シルバー・バーチの霊訓(六)

十章 あらためて基本的真理を


 シルバーバーチが霊媒を招待した時はいつも温かい歓迎の言葉で迎えるが、古くからの馴染の霊媒であればその態度はいっそう顕著となる。これから紹介する女性霊媒とご主人はハンネン・スワッハー・ホームサークルの結成当初からのメンバーで、最近は永らく自宅で独自の交霊会を催しておられ、今回は久しぶりの出席である。

 夏休みあとの最初の交霊会となったこの日もシルバーバーチによる神への祈願によって開始され、続いて全員にいつもと同じ挨拶の言葉を述べた。

 「本日もまた皆さんの集まりに参加し、霊界からの私のメッセージをおと届けすることができることをうれしく思います。
 僅の間とはいえ、こうして私たちが好意を抱きかつ私たちに好意を寄せてくださる方々との交わりを持つことは、私たちにとって大きな喜びの源泉です。こうした機会に自然の法則にしたがってお互いが通じ合い、お互いの道において必要なものを、よろこびと感謝のうちに学び合いましょう。


 もとより私は交霊会という地上世界と霊界との磁気的接触の場のもつ希少価値はよく理解しており、私が主宰するこの会の連絡網の一本たりとも失いたくない気持ちですが、次のことは一般論としてもまた私個人にとっても真実ですので、明確に述べておきます。
 それは、私はしつこい説教によって説き伏せる立場にはないと考えていることです。面白味のない霊的内容の教えを長い説教調で述べることは私の望むところではありません。

 そのやり方ではいかなる目的も成就されません。私が望むやり方、この交霊会で私がせめてものお役に立つことができるのは、ここに集(つど)われたすべての方に───例外的な人は一人もいません───ともすると俗世的な煩わしさの中で見失いがちな基本的真理を改めて思い起こさせてあげることです。
 物的生活に欠かせない必然性から問題が生じ、その解決に迫られたとき、言いかえれば日常生活の物的必需品を手に入れることに全エネルギーを注ぎ込まねばならないときに、本来の自分とは何か、自分はいったい何者なのか、なぜ地上に生活しているかといったことを忘れずにいることは困難なことです。


 そこで私のような古い先輩───すでに地上生活を体験し、俗世的な有為転変(ういてんぺん)に通じ、しかもあなた方一人一人の前途に例外なく待ち受けている別の次元の生活にも通じている者が、その物的身体が朽ち果てたのちにも存在し続ける霊的本性へ関心を向けさせていただいているのです。それが基本だからです。
 あなた方は霊的な目的のためにこの地上に置かれた霊的存在なのです。そのあなた方を悩まし片時も心から離れない悩みごと、大事に思えてならない困った事態も、やがては消えていく泡沫(うたかた)のようなものにすぎません。

 といって、地上の人間としての責務をおろそかにしてよろしいと言っているのではありません。その物的身体が要求するものを無視しなさいと言っているのではありません。大切なのは正しい平衝感覚、正しい視点をもつこと、そして俗世的な悩みや心配ごとや煩わしさに呑み込まれてしまって自分が神の一部であること、ミニチュアの形ながら神の属性の全てを内蔵している事実を忘れないようにすることです。
 そのことを忘れず、その考えを日常生活に生かすことさえできれば、あなた方を悩ませていることがそれなりに意義を持ち、物的、精神的、霊的に必要なものをそこから摂取していくコツを身につけ、一方に気を取られて他方を忘れるということはなくなるはずです。

 こう言うと多分″あなたにとってはそれで結構でしょう。所詮あなたは霊の世界の人間です。家賃を払う必要もない、食糧の買い出しに行く必要もない、衣服を買いに行かなくてもよい、そういうことに心を煩わせることがないのですから″とおっしゃる方がいるかもしれません。たしかにおっしゃる通りです。
 しかし同時に私は、もしもあなた方がそうしたことに気を取られて霊的なことを忘れ、霊の世界への備えをするチャンスを無駄にして、身につけるべきものも身につけずにこちらへ来られた時に果たしてどういう思いをなさるか、それも分かっているのです。こんな話はもう沢山ですか?」

