――続「霊訓」――

インペレーターの霊訓


第二部 自動書記による霊訓(抜粋)

 「純真無垢な人間が邪霊集団からの攻撃を受けることは有りうることです。が、その際は背後霊団の守護を得て首尾よく撃退せしめるでしょう。そうした場合は別として、親和力の法則に例外はありません。類は類を呼ぶ、ということです」

 

――必ずしもそうとばかりも言えないのではないでしょうか。

 

 「絶対不変というわけではないが、それが通則です。悪は悪を引き寄せる。好奇心ばかり旺盛で見栄っ張りで軽薄な人間のまわりには同じように軽薄で未発達な霊が寄って来ます。

 しかし、純真無垢な善人には必ずしもその通則が当てはまらないことがある。時として未発達霊からの攻撃にさらされることがあります。

 試練である場合もあり、邪霊集団の策謀である場合もある」


 「高級霊による働きかけは声もなく音もなく、また往々にして何の兆候も見られないものです。結果を見てようやく知られるのみで、途中の過程にはそれが見られません。

 インスピレーションは人間が″神″と呼んでいるもの、すなわち宇宙にあまねく内在する大霊から流れてくるものです。

 

 われわれと同じく人間も霊の大海の中に生きているのであり、すべての知識と叡智はそこから魂へと注ぎ込まれている。これがいわゆる聖書の内在、すなわち神は人間とともにあり、人間の心の中に宿り給う(ヨハネ伝14・17)ということです。

 以前われわれが皆さんも神である―― 一人一人が内部に普遍的大霊の一部を宿しているという意味において、人間はすべて絶対神の顕現である。と述べたのも、それと同じ真理を述べたのでした。

 

 霊的身体はその霊の大海から養分を摂取し、存在を維持している。物的身体が呼吸によって大気中から生命素を摂取して存在を維持しているのと同じで、霊的大気と霊体との関係はまさに空気中と肉体との関係と同じです。

 人間界の叡智もまたその霊的大気圏から得られる。主として霊による中継によって行われます。受容性の高い者、霊性の高い者ほど多くを摂取する。

 

 いわゆる天才もその類に入ります。有用な発見、人類の役に立つ発明をする者もみな、そのインスピレーションを霊の世界から得ています。その発明品は人間が思いつく以前から霊界に存在していたのである。天才のひらめきも、その根源的アイディアが芽生える霊界から放たれる光の反射にすぎません」


――間違った教理を信じきっている霊が何百年何千年とそう思い込んだままの状態でいると聞いて驚きを禁じ得ません。それはよくあることなのでしょうか。

 

 「そう滅多にあるものでもないが、霊媒を通じてしゃべりたがる霊は往々にして大して高度な悟りに到達していない者たちである。理解力に進歩のない連中である。

 請(こ)われもしないのに勝手に地上へ戻ってくるということ自体が、あまり進歩的でないことの証左といえよう。中でも、人間のこしらえた教理にがんじがらめにされたまま戻ってくる霊がもっとも進歩が遅い。

 

 真の啓示は人間の理解力に応じて神みずから啓示なさるものである。数ある地上の教説や信仰は大なり小なり誤りが見られる。ゆえに(それが足枷となって)進歩が遅々としている者が実に多く、しかも、みずからはその誤りに気づかぬのである。

 そうした類いの霊が徒党を組み、その誤りがさらに新たな誤りを生んでいくことがよくある。かくして無知と偏見と空理空論が下層界に蔓延し、人間にとってのみならず、われわれ霊側にとっても厄介なことになっている。

 

 と言うのも、彼らの集団も彼らなりの使者を送って人間界を攪乱(かくらん)せんとするのです。彼らは必ずといってよいほど敬虔(けいけん)な態度をよそおい、勿体ぶった言葉を用いる。

 それがいつしか進歩を邪魔し真理を窒息させるように企んでいるのです。魂の自由を束縛し真理への憧憬を鈍らせるということにおいて、それは断じて神の味方ではなく敵対者の仕業である。

 

