シルバー・バーチの霊訓(十一)

三章 心霊治療(後編)


───治る患者と治らない患者とがあるのはなぜでしょうか。

 霊的に治る段階まで来ている人とそうではない人とがいるからです。しかし、治りさえすればよいのではありません。心霊治療家の試金石は魂を目覚めさせるか否かです。

───明らかに摂理に背いているために病気になっているケースがあります。一応治療は施してあげるのですが、あい変わらず心掛けが間違っているためにぶり返して、また治療を受けにやってまいります。お聞きしたいのは、そうやって何度も治療を繰り返すというのも計画の中に組み込まれているのでしょうか。


 私たちが取るべき態度として一ばん大切なことは、訪れる患者がどんな人であろうと分け隔てなく援助の手を差しのべることです。それからあとのことは、その患者自身の責任に帰すべきことです。身体上の病だけが良くなった場合は、心霊治療家としては失敗だったことになります。本当は魂が目を覚まして活動を開始するようにならないといけません。
 つまり治療を受けた結果その患者がそれまでの生活を反省して本来の生き方を学ぶこところまで行かなければ、その治療は失敗したとみなさねばなりません。
 治療家を通じて働いている力は身体上の症状を癒すだけでなく精神も癒やして、人生とはいったい何なのかを理解させることを目的としていることを得心なさるべきです。時間が掛るのです。

───ということは、同じことを必要なかぎり何度でも繰り返すべきだということでしょうか。

 治療家は患者を断るような態度を取ってはなりません。患者は治療を求めてやって来ます。そのとき治療家は、その患者について勝手な判断を下してはなりません。
 治療家の仕事は治療を施すことです。それによって患者の魂が目を覚ませば、そこから啓発が始まります。たとえ霊的に何の反応も生じなくても、少なくても身体だけは、短期間とはいえ、前よりは良くしてあげたわけです。
 いかなる患者に対しても、できるだけのことをしてあげ、決して断ってはいけません。治療家はいつでも患者を迎えてあげる用意ができていないといけません。仮に治療のあと間違った生活をしてさらに厄介なことになっても、それはその患者自身の責任です。

 魂というものはいつかは必ず目覚める可能性をもっております。なぜならば魂とは大霊の一部であり、各自の内部に宿る神性だからです。それは無限なるものですから無限に発達する可能性を秘めております。それが基本の論理です。

 〝治る段階〟とは何かと問われれば、それは金塊が精錬の過程をへて不純物が取り除かれたあとに見せる純金の姿と同じだと申し上げます。

 もしも人生が一本調子のものだったら、もしも光だけで闇がなかったら、もしも楽しいことばかりで苦しいことがなかったら、食べるものに事欠かず空腹というものを知らなかったら、その光も、楽しいことも、食べられることの有難さも分からないはずです。
 人生の目的と可能性についての理解をもたらしてくれるのは、その両極性です。愛と憎しみは正反対であると同時に相等しいものです。愛を憎しみに変えることができるように、憎しみを愛に変えることもできます。
 鋼(はがね)が溶鉱炉から取り出されて鍛えられるように、金塊が製錬されてはじめて純金となるように、ダイヤモンドが磨かれてはじめて輝きを見せるように、魂も辛酸をなめてはじめて真の自我に目覚めるのです。それ以外に、地上で魂が目覚めそして活動を開始するための手段はありません。

 苦痛や困難は不幸なことのように思われがちですが、本当はそうではありません。各自の霊的進化にとってそれなりの役割があるのです。

 あなたのなすべきことはあなたのもとに導かれてくる人にあなたなりの援助をしてあげることです。もしその人が〝大人の霊〟であれば、死後の生命の実在についての証拠を提供することによって、愛が生命と同じく不滅であることを教えて慰めておあげなさい。

 もしも病弱の人であれば、心霊治療とは物的なはかりでは測れない力が働いていることを実演してみせるものであることを教えておあげなさい。

 あなたに望めるのはそのための触媒を提供するかけ橋となることです。もしうまく功を奏すればその人が自我を見出す手助けをしてあげたことになります。それによってあなたは心に大いなる喜びを感じられるはずです。
 たとえ失敗しても、それはあなたが悪いのではありません。その人は絶好のチャンスを目の前にしながら、まだそれを生かす用意ができていなかったことを意味するのです。


───特殊な理由から治して欲しいと思わない、だから治らない (と私は考えるのですが)、 そういう人は別として、カルマというのはどのように働くのでしょうか。治りたい一心で治療を受けていながら一向に良くならない人がいます。これはカルマのせいでしょうか、それとも治療家の力不足でしょうか。

