲させて、ごまかしたりするのも見てきたので、本当に、その霊的指導者の霊的な話だけで判断するのではなく、きちんと理性でもって、判断していかなければならないということを学びました。ということです。