シルバー・バーチの霊訓(六)

二章 心霊治療―その本当の意義(前編)


(※長文のため、前編と後編に分けています。)

 

「これまでに成し遂げられてきたことは確かに立派ですが、まだまだ頂上は極められておりません」

 世界的に知られる心霊治療家のハリー・エドワーズ氏が助手のジョージ・バートン夫妻と共に交霊会を訪れた時にシルバーバチはそう語りかけた。(訳者注───今はもう三人ともこの世にいないが、〝ハリー・エドワーズ心霊治療所〟Harry Edwards Healing Sanctuary はその名称のままレイ・ブランチ夫妻が引き継ぎ今も治療活動を続けている)

 シルバーバーチは続けてこう語る───


  「あなた方のこれまでの努力がまさに花開かんとしております。これまでのことは全てが準備でした。バプテスマのヨハネがナザレのイエスのために道を開いたように、これまでのあなた方の過去は、これからの先の仕事のため、つまりより大きな霊力が降りてあなた方とともに活動していくための準備期間でした。

 ほぼ完璧の段階に近づいているあなた方三人の信頼心と犠牲的精神とそれを喜びとする心情は、それみずからが結果をもたらします。霊の力と地上の力との協調関係がますます緊密となり、それがしばしば〝有り得ぬこと〟と思えることを成就しております。条件が整った時に起きるその奇跡的治療のスピードに注目していただきたいと思います」

エドワース ゙「何度も目のあたりにしております」

 「大いなる進歩がなされつつあること、多くの魂に感動を与え、それがさらに誘因となって他の大勢の人々にもその次元での成功(単なる病気治療にとどまらず魂の琴線に触れさせること)をおさめる努力が為されつつあります。常にその一つに目標をおいて下さい。すなわち魂を生命の実相に目覚めさせることです。
 それが全ての霊的活動の目標、大切な目標です。ほかは一切かまいません。病気治療も、霊的交信を通じての慰めも、さまざまな霊的現象も、究極的には人間が例外なく神の分霊であること、即ち霊的存在であるというメッセージに目を向けさせて初めて意義があり、神から授かった霊的遺産を我がものとし宿命を成就する為には、ぜひその理解が必要です。

 それが困難な仕事であることは私もよく承知しております。が、偉大な仕事ほど困難が伴うものなのです。霊的な悟りを得ることは容易ではありません。とても孤独な道です。それは当然のことでしょう。
 もしも人類の登るべき高所がいとも簡単にたどりつくことが出来るとしたら、それは登ってみるほどの価値はないことになります。安易さ、吞ん気さ、怠惰の中では魂は目を開きません。刻苦と奮闘と難儀の中にあって初めて目を覚まします。これまで、魂の成長が安易に得られるように配慮されたことは一度たりともありません。
 
 あなた方が治療なさる様子を見ていとも簡単に行っているように思う人は、表面しか見ていない人です。今日の頂上に到達するまでには、その背後に長年の努力の積み重ねがあったことを知りません。治療を受ける者が満足しても、あなた方は満足してはなりません。
 一つの山頂を極めたら、その先にまた別の山頂がそびえていることを自覚しなくてはいけません。いかがでしょう。私の話は参考になりますでしょうか。あなた方はすでによくご存じのことばかりでしょう」

エドワーズ 「分っていても改めて認識することは大切なことです」

 「こうした会合の場は、地上の人間でない私どもがあなた方地上の人間に永遠の原理、不滅の霊的真理、顕幽の区別なくすべての者が基盤とすべきものについての認識を新たにさせることに意義があります。物質界に閉じ込められ、物的身体に関わる必要性や障害に押しまくられているあなた方は、ともすると表面上の物的なことに目を奪われて、その背後の霊的実在のことを見失いがちです。

 肉体こそ自分である、今生きている地上世界こそ実在の世界であると思い込み、実は地上世界はカゲであり、肉体はより大きな霊的自我の道具にすぎないことを否定することは実に簡単なことです。
 もしも刻々と移り行く日常生活の中にあって正しい視野を失わずに問題の一つ一つを霊的知識に照らしてみることを忘れなければ、どんなにか事がラクに治まるだろうにと思えるのですが・・・・・・残念ながら現実はそうではありません。