 霊の再生の問題はよくよく進化した高級霊にしてはじめて論ずることのできる問題である。最高神のご臨席のもとに神庁において行われる神々による協議の中身については、神庁の下層の者にすら知り得ない。正直に言って、人間にとってあまり深入りせぬ方がよい秘密もあるのである。

 その一つが、霊の究極の運命である。神庁において神議(かむはか)りに議(はか)られしのちに一個の霊がふたたび肉体に宿って地上へ生まれるべきか、それとも否か、そのいずれの判断が下されるかは誰にも分からない。

 誰にも知り得ないのである。守護霊さえ知り得ないのである。すべては良きに計らわれるであろう。

 

 すでに述べたように、地上で広く喧伝(けんでん)されている形での再生(機械的輪廻転生)は真実ではありません。また偉大なる霊が崇高な使命と目的とをたずさえて地上へ降り、人間と生活を共にすることがあることは事実です。

 ほかにもわれわれの判断に基づいて広言を避けている一面もある。まだその機が熟していないと見ているからです。

 霊ならばすべての神秘に通じていると思ってはなりません。そう広言する霊は、みずから己(おの)れの虚偽性の証拠を提供しているに他ならない」


 「霊界での仕事は多種多様です。大神が教え給う崇高な真理をより多く学びより多く理解すること。礼拝と讃仰の祈りを捧げること。心優しき霊に真理と進歩を授けること。悩める心弱き霊たちへの援助活動。みずからの知性の開発。霊性の陶冶(とうや)。愛と知識の進歩。慈悲の行為。宇宙の神秘の研究。宇宙エネルギーの操作。

 以上、要するに、不滅の存在である霊の渇望を知性と愛の両面において充実させることと言えよう」


――″インスピレーション的霊能″というのは具体的にはどういうものですか。

 

 「思想を言語に置き換えずに直接的に受信する能力のことである。これは、霊能者の存在全体が霊の支配に浸り切れるようになってはじめて可能な、最高の交霊手段である。

 この場合、霊との交信は精神的に(以心伝心で)行われ、言語は必要としない。もともと霊界の上層においては声も言語も存在しない。霊と霊とが直接的に認識し合い、その交信は完璧であり、聞き落とすということがない」


 「真理を求める者は、肉を霊の支配下に置けるようでなければいけない。真実の霊的知識に憧れる者は生活のすべての面において純粋で、心身ともに勇猛果敢で、真理の追求において一途で、足れるを知る人間でなければならない。

 純粋さ、素朴さ、一途さ、そして進歩と真理への憧憬――こうしたものが霊的知識の領域へ導いてくれるのである。これに反し、肉体的煩悩が霊性を抑圧している者、霊的知識を卑俗な目的のために悪用せんとする利己主義者――この種の者は深刻な危険にさらされていると言える。

 

 移り気な人間はとかく神秘的なものに引かれる。神秘のベールが単なる好奇心でもって突き通せるものと安直に考えるのである。見栄(みえ)が強く、能力も知識もないのに、あたかもあるようにみせかける。

 それが他人のものをのぞき見する悪趣味を生む。この種の人間には(邪霊集団の手先にされる)危険がつきまとう。真摯(しんし)な探求者には何一つ危険はない」


 「根っからの悪人とはいえないまでも、自制心と規律に欠ける者、節度と調和を失える者は、邪霊による攻撃の格好の的にされやすい。

 その種の人間との付き合いは避けるがよい。同じく霊的であっても、未発達の有難からむ指導霊の都合のよい手先にされていることがよくあるからである。

 不節制で、非理知的で、興奮しやすい性格の持ち主には用心するがよい」

 

 「われわれ(神の使者)からのメッセージを求める者は、冷静さと誠実さと祈りの心、それに穏やかにして健全な身体的条件をもって臨んでほしい」

 

 「霊媒能力の開発には恩恵と同時に危険も伴うものである。よほど強力な霊団による守護がないと、未発達霊による侵入の危険性がある。用心と祈りが肝要である」

 

