治癒力を失って~父への思い

 ここ最近になって、病を癒すための力、いわゆる治癒力が流れなくなってしまいました。私の胸の中に、治癒力を遮るエネルギーの塊が出来ているのが原因となっているようです。

 実際に、これが障壁となって自分の前に立ちはだかっているのがわかります。この障壁のことは、私が二十代になるころには感じられるようになって、直観的に、これをのりこえないと成長できないことがわかっていました。

 

 今後、自分のためにも、そして、これを読んでいただいている方のためにも、今回の経験をのせることにいたしました。

 

 先週の8月5日の読書会の時、指導者の方に、参加者それぞれのエネルギーを見てもらったのですが、私からは、何のエネルギーも感じられなくなったと指摘されました。

 そして、いまだにそれをのりこえることが出来ません。今抱えている依頼者の方のヒーリングは、仲間たちに協力していただいております。今、自分と向き合って闘っておりますので、本当に申し訳ございませんが、ご了承ください。(今は、のりこえました。)

 

 実は、今回が初めてのことではなく、治癒力が流れないのは、2回目となります。とは言っても、前回の時は、依頼者を抱えていなかったのですから、今回は、本当に深刻な事態となっています。

 

 (※前回のことは、ブログの「救済の天使にあこがれて」にのっていますので、興味のある方は見てください。)

 

 前回は、肉欲でしたが、今回は、自分の中の利己心に原因があるようです。不満、不安、怒りなどの悪感情に加え、さらに慢心などが重なって、謙虚さを失っているようです。

 

 それが、指導者に対する疑念と結びついて、自分の前に障壁となって、大きく立ちはだかってしまいました。

 

 話は変わりますが、昨日、8月10日は、亡くなった父の誕生日でした。父のことを思い出すのは、息子である私にとっては、別になんら不思議なことではないと思います。しかし、何故か昨日は、私が事故に遭ったときの父の思いが伝わってきました。

 

 私の父は、子供の頃の怪我が原因で、腰や足を痛めてしまいまい、年をとるにつれて足を引きずって歩くようになりました。

 そのため免許は持っているのですが、車を運転することも、また、自転車にのることも出来なくなってしまいました。

 その他のこととも絡んでいるのですが、私は、父のことが好きでしたが、一方で、そのような父を見ることで軽蔑もしていました。

 

 話を戻しますが、そのような父と、指導者の方とを、いつの間にか重ね合わせていたことに気が付きました。年の方も父とは、一つしか変わりません。

 今回、治癒力が流れない原因は、先に述べさせてもらいましたが、まるで、子供が親に逆らってばかりいるような反抗期をむかえてしまったように、思えてきました。

(私にとっても、こういう心の内を明かすのは、恥ずかしいし、辛いことです。)

 

 自分でもわかっていることですが、そもそも指導者に抱いた疑念は、たいしたものではなかったのです。

 本来は、ちょっとした言葉などの行き違いに過ぎなかっただけで、今まで、指導者の方が神の道具として歩んできたことを、微塵も疑ったことはありませんでした。

 ただ、そのようなちょっとした疑念が、自分の利己心と反応してして、それが大きな障壁となってしまいました。

 

 やはり、私は目の前に苦しんでいる人や、困っている人がいたら助けたい。病気で苦しんでいる人を、どうにか救っていきたい。悩んでいる人には、話だけでも聞いてあげたい。そういう思いを捨てることは、出来ません。

 

 過去、私が事故に遭ったとき、父は一生懸命私のために、不自由な足にもかかわらず、駆け回ってくれたそうです。

 その後も、いろいろと私のために頑張ってくれました。とても不器用な父でしたが、本当に一生懸命だったのだと思います。

 

 私は、父が生きているうちには、その愛情に気づくことが出来ませんでした。でも、今、私が本当に、困っているので、目には見えませんが、父がそばに来てくれて私を慰めてくれています。

 お父さん、私は本当に困っています。でも、あなたの息子は、頑張ります。最後まで、ひねくれてしまったけど、本当はとても愛していました。

 

 すみません、涙が止まらないので、ここで終わりにしたいと思います。