 こうした霊界との協調関係の中での仕事に携っておられる人でさえ、ややもすると基本的な義務を忘れ、手にした霊的知識が要求する規範に適った生き方をしていらっしゃらないことがあります。知識は大いなる指針となり頼りになるものですが、手にした知識をどう生かすかという点に大きな責任が要請されます。

 治療の仕事にたずさわっておられると、さまざまな問題──説明できないことや当惑させられること──に遭遇させられることでしょうが、それは当然のことです。私どもは地上と霊界の双方の人間的要素に直面させられどおしです。治療の法則は完全です。が、それが不完全な道具を通じて作用しなければなりません。
 人間を通して働かねばならない法則がいかなる結果を生み出すかを、数学的正確さを持って予測することは不可能ということになります。

 たとえ最善の配慮を持ってこしらえた計画さえも挫折させるほどの事情が生じることがあります。この人こそと思って選んで開始した何年にもわたる準備計画が、本人の自由意志による我がままによって水の泡となってしまうことがあります。しかし全体としてみれば霊力の地上への投入が大幅に増えていることを喜んでよいと思います。
 現実にあなた方が患者の痛みを和らげ、あるいは治療してあげることができているという事実、苦しむ人々を救うことが出来ているという事実。お仕事が広がる一方で衰えることがないという事実。たとえワラをも掴む気持ちからであっても、あなた方のもとへ大勢の人々が救いを求めて来ているという事実、こうした事実は霊力がますます広がりつつあることの証拠です。
 霊力によって魂が一旦目を覚ましたら、その人は二度と元の人間には戻らないという考えがありますが、私もそう考えている一人です。言葉には説明し難い影響、本人も忘れようにも忘れられない影響を受けているものです」

エドワーズ 「その最後の段階で病気の治癒と真理の理解との兼ね合いがうまくいってほしいのですが、霊的高揚というのはなかなか望めないように思います」

 「見た目にはそうです。が、目に見えない影響力が常に働いております。霊力というのは磁気性をもっており、いったん出来上がった磁気的な繋がりは決して失われません。一個の人間があなたの手の操作を受けたということは───〝手〟というのは抽象的な意味で用いたまでです。
 実際には身体に触れる必要はありませんから───その時点でその人との磁気的つながりが出来たということです。つまり霊の磁力がその人の〝地金〟を引きつけたということで、その関係は決して切れることはありません。

 その状態を霊の目すなわち霊視力で見ますと、小さな畑の暗い土の中で小さな灯りがともったようなものです。理解力の最初の小さな炎でしかありません。種子が芽を出して土中から頭をもたげたようなものです。暗闇の中から初めて出てきたのです。

 それがあなた方の為すべき仕事です。身体を治してあげるのは結構なことです。それに文句をつける人はいません。が、魂に真価を発揮させること、聖書流に言えば魂に己れを見出させることは、それよりはるかに大切です。魂を本当の悟りへの道に置いてあげることになるからです」

 ここでサークルのメンバーの一人が述べた───「心霊治療で治った人の中には魔術的なものが働いたと考える人がいます。つまり治療家を一種の魔術師と考え、神の道具とは考えません」

 「それは困ったことだと思います。なぜかと言えば、そういう受け取り方はせっかくのチャンスによるもっと大切な悟りの妨げになるからです。霊的な力が治療家を通して働いたのだということを教えてあげれば、病気が治ったということだけで全てが終わらずに、それを契機にもっと深く考えるようになるのですが」

エドワーズ 「治療後も霊的な治癒力が働き続けている証拠として、時おり、その時は効果が見えなかった人から一年もたってから〝あれから良くなってきました〟という手紙を受け取ることがあります」

 「当然そうあってしかるべきです。霊的な成長だけは側からどうしようもない問題なのです。このことに関しては以前にも触れたことがありますが、治療の成功不成功は魂の進化という要素によって支配されております。いかなる魂も、治るだけの霊的資格が具わらない限り絶対に治らないということです。身体は魂の僕です。主人(アルジ)ではありません。」

