愛ってなんだろう?

 私は今までに、愛について本で調べたり、哲学や心理学などを学んだりもしてきました。それでも愛の意味がよくわからなかったせいか、肉欲の思いまで愛だと錯覚してしまい、そのことで反省する日々を過ごしたこともありました。(ブログ「救済の天使にあこがれて」参照)

 

 その反省から、相手を大切にすることと、相手の幸せを願うことが必要であることはわかってきました。さらに、相手に見返りを求めることも、間違いであることに気づきました。それでも、愛についての問題が、再び壁となって立ちふさがり、前に進めなくなったのです。

 

 それは、前のブログ「生霊なのか?念なのか?」にもあるように、ある女性とのことがきっかけで、とても気持ちが沈んでしまって、頭から離れなくなってしまいました。そして思念の世界では、まるでその女性が憑依霊のように私につきまとってしまいました。

 それが、二日前の6月14日のことです。ふと、去年つけた日記があるかどうか探したところ、一年前の平成28年6月14日の日記が残されていました。それには、偶然にも同じ女性とのことがきっかけで、やはり、気持ちが沈んでしまっていたことが書かれていました。まるで、私に○○に気づきなさいと忠告しているようでしたが、その○○の意味が、わかりませんでした。

 

 そして次の日の6月15日に、遠隔ヒーリングをしている最中に、善霊たちの愛と私の抱いている愛?との違いに気づいたのです。

 具体的に言うと、自分が愛だと思っているエネルギーは、みぞおちの上の辺り(自分の意識※からすると下の方)から流れていました。けれども、善霊たちを意識した時のエネルギーは、頭頂部のあたり(自分の意識からすると上の方)から流れてきます。そして、よく観察してみると下からくるエネルギーは、質が悪く粗く感じられます。上からくるエネルギーは、繊細で清らかに感じられます。

「※自分の意識について・・・人によっては、頭の方にある人と胸の方にある人がいると言われています。私の場合は、喉と鎖骨のあいだ辺りになりますが、その時々で頭の方や胸の方に移動しています。みなさんの意識は、どうでしょうか?」

 

 そのエネルギーを調べることによって、私が愛だと思って大切にしてきた「思い」は、本当は愛ではなかったのではないか?と、生まれて初めて気づいたのでした。

   どういうことかと言いますと、今まで私が女性に対して「好きだ」という、その「思い」の出所が、欲望などと同じ「思い」の出所だと気づいたということです。(欲によってその出所が、さらに右側だったり左側だったりの違いがある気がします。)

   ただ、出所が一緒だからと言って、その思いが欲望であるのかどうかまではわかりませんが、もしかしたら、それを本能と呼んだほうがいいのかもしれません。

 だから、私の場合は、相手を好きになればなるほど、良い結果にならなかったのだと思います。

それで、私の利己心(執着心や見返りを求める心など)に応じて苦しみが生じたように思われます。今は、それから解放されてだいぶ楽になりましたけど……

 

 ちょっと、それに気づくのが遅すぎた気もしますが……。

 

 

 そういうことで、私には、ますます男女の愛というものがわからなくなったわけですが、きっと、過去世から続いている宿題みたいな気がしています。(今までのがダメだとすると、今度は、どういう思念で好きになれば良いのでしょうか?)

 最後に、ごく自然に人を愛することが出来る人をみると、本当に尊敬してしまいますね。