19章 再生(生まれ変わり)


〔再生、即ち同じ人間が何度かこの地球へ生まれ出て来るという思想は、スピリチュアリズムでも異論の多いテーマで、通信を送ってくる霊の間でも意見の衝突がある。シルバーバーチはこれを全面的に肯定する一人であるが、輪廻転生説のような機械的な生の繰り返しではなく、進化のための「埋め合わせ」を目的とし、しかも生まれ変わるのは同じ霊の別の意識層の一部であるとする〕

――意識が部分的に分かれて機能することが可能なのでしょうか。

今のあなたという意識とは別に、同じくあなたと言える大きな意識体があります。そのホンの小さな一部が地球という物質界で表現されているのが今のあなたです。そして、あなたの他にも同じ意識体を構成する複数の分霊がそれぞれの意識層で表現されております。

――個々の霊が独立しているのでしょうか。

独立はしていません。あなたも他の分霊も一個の「内奥の霊的実在」の側面です。つまり全体を構成する一部であり、それぞれがさまざまな媒体を通して自我を表現しており、時折その分霊どうしが合体することもあります。(通常意識にはのぼらなくても)霊的意識では気づいています。それは自我を表現し始めて間もない頃(霊的幼児期)にかぎられます。そのうち全分霊が共通の合流点を見出して、最終的には一つに再統一されます。

――その分霊どうしが地上で会っていながらそうと気づかないことがあるでしょうか。

統括霊を一つの大きな円として想像してください。その円を構成する分霊が離ればなれになって中心核の周りを回転しています。時折その分霊どうしが出会って、お互いが共通の円の中にいることを認識し合います。そのうち回転しなくなり、各分霊がそれぞれの場を得て、再び元の円が完成されます。

――二つの分霊が連絡し合うことは出来ますか。

その必要があれば出来ます。

――二つの分霊が同時に地上に誕生することがありますか。

ありません。全体の目的に反することだからです。個々の意識があらゆる界層での体験を得るということが本来の目的です。同じ界層へもう一度戻ることがあるのは、それなりの成就すべき(埋め合わせをすべき)ことが残っている場合に限られます。

――個々の分霊は自らの進化に自らが責任を負い、他の分霊が学んだ教訓による恩恵は受けないというのは本当でしょうか。

その通りです。個々の霊は一つの統括霊の構成分子であり、さまざまな形態で自我を表現しているわけです。進化するにつれて小我が大我を意識して行きます。

――そして、進化のある一点において、それらの小我が一体となるわけですね?

(理屈では)そうです。無限の時を経てのことですが……

――個々の小我の地上への誕生は一回きり、つまり大我としては再生の概念は当てはまっても、小我には再生はないという考えは正しいでしょうか。

それは成就すべき目的いかんに関わる問題です。同じ小我が二度も三度も再生することがあります。ただし、それは特殊な使命のある場合に限られます。

――一つの意識体の個々の部分、というのはどういうものでしょうか。

これは説明の難しい問題です。あなた方には「生きている」ということの本当の意味が理解できないからです。実はあなた方にとっての生命は実質的には最も下等な形態で顕現しているのです。そのあなた方には、生命の実体、あなた方に思いつくことの出来るもの全てを超越した意識をもって生きる、その言語を超越した生命の実相はとても想像できないでしょう。

宗教家が豁然大悟(かつぜんたいご)したといい、芸術家が最高のインスピレーションに接したといい、詩人が恍惚たる喜悦に浸ったといっても、私たち霊界の者から見れば、それは実在のかすかな影を見たに過ぎません。鈍重な物質によってその表現が制限されているあなた方に、その真実の相、生命の実相が理解できない以上、意識とは何か、なぜ自分を意識できるのかといった問いにどうして答えられましょう。

私の苦労を察してください。譬えるものがあればどんなにか楽でしょうが、地上にはそれがない。あなた方には、せいぜい、光と影、日向と日陰の比較くらいしか出来ません。虹の色は確かに美しい。ですが、地上の言語で説明の出来ないほどの美しい霊界の色彩を虹に譬えてみても、美しいものだという観念は伝えられても、その本当の美しさは理解していただけません。

――分霊の一つ一つを統括霊の徳性の表現と見てもよいでしょうか。

それはまったく違います。どうもこうした問いにお答えするのは、まるで生まれつき目の不自由な方に晴天のあの青く澄み切った空の美しさを説明するようなもので、譬えるものがないのですから困ります。

――それはマイヤースのいう「類魂」と同じものですか。

まったく同じものです。ただし、単なる魂の寄せ集めとは違います。大きな意識体を構成する集団で、その全体の進化のために各自が体験を求めて物質界にやってくるのです。

――その意識の本体へ戻ったとき、各霊は個性を失ってしまうのではなかろうかと思うのですが……

川が大海へそそぎ込んだ時、その川の水は存在が消えてしまうのでしょうか。オーケストラが完全なハーモニーで演奏している時、例えばバイオリンの音は消えてしまうのでしょうか。

――なぜ霊界の方から再生の決定的証拠を提供してくれないのでしょうか。

こうした霊言という手段によっても説明のしようのない問題に証拠などあり得るでしょうか。意識に受け入れ態勢が整い、再生が摂理であることが明確になって初めて、事実として認識されるのです。こちらの世界にも再生はないと言う者がいるのはそのためです。まだその事実を悟ることが出来る段階に達していないからそう言うに過ぎません。宗教家がその神秘的体験をビジネスマンに語ってもしょうがないでしょう。芸術家がインスピレーションの体験話をまったく芸術的センスのない人に聴かせてどうなりましょう。意識の段階が違うのです。