エドワーズ 「未発達の魂は心霊治療によって治すことができないという意味でしょうか」

 「そういうことです。私が言わんとしているのは、まさにそのことです。ただ〝未発達〟という用語は解釈の難しいことばです。私が摂理の存在を口にする時、私はたった一つの摂理のことを言っているのではありません。宇宙のあらゆる自然法則を包含した摂理のことを言います。
 それが完璧な型(パターン)にはめられております。ただし法則の裏側に又別の次元の法則があるというふうに、幾重にもなっております。しかるに宇宙は無限です。誰にもその果てを見ることは出来ません。それを支配する大霊(神)と同じく無窮なのです。すると神の法則も無限であり、永遠に進化が続くということになります。

 物質界の人間は肉体に宿った魂です。各自の魂は進化の一つの段階にあります。その魂には過去があります。それを切り捨てて考えてはいけません。それとの関連性を考慮しなくてはなりません。肉体は精神の表現器官であり、精神は霊の表現器官です。
 肉体は霊が到達した発達段階を表現しております。もしもその霊にとって次の発達段階に備える上での浄化の過程としてその肉体的苦痛が不可欠の要素である場合には、あなた方治療家を通じていかなる治療エネルギーが働きかけても治りません。いかなる治療家も治すことは出来ないということです。

 苦痛も大自然の過程の一つなのです。摂理の一部に組み込まれているのです。痛み、悲しみ、苦しみ、こうしたものはすべて摂理の中に組み込まれているのです。話はまた私がいつも述べていることに戻ってきました。日向と日陰、平穏と嵐、光と闇、愛と憎しみ、こうした相対関係は神の摂理なのです。一方なくしては他方も存在し得ません」

メンバーの一人「苦しみは摂理を破ったことへの代償なのですね」

 「〝摂理を破る〟という言い方は感心しません。〝摂理に背く〟と言って下さい。確かに人間は時として摂理への背反(ハイハン)を通して摂理を学ぶほかはないことがあります。あなた方は完全な存在ではありません。完全性の種子を宿してはおりますが、それは人生がもたらすさまざまな〝境遇〟に身を置いてみることによってのみ成長します。痛みも嵐も困難も苦しみも病気もないようでは、魂は成長しません。
 
 摂理が働かないことは絶対にありません。もし働かないことがあるとしたら、神は神でなくなり、宇宙に調和もリズムも目的もなくなります。その自然の摂理の正確さと完璧さに全幅の信頼を置かねばなりません。なぜなら、人間には宿命的に知ることのできない段階があり、それは信仰心でもって補うほかないからです。
 私は知識を論拠として生まれる信仰は決して非難しません。私が非難するのは何の根拠もないことでもすぐに信じてしまう浅はかな信仰心です。人間は知識のすべてを手にすることができない以上、どうしてもある程度の信仰心でもって補わざるを得ません。
 といって、その結果として同情心も哀れみも優しさも敬遠して〝ああ、これも自然の摂理だ。仕方ない〟等と言うようになっていただいては困ります。それは間違いです。あくまでも人間としての最善を尽くすべきです。そう努力する中に置いて本来の霊的責務を果たしていることになるからです。」

 いくつかの質問に答えたあと、さらに───

 「魂はみずから道を切り開いていくものです。その際、肉体機能の限界がその魂にとっての限界となり制約となります。しかし肉体を生かしているのは魂です。この二重の関係が常に続けられております。しかし優位に立っているのは魂です。魂は絶対です。魂はあなたという存在の奥に宿る神であり、神が所有しているものは全てあなたもミニチュアの形で所有している以上、それは当然しごくのことです」

エドワーズ 「それはとても基本的なことであるように思います。さきほど心霊治療によって治るか治らないかは患者自身の発達程度にかかっているとおっしゃいましたが、そうなると治療家は肉体の治療よりも精神の治療の方に力を入れるべきであるということになるのでしょうか」

 「訪れる患者の魂に働きかけないとしたら、ほかに何に働きかけられると思いますか」

エドワース 「まず魂が癒され、その結果肉体が癒されるということでしょうか」

 「そうです。私はそう言っているのです」

エドワーズ 「では私たち治療家は通常の精神面を構う必要はないということでしょうか」

 「精神はあくまで魂の道具に過ぎません。したがって魂が正常になればおのずと精神状態も良くなるはずです。ただ、魂がその反応を示す段階まで発達していなければ、肉体への反応も起こりません。魂がさらに発達する必要があります。つまり魂の発達を促すためのいろんな過程を体験しなければならないわけです。それには苦痛を伴います。魂の進化は安楽の中からは得られないからです」

