シルバーバーチの新たなる啓示(抜粋)


 霊的真理の上に社会秩序を

 

 「霊的真理を手にした者が恐れや不安を抱くようなことがあってはなりません。この世には問題がいっぱいあります。今も言いましたように、社会秩序が霊的原理を土台としない限り、問題の絶えることはありません。それを唯物的原理の上に築こうとするのは、砂上に楼閣を築こうとするようなものです。

 お互いが心の中に敵意を宿しているうちは、外にも平和は有り得ません。憎悪、激情、敵意、貪欲などに燃えている人がひしめき合っている時に、協力体制などというものが出来るでしょうか。

 愛とは摂理の成就であるといいます。地球上の人間の一人ひとりが兄弟であり姉妹であり、全人類が親戚縁者であることを理解すれば、互いに慈しみ合うに違いありません。そういう意図のもとに大霊は、各自に神性の一部を賦与し、その連鎖の輪が全世界を取り巻くようにしてくださっているのです。

 現段階の人類はまだ、自分が基本的には霊的存在であるという永遠の真理を、実感を持って認識するまでには至っておりません。同じ神性を宿しているがゆえに、お互いが切ろうにも切れない霊的な縁で結ばれており、進歩するも退歩するも、一蓮托生ということです。

 そこにあなた自身の責任が生じます。真理を手にしたら、その時から、それをいかに使用するかについての責任を問われるということです。霊的真理に目覚め、霊力の働きに得心がいったら、その時から、今日の悩み、明日への不安を抱くことがあってはなりません。

 あなたの霊性が傷つくようなことはありません。あなたが手にした霊的知識、あなたに啓示された真理に忠実に生きていれば、いかなる試練の炎の中を通り抜けても、霊性が火傷を負うことはありません。

 地上界で生じるいかなる苦難にも、霊的に傷ついたり、打ちひしがれたりすることは絶対にありません。動機と目的さえ正しければ、霊の力が何とかしてくださることは、これまでの体験でも十分に証拠を手にしておられるはずです。

 残念ながら今のところ、霊的真理を理解している人は極めて少数であり、決して多くはありません。大半の人間は、物量・権力・圧政・隷属的体制こそ〝力〟であるかに考えております。が、大霊の子は身体的・精神的・霊的に〝自由〟であるべく、地上に生を受けているのです。

 いずれは霊的真理が世界各地に浸透するにつれて、地上の人間も日常生活をより自由に、より明るく生きることが出来るようになるでしょう。この英国においても、また他のいかなる国においても、もう〝話が終わった〟わけではありません。

 進化しようとする霊性がゆっくり着実に発現してまいります。その歩みを地上的勢力が邪魔をし進歩を遅らせることはできても、大霊の意図を変えさせることはできません。

 もしもそれくらいのことで大霊の意図が変更の止むなきに至るものであれば、この地球はとっくの昔に崩壊していたことでしょう。

 霊は物質に優るのです。霊力こそ宇宙の支配力なのです。だからこそ、いつも申し上げるのです───心を奮い立たせなさい、胸を張って生きなさい、地上世界に怖がるものは何一つありません、と。何事も必ず克服できます」

 

"人のため"の真の意味

 
───かなり前の話ですが、霊界の友人から〝人のため〟の意味を常識的な解釈とは逆に考えないといけないと言われて、はっと目が覚めました。人のために役立つことをしている時は、その相手の人からそういうチャンスを与えて貰っているのだ、と考えるようになりました。

「まさにその通りですよ。その人のおかげで自分の霊性を発揮することができているのです。自己達成とは霊性の開発のことです。そしてその開発は人のために役立つことをしてこそ成就されるのです。

 そこに物理的法則と霊的法則の違いがあります。霊的な富は、他人に分け与えるほど、ますます豊かになるのです。進化・成長・進歩といったものは、自分を忘れて他人のために役立つことをすることから得られるのです。もっとも、相手にそれを受け入れる用意がないと無駄になりますが・・・・・・

