ベールの彼方の生活(一)

「天界の低地」篇


二章 薄明の世界

4 死の自覚

             一九一三年十月三日 金曜日

 もしあなたが霊的交信の真実性に少しでも疑念を抱いた時は、これまでに受け取った通信をよく検討なさることです。きっと私たちの述べたことに一貫した意図が有ることを読み取られることでしょう。
 その意図とは、霊の世界が、不思議な面もあるにせよ、きわめて自然に出来あがっていることをあなたに、そしてあなたを通じて他の人々に理解していただくことです。
 実は私たちは時おり地上時代を振り返り、死後の世界を暗いものに想像していたことを反省して、いま地上にいる人々にもっと明るく明確なものを抱かせてあげたいと思うことがあるのです。死後にどんなことが待ち受けているかがよく判らず、従って極めて曖昧なものを抱いて生きておりました。それでよろしいと言う人が大勢おりますが、こうして真相の見える立場に立って見ると、やはり確固たる目的を目的成就のためには曖昧ではいけないと思います。
 確固たる来世観をもっておれば決断力を与え勇気ある態度に出ることを可能にします。大勢でなくても、地上で善のために闘っておられる人々に霊界の実在と明るさについての信念を植えつけることが出来れば、その明るい世界からこうして地上へ降りて来る苦労も大いに報われるというものです。

 ではこれから、地上の人間がこちらへ来た時に見せる反応をいろいろ紹介してみましょう。もちろん霊的発達段階が一様ではありませんから、こちらの対応の仕方もさまざまです。ご存じの通りその多くは当分の間自分がいわゆる死んだ人間であることに気づきません。
 その理由は、ちゃんと身体を持って生きているからであり、それに、死および死後について抱いていた先入観が決して容易に棄てられるものではないからです。


 そうした人達たち対して最初にしてあげることは、ですから、ここがもう地上ではないのだということを自覚されることで、そのために又いろいろな手段を講じます。


 一つの方法はすでに他界している親しい友人あるいは肉親の名前をあげてみることです。すると、知っているけどもうこの世にはいませんと答えます。そこで当人を呼び寄せて対面させ、死んだ人もこうしてちゃんと生き続けていることを実証し、だからあなたも死んだ人間なのですよと説得します。これが必ずしも功を奏さないのです。誤った死の観念が執拗に邪魔するのです。そこで手段を変えることになります。
 こんどは地上の住み慣れた土地へ連れて行き、あとに残した人々の様子を見せて、その様子が以前と違っていることを見せつけます。
 それでも得心しないときは、死の直前の体験の記憶を辿らせ、最後の眠りのついた時の様子を辿らせ、最後の眠りに就いた時の様子と、其の眠りから醒めた時の様子とを繋いで、その違いを認識させるようにします。
 以上の手段が全部失敗するケースが決して少なくありません。あなたの想像以上にうまく行かないものです。と言うのも性格は一年一年じっくりと築き上げられたものであり、それと並行して物の考え方もその性格に沁み込んでおります。ですから、あまり性急な事をしないようにという配慮も必要です。ムリをすると却って発達を遅らせることにもなりかねません。

 もっとも、そんな手こずらせる人ばかりではありません。物分かりが良くて、すぐに死んだことを自覚してくれる人も居ります。こうなると私たちの仕事もラクです。
 あるとき私たちは大きな町のある病院へ行くことになりました。そこで他の何名かの人と共にこれから他界してくる一人の女性の世話をすることになっておりました。
 他の人たちはそれまでずっとその女性の病床で様子を窺っていたということで、いよいよ女性が肉体を離れると同時に私たちが引き取ることになっておりました。
 病室を覗くと大勢の人がつめかけ、みんなまるでこれから途方もない惨事でも起きるかのような顔をしております。私たちから見るとそれが奇異に思えてならないのです。
 なぜかと言えば、その女性はなかなか出来た方で、ようやく長い苦難と悲しみの人生を終え、病に冒された身体からはもうすぐ解放されて、光明の世界へ来ようとしていることが判るからです。
 いよいよ昏睡状態に入りました。“生命の糸”を私の仲間が切断して、そっと目醒目を促しました。すると婦人は目を開き、覗き込んでいる人の顔を見てにっこりされました。暫くは安らかで満足しきった表情で横になっておられましたが、そのうちなぜ周囲にいるのが看護婦と縁故者でなくて見知らぬ人ばかりなのだろうと、怪訝に思い始めました。ここはどこかと尋ねるので有りのままを言うと、不思議さと懐かしさがこみ上げて来て、もう一度あとに残した肉親縁者を見せてほしいと言います。
 婦人にはそれが叶えられました(*)。ベールを通して地上の病室にいる人々の姿が目に映りました。すると悲しげに首を振って「私がこうして痛みから解放されてラクになったことを知って下さればいいのに……」と歎息まじりに呟き、「あなた方から教えてあげて頂けないかしら」と言います。そこで私達が試みたのですが、そのうちの一人だけが通じたようです。が、それも十分ではなく、そのうちその人も幻覚だったろうと思って忘れ去りました。(*誰にでも叶えられるとはかぎらない――訳者)


 私たちはその部屋を出ました。そしてその方の体力が幾分回復してから子供の学校へ案内しました。そこにその方のお子さんがいるのです。
 そのお子さんと再会した時の感激的シーンはとても言葉では尽くせません。お子さんは数年前に他界し、以来ずっとその学校にいたのです。そこでは今ではお子さんの方が先生格になってお母さんにいろいろと教えていました。ほほえましい光景でした。
 建物の中や講内を案内していろいろなものを見せてまわり、また友達を紹介しておりました。その顔は生き生きとして喜びに溢れ、お母さんも同じでした。
 それから暫く私達二人はその場を離れたのですが、戻って見るとその母子は大きな木の下に腰かけ、母親が地上に残した人達たちの話をすると、子供の方はその後こちらへ他界してきた人のことや、その人たちと巡り会った時の話、学校での生活のことなどを話しておりました。
 私たちは二人を引き離すのは辛かったのですが、遠からず再び、そして度々、きっと面会に来られるからという約束をして学校を後にしました。

 これなどはうまく行った例であり、こうしたケースは少なくありませんが、また別の経緯(イキサツ)を辿るものが沢山あるのです。
 ところで右の母子が語り合っている間、私たちは学校の構内を回って各種の教育機器を見学しました。その中に私がとくに目を引かれたものがありました。
 直径六~七フィートもあろうかと思われる大きなガラスの球体で、二本の通路の交叉する位置に置いてあり、その通路のあたりの様子が球体に映っておりました。
 ところがその球体の内部をのぞくと、花とか樹木とか植物が茂っているだけでなく、それが遠い過去から枝分かれしてきたその根元の目(もく)まで見分けられるようになっているのです。それはさながら地上における地質学の化石による植物進化の学習のようなものでした。
 ただ地上と異なるのは、そこにあるのは化石ではなく実際に生きており、今も生長しているということです。それも原種から始まって今日の形態になるまでが全部揃っているのです。

 子供たちの課題は次のようなものであることを教わりました。すなわち実際にそこの庭に生長し球体に反射して見える植物、樹木、花などがどういう過程を経て進化して来たかを勉強し、そこからこんどは、それが将来さらにどういう具合に進化して行くかを心像として想像してみることです。
 知的才能のトレーニングとして実に素晴らしいものですが、創造されたものは大体において苦笑を誘うようなほほえましいものが多いようです。
 さ、あまり長くなりすぎてもいけませんね。続きはまた書けるようになってからにしましょう。神のお恵みを。さようなら。