直観力について

 今回は、最初に「超能力を開発する本」O・レナード著 近藤千雄訳 

「11章 直観力」を抜粋して紹介させていただきます。


 「勘」という言葉は、霊視や霊聴と区別して使う必要がある。というのは、「霊が見えます」という人に、一体どんな風に見えるのか、肉眼で見えるのか、それとも霊視するのか尋ねたことがある。

 すると「いえ、別に見えるわけではないのです」と言うので、ではなぜ細かい人相や容姿までわかるのかと聞くと、こう答える。

 「見えるというよりわかるのです。実際には見えていないのですが、なぜかわかってしまうのです。これは背の高い人だ、髪はグレーだ、足の長さの割に胴が短いな、といったことがパッとわかるのです。それを″見えます″と言っておくのは、そのほうが説明する面倒がはぶけるからです」

 

 この人は全く同じような調子で″聞こえる″ことがあるとも言った。つまり相手の言っていることが聞こえるというよりはわかってしまうわけであるが、こうした独特の感覚を霊能者の間では勘と呼んでいる。たいていの場合はうまく当てはまる言葉だと思う。

 たとえば幽霊屋敷などに入った時に何とも言えない不気味な雰囲気を感じる。それが勘である。ただ面白いのは、同じ場所でもその勘による感じ方が人によって違うということである。~(中略)

 

 ~さて本題に戻って、私の言う「勘」は、その本質においては霊視や霊聴と同じであるから、これを養成しておくことが霊視や霊聴にとってもプラスになるわけである。

 霊能者自身にとっては客観的に見たり聞いたりするほうがはっきりしていて自信がもてるということは言えるが、実際にはそれを勘でやっている場合もあるのである。

 いずれにせよ、概して勘の鋭い人は次第に霊視や霊聴も伸びてくるものである。

 

 私が指導した人の中にも、前途有望な人でありながら、勘にたよるやり方では自信がもてない、はっきり霊視できなくてはダメだという考えが捨てきれず、とうとうやめてしまった人がいる。

 発達の初期においてはなるほど頼りなく感じられるかもしれないが、だんだん練習していくうちに自分自身の考えと背後霊から送られる考えとが区別できるようになるものである。~


 私はこれを読んで、シルバーバーチ読書会に初めて参加した後、参加者たちと雑談をした時のことを思い出しました。

 その時私は、霊視能力を持った方に、いろいろとアドバイスを頂いたのですが、やはり、自分の考えと背後霊から送られてくる考えとの区別をつける訓練をしていったほうがいいということと、それによって、だんだん背後霊の存在がはっきりわかるようになるということを教えてもらいました。私にアドバイスをくれた方も、そのようにして、訓練を積み上げていったようです。

 

 アドバイスを受けて、私はそれから毎日、瞑想もするようになりました。そのおかげなのかもしれませんが、霊界側の動きのほんのごく一部を感じることが出来るようになったようです。

 

 例えば、今日あった出来事ですが、ある人の仕事上のミスが、まったくの偶然で、他の人の手により発見されました。

 そして、そのミスは決して小さいものではなかったのですが、たまたま、そのミスを発見した人が私に電話で伝えてくれたので、大ごとになる前になんとか処理することが出来ました。(その連絡が入った時のタイミングと私がいる場所が、ベストの状態でした。)

 さらに、仕事のミスをしたであろう職場の人が、私の近くにいたので「偶然が重なって、事が大きくなる前に仕事のミスを解決することが出来ました。先方の取引先に影響が出なければ大丈夫だと思います。」と伝えました。

 

 実はこれ、会社の中の話ではなく、会社の外での出来事です。

 

 これは、霊界側の配慮により、仕事上のミスを最小限に抑えるために、いろいろ動いてくれたことがわかりました。ミスを発見するためにインスピレーションを送って、解決に導く……。

 何故、霊界側が動いてくれたのかも、ある程度わかっているのですが、ここでは説明出来ないので、詳しく知りたい方は、読書会で質問してくださいね。

 

 とにかく、霊界側の連携といったら見事なものです。そして、そこにはやはり霊界側のリーダーがいるようでして、この地上で事が上手く運ぶように指示をされているようです。まぁ、そういうことがほんの少しだけ、何故かわかるようになったみたいです。