6章 ヒーリングの問題


[ヒーリング・パワー(治癒力)はわれわれ人間のすべてに内在しているという。しかし何の努力もなしにそのパワーが発揮できる人と、いくら養成会に通っても一向に発揮できない人がいる。その違いについてシルバーバーチが説明する]

人間は本質的には霊ですから、一人の例外もなく霊的資質が内在しております。その資質が、ある人においては他の人より表に出やすい状態にある場合があります。意識的に開発する努力によってその資質――“プシケ”と呼んでも“霊能”と呼んでもよろしい――が発現し、その人間と背後で働く霊団との間の協調性が緊密になります。

と言うことは波動の一体化の次元が高くなり、精密になり、緊密になるということです。霊的光波が一つの美しい調和状態にブレンドし、その次元が頂点に達した時に霊界の医師団と地上のヒーラーとが完全に一体化します。その完全な状態に少しでも近づくほど霊団とヒーラーとを通して使用できる治癒力の次元が高くなり、大きくなり、強力になります。(これは特に霊的治療家について述べたもので、他の治療法、例えば磁気療法などには必ずしも当てはまらない――編者)

[ヒーリング一般については、ある日の交霊会でこう述べている]

いかなる方法にせよ、ヒーリングによって治るということは、まだ霊界へ帰る時機が熟していないことを意味し、身体の苦痛を通して魂が成長する上で必要な体験が終わったことを意味します。もとより、霊界入りするまでに体験しなければならないことは他にもあります。身体の苦しみのみが人間の体験の全てでないことは言うまでもありません。

治療家が患者の痛みを取り除いたり和らげたりすることが許されるのは、その体験を通して患者の魂に真の自我に目覚めるチャンスを与えてあげることが出来るからです。病気を治すということは確かに偉大な仕事ですが、もっと偉大な仕事として、患者の魂に生命の実感を覚えさせることが出来るのです。その仕事に比べれば、身体が癒えた時に覚える喜びは大して重要ではありません。

物的身体に宿っている皆さんは今生きている地上生活のことだけを考えます。それに引きかえて、地上を去った私たちは、地上生活を無限に続く生活の中のわずかな一時期として捉えます。皆さんがとかく物を見るその焦点を間違えるのはそのためです。

例えば苦難の渦中にある気の毒な人を見て同情心が湧くのを覚えるのは当然のことですし、私はそれを咎めるつもりは毛頭ありません。しかし、その時のあなたは苦しんでいる姿だけを見て、その苦しみの中で過ごす時間は、その後に償いとして得られる喜びに比べれば実に些細なものであることに気づきません。

また、日陰(苦難)の時間の方が日向(安楽)の時間より長く感じられるようですが、実際はそうではありません。ただ、病気の全てが治るとは限らないことを知っておいてください。何事にも法則(摂理)というものが働いており、患者の中にはいかなる治療家にも治せない人がいるということです。

時機が熟せば、いかなる病気も必ず治ります。それは、魂にとって死の彼方の生活体験を必要とする時機が至れば、いくら健康な身体でも魂をとどまらせられなくなるのと同じです。全ては大霊の摂理で定められているのです。あなた方もその摂理の一翼を担っているのです。なぜなら、あなた方自身が大霊の一部だからです。

もちろん借金(カルマ)を全て返してしまえば一切の苦痛と縁がなくなるでしょう。身体が完全な健康状態になるからです。しかし、地上にあってもこちらの世界にあっても、人間は何らかの借金をこしらえているものです。

質疑応答

[まずシルバーバーチが病気の原因について語る]

物的身体と霊的身体とは密接につながっております。両者は絶え間なく反応し合っております。物的身体はその存在自体を霊的身体に依存しておりますが、霊的身体は物的世界での顕現を物的身体に依存しております。つまり霊的身体の成長を決定づけるのは、物的身体を通して得られた体験です。

――物的身体はエーテル体を原型としているのでしょうか。

そうです。

――すると病気になった時に治療するのはエーテル体の方でしょうか。

それが全ての霊的治療の原則です。必ずしもそうでないこともあります。時には純粋に物的原因によるものがあり、そこに医学の入る余地があるのですが、物的身体に影響を及ぼすものは霊的身体にも影響を及ぼし、同様に、霊的身体に影響を及ぼすものは物的身体に影響を及ぼします。

――すると必ずしもエーテル体を治療する必要はないということでしょうか。

必ずしも必要ではありません。要は原因がどこにあるかによります。霊体に原因があれば霊体を治すことによって肉体の病気も治ります。が、純粋に肉体的原因から生じているのであれば、霊的手段よりも物的手段の方が効果が出やすいでしょう。