 これは難しい問題です。なぜかと言いますと、治療行為が行われている時にその背後でどのようなことがなされているかは、ひと口では説明できないからです。

 ご承知の通り心霊治療の本来の目的は魂の琴線に触れることです。あなたはさきの質問で心掛けに問題のある患者のことを持ち出されました。言わゆる〝心身症〟です。身体上の病も大半は内部の不調和が外部に現れているにすぎないものです。

 今の地上には過度の緊張やストレス、欲求不満から生じている病気や異常が増えております。純粋に身体に起因している病気はほとんどありません。

 霊的治療においては造化の根源から発している霊的なエネルギーを使用します。そのエネルギーの質、量、種類は、それが通過する治療家の霊的発達の程度によって決まります。
 次にその病気の原因となっている根本的な事情(カルマその他)によって支配されます。さらにはその時点における治療家と患者双方の精神的ならびに身体的状態によっても影響を受けます。

 治療が成功したと言えるのは、患者が霊的な受け入れ準備ができていて魂が感動を覚えた時のみです。その時はじめて霊的覚醒がもたらされるのです。それ以外は単なる身体上の反応にすぎません。それが一時的な場合もあれば、それきり全治してしまうこともありますが、肝心なのは患者への霊性への影響です。

 地上生活のそもそもの目的は人類および動物その他、ありとあらゆる生命体に宿る霊的要素が、ほんの火花に過ぎなかった状態からゆらめく炎となり、ついには美事な火焔となるための条件を提供することです。そこで魂が真の自我を見出し、人生が提供する物的な側面だけでなく、さらに大切な霊的側面をも味わうようになります。

 さてあなたはカルマの問題を出されました。因果律、タネ蒔きと刈り取りの原理のことで、あらゆる生活の場でいっときの休みもなく働いております。患者の中には前世から持ち越したカルマ的状態によって病を得ている人がいます。
 その因果律が完全に解消されていない場合は、治療が表向きには失敗したような結果となります。もしも完全に解消されていてそれ以上カルマが出なくなっていれば、治療が効を奏するわけです。それが〝魂に受け入れの用意ができている〟ということです。

───あなたはよく〝心が正常であれば身体も正常です〟とおっしゃっていますが、霊能者も大ていどこか調子が悪かったり異常をかかえていたりするようです。霊能者であるからにはその心はきっと〝正常〟であろうと思うのです。もしもこの世での苦がカルマのせいであるとすれば、それとこれとはどう結びつけたらよいのでしょうか。

 霊能者といえども自然の摂理から逃れることはできません。摂理はすべての存在を包摂し、そこには例外も逸脱もありません。病気が生じるのは二つの理由があります。

 一つは霊と精神(心)と身体の調和によって健康が維持されている、その調和が崩れていることです。もう一つの可能性はいわゆるカルマです。地上でしか償えない前世での出来事があって、それがまだ解消されていないということです。

 理想的な世の中であれば霊能者も理想的な人物なのでしょうが、あなたが住んでおられるのは理想的な世の中ではありません。

───心霊治療の目的は患者の魂の琴線に触れることで、霊と精神とが正常であれば効を奏するとおっしゃっていますが、赤ん坊や動物の場合はどうなるのでしょうか。

 やはり同じです。調和を取り戻すには霊が正常であらねばなりません。赤ん坊の場合でも魂の琴線に触れる必要がありますし、動物の場合でも同じです。私には別に問題は見当たりません。

 私が先ほど申し上げたのは、永いあいだ患った末に霊的な治療を求めてくる人々についての一般的な話です。心霊治療というのは複雑な問題です。その最も純粋な形においては霊から霊を通して霊へ向けて行われます。つまり大霊から出たものが治療家の霊を通して患者の霊へ届けられるものです。

 さて、これが赤ん坊や動物の病気となりますと、そこに絡んでくる要素が違います。正すべき要素は大てい霊的状態だけです。それも霊的方法で行うしかありません。
 直接身体的に行うわけには行きません (※)。 健康を取り戻す唯一の手段である霊と精神と身体の調和を妨げている障害物を取り除くために、魂そのものに充電してやらねばなりません。
 赤ん坊の場合はカルマの要素が絡んでいることがよくあります。が、この問題はここでは深入りしないでおきます。 
(※ これはすぐ前のところで、〝永いあいだ患った末に霊的治療を求めてくる人についての一般的な話です〟と述べているものと関連したことで、大人の場合はそうした苦しい体験があるので症状が取れるという身体上のことだけでも魂が感動を覚えるが、赤ん坊や動物の場合は、それが期待できないという意味。なおこの問題は再生の問題と深く関わっているので、詳しくは第四巻三章を参照されたい──訳者)


───内在する神性を呼び覚ますことによって治癒されると理解しておりますが、今あなたは霊的治療は霊から霊を通して霊へ向けられ、それによって魂が充電されるとおっしゃいました。それが大霊から届けられるとなると、それは外部からの影響であるように思えるのですが・・・・・・

 治療家自身に具わっているものを使用するのであれば、それは本来の霊的治療ではありません。それは磁気療法(マグネチックヒーリング)とでも言うべき範疇に属します。純粋の霊的治療は大霊から発する霊力の伝導によって行われます。大霊が始源です。発電所です。水源池です。貯蔵庫です。それをスピリチュアル・ヒーリングというのです。

───私たちはみな大霊の一部であり神性を宿しているのですね?