エドワーズ 「必要な段階まで魂が発達していない時は霊界の治療家も治す方法はないのでしょうか」

 「その点は地上も霊界も同じです」
メンバーの一人「クリスチャン・サイエンスの信仰と同じですか」

 「真理は真理です。その真理を何と名付けようと、私たち霊界の者には何の違いもありません。要は中味の問題です。かりにクリスチャン・サイエンスの信者が霊の働きかけを得て治り(クリスチャン・サイエンスではそれを否定する───訳者)、それをクリスチャン・サイエンスの信仰のおかげだと信じても、それはそれで良いのです」

エドワーズ 「私たち治療家も少しはお役に立っていることは間違いないと思うのですが、治療家を通じて患者の魂にまで影響を及ぼすというのはとても難しいことです」

 「あなた方は少しどころか大いに貴重な役割を果たしておられます。第一、あなた方地上の治療家がいなくては私たちも仕事になりません。霊界側から見ればあなた方は私たちが地上と接触するための通路であり、一種の霊媒であり、言ってみればコンデンサーのような存在です。霊波が流れる、その通路というわけです」

エドワーズ 「流れるというのは何に流れるのですか。肉体ですか、魂ですか」

 「私たちは肉体には関知しません。私の方からお聞きしますが、例えば腕が曲がらないのは腕の何が悪いのでしょう」

エドワーズ 「生理状態です」

 「では、それまで腕を動かしていた健康な活力はどうなったのでしょう」

エドワーズ 「無くなっています。病気に負けて病的状態になっています」

 「その活力が再びそこを流れ始めたらどうなりますか」

エドワーズ 「腕の動きも戻ると思います」

 「その活力を通わせる力はどこから得るのですか」

エドワーズ 「私たちの意志ではどうにもならないことです。それは霊界側の仕事ではないかと思います」

 「腕をむりやり動かすだけではだめでしょう?」

エドワーズ 「力ではどうにもなりません」

 「でしょう。そこでもしその腕を使いこなすべき立場にある魂が目を覚まして、忘れられていた機能が回復すれば、腕は自然に良くなるということです」

メンバーの一人「治療家の役目は患者が生まれつき具わっている機能にカツを入れるということになるのでしょうか」

 「そうとも言えますが、それだけではありません。というのは、患者は肉体をまとっている以上当然波長が低くなっています。それで霊界からの高い波長の霊波を注ぐにはいったん治療家というコンデンサーにその霊波を送って、患者に合った程度まで波長を下げる必要があります。
 そういう過程をへた霊波に対して患者の魂がうまく反応を示してくれれば、その治癒効果は電光石火と申しますか、いわゆる奇跡のようなことが起きるわけですが、患者の魂にそれを吸収するだけの受け入れ態勢が出来ていない時は何の効果も生じません。たとえば曲がってた脚を真っすぐにするのはあなた方ではありません。患者自身の魂の発達程度です」
列席者の一人「神を信じない人でも治ることがありますか」

 「あります。治療の法則は神を信じる信じないにお構いなく働くからです」

───さきほど治癒は魂の進化の程度と関係があると言われましたが……

 「神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の多寡で測れるものではありません。行為によって測るべきです。いいですか、あなた方は治るべき条件の整った人を治しているだけです。ですが、喜んでください。あなた方を通じて知識と理解と光明へ導かれる人は大勢います。
 みながみな治せなくても、そこには厳とした法則があってのことですから、気になさらないことです。と言って、それで満足して努力することを止めてしまわれては困ります。いつも言っているように、神の意志は愛の中だけでなく憎しみの中にも表現されています。晴天の日だけが神の日ではありません。嵐の日にも神の法則が働いております。成功にも失敗にもそれなりの価値があります。失敗なくしては成功もありません」

 ───信仰心が厚く、治療家を信頼し、正しい知識を持った人でも意外に思えるほど治療に反応を示さない人がいますが、なぜでしょう。やはり魂の問題でしょうか。

 「そうです。必ず同じ問題に帰着します。信仰心や信頼や愛の問題ではありません。魂の問題であり、その魂が進化の過程で到達した段階の問題です。その段階で受けるべきものを受け、受けるべきでないものは受けません」