 「とんでもございません。いちいちおっしゃる通りです」とその女性霊媒が答えると、

 「私の言っていることが間違いでないことは私自身にも確信があります。地上の全ての人にそれを確信させてあげれば視野が広がり、あらゆる困難に打ち克つだけの力が自分の内部に存在することを悟って取越苦労をしなくなり、価値ある住民となることでしょうが、なかなかその辺が分かって頂けないのです。
 霊の宝は神の子一人一人の意識の内部に隠されているのです。しかし、そうした貴重な宝の存在に気づく人が何と少ないことでしょう。あなたはどう思われますか」と言って、今度はご主人の方へ顔を向けた。

 「まったく同感です。ただ、そのことをいつも忘れないでいることが出来ない自分を情けなく思っています」と御主人が答えると、
 

 「それが容易でないことは私も認めます。しかし、もしも人生に理想とすべきもの、気持ちを駆り立てるもの、魂を鼓舞するものがなかったら、もしも目指すべき頂上が無かったら、もしも自分の最善のものを注ぎ込みたくなるものが前途に無かったら、人生はまったく意味が無くなります。もしもそうしたものが無いとしたら、人間は土中の中でたくる虫ケラと大差ないことになります」

 「本当に良い訓えを頂きました」

 「そう思っていただけますか。私には、してあげたくてもしてあげられないことが沢山あるのです。皆さんの日常生活での出来事にいちいち干渉できないのです。原因と結果の法則の働きをコントロールすることはできないのです。また、あなた方地上の人間は大切だと考え私は下らぬこととみなしている事柄が心に重くのしかかっていることがありますが、その窮状を聞かされても私はそれに同情するわけにはいかないのです。


 私にできることは永遠不変の原理をお教えすることだけです。物質の世界がすみずみまで理解され開拓され説明しつくされても、宇宙にはいかなる人間にも完全に知りつくすことのできない神の自然法則が存在します。それは構想においても適応性においても無限です。
 もしも日常生活に置いて決断を迫られた際に、あなた方のすべてが自分が霊的存在であること、大切なのは物的な出来事ではなく───それはそれなりに存在価値はあるにしても───そのウラ側に秘められた霊的な意味、あなたの本性、永遠の本性にとっていかなる意味があるかということです。
  
 物的存在物はいつかは朽ち果て、地球を構成するチリの中に吸収されてしまいます。と言うことは物的野心、欲望、富の蓄積は何の意味もないということです。一方あなたという存在は死後も霊的存在として存続します。あなたにとっての本当の富はその本性の中に蓄積されたものであり、あなたの価値はそれ以上のものでもなく、それ以下のものでもありません。
 そのことこそ地上生活において学ぶべき教訓であり、そのことを学んだ人は真の自分を見出したという意味において賢明なる人間であり、自分を見出したということは神を見出したということになりましょう。

 地上生活を見ておりますと、あれやこれやと大事なことがあって休む間もなくあくせくと走りまわり、血迷い、ヤケになりながら、その一ばん大切なことを忘れ、怠っている人が大勢います。私たちの説く教訓の中でもそのことが一ばん大切ではないでしょうか。
 それが、いったん霊の世界へ行った者が再び地上へ戻って来る、その背後に秘められた意味ではないでしょうか。それを悟ることによって生きる喜び───神の子として当然味わうべき生き甲斐を見出してもらいたいという願いがあるのです。

 それはいわゆる宗教あるいは教会、教義、信条の類(たぐ)い、これまで人類を分裂させ戦争と混沌と騒乱を生んできたものより大切です。少しも難しいことではありません。自分という存在の本性についての単純きわまる真理なのです。なのに、それを正しく捉えている人はほんの僅かな人だけで、大方の人間はそれを知らずにおります」

 ふたたび霊媒である奥さんが、自分の支配霊も心霊治療を行うことがあると述べ、遠隔治療によって本人の知らないうちに治してあげていることもある事実を取りあげて、こう尋ねた。


 「そういう場合はなぜ治ったかを本人に教えてあげるべきだと思うのです。つまりそれを契機として、自分が神の子であることを知るべきだと考えるのですが、私の考えは正しいでしょうか、それとも多くを望みすぎでしょうか」

 「理屈の上では正しいことです。が、とりあえずあなたの治療行為が成功したことに満足し、そのことを感謝し、同時にその結果としてその人の魂を目覚めさせてあげるところまで行かなかったことを残念に思うに留めておきましょう。
 大切なのは、まず病気を治してあげることです。その上に魂まで目覚めさせてあげることはなお一層大切なことです。が、一方は成就できても他方は成就出来ない条件のもとでは、その一方だけでも成就して、あとは″時″が解決してくれるのを待ちましょう。魂にその準備が出来るまでは、それ以上のものは望めないからです。