あなたは今この時点ですでに一個の霊的存在です。しかし、あなたの存在を表現する時は霊的身体と同時に物的身体を用いているのですから、物的世界の感覚を受けとめるには物的身体の世話になっているわけです。地上世界で起きていることは全て物的身体に反応し、それがさらに霊的身体へと反応します。

同じように、霊的身体に反応したことは全て物的身体にも反応します。そうしたエネルギーの作用と反作用が絶え間なく発生しているのです。物的・精神的・霊的の三種類のエネルギーが絶え間なく交錯しているということです。

――伝染性の病気は純粋に物的原因によるのでしょうか。

そうとは限りません。病気には物的原因ではなく霊そのものから発しているものもあります。

――例えばどんな原因でしょうか。

利己主義、どん欲、金銭欲といったものです。イエスが「あなたの罪はもう許されましたよ」と(癒された患者に)述べた話はご存じと思いますが、病気の原因には物的なものと霊的なものの二種類があることを知らなくてはいけません。両方とも同じ方法で治すことができますが、物的な方法の方が容易なケースもあります。

ただ、霊的身体が病むとか物的身体の病気の原因になると表現しましたが、霊的身体そのものが実際に病気になっているわけではありません。物的身体との調整がうまく行っていないというだけのことです。それがバイブレーションを乱し、物的身体との関係の阻害の度が過ぎると、物的身体に病気が発生するということです。怒りを抱くと脾臓を傷めますし、嫉妬心は肝臓を害します。

そうしたものが原因となって調整不良が生じるのです。それまでしっくり行っていたバランスが崩れて調和が乱れます。その崩れ方があまりにひどいと霊体が肉体を通してその表現が不可能になり、死が生じます。

――片腕を失った場合、それはエーテル体にどういう影響を及ぼすでしょうか。

直接の影響はありませんが、肉体の腕が欠けたことによって、エーテル体の腕としての機能を果たせなくなります。だからといって取り返しのつかない事態になるわけではありません。埋め合わせは必ずできます。ただ、そのためには色々な要素を考慮しなければなりません。

人間は物的身体と霊的身体、そして両者を結びつける生命の糸、この三つの要素から成り立っています。病気や虚弱や老化が物的身体をむしばみ、霊的身体との調和が崩れはじめます。それは霊体が肉体から離れるための自然な成り行きです。病気にも純粋に肉体的のものと精神的なものと霊的なものとがあります。腕の骨折は霊的治療でも治せますが、物的処置の方が簡単でしょう。

――遺伝性の病気は神の公正の原理と矛盾しませんか。

地上へ生まれ出る時に授かる身体は、授かるべくして授かったものです。つまり前世の中身に照らして相応しいものを携えて新たな地上生活を始めるのです。ですから、遺伝性の病気をもって生まれたからといって、それを不利と見るのは間違いです。当人の霊的進化にとって必要な人生を送らせるような身体を授かっているのです。

――霊的治療でも治る人と治らない人がいます。魂の進化という観点から見て両者は質的に異なるからでしょうか。

そうではありません。地上を去るべき時機が到来したら、いかなる治療家もそれを阻止することは出来ません。

――でも、治療家の世話にならなかったらもっと早く死んでいたと思えるケースがあるようですが……

数日とかそこいらの話です。永遠の生命に照らしてそれがどれほどの意味があるのでしょう?

――すると霊的治療そのものが不要ということになりませんか。

それは違います。なぜなら、人のためになることをすることは大霊の心を顕現させることになるからです。病気の多くは必ずしも魂の進化の低さのせいではありません。単に無知から大霊の摂理に反することをしたからに過ぎないものがあります。それは、魂の進化の程度がその摂理の存在を理解する段階まで到達していないためであるという観方もできます。魂の進化が進んで完全に摂理にのっとった生き方ができるようになれば、病気はしなくなります。

――同じ原因で病気になりながら、一方は治療家によって治り、もう一方は(治療家との縁がなくて)治らないというのは不公平ではないでしょうか。

あなたは病気になった人が霊的治療家のところへ行くのは偶然のしわざだと思っておられるのですか。偶然というものはあなた方の世界にも私たちの世界にも存在しません。断言します――大霊の摂理は完ぺきです。そのうちあなたも摂理の働きをつぶさに理解して、私と同じように、その完ぺきな摂理を生み出した完ぺきな愛の存在に気づいて、驚異の念で陶然となることでしょう。