エドワーズ 「治療による肉体上の変化は私たちにも分るのですが、霊的な変化は目で確かめることができません」

 「霊視能力者を何人集めても、全員が同じ治療操作を見ることは無いでしょう。それほど(患者一人一人に違った)複雑な操作が行われているのです。かりそめにも簡単にやっているかに思ってはなりません。物質と霊との相互関係は奥が深く、かつ複雑です。
 肉体には肉体の法則があり、霊体には霊体の法則があります。両者ともそれぞれにとても複雑なのですから、その両者をうまく操る操作は、それはそれは複雑になります。無論全体に秩序と調和が行きわたっておりますが、法則の裏に法則があり、そのまた裏に法則があり、それらが複雑に絡み合っております」

バートン夫人 「肉体上の苦痛は魂に影響を及ぼさないとおっしゃったように記憶しますけど・・・」

 「そんなことを言った憶えはありません。肉体が受けた影響は必ず魂にも及びますし、反対に魂の状態は必ず肉体に表れます。両者を切り離して考えてはいけません。一体不離です。つまり肉体も自我の一部と考えてよいのです。肉体なしには自我の表現は出来ないのですから。本来は霊的存在です。肉体に生じたことは霊にも及びます」

バートン夫人 「では肉体上の苦痛が大きすぎて見るに見かねる時、もしも他に救う手がないとみたら、魂への悪影響を防ぐために故意に死に至らしめるということもなさるのでしょうか」

 「それは患者によります。実際は人間の気まぐれから自然法則の順序を踏まずに無理やりに肉体から分離させられていることが多いのですが、それさえなければ、霊は摂理に従って死ぬべき時が来て自然に離れるものです」

バートン夫人 「でも、明らかに霊界の医師が故意に死なせたと思われる例がありますけど・・・・・・」

 「あります。しかしそれはバランス(埋め合わせ)の法則にのっとって周到な配慮の上で行っていることです。それでもなお魂にショックを与えます。そう大きくはありませんが」

バートン夫人 「肉体を離れるのが早すぎた為に生じるショックですか」

 「そうです。物事には必ず償いと報いとがあります。不自然な死を遂げるとかならずその不自然さに対する報いがあり、同時にそれを償う必要性が生じます。それがどういうものになるかは個人によって異なります。
 あなた方治療家の役目は患者の魂に、それだけの資格ができている場合に、苦痛を和らげてあげることです。その間に調整がなされ、言わば衝撃が緩和されて、魂が然るべき状態に導かれます」

エドワーズ 「絶対に生き永らえる望みなしと判断したとき、少しでも早く死に至らしめるための手段を講じることは許されることでしょうか許されないことでしょうか」

 「私はあくまで〝人間は死すべき時が来て死ぬべきもの〟と考えています」

エドワーズ 「肉体の持久力を弱めれば死期を早めることになります。痛みと苦しみが見るに見かね、治る可能性もない時、死期を早めてあげることは正しいでしょうか」

 「あなた方の辛い立場はよく分かります。また私としても好んで冷たい態度を取るわけではありませんが、法則はあくまでも法則です。肉体の死はあくまで魂にその準備が出来た時に来るべきです。それはちょうど柿が熟した時に落ちるのと同じです。熟さないうちにもぎ取ってはいけません。
 私はあくまでも自然法則の範囲内で講ずべき手段を指摘しております。たとえば薬や毒物ですっかり身体を壊し、全身が病的状態になっていることがありますが、身体はもともとそんな状態になるようには意図されておりません。そんな状態になってはいけないのです。身体の健康の法則が無視されているわけです。そういう観点から考えていけば、どうすれば良いかはおのずと決まってくると思います。何ごとも自然の摂理の範囲内で処理置すべきです。
 本人も医者も、あるいは他の誰によってもその摂理に干渉すべきではありません。もちろん、良いにせよ悪いにせよ、何らかの手を打てばそれなりの結果が生じます。ですが、それが本当に良いことか悪いことかは霊的法則にどの程度まで適っているかによって決まることです。
 つまり肉体にとって良いか悪いかではなくて、魂にとって良いか悪いかという観点に立って判断すべきです。魂にとって最善であれば肉体にとっても最善であるに違いありません」