 肉体は治った。続いて魂の方を、ということになるべきところですが、そこから進化という要素が絡んできます。魂がそれを受け入れる段階まで進化していなければ無駄です。しかし、たとえ全面的に受け入れてもらえなくても、何の努力もせずにいるよりは何とか努力してみる方が大切です。それは私たちすべてが取るべき態度です。
 ともかくも手を差しのべてあげるのです。受け入れてくれるかどうかは別問題として、ともかく手を差しのべてあげることです。努力のすべてが報われることを期待してはなりません。

 病気が治り魂も目覚める、つまり治療の本来の意義が理解してもらえるのが最も望ましいことです。次に、たとえ魂にまで手が届かなくても、病気だけでも治してあげるという段階もあります。さらにもう一つの段階は、たとえ治らなくても治療行為だけは施してあげるという場合です


 要請された以上はそう努力しなければなりません。が、たとえ要請されなくても施すべき場合があります。受けるよりは施す方が幸いです。施した時点を持ってあなたの責任は終わります。そして、その時点からそれを受けた人の責任が始まります

 「人間は自分の前生を思い出してそれと断定できるものでしょうか」

 「もしその人が潜在意識の奥深くまで探りを入れることが出来れば、それは可能です。ですが、はたして地上の人間でその深層まで到達できる人がいるかどうか、きわめて疑問です。その次元の意識は通常意識の次元からは遥かにかけ離れていますから、そこまで探りを入れるには大変な霊力が必要です」

 「そうした記憶は現世を生きている間は脇へ置いておかれるとおっしゃたことがあるように思いますが」

 「それなりの手段を講ずることが出来るようになれば、自分の個性のすべての側面を知ることができます。しかし、あなたの現在の進化の段階においては、はたして今この地上においてそれが可能かとなると、きわめて疑問に思えます。つまり理屈ではできると言えても、あなたが今までに到達された進化の段階おいては、それは不可能だと思います」
 
 「神は特別な場合に備えて特殊な力を授けるということをなさるのでしょうか」 と、かつてのメソジスト派の牧師が尋ねた。


 「時にはそういうこともなさいます。その人物の力量次第です。最も、神が直接干渉なさるのではありません」

 「神学には″先行恩寵″という教義があります」  (苦を和らげるために前もって神が人の心に働きかけて悔悟に導くという行為のこと───訳者)

 「ありますね。神は毛を刈り取られた羊への風を和らげてあげるという信仰です(※)。時にはそういうこともあることは事実です。が、神といえども本人の受け入れ能力以上のものを授けることはできません。それは各個の魂の進化の問題です。私がそういう法則をこしらえたわけではありません。法則がそうなっていることを私が知ったということです。

 みなさんもいつかは死ななくてはなりません。霊の世界へ生まれるために死ななくてはなりません。地上の人にとってはそれが悲しみの原因になる人がいますが、霊の世界の大勢の者にとってそれは祝うべき慶事なのです。要は視点の違いです。 私たちは永遠の霊的観点から眺め、あなた方は地上的な束の間の観点から眺めておられます」
(※ 英国の小説家ロレンス・スターンの小説の中の一節で、弱き者への神の情けを表現する時によく引用される───訳者)

 ここでサークルの二人のメンバーが身内や知人の死に遭遇すると無常感を禁じ得ないことを口にすると、シルバーバーチはこう述べた。


 「霊に秘められた才覚のすべてが開発されれば、そういう無常感は覚えなくなります。が、これは民族並びに個人の進化に関わる問題です。私にはそのすべての原理を明らかにすることはできません。私とて、すべてを知っているわけではないからです。あなた方より少しばかり多くのことを知っているだけです。
 そしてその少しばかりをお教えすることで満足しております。知識の総計と較べれば微々たるものです。が、私は神の摂理が地上とは別個の世界においてどう適用されているかをこの目で見て来ております。
 数多くの、そしてさまざまな環境条件のもとでの神の摂理の働きを見ております。そして私がこれまで生きてきた三千年の間に知り得たかぎりにおいて言えば、神の摂理は知れば知るほどその完璧さに驚かされ、その摂理が完全なる愛から生まれ、完全なる愛によって管理され維持されていることを、ますます思い知らされるばかりなのです。