誰しも――この私も含めてのことですが――暗闇の中で模索し、時たま光を見出し、摂理を洞察し、驚異の念に打たれます。しかし、暗闇の中にいて摂理の存在に気づかない時は、偶然とか偶発の出来事であると考えたがります。が、改めて申し上げますが、偶然というものは存在しません。

そう言うと、では自由意志はどうなるのかとおっしゃるに相違ありません。お答えしましょう。人間にも自由意志はあります。しかし、自由のつもりでいても、それはその段階での魂の進化の程度に支配されているのではないでしょうか。自由とは言っても魂の成長度によって規制されているということです。宇宙をすみずみまで支配している法則によって縛られているといってよいでしょう。いかに巨大な星雲であろうと、極微の生命体であろうと、その法則から遁(のが)れることはできません。何一つ遁れることはできません。大霊の摂理は完ぺきなのです。

――霊的治療と磁気治療とはどこが違うのでしょうか。

まったく違います。磁気治療は治療家自身から出る磁気エネルギーによって治します。霊的治療は治療家の波動が霊界の治療家の波動と一体となり、通常では物質界の圏内には届かない治癒エネルギーがその治療家を通して流入するのです。

――一卵性双生児が同じ病気になり、医学では不治と宣告されたとします。その場合でも、二人ともそちらのエネルギーで治せますか。

私にはどちらとも断言できません。痛みを和らげたり病気を完治させたりする霊的エネルギーが存在することは事実ですが、それが効力を発揮するには、その通路となる治療家の適合性が問題となります。現段階の地上界では、大霊の最高の治癒エネルギーは使用できません。治療家が霊的に向上するにつれて、より高いレベルのエネルギーが使用できるようになります。霊界の問題であると同時に地上界の問題でもあるのです。詮ずるところ我々はみな媒体に過ぎません。この霊媒(バーバネル)の背後に私がいるわけですが、私の背後には私より霊格の高い霊が何人も控えており、その霊たちの背後にはさらに格の高い霊が控えており、その連鎖は無限の彼方にまで延びているのです。

[治療家のW・T・パリッシュの新しい治療所の開設に際して贈られたシルバーバーチのメッセージ]

本日、私は謹んでこの治療所を大霊とその子等のために奉納いたします。ここは物質と霊の二つの世界が融合して一つとなる神聖なる場所であり、大霊の力が顕現する場所であります。

私はこの治療所を心の病める人々、魂の病める人々、そして身体の病める人々、また苦悩の中にいる人々、暗闇の中にいる人々、人生に疲れ生きる気力を失っている人々のために奉納いたします。この場所に来て愛の光に包まれ、癒しを得ることでしょう。

また私はこの治療所を、意気消沈している人々を元気づけ、挫折している人々を奮い立たせ、弱気になっている人々に勇気を与え、疲労こんぱいしている人々の顔に笑みを取り戻させてあげる場として奉納いたします。

どうか皆さんもこの治療所をレンガとモルタルでできた建造物としてではなく霊的聖堂として見てください。壮大な尖塔もなく、神々しく思わせるものは何一つありませんが、神の霊力の宝庫として祝福されたことによって、ここはまさに「神の館」となったのです。

この四つの壁で囲まれた部屋で偉大なるサービスが為されるのです。人生の闘いに疲れ果てた人々、心身ともに衰弱しきった人々、激痛と病魔に苦しむ人々が幾度も訪れることでしょう。

最後の、そして一縷(る)の望みを託して訪れるのです。その人々に霊の力が新たな活力を与えることでしょう。気分を一新し、元気百倍、それまで霊の活動を妨げてきた物的障害が取り除かれることでしょう。

目の見えなかった人が光を見出し、耳の聞こえなかった人が聞こえるようになり、手足の不自由だった人がその不自由さから解放されることでしょう。新たなる希望が湧き出ることでしょう。霊力が人生に立ち向かう勇気を与えるからです。

さらに大切なこととして、魂の琴線にふれて霊が開眼します。ほとんど光らしい光を発していなかった大霊の炎が勢いよく燃え上がり、その体験が新たな悟りをもたらすのです。

そうした仕事をするのに特別仕立ての式服をまとう必要はありません。大学へ通って学問を修める必要もありません。必要なものは自分を役立てたいという熱誠、霊の資質を発現させたいという願望です。

それがあなたのバイブレーションを高め、物質界のために使用されるべきエネルギーの通路として役立てることになるのです。