 「霊媒としての仕事は(使命をもつ霊団によって)選ばれた者以外は勝手に始めてはならない。選ばれた者ならば霊団による守護がある。

 そうした霊媒にかぎって安全といえる。それも、誠実にして真摯な心構えで″神の仕事と栄光のために″行うとの認識があってはじめて言えることである。

 自己中心の考え、いかなる形にせよ″小我″にとらわれることから生じる邪心――見栄、自惚れ、野心等は霊性を汚す致命的な誘惑である」


――最近他界したばかりの人が二、三年で第七界(現象界の最高界)まで到達したというケースをご存知ですか。

 

 「知りません。そういうことは有り得ぬことです。何もかもデタラメです。そのようなことを言う霊と関わり合ってはなりません」

 

――霊能が悪霊によって邪悪な目的のために開発されるということは有り得ますか。

 

 「ある。大いにある。地上との関りにおいては高級霊よりも低級霊の方が強力であるという事実から考えても、それが分かるはずである。

 彼らはその能力を善のために使おうとはしません。逆に、いずれは霊媒にとって害になるようなことをして、われわれの本来の仕事に対する不信感を誘おうと企む。危険です。実に危険です」


――地上界のすぐ下の界にはどういう霊が住んでいるのでしょうか。

 

「人間界より一段低い界層には動物性が過度に発達してそれが霊性を圧倒してしまった者が存在する。彼らはもはや肉欲以外には何も求めぬ者たちであり、その動物的性向によって他人を傷つけた者たちであり、今なおかつての歓楽街をうろついている。食い道楽、ギャンブル狂、守銭奴もこの界にやってくる。

 

 もう一段低い界にはさらに肉欲によって霊性が汚され、さらに徹底的に魂を見失える者たちが住んでいる。その界の各地で、その種の霊の救済を任務とする霊の監視で、みずからを呪い、肉欲によって生活を破壊せる飲んだくれや忌まわしき好色家が生活している。

 進歩を望まぬが故にいつまでもそこから向上しないのであるが、みずから望めば、待機せる霊の祈りによって更生の道へ導かれる。堕落の道へ深く沈み行く者を更生させ救済するには祈りしかないのである」

 

――私たちは、死後、みずからの罪と過ちを償うことになるのでしょうか。

 

 「いかにもその通りである。罪が償われずに終わることは絶対にない。いかに怠惰な過ちも見逃されることはない。魂そのものによって、いずれは償わされる。すなわち過ちの所産が可能なかぎり拭い去られるということである。

 友よ、故意に犯せる罪は苦(にが)き涙という代償を支払わされることになることを心されよ。過ちの種を蒔けばいかに恐ろしき報いを刈り取ることになるか、貴殿は知らぬ。

 何としてもみずから刈り取らねばならぬのである。悲しみと恥辱の中に償わねばならぬのである」


――霊体は肉体から分離して別個の生活を送ることがあるのでしょうか。たとえば睡眠中などに……

 

 「それはある。霊体は独立した存在である。そして肉体が滅びると異なった環境条件のもとで生活することになる。一般的に言えば、肉体の睡眠中は霊体も休息しているが、眠るということはしない。その間の体験を肉体に戻った時に回想しようとして、それがうまく行かなくて混乱したものが夢である。

 霊には霊体で見たものすべてが回想できず、精神に印象づけられたものが五感による印象(潜在意識)とごっちゃになり、そこに辻褄の合わない夢ができ上がる。

 

 その夢の中には霊界での体験を正確に思い出しているものもあるし、予告や警告である場合があるのである。肉体に宿っている間は霊感が鈍るので、守護霊が睡眠中を利用して警告を与えることがあるのである。

 霊体に語りかけておいて、それが肉体に戻った時に(潜在意識の中の)他の印象と混同せぬよう保護し、その記憶を鮮明に保つ。

 こうした場合は正確に思い出せるし、実際によくあることである。が、普通はおぼろげにしか思い出さないものである。

 

 珍しいケースとして、霊体が特殊な才能を与えられ、高級界へ案内されて未来の住処を見せてもらったり、使命を知らされたりすることがある。深遠な叡智を吸飲して地上へ持ち帰ることもある」

 

( ※当時、1880年頃には、まだ幽体離脱という言葉がなかったそうです。)