――続「霊訓」――

インペレーターの霊訓


第一部 霊言による霊訓(抜粋)

 「人間とは何か?人間とはいかにもインスピレーションの媒体にすぎません。地上で崇められるいかに立派な人物も、神がその叡智のうち、人間にとって適切とみたごくわずかな一部を伝達するための手段にすぎません。その為すところのものは、偉大なるもの、気高きものもすべて、守護霊の影響でないものはありません。

 

 霊媒が特別の能力ゆえに選ばれることは事実ですが、その能力とて、取り立てて崇めるべき性質のものではありません。ある啓示のために適当な道具として選ばれ、その啓示が託されたというにすぎません。

 霊媒の功績とすべきものではないのです。また真に忠実な僕としての心得のある者なら、そうは思わないものです。ただの媒体、神の啓示の栄誉ある道具にすぎません。

 その栄誉も、霊界側から見ての栄誉であり、世俗的な意味での栄誉ではありません。神の僕――神のメッセージの受け皿としてとくに選ばれた者という点において、われわれの側にとって有難い存在という意味です。

 

 その任務を忠実に遂行するにつれて霊媒も恩恵を受け、地上を去ってのち、こんどは自分が神のメッセンジャーとして、地上の霊媒にメッセージを届ける役目にふさわしい人物として成長していきます。その受け皿はおのずと気高い芳香に満ちております。

 そして神の僕として仕えれば仕えるほど、その気高さを増していきます。神の真理という名の宝石箱として、人間と天使の双方から敬意を受けるに足る存在となっていきます。

 

 しかし、万が一にも不純なるもの、不正なるもの、臆病あるいは怠情の要素を心に宿すようなことがあれば、あるいはもし神のみに帰すべき栄光を私(わたくし)せんとする傲慢無礼を働くようなことがあれば、さらに又、世俗への迎合、高慢、不純なる動機を抱くようなことがあれば、その時には神の道具として選ばれた使命によって恩恵を受けるどころか、絶好の成長の機会を無駄にした不徳によって、大いなる害をこうむることになります。

 

 それが不変の神の摂理なのです。大いなる栄誉は大いなる責任が伴うということです。善行の絶好機を手にしつつ無為に過ごした者、あるいはそれを故意に悪用した者には、神の意志を知りつつその実行を怠った僕としての禍(わざわ)いが降りかかります。

 前者が向上するところを彼は下降します。霊的能力は没収され、道徳的にもまた知的にも堕落していきます。栄誉を投げ棄て、そして、見よ、恩恵に代わって禍いが彼に降りかかります。

 

 それ故、そうした経歴の持ち主が他界したのちに万が一にも通信を送ってくるとすれば、その通信の内容は、その人物の地上での評判から想像されるものよりは必然的に低いものとなりましょう。

 地上で彼が語った言葉は彼自身のものではなくインスピレーションによる言葉でした。が、今や神より授かった霊力は没収されています。

 彼の語る言葉は(親和力によって)引かれてゆく低次元の社会に似つかわしいものとなっています」


 罪とは、本質的には、霊性を高めるべく意図された永遠不変の摂理に意識的に違反することです。

神が人間の罪をご自身への侮辱と受けとめるようなことは有り得ません。

 我々が幼児の無礼を受けとめるのと同じように(寛容的に)受けとめられます。自然の摂理によっていずれは悲しみと罰とがもたらせるようになっているのです。

 罪それ自体は創造神への侮辱などではありません。罪はそれ自体が不変の摂理の侵犯としての罰を含んでいるのです。


 「霊訓」から邪霊集団の影響についての通信の一部を紹介します。

 

  すでに聞き及んでいようが、今貴殿を中心として進行中の新たな啓示の仕事と、それを阻止せんとする一味との間に熾烈な反目がある。

 われわれの霊団と邪霊集団との反目であり、言い変えれば、人類の発達と啓発のための仕事と、それを遅らせ挫折させんとする働きとの闘いです。

 

 それはいつの時代にもある善と悪、進歩派と逆行派との争いである。逆行派の軍団には悪意と邪心と悪知恵と欺瞞(ぎまん)に満ちた霊が結集する。未熟な霊の抱く憎しみに煽られる者もいれば、真の悪意というよりは、悪ふざけ程度の気持ちから加担する者もいる。

 要するに、程度を異にする未熟な霊がすべてこれに含まれます。闇の世界より光明の世界へと導かんとする、われわれを始めとする他の多くの霊団の仕事に対して、ありとあらゆる理由からこれを阻止せんとする連中です。(中略)

 

 そうした集団に集まるのは必然的に地縛霊・未発達霊の類である。彼らにとって地上生活は何の利益ももたらさず、その意念のおもむくところは、彼らにとって愉しみの宝庫ともいうべき地上でしかなく、霊界の高尚な喜びには何の反応も示さない。

 かつて地上で通い慣れた悪徳の巣窟をうろつきまわり、同類の地上の人間に憑依し、哀れな汚らわしい地上生活に浸ることによって、淫乱と情欲の満足を間接的に得んとするのです。(中略)

 

 こうした現実が身のまわりに実在するのです。それに人間は一向に気づかない。そうした悪疫の巣がある――あるどころか、ますます繁栄し、のさばる一方でありながら、それを批難する叫び声がいったい地上のいずこよりきこえるであろうか。なぜどこからも批難の声が上がらぬのであろうか。

 

 なぜか。それも邪霊の働きに他なりません。その陰湿な影響力によって人間の目が曇らされ、真理の声が麻痺されているからに他ならないのです。