 たとえば、こんな挑発的な態度を取る人を構ってはいけません───〝できるものならこの私を得心させてみなさい〟と。得心するのは自分自身です。自分で自分を得心させるのです。
 大霊は、わが子の一人一人が地上において一度は自我に目覚めるための知識とめぐり合うように配慮して下さっております。摂理がそういう具合に出来あがっているのです。例外はありません。

  無限の叡智によって、この宇宙にあって何一つ、誰一人として見落とされることのないようにしてくださっているのです。顕幽にまたがる全大宇宙には、自然の摂理による調和機構というものがあり、それがすべてを統率しているのです。

 地上世界の法律に幾分それに似たところはあります。ただ、地上の法律はいろいろな思惑や無知が絡んで、法律そのものに問題があります。すべてを完ぺきに取り仕切る法律を編み出すことは、人間には不可能です。そこへ行くと大霊の摂理には削除も変更もありません。

 例外というものもありません。常に同じです。永遠の過去からずっと同じであり、これからも未来永劫にわたって変わることはありません。

 あなた方の世界では〝いったい世の中はどうなってるんだ!〟と言いたくなるような事情・困難・挫折が生じます。そして気が滅入り、こう愚痴をこぼしたくなります───〝これはあんまりだ! 誰がこんな目に合わせるんだ?〟と。

 その〝だれ〟かは、すべてをご存知なのです。すべてが計画の中に組み込まれているのです。私たちは宇宙の全機構の経綸をあずかる〝無限にして完全なる存在〟にすべてをゆだねます。人間はしくじることがありますが、大霊がしくじることは絶対にありません。
 
 もしあなたが疲れ果て、うんざりし、やる気を失っているのに、人がそういうあなたに何の理解も示さず勝手な要求をする時は───そういう人間がよくいるものです───表面はどうであれ、神の摂理はきちんと働き、計画は必ずや成就されるとの信念を忘れないことです。

 人間の集まるところには必ずトラブルが生じます。一人一人が霊的に異なった発達段階にありますから、同じ問題を必ずしも同じようには見ていません。それは致し方のないことです。

 幸いにして自分の方が進化の階梯の高い位置にいる人は、自分より低い位置にいる人に対して同情と、寛容と、理解のある態度で臨むべきです。いかに高い位置に到達したとしても、それよりさらに高い位置にいる人がいることを忘れてはいけません。

 霊の道具として働いておられる皆さん方に私から申し上げたいのは、人間としての最善を尽くしていただきたい───それ以下は困りますが、それ以上の要求はしないということです。体力も気力も限界と思われるところまで来たら、そこで手を引いて下さい。そこから先のことは私たちが引き受けます。
 独裁者のような態度は取りません。強制もしません。あなた方が他人のために一生けんめいに努力なさるように、私たちも、能力の許すかぎりの努力を致します。そうすることによって霊の力をより大きく、より広く、地上に届けることができるのです」

 

 

 霊格の高い者ほど困難な人生を選ぶ


───霊界から地上へ誕生するに際しては、地上で果たさねばならない仕事をあらかじめ見せられるのでしょうか。

 

 「一般的にはそうです。その人の霊的発達程度に応じて、どういうことをするかの選択が許されます。見せられるといっても、細かい点までいちいち見せられるわけではありません。

 地上でも、たとえば溺れて危うく死にかかった人が、その危機一髪の瞬間に、それまでの過去の生活を全部見た、という体験をすることがありますが、事実そういうことは有り得ることでして、地上への誕生前に地上生活をあらかじめ見せられるのも、そういう形でのことです。

 そういう生活がその人の次の進化の階梯にとって必要であるとの認識のもとに選択するのです。霊的に進化した人ほど困難な仕事を選ぶものです。

 それは当然ではないでしょうか。高度な叡智を身につけた人が安楽な仕事を選ぶはずはありません。偉大な人物が苦難の人生を送るのは、その辺に理由があります。それはその人が覚悟していた挑戦です。

