心境の変化(去年の日記から)

 恥ずかしながら、自分の日記を紹介したいと思います。去年の11月14日に書かれたもので、今読み返すと、なんだか自分が書いたものとは思えない部分もありますが、何かしらの参考になるかもしれません。(※とても長い日記だったので、省略してまとめてあります。)

 

 「私は、私の過去を振り返り、わかったことがあります。全部、自分の幸せだけを考えてきたこと。それに気づかないほど霊性が低かったこと。

 利己心をもったまま、愛を考えていたので、欲望に取り囲まれてしまって、愛を知ることが出来なかったこと。

 自分の幸せのために欲しがってばかりいたこと。与えることの意味もわからないまま、物やお金を与えてきたこともあった。が、肝心な私の心、愛を与えてこなかった。反対に、物やお金を与えることで、見返りを求めてきた人生だった。」

 

 「大切なことが、今わかった。お金や物がなくても、自分の中のまごころや、相手の幸せを願う心、優しい気持ち、大切に思う心、このような温かい心を与えることが出来ること。

 まずは思念で人の幸せを願えるように努力しよう。そして自分の中にある心、愛、エネルギーなどを与えられるようにしよう。

 そして困っている人を、出来る範囲で助けて行こう。けっして無理はしないで、自分の中から分け与えて行こう。」

 

 「そのように思えるようになってきたら、お金や物などの物質では、だんだんと満たされなくなってきたのを感じてきました。また、そのことがわかるにつれて、今度は、人(女性)によって満たされたいという欲求が強くなり、いつしか追い求めるようになりました。

 さらに、それも間違いであることがわかり、苦しみの時を過ごすことになりました。そして、欲を満たすことでは、あるいは、欲を満たそうとすることでは、飢えや渇きを覚えるだけで、本当の幸せを感じることが出来ないということを知りました。

 知識としては、人に与えることでしか、この飢えて渇いた心を癒せないことを知りました。でも、ここからが私の本当の苦しみだったのだと思います。」

 

 「何故なら、自分の中に人に与えることの出来る″大切なもの″が空っぽだったからです。空っぽの中味では、何も人に与えられない。与えることが出来ないから満たされない。満たされないから苦しむ。空っぽの中味をどうしたらいいのかわからない。

 けれども知識を頼りに、懸命に人に与える努力をしていくうちに、ほんの少し人の幸せを願う心が、この空っぽの中味に芽生えてきました。

 空っぽの自分が人の幸せを願えるまでに、言葉にすると″人の幸せを願う″という、たったこれだけのことに、たくさんの遠回りをしてきました。」

 

 「でも、今はまだ、灰色の人生。正しいと信じる道を歩んでいくだけ。」

 

 まぁ、こんな日記でしたので、いつか恥ずかしくなって処分する前に残しておこうと思いました。

 それにしても、ブログではとても紹介しきれないくらい、いろいろと書き残しているので、自分でもびっくりでした。失礼しました。