 私も摂理のすみずみまで見届けることはできません。まだまだすべてを理解できる段階まで進化していないからです。理解出来るのはほんの僅かです。しかし、私に明かされたその僅かな一部だけでも、神の摂理が完全なる愛によって計画され運営されていることを得心するには十分です。
 私は自分にこう言い聞かせているのです───今の自分に理解できない部分をきっと同じ完全なる愛によって管理されているに相違ない。もしそうでなかったら宇宙の存在は無意味となり不合理な存在となってしまう。
 もしこれまで自分が見てきたものが完全なる愛の証であるならば、もしこれまでに自分が理解してきたものが完全なる愛の証であるならば、まだ見ていないもの、あるいはまだ理解できずにいるものも又、完全なる愛の証であるに違いない、と。

 ですから、もしも私の推理に何らかの間違いを見出されたならば、どうぞ遠慮なく指摘していただいて結構です。私はよろこんでそれに耳を傾けるつもりです。私だっていつどこで間違いを犯しているか分からないという反省が常にあるのです。無限なる宇宙のほんの僅かな側面しか見ていないこの私に絶対的な断言がどうしてできましょう。
 ましてや地上の言語を超越した側面の説明は皆目(かいもく)できません。こればかりは克服しようにも克服できない、宿命的な障壁です。そこで私は、基本的な真理から出発してまずそれを土台とし、それでは手の届かないことに関しては、それまでに手にした確実な知識に基づいた信仰をおもちなさい、と申し上げるのです。

 基本的真理にしがみつくのです。迷いの念の侵入を許してはなりません。これだけは間違いないと確信するものにしがみつき、謎だらけに思えてきた時は、ムキにならずに神の安らぎと力とが宿る魂の奥の間に引き込もることです。そこに漂う静寂と沈黙の中にその時のあなたにとって必要なものを見出されることでしょう。

 常に上を見あげるのです。うつ向いてはなりません。うなだれる必要はどこにもありません。あなたの歩む道に生じることの一つ一つがあなたという存在を構成していくタテ糸でありヨコ糸なのです。これまでにあなたの本性の中に織り込まれたものはすべて神の用意された図案(パターン)にしたがって織られていることを確信なさることです。

 さて本日もここから去るに当たって私から皆さんへの愛を置いてまいります。私はいつも私からの愛を顕現しようと努力しております。お役に立つことならばどんなことでも厭わないことはお分かりいただけてると思います。しかし、楽しく笑い冗談を言い合っている時でも、ここにこうして集い合った背後の目的をゆめゆめ忘れないようにいたしましょう。神は何を目的としてわれわれを創造なさったのかを忘れないようにいたしましょう。
 その神との厳粛なつながりを汚すようなことだけは絶対にしないように心がけましょう。こうした心がけが、神の御心に適った生き方をする者にかならず与えられる祝福、神の祝福を受けとめるに足る資格を培(つちか)ってくれるからです」

 訳者注───本章は一見なんでもないことを述べているようで、その奥に宇宙の厳粛な相(すがた)を秘めたことを何の衒(てらい)もなく述べた、シルバーバーチ霊言集の圧巻であるように思う。特に″私は自分にこう言い聞かせているのです″で始まる後半の部分は熟読玩味に値する名言で、その中にシルバーバーチの霊格の高さ、高級霊としての証が凝縮されているように思う。

 霊格の高さを知る手掛かりの一つは謙虚であるということである。宇宙の途方もない大きさと己れの小ささ、神の摂理の厳粛さと愛を真に悟った者はおのずと大きなことは言えなくなるはずである。

 反対に少しばかり噛(かじ)った者ほど大言壮語する。奥深い厳粛なものに触れていないからこそ大きな口が利けるのであろう。それは今も昔も変わらぬ世の常であるが、霊的なことが当然のこととして受け入れられるようになるこれからの世の中にあっては、人を迷わせる無責任きわまる説が大手を振ってのさばることが予想される。そうしたものに惑わされないためにはどうすべきか。


 それはシルバーバーチが本章で述べている通り、基本的真理にしがみつくことである。われわれ人間は今この時点においてすでに霊であること、地上生活は次の段階の生活に備えて霊的資質を身につけることに目的があること、人生体験には何一つ無駄なものはないこと、ただそれだけのことを念頭において地道に生きることである。

 本章を訳しながら私はシルバーバーチの霊訓の価値を改めて認識させられる思いがしてうれしかった。