――再生する時はそのことが自分で分かるのでしょうか。

魂そのものは本能的に自覚します。しかし、知的に意識するとは限りません。大霊の分霊であるところの魂は、永遠の時の流れの中で一歩一歩、徐々に表現を求めています。が、どの段階でどう表現しても、その分量はわずかであり、表現されない部分が大半を占めています。

――では、無意識のまま再生するのでしょうか。

それも霊的進化の程度次第です。ちゃんと意識している霊もいれば意識しない霊もいます。魂は意識していても知覚的には意識しないまま再生する霊もいます。これは生命の神秘中の神秘にふれた問題でして、とても地上の言語では説明しかねます。

――生命がそのように変化と進歩を伴ったものであり、生まれ変わりが事実だとすると、霊界へ行っても必ずしも会いたい人に会えるとは限らないことになり、地上で約束した天国での再会が果たせないことになりませんか。

愛は必ず成就されます。なぜなら愛こそ宇宙最大のエネルギーだからです。愛は必ず愛する者を引き寄せ、また愛する者を探し出します。愛する者どうしを永久に引き裂くことは出来ません。

――でも、再生を繰り返せば、互いに別れ別れの連続ということになりませんか。これでは天上の幸せの観念と一致しないように思うのですが……

一致しないのは、あなたの天上の幸せの観念と私の天上の幸せの観念の方でしょう。宇宙およびその法則は大霊がこしらえたのであって、その子であるあなた方がこしらえるのではありません。賢明な人間は新しい事実を前にすると自分の考えを改めます。自分の考えに一致させるために事実を曲げようとしてみても、結局は徒労に終わることを知っているからです。

――これまで何回も地上生活を体験していることが事実だとすると、もう少しはましな人間であってもいいはずだと思うのですが……

物質界にあっても聖人は聖人ですし、最下等の人間はいつまでも最下等のままです。地上だから、霊界だからということで違いが生ずるのではありません。要は魂の進化の問題です。

――これからも無限に苦難の道が続くのでしょうか。

そうです。無限に続きます。何となれば、苦難の試練を経て初めて神性が開発されるからです。金塊がハンマーで砕かれ磨きをかけられて初めてあの輝きを見せるように、神性も苦難の試練を受けて初めて、強くたくましい輝きを見せるのです。

――そうなると死後に天国があるということが意味がないのではないでしょうか。

今日のあなたには天国のように思えることが、明日は天国とは思えなくなるものです。というのは、真の幸福というものは今より少しでも高いものを目指して努力するところにあるからです。

――再生する時は前世と同じ国に生まれるのでしょうか。例えばインディアンはインディアンに、イギリス人はイギリス人に、という具合に……

そうとは限りません。目指している目的のために最も適当と思われる国・民族を選びます。

――男性か女性かの選択も同じですか。

同じです。必ずしも前世と同じ性に生まれるとは限りません。

――死後、霊界で地上生活の償いをさせられますが、さらに地上に再生してから同じ罪の償いをさせられるというのは本当ですか。神は同じ罪に対して二度も罰を与えるのでしょうか。

償うとか罰するとかの問題ではなくて、要は進化の問題です。つまり学ぶべき教訓が残されているということであり、魂の教育と向上という一連の鎖の欠けている部分を補うということです。生まれ変わるということは必ずしも罪の償いのためとは限りません。欠けているギャップを埋める目的で再生する場合がよくあります。もちろん償いをする場合もあり、前世で学ぶべきでありながら果たせなかったものをもう一度学びに行くという場合もあります。罪の償いのためとばかり考えてはいけません。ましてや二度も三度も罰せられることは決してありません。大霊の摂理を知れば、その完璧さに驚かれるはずです。完璧なのです。大霊そのものが完全だからです。

――自分はこれまでに地上生活を何回経験しているということが明確に分かる霊がいますか。

います。それが分かる段階まで成長すれば自然に分かるようになります。その必要性が生じたからです。光に耐えられるようになるまでは光を見ることが出来ないのと同じです。名前を幾つか挙げても結構ですが、それでは何の証拠にもなりますまい。何度も言ってきましたように、再生の事実は「説く」だけで十分なはずです。

私は大霊の摂理について私なりに理解した事実を述べているだけです。知り得た通りを述べているのです。私の言うことに得心が行かない人がいても、それは一向に構いません。あるがままの事実を述べているだけですから…… 受け入れてもらえなくても構いません。私と同じだけの年数を生きられたら、その人もきっと考えが変わることでしょう。

――再生問題は異論が多いからこれを避けて、死後の存続ということだけに関心の的をしぼるという考えはいかがでしょう?

闇の中にいるよりは光の中にいる方がよろしい。無知のままでいるよりは摂理を少しでも多く知った方がよろしい。向上を目指して奮闘するのが良いに決まっています。死後存続の事実は真理探求の終着駅ではありません。そこから始まるのです。自分が大霊の分霊であること、それ故に何の苦もなく何の変身もなく死の関門を通過できるという事実を理解した時、それで全てがお終いになるのではありません。そこから本当の意味で「生きる」ということが始まるのです。