 それを克服することによって、それまで未開発だった資質が開拓され、霊性が一段と発現されるのです。しかもそれは、死後霊界において為さねばならない、より大きい仕事のための準備でもあるのです」



 ───それは自分で選ぶのですか、それとも授けられるのですか。

 「どちらの場合もあります。こういうことが出来るという可能性と、これだけのことはしなくてはならないという責務とが指摘されます。それは、ある一定レベルの発達段階に達した人の場合です。

 その場合でも選択の自由は許されます。もっとも、選択の余地が与えられない場合もあります。どうしてもそうならざるを得ないカルマが廻ってきた場合です」


───そちらから地上界へ誕生するのは一種の〝死〟とみてよいのでしょうか。

 「結構です、一種の死です。あなた方が死と呼んでいるのは霊的に見れば霊界への誕生であり、あなた方が誕生と呼んでいるのは、霊的には死と同じです。

 何度も申し上げていることですが、仲間が地上界へ行ってしまうのを見て、霊界では大勢の者が涙を流しているのです。反対に、地上を去ってこちらへ来るのをあなた方は悲しんでいる時、私たちは〝ようこそ〟と言って喜んで迎えているのです。すべては全体としての視野の捉え方の問題です」

 
 地上への降誕の目的     

───われわれは〝神の分霊〟だそうですが、その至尊至高の大霊へ向けて進化して行くのが目的であるならば、なぜ〝分かれた〟のでしょうか。つまり、もともと一つであったものがなぜ分離して、再び大霊に帰一することを目的にしてこの地上界に生まれてくるのでしょうか。

 「そのご質問は、この私にではなく大霊に聞いていただきたいですね」と冗談ぽく言ってから、改まった口調でこう述べた。

 「なかなかいい質問なのですが、残念ながらその疑問は、根本的な誤解ないし誤認から生じております。あなたが大霊と〝一体であった〟というとき、それは大霊という唯一絶対の始源から出ているという意味であって、同じ意味で、全ての生命、全ての個的存在、生きとし生けるものすべてが、本質において一つであると言えます。

 〝あなた〟という個的存在は、最初から、つまり大霊と一体であった時から今の〝あなた〟だったわけではありません。表現の媒体を得て初めて〝あなた〟という個性を持った存在となったのです。

 その目的は内部の神性を顕現させるためです。内部に宿る神性は完ぺきです。が、それは種子が土とか水といった養分を得て発芽し、生長し、花を咲かせるように、顕現という活動を経て初めて、その美しさ、その輝きを外部へ発揮することになるのです。

 地上的な形態での存在の目的もそこにあります。すなわち物的身体に植え付けられた神性の種子が発芽と生長と成熟の過程を体験するためです。その地上生活特有の体験によって、死後に訪れる、次の段階の生活に必要な資質と能力を身につけるのです」


 別のメンバー ───今の質問にはもう一つの意味も含まれていると思うのです。つまり、そうした個的生命も最後は大霊の中に吸収され没入してしまうのかということです。

 「それはその通りです。が、いわゆるニルバーナ(涅槃)に入るというのとは違います。個的存在が消えてなくなる時は永久に来ません。反対に、完ぺきに近づくほど、ますます個性が顕著になっていきます」


───小川が大海に流れ込むようなものでしょうか。

 「それは違います。小川が大海へ流れ込めば、その小川は消滅してしまいます。あなたという存在は、どこまでいっても個としての存在を失うことはありません。パーソナリティ(地上時代の性格)は変わります。特徴や性癖も無くなります。が、個的存在としての顕現は永遠に続きます。

 成長と発達に限界というものはあり得ません。個性が発達するほど、それだけ大霊との調和が進みます。霊性が発揮されるほど、その霊的始原に近づくからです」