 そうです。皆さんもミニチュアの大霊です。それは間違いない事実です。が、皆さんの内部に宿る潜在力は、大霊から届けられる無限の霊力にくらべれば、ごくごく小さなものです。自分で自分を治癒するセルフヒーリングには精神統一と受容性、つまり内在する力を働かせると同時に大霊から送られてくる力を受け入れるという、内と外とのコンビネーションが必要です。

───セルフヒーリングが広まれば治療家のお世話にならなくて済むので、これを開発促進すべきでしょうか。

 これは簡単にお答えしにくい質問です。霊的覚醒に関わることだからです。治療家としてあなたの機能は、治癒エネルギーの通路となることです。患者が霊的に治る段階に来ておれば効を奏します。魂が感動し覚醒することによって治ることもあります。身体上の症状が取れただけではまだ目標が達成されていません。目的は霊的覚醒にあるのです。

───感情についてお聞きしたいことがあります。私たちが立派と思っている愛国心その他の愛でも、実際は一種の利己主義であることがあります。

 何ごとも動機が大切です。愛国心でも、自分の国家と国民のことだけ考えて、よその国のことは一切眼中にないようでは、それは一種の利己主義です。

 最高の指針となるのは人のために役立つこと、思いやり、謙虚さ、寛容心、協調性といった形で表現される愛です。愛は宇宙最大の力です。


 あなた方は人間です。完全ではありません。完全は地上では絶対に達成されません。こちらの世界でも達成されません。絶えず発達し進化し伸びていく存在です。内部には神性を帯びた潜在力が秘められています。また、一定限度内での自由意思も授けられています。

 したがってあなたは神の意図された通りのイメージにしたがって行動して内部の神性を発揮することもできますし、低級な感情と欲望のおもむくままに生き、永遠の持ちものとはならない俗物を求めるだけの人生で終わることも許されます。それは神が地上の人間のすべてに与えられた自由選択の権利です。

 しかし人間である以上はその選択を誤ることがあります。そして途中で挫折してしまいます。そこで私たちは、善悪の判断に際して〝動機〟を重要視します。神は一人一人に良心という絶対に狂うことのない監視装置(モニター)を用意してくださっております。それがあなたの行為が正しいか間違っているかを正確に教えてくれます。

───うつ病患者が多いのですが、私たちにはどういうことがしてあげられるでしょうか。

 人生の視野を変え、知識を基盤とした信念をもつように指導してあげないといけません。何の根拠もない信念は砂上の楼閣のように、あっさりと崩れてしまいます。知識の上に築いてこそ長続きするのです。

 その点、皆さんは霊力の証しをご覧になっておられる光栄な方たちです。無限なる力によって案出された崇高な知的計画があることを実感をもってご存知です。その計画はあなた方一人一人を包摂しております。そうした意識をお持ちである以上、常に前途に希望を抱き、楽観して憂うつや恐れという暗闇を近づかせないようにすべきです。

             ※                          

 サークルのメンバーの中に過労から病気がちになっている人が何人かいることについてシルバーバーチが忠告する───

 危険信号が見えた時はいつも注意してあげているのですが、それが無視されて倒れられる方がいるのは残念です。が、すべては各自の責任に帰されるというのが私たちの教えの絶対的な基本です。

 許されることなら代わって荷を背負ってあげたであろうと思われることが何度あったか知れません。が、霊的向上の道は自分の力で切り開かないといけない以上、それは私には許されないと理解しております。

 (女性のメンバーに向かって)あなたの場合この季節(冬)はとくに身体を大切にし、酷使しないように注意しないといけません。休息は大切です。今のあなたにとって大切なのは休息です。それを欠くと霊が地上で機能するための道具を台なしにしてしまいます。
 別に咎めているわけではありません。人生の基盤である不変の摂理の存在を指摘しているだけです。それを怠ると私の義務を果たしていないことになります。

───(古くから彼女を知っている方が弁護して)翻訳の仕事が多くて原稿の締切期限(デッドライン)に間に合わせようとして過労になったようです。


 この私にデットラインの話を持ち出されるとは愉快ですね。私が今の世の中をこしらえるわけではありませんし、そこで生活する人の身体も私がこしらえたわけではありません。ただ、出来上った身体を見てみると実に複雑でありながら美事にまとまった機械であることが分かります。地上のいかに腕のいい技術者も到底これほどのものはこしらえられないでしょう。

