祈りについて

 「祈り」といっても、その方法や内容は、人によって違うと思います。それこそ、宗教によっても違うでしょうし、私のように、どこにも属さない方であっても違うと思います。

 

 「困った時の神頼み」、私はこんな願いばかりしてきました。一応、いろいろと努力をするのですが、嫌なことを避けるためには、それこそ、必死に祈りました。

 今、振り返るとかつての私は、人から見たら怖いものがないように思われていたようです。しかし、実際には、まったく反対で、自分の脆くて弱い中味を守るように、頑丈な鎧で身を固めていただけでした。それは、実際に意識することで、その鎧を胸の前で感じ、覆っているのがわかりました。

 

 そういう訳ですから、トラブルとかも嫌で、避けるのにも必死でした。それなのに、大丈夫そうなふりをして問題にかかわってしまうので、内心では神に助けてもらおうと、祈ってばかりいました。本当に、何度も助けていただいたと思います。何年も何年も、そんな祈りばかりを繰り返していたら、自分でも「なんかまずいなー」と思ってきました。そのように、私の過去は、まったくの他力本願でした。

 

 そうこうしているうちに、「自分を守る鎧は、鎧なんだから自分じゃないよ、本当の自分を強くしなさい」と、さんざん見えない何者かが、伝えてくるようになりました。

 それなら、「どうすればいいの?」と答えを求めたら、「自分で問題を解決しなさい。そのための必要な力をお願いしなさい」ということのようでした。守護霊からすれば、「ともかく自分でやらなきゃ、ダメですよ。自分では力が及ばないことを、カバーしてもらうくらいに思わないと……。自立しなさいよ。」と言うことのようでした。

 

 ここまでは、私が自分のためにだけ祈っていることに、気がついたでしょうか?それでも時には、家族や友人のために祈ることだってありました。けれども、それは、どこかで自分の損得とつながっている人たちです。その意味では、利己的な祈りであったと思います。

 

 それから「シルバーバーチ読書会」で、学ぶようになって、初めて「他人のために祈ること」を知りました。今まで、形の上では、人々の平和とか幸せを祈ったことはあっても、あくまでも形であり、肝心な思念の方は、自分の幸せが第一でしたから、良くなかったと思います。

 

 それこそ心霊治療は、地上と霊界の双方の方々が、依頼者のために尽力をつくして行うものです。そこで学んでいくうちに、知らず知らずのうちに、人の幸せを祈るということが身についてきたようです。

 

 「祈り」といっても、自分の幸せだけを願う、利己的な祈りばかりしていては、やっぱりダメだと思いますよ。神に届くどころか、未熟な霊たちが喜ぶだけです。

 

 シルバーバーチの霊訓では、シルバーバーチの祈りとして、大霊(神)に対するさまざまな祈りが紹介されています。

 

 また、スピリティズムによる福音(アラン・カルデック著)では、スピリティストの祈りの序文に、こう記されています。

 

 霊はいつも私たちに言ってくれます。「形式は、なんの意味も持ちません。思考の内容そのものがすべてなのです。各々がそれぞれの信じていることに従って、最も心地の良い状態で祈りなさい。心に響かぬ数知れぬ言葉よりも、たった一つの善い思いの方がずっと値打ちがあるのです。」

 

 「もしも自分が善霊だったら、どういう祈りをするのだろうか?」と、それぞれの方なりに、つかみ取ってもらいたいと思います。

 そういう自分は、やっと他人の幸せを祈ることが、出来るようになってきたところです。