 幾億もの細胞が集まって血液、腱、筋肉、その他もろもろの組織をこしらえ、さらに各種のミネラルが昼となく夜となく働いて、霊が効果的に表現されるようにしております。

 私が思うに、地上に存在する機械で、瞬時の休みもなく働きオーバーホール(修理・点検のための解体)されることもないのは人間の身体だけでしょう。その度が過ぎると、使い過ぎによる欠陥が生じて使用中止の命令を下さねばならなくなります。

 大霊がもし人間に完全であることを望むならば、完全な身体を用意されたはずです。が、地上というところは永遠の進化のための無数の生活の場の一つに過ぎません。今この地上にあるかぎりは、その身体を大切に維持・管理する責任があります。使いすぎると本来の機能が果たせなくなります。

 もう一人の方にも同じことを申し上げたいと思います。悩みや困難に追いまくられるとおっしゃいます。が、私はいつも申し上げております───〝それは百も承知しております。もしも悩みや困難がなかったら、あなたはこの世にいらっしゃらないでしょう。なぜなら、それを処理するために地上へ来ていらっしゃるのですから〟と。

 遭遇しなければならない困難というものが必ずあります。それに挑戦することによって内部の貯え、潜在する霊的資質、神的属性の幾つかが呼び覚まされるのです。ですが、度を越してはなりません。からだが〝疲れました。もうこれ以上はムリです〟と訴えはじめたら、休息を与えてあげてください。

 皆さんへの愛の気持ちはあっても代わって生きてあげるわけにはまいりません。手引きはしてあげます。援助はします。支えにもなってあげます。道を教えてあげることはできます。しかし皆さんがみずから背負うべき責任を私が肩代わりしてあげるわけにはまいりません。

 私たちの力の限りを尽くして、ぜひとも必要な守護は受けられるようにしてあげましょう。が、自分のすることには自分で責任を取るのです。

───角膜移植には反対ですか。霊的には何ら問題はないように思えますが・・・・・・

 私は原則として臓器の移植手術には反対です。他人のために自分の臓器を提供する方の誠意を疑うわけではありません。

 神は霊が地上で自我を表現するための道具として物体身体をお与えになりました。そこに身体と霊との緊密な関係があるわけです。もしも臓器移植が不可欠のものであったら、心臓や臓器の移植手術に失敗はあり得ないはずです。


 角膜の問題はとても厄介です。人間の苦痛に対して冷淡であるかに思われたくないのですが、時として失明の原因がカルマにあることがあります。
 何もかもカルマの性にしてしまうのは卑怯だと思われかねないことは私も承知しておりますが、地上でも、あるいは霊界でも、偶然にそうなったというものは一つもありません。因果律は絶対であり、あらゆる出来事を規制しております。

 目が見えないということも因果律の結果です。目の見えない人が角膜を移植してもらって見えるようになるということが、霊的にみて果たしてその人にとって良いことであるか否かは、一概に片づけられる問題ではなく、議論したら延々と続くことです。

 身体的には良いことかも知れません。が、霊的には必ずしも良いこととは言えません。皆さんより永い人生体験をもつ霊界の存在という有利な立場から申し上げれば、もっとも大切なのは霊的に見て良いことかということです。

───それは病気全般について言えることでしょうか。

 カルマが絡んでいるもの限っての話であれば、そうです。その場合は霊的治療も奏効しません。したがって角膜移植をしても視力は戻りません。

───しかし、もしも臓器移植が許されないとすれば、手術はできなくなります。

 人間には自由意思があります。操り人形ではありません。十字路で右へ曲がるか左へ曲がるかは自分で決められます。選択は自由です。もしも神が人間を操り人形にした方がよいとお考えになっていれば、皆さんは操り人形になっていたはずです。

 しかし皆さんも私が〝無限の創造活動〟と呼んでいるものに参加するだけの力を秘めているのです。が同時にそれを邪魔し、妨害し、遅らせることもできます。ただし、変更させることはできません。

───医術の発達はよいとしても、肉体をつぎはぎ細工のようにいじくりまわすのは霊的な間違いを犯すことになる可能性があるということですね。各自に霊的な存在意義があるわけですから。

 私たちがお教えしたいと思っているのは、まさしくそのことです。身体は霊の宮であるからこそ大切なのです。いかなる形にせよその根本的な摂理を犯せば病気は発生します。その代償を支払わねばならないということです。それだけは避けられません。

 私は外科医の仕事そのものに反対しているわけではありません。皮膚の移植には反対しません。人を喜ばせてあげたいという誠意には反対しません。ただ私が置かれている立場上、すべての問題をその根底にある霊的な意義という観点から申し